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「推敲(すいこう)」という言葉のもとになった漢文の白文、書き下し、現代語訳が載っている図書が見たい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 11:26:11)
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下記のの当館資料を紹介。1.書き下し文「故事成語ことわざ辞典」(雄山閣 1983) 「成語林 故事ことわざ慣用句」(旺文社 1992.9) 「廣漢和辞典 中巻」(大修館書店1982.2)2.現代語訳「故事名言・由来・ことわざ総解説 改訂新版」(自由国民社,1992.10) 「中国の故事と名言五〇〇選 上巻あーそ」(平凡社 1975)「成語林 故事ことわざ慣用句」(旺文社 1992.9) 「廣漢和辞典 中巻」(大修館書店1982.2)3.原文(返り点つきで白文そのものは見つからず)教科書「高等学校 標準古典講読 物語選」 (第一学習社 2006)「成語林 故事ことわざ慣用句」(旺文社 1992.9) 「日本国語大辞典第7巻」(小学館) 4.白文「故事成語でみる中国史」(個人メルマガサイト)白文・書き下し・現代語訳あり※質問者に聞いてみたところ、原文でよいとのことなの ...
『大阪ことば事典』によると、「だしまき」の項には「鶏卵に出し汁を入れ、焦げ目をつけずにふっくら焼き上げた玉子焼。東京のようにどっさり砂糖を入れない。」とある。参考資料:『大阪ことば事典:新版』 (牧村史陽編 講談社 2004年 当館書誌ID:0010865148), 備考:2025年1月のシステム更新により、「書誌ID」は「タイトルコード」として番号体系が変更となりました。参考資料欄の書誌IDについては、図書は先頭に100を、雑誌は先頭に299を追加して読み替えてください。例:『新修大阪市史 第1巻』 新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1988・旧:書誌ID ・現:タイトルコード なお、各種URLリンクも変更になっています。デジタルアーカイブに関しては、以下のページの検索画面から資料名等で検索してご覧いただけます。・大阪市立図 ...
ルネサンス期における火薬・羅針盤・活版印刷術の発明・普及をさす。いずれも中国起源のものだが、ヨーロッパで改良・実用化されたもの。(「名数数詞辞典」・「日本国語大辞典 第6巻 さこう-しゅんひ」より)「三大なんとか」という表現は、古今東西、好まれて使われてきたようで、よく目にします。しかし、この種の言葉を調べるときに注意しなければいけないのは、その言葉が指し示すものが、広く一般に認知され、使われていなければ、辞典にはのっていないということです。また、『名数数詞辞典』は出版後年数がたっていることもあり、この辞典でわからなければ、出版年の新しい類書や、現代用語の辞典を見たり、インターネットで情報が得られないか調べてお答えするようにしています。回答プロセス:数字を含む言葉を調 ...
1904年(明治37年)に国定教科書制度が開始されてから、国定教科書は六期にわたり発行されています。「うらしま太郎」「浦島太郎」「ウラシマノハナシ」の題名で第二期から第五期の国定国語教科書に掲載されていることがわかりました。「うらしま太郎」掲載の第三期国定国語教科書『尋常小学国語読本 巻三』の復刻版をご提供。復刻版の所蔵がない教科書も1945年(昭和20年)までに使われていたものを復刻縮刷した『日本教科書大系 近代編』(全25巻)で見ることができます。こちらには他の教科も収録されています。なお、戦後の教科書は中央図書館で1991年(平成3年)から一部所蔵していますが、所蔵していないものについても大阪府教育センター図書室などの他機関をご紹介できる場合があります。回答プロセス:1.『国定教科書内容索引 ...
釈迢空は、折口信夫のこと。「釈迢空詩集」 (思潮社,1975)・「釈迢空短歌綜集」(河出書房新社,1987.10)等、釈迢空名義の資料のほか、「折口信夫全集」の所蔵はあり。釈迢空の個人全集とのことなので、釈迢空名義での作品の掲載の確認のため、「折口信夫全集 36 年譜・著述総目録・講義目録・全集総目次・短歌索引」(中央公論新社,2001.2)/「折口信夫全集 37 総索引」(中央公論新社,2002.4)をご紹介。回答プロセス:当館所蔵を著者“釈迢空”で検索 「釈迢空詩集」 (思潮社,1975)・「釈迢空短歌綜集」(河出書房新社,1987.10)等が見つかる。全集はなし。著者典拠を確認したところ、本名:折口信夫,歌人,古典学者,民俗学者,詩人とあり。折口信夫の全集の所蔵を確認。参考資料:「釈迢空詩集」 釈 迢空/[著] 思潮社,1975 「釈迢空短歌綜集」釈 迢空/著 ...
