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『大大阪発達史 坤 』 大阪市勢研究会/編 大阪市勢研究会,1937.7)P.7~8は、明治23年~大正初年に建築されたもの11件を記載しており 『大阪の建築ガイドブック』(大阪府建築士会創立10年記念出版委員会/編 大阪府建築士会,1962) は、府下の著名な建造物300点を選出し、種類別にしたもので、明治時代の建造物で、市内に現存するもの14件を収載している。また 日本建築学会明治建築小委員会「明治時代の洋風建築 全国調査(昭和43年12月現在)」『朝日新聞』昭和44年1月4日付によると、府下には43件が現存するとしており、このうち、8件の名称などを記載している。なお、このうちの7件は市内にあり、いずれも名称・所在地・完工年・構造・設計者名などが記載されている。参考資料:『大大阪発達史 坤 』 大阪市勢研究会/編 大阪市勢研究会,1 ...
天王寺公園は、明治36年(1903)に開かれた第5回内国勧業博覧会跡の東半分を利用して造られたもので、明治42年10月に一般に公開された。昭和40年頃は、総面積246,717㎡、園内には市立動物園・美術館・音楽堂・図書館・植物園・洋式花壇等があり、大阪でも有数の大公園であった。開園当時のもようについては 『明治大正大阪市史 第1巻 概説篇 』(大阪市役所/編纂 日本評論社,1934)p.257-258 『天王寺区史』(川端 直正/編 天王寺区創立三十周年記念事業委員会,1955.10)p.297-299 『大阪風土記 : 大正』(大阪市教育部共同研究会/編 大正大阪風土記刊行会,1926.11)p.135-136 『大阪府全志 巻之2』(井上 正雄/著 大阪府全志発行所,1922)p.741-742などに説明している。その後、同公園において各種博覧会や競技大会が開催されたが、それらのこと ...
当時、河川の水質汚濁は大気汚染・騒音等とともに公害の一つに考えられ、大きな社会問題となっており、大阪の河川の水質汚濁は著しく、淀川も例外ではなかった。淀川の水質汚濁の現状およびその対策について記載した当時の資料は、いずれも行政当局によるものである。 『河川の水質保全 昭和41年』(大阪市総合計画局公害対策部/編 大阪市総合計画局,1966) 『大阪の河川 : 河川汚濁の現状とその対策について』(大阪市衛生局環境衛生課/編 大阪市衛生局,1968.3) 『市民と公害 : 大阪市における都市公害の実態とその対策 No.5』(大阪市事務局調査課,1968)p.57-66、p.80-104、 p.107-121 島崎孝信他「昭和35年度及び昭和36年度の新淀川水質汚染調査報告」『業務研究論文集 1』(大阪市土木局1966) p.289-331 『大阪府における公害施 ...
大阪市内にある文学碑は江戸時代に活躍した俳人のものが多い。 『文学遺跡辞典 詩歌編』(竹下 数馬/編 東京堂出版,1978) p.525-526 加藤政一 「ふるさと大阪」『おおさか』7巻10号 1966年10月 p.27には、大阪市内の24か所をあげ、その碑文・所在地・作者をしるしているが、そのうち、松尾芭蕉のものが14か所にも達している。 『句碑巡礼』(増田 広州/著 原晴堂,1959) p.1-28 『日本文学の歴史 別巻 日本文学地図』(角川書店,1968)p.42 『古典文学名碑』(本山 桂川/著 弥生書房,1962.3) p.118 p.138 『写真・文学碑 : 忘れじの詩歌(現代教養文庫 297)』(本山 桂川/著 社会思想研究会出版部,1962) p.236-254 p.271-337 p.356-357 『大阪風土記 : 大正』 (大阪市教育部共同研究会/編 大正大阪風土記刊行会,1926.11) p.97には、芭蕉の碑の所在地が出ており 『大阪 ...
瀬田正之「河内音頭」『河内文化』14号 p.48-50によれば、その起源は定かではないが、古老たちの話などによると1000年程度ともいわれている。音頭の流派は3つの系統があって、北、南、中河内でそれぞれ異なり、いずれも河内音頭と総称されているが、そのうち最も古く盛大なものが八尾市の地蔵盆踊りである。井野辺天籟 「河内音頭の研究」『上方 : 郷土研究』 86号 1938年2月 p.89-95には起源、沿革、開催期、音頭の種類などについて、詳しく述べられており、音頭の歌詞、楽譜、踊りの風景写真などについては 『日本民謡大観 近畿篇』(日本放送協会/編 日本放送出版協会,1966) p.234-237に記載されている。また、踊りの場所の設営、音頭の歌詞など盆踊りについては 『なにわ楽書帖 : 群山随筆集』(松井 群山/著 府政新聞社,1969) p.46-49 『 ...
