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信濃図書館の蔵書について、大正7年時に次の目録が発行されている。・『信濃図書館 和漢図書分類目録』信濃図書館編・刊 1918【N029/14】【国立国会図書館デジタルコレクション/インターネット公開】[最終確認日 2024.10.17] 資料のタイトルと合わせて「表装」の項目に「洋」「和」の表記があることから、和装本と洋装本が混在していた様子がうかがえる。回答プロセス:1信濃図書館は当館の前身にあたることから、出版者が「県立長野図書館」となっている資料を検索、参照する。図書館史の創立前史の部分を参照したが、収集方法等の記載のみで本の装丁について触れている箇所はなかった。 ・『県立長野図書館三十年史』県立長野図書館編・刊 1959【N016/5】 ・『県立長野図書館五十年史』県立長野図書館編・刊 1981【N016/5A】2 「信濃図 ...
上水内郡小川村の郷土歴史館で、明治初期の小根山村の村勢を書き留めた文書が展示されていた。同じものが掲載された図書資料はないか。(県立長野図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/1 21:02:30)
from レファレンス協同データベース (2024/12/1 21:02:30)
利用者が見た資料は、おそらく明治初期に政府が編纂しようとした『皇国地誌』のための、各村が作成した原本の控えと思われる。この資料は関東大震災で原本となる資料が消失してしまい、編纂されることはなかった。国立国会図書館レファレンス協同データベースに、当館が公開している事例「県立長野-18-070」に詳しく書かれている