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Tulip Siddiq used fake signature to transfer flat to sister, Bangladeshi prosecutor alleges
from UK homepage (2025/3/14 3:19:16)
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Former UK City minister implicated in Dhaka corruption inquiry
Authorities should release more evidence of why Călin Georgescu has been blocked
Abolishing NHS England could lead to an initial downturn in the health service’s performance, say experts
From daring invasion to rapid retreat: the end of Ukraine’s Kursk gambit
from UK homepage (2025/3/14 2:44:11)
from UK homepage (2025/3/14 2:44:11)
‘Our problems started long before,’ says Ukrainian soldier after seven months in occupied Russian region
Germany’s Merz offers concessions to Greens over ‘historic’ spending plan
from UK homepage (2025/3/14 1:25:37)
from UK homepage (2025/3/14 1:25:37)
Chancellor-to-be vows greater share of investments for green transition as outgoing Bundestag reconvenes to debate bills
ジョサイア・コンドル(Josiah Conder 1852-1920)は、港区には工務省技術官ならびに工学寮教師として来日し、日本の洋風建築の発展に大きく貢献したイギリス出身の建築家です。 (港区史 下巻p.585より)『ジョサイア・コンドル 港区人物誌 五』コンドルの生い立ちから晩年までの概略を確認することができる。p.20-21に麻布三河台町に1904年(明治37年)に約830坪の自邸が完成し、趣味であったアマチュア演劇やガーデンパーティに友人を招いたことなどが記載されている。p.22に、現存の7軒中2件が港区とある。p.34にマップ、p.37に年譜がある。『港区史 下巻』 p.585に「コンドル博士設計の区内建築物」の表があり、岩崎家別邸・川村氏邸・今村氏邸・三井家クラブなどの所在地や竣工年月を確認できる。p.586に三井クラブの写真とともに、「記 ...
旧・朝香宮邸に関しては『文化財の保護 第44号』「東京都指定有形文化財『旧朝香宮邸』その誕生と変遷」に詳しい。 p.31「はじめに」に、「東京都庭園美術館として活用されている建物は、旧皇族朝香宮家の本邸として昭和8年(1933)に竣工したアール・デコ様式の歴史的建築物として知られている。基本設計を宮内省内匠寮(たくみりょう)工務課が担当したこの建築は、旧宮家の本邸遺構であるとともに、1920年代から30年代にかけて欧米を中心に流行した装飾様式アール・デコの影響を直接的に今日に伝える稀有な建築例」であり、「建物と庭園を含む旧宮邸の敷地一帯は、昭和25年(1950)に朝香宮家より西武鉄道株式会社に譲渡され、(中略)吉田茂が外相・首相公邸としてこの建物を使用したほか、昭和30年(1955)から49年(1974 ...
下記の資料で、三田網町10(現港区三田2丁目1)に渋沢邸があったことが確認できる。『港区の文化財 第7集 三田と芝』p.27に、「網町の丹波柏原藩の邸地には仁礼邸(現三田2丁目1番の北西部)、(中略)仁礼邸のあったところに渋沢邸、蜂須賀邸と渋沢邸の間に浅野良三邸」とある。p.34に「町名・町域の変遷と戸数の発展の概要」の図がある。『渋沢栄一伝記資料 第29巻』p.622に、「1906年(明治39)4月2日 是日栄一、篤二の新居として三田網町の子爵仁礼景助の土地家屋購入を決す。次いで1909年(明治42)6月深川邸の家屋の一部移建を加えて新築竣功す。当邸は専ら篤二の居住せし所なるも、栄一の本拠となす。」と記載がある。p.624に、「6時網町邸に至る、新築落成、本日目出度移転せらる、立派に工合よく出来、見はらし、日あたり、 ...
太々餅については、『芝大神宮氏子周辺歴史覚書帳』p.148-149に詳しい。創業は不詳であるが、1823年(文政6)に豊後臼杵藩の殿様が姫君を伴って神明の参詣の帰りに太々餅に立ち寄った、とあり、廃業は1941年(昭和16)頃とある。『大江戸趣味風流名物くらべ 下』p.146-148「餅屋 芝 太々餅」に、2代の時に神田にも店を出し、芝と神田の店はともに栄えたとあるが、神田の店は昭和5、6年頃に廃業、芝の店も戦争中に店を閉めた、とある。餅については、『芝大神宮御鎮座一千年記念社史』p.82に詳しい。大量に供えられる餅の処分に苦労していたお宮が、宮前にできた餅屋にそれを引き取ってもらうようになり、名物となった様だ、とある。さらに、餅(小さくダンゴが串に刺して何個かで1本になっていてまわりにアンコがべったりとはりめぐ ...
浜松町駅にある世界貿易センタービルが建つ前には、都営バスの駐車場があったと聞いた。当時の写真や資料が見たい。(港区立三田図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/14 0:30:17)
from レファレンス協同データベース (2025/3/14 0:30:17)
『増補港区近代沿革図集 新橋・愛宕・虎ノ門・芝公園・芝大門・浜松町・海岸』p.84に世界貿易センタービル(浜松町2-4-1)が載っており、p.67の1937年(昭和12)の地図では「バス車庫」とある。p.96の1924年(大正10)の地図では「東京市電気局電車車庫」となっている。『東京市電気局三十年史』p.519によると、明治中期、当時の芝区浜松町に東京馬車鉄道株式会社が駐車場と修理場を設置した。1903年(明治36)に東京電車鉄道株式会社となって敷地を拡張し、電車修理工場となった。その後、東京鉄道株式会社と改称し、1911年(明治44)に東京市に買収され、電気局浜松町工場となった。p.307-308によると、電気局は関東大震災後に乗合自動車事業を開始した。p.314「乗合自動車事業概要(昭和4年4月現在)」に、出張所・車庫として「浜松町、 ...
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