『日本祭礼風土記 2 近畿・中部』(宮本 常一/編 1962.10)p.45-70 『上方 : 郷土研究』 第7号夏祭号(上方郷土研究会) 『大阪 : 昔と今(カラーブックス 70)』 (三品 彰英/編 保育社,1964) p.136-145には、大阪府祭礼暦、大阪神社夏祭便覧、写真による祭礼の模様などを記載しており 『大阪繁花風土記』 (?泉老人/著 木村 助次郎/編 だるまや,1923.11) 1丁-13丁 『浪速叢書 第12 地誌 其1』(船越 政一郎/編纂校訂 浪速叢書刊行会,1927)p.189-342 『浪速叢書 第16 索引』(船越 政一郎/編纂校訂 浪速叢書刊行会,1930)p.460-468 『和泉志 第27,28,29,30合併号 大阪年中行事資料 1』(出口 神暁/編 和泉文化研究会,1964.6)などには、大阪年中行事の項に月日順に祭礼のことを詳しく扱っている。 『大阪の研究 第5巻 風俗史の研究・鴻池家の研究』(宮本 又次/編 清 ...
『大日本百科事典 : Encyclopedia Japonica 10 しんし←→せんさ』小学館,1978)p.579 『広辞苑』(新村 出/編 岩波書店,1966)p.1234 『川柳大辞典 上巻』(大曲 駒村/編著 日文社,1955) p.916によれば、大阪人には「江戸っ子」のような自称はあまりなく、江戸っ子が大阪人を蔑んで呼ぶ言葉として「上方贅六(ぜいろく)」がある。元来、これは才六(さいろく)からきており、江戸ふうになまったものがぜいろくであって、あて字であるとしるされている。 『大阪町人論 』(宮本 又次/著 ミネルヴァ書房,1959)p.81‐82 『上方と坂東 (青蛙選書 28)』(宮本 又次/著 青蛙房,1969)p.232 p.254 『ものしり事典 言語篇』(日置 昌一/著 河出書房,1952.11) p.151 『上方 : 郷土研究』第6号(上方郷土研究会)p.12 『上方 : 郷土研究』第100号(上方郷土研究会)p.96‐97には ...
『大阪市史 第1』(大阪市参事会/編 大阪市参事会,1913)p.298 『大阪府全志 巻之2』(井上 正雄/著 大阪府全志発行所,1922)p.787-788 『大阪風土記 : 大正』(大阪市教育部共同研究会/編 大正大阪風土記刊行会,1926.11)p.320 『西区史 第1巻』(大阪市西区役所/編 大阪市西区役所,1943)p.27によれば、「寛永元年(1624)この土地の住民海部某が運河開さくの許可を町奉行所から得て、同年竣工したが、新堀は阿波座堀川より起り海部堀町の東端において直角に屈折し百間堀川に入っていた」とあり 『大阪編年史 第5巻』(大阪市立中央図書館/編集 大阪市立中央図書館,1968.11)p.11-13には、関係古記録が載せられている。 『大阪市史 附図』(大阪市参事会/編纂 大阪市参事会,1912)の「大阪市史附図目次および説明の河川の項」には、改さく年、流 ...
『日本新教育百年史 第6巻 近畿』 (小原 国芳/編 玉川大学出版部,1969) p.242-257には、江戸時代における教育機関の種類とその特色が記載されており、とくに大阪における郷学と私塾の有名なところをとりあげている。また 『日本教育史資料 8』 (文部省/編 臨川書店,1970) p.224-251には、大阪府私塾一覧があって私塾の全ぼうを知ることができる。なお塾のうちとくに有名なものについては 『大阪市史 第5 再版』 (大阪市役所/編集 大阪市役所,1927.3) p.1077-1091 『東区史 4 文化篇』(大阪市東区法円坂町外157箇町区会/編 大阪市東区役所,1941) p.39-48 『江戸時代と大阪』 (有働 賢造/著 大阪宝文館,1943) p.1-44 p.86-134 『船場』 (宮本 又次/著 ミネルヴァ書房,1960) p.55-59 p.109-114 p.116-117 『大阪ガイド』 (牧村 史陽/著 東京法令出版,1961.9) p.43 p.44 ...
『大阪ガイド』 (牧村 史陽/著 東京法令出版,1961.9) p.29によれば、京橋とは大阪城京橋門の正面、寝屋川にかかる小さな橋のことで、江戸時代の公儀橋の一つで幕府直轄の橋でもあり、京街道の起点ともなっていた。 『新燕石十種 1』 (山田 安栄/[ほか]校 国書刊行会/編 国書刊行会,1912.5) p.447 『大阪府全志 巻之2』 (井上 正雄/著 大阪府全志発行所,1922) p.984 『都島区十年の歩み』 (大阪市都島区役所 都島区創設十周年記念事業委員会区誌編纂部会/編纂 大阪市都島区役所 都島区創設十周年記念事業委員会,1953.5) p.125-126 「みやこじまの今昔・京橋と京街道」『大阪市政だより 1970』 1970年9月号 「あのはしこのはし・京橋」『佳陽 1~84号』37号 1971年などには、京橋の由来、沿革、位置や京橋南詰にあった青物市場の変せんなどの記載が ...
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