『天神橋筋いまむかし』(遠藤章弘著 天五会館 1993)の「大正8年頃の天満(八千代)座」の写真(p.30)にあり。ほか、に第二文芸館が後に天満花月となったと記述(p.29)があり。天満花月の写真が雑誌『ヨシモト』復刻版別冊号(吉本興業 1996年)に掲載。『吉本興業の研究』 (堀江 誠二/著 朝日新聞社,1995.1)に、天満八軒の記述あり(p.25)。吉本興業の発生地、天満宮裏の「第二文芸館」の明治45年の写真(p.27)掲載。回答プロセス:天満八軒があった当時の資料を中心に調査。演芸雑誌などの類の中に『ヨシモト』があり、そちらに当時の演芸場の写真が(小さいが)複数収められているのを確認。天満に関する郷土資料をあたっていくなかで、『天神橋筋いまむかし』に詳しく記述があった。2010.5追加調査1.大阪府立中之島図書館 大阪文献デー ...
大阪市大正区にあった「水上学童寮」について、当時の寮長など、わかる資料があればみたい。昭和16年頃には存在した。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 11:21:40)
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『大阪港史』第3巻P212に、大正区新千歳に「千歳学童寮」という施設があったと記載あり。昭和16年設置。同20年空襲で焼失。『大阪市職員録』昭和18年12月15日に「千歳学童寮」あり。書記、事務嘱託、寮母の名前を確認。回答プロセス:大阪府立図書館提供「大阪文献データベース」より"水上生活者"で検索。『大阪港史』第3巻を参照する。施設の正式な名前と、大阪市の施設であることが確認できたので、『大阪市職員録』により当時の職員名にいきあたった。寮長の名前はわからず。参考資料:大阪府立図書館.大阪文献データベース http://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp(2006.10.18)『大阪港史』第3巻 大阪市港湾局 1964年 書誌ID0070051523『大阪市職員録』昭和18年度 大阪市役所総務局 1943年 書誌ID0000257242, 備考:2025年1月のシステム更新により ...
昭和48年頃まではあった「淀川善隣館」に関する資料はないか。ここのスイミングスクールでベルリンオリンピックの金メダリスト、葉室鐡夫(はむろてつお)が指導にあたっていたようだ。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 11:20:55)
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下記当館所蔵をご紹介する。1.「新築落成記念 : 淀川善隣館」(淀川善隣館)2.淀川善隣館(社会教育施設ルポ) 『社会教育』 (全日本社会教育連合会) 25(8) 1970年8月号 p32~35 当館未所蔵の下記関連資料も紹介する。3.勤労青少年福祉センター--プログラム利用状況--淀川善隣館の場合(第5回ジムナストラーダに参加して) 柳原博 著 『体育の科学』1] (杏林書院,日本体育学会) 19(10) 1969年10月号 p645~649 4.「淀川善隣館事業概觀」 淀川善隣館, [出版年不明], (同志社大学所蔵)回答プロセス:1.当館所蔵を“淀川善隣館”で検索、「新築落成記念 : 淀川善隣館」 が見つかる。2.「新修大阪市史 10」索引には掲載なし。3.商用データベース「MAGAZINEPLUS」(日外アソシエーツ雑誌論文情報)で調査 “淀川善隣館”のキーワードで検索、以下の2件ヒットする ...
「すみよしとひとはいえどもすみにくし ぜにさえあればどこもすみよし」という歌は、阿倍野の聖天山に吉田兼好が住んでいた時に詠んだものか。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 11:20:02)
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『醒睡笑』(安楽庵策伝著・角川文庫 1964刊)の上巻(220p)に一休和尚のうたとして収録されている。うたの説明に「住吉の松斎庵(しょうさいあん)に居住の時・・・・」とある。なお、住吉区のHPでは牀菜庵(しょうさいあん)。『住吉区史』も牀菜庵の漢字が当てられていた。回答プロセス:阿倍野に関係するとのことで、吉田兼好と阿倍野の関わりから調査を進める。下記資料等で、吉田兼好が隠棲していたことについては確認できるも、質問事項のうたには行き当たらず。『あべの今昔物語』 猿田博著 阿倍野今昔物語編集委員会 1995年『大阪春秋 25 特集:おおさかの神社』 大阪春秋社 1981年『住吉区史』 大阪都市協会編 1996年インターネットの検索エンジンでうたの一部をそのまま入力して検索すると、『醒睡笑』に収録されているこが ...
大阪市西淀川区佃は海に近い土地で、古くから漁業がおこなわれていました。慶長年間、徳川家康が摂津多田神社や住吉神社に参詣のおり、佃の漁民が神崎川の渡しに船を提供したり、白魚を献上したりしました。また大阪の陣で佃の漁民が家康を堺に渡したといわれ、家康の隠密となったとも伝えられています。 そのため家康が幕府を開いたあと佃の漁民は全国どこでも漁ができる許可を与えられました。そして佃の漁民は献魚の役として安藤対馬守の屋敷に居住し、毎年11月がら3月まで江戸につとめることになりました。しかし毎年のことなのでその道中のわずらわしさから、江戸在住を願い出ました。 その願いがかなえられ、江戸鉄砲洲の干潟100間四方(180×180平方メートル)の土地を与えられ大阪佃から17軒34人が移住し、その ...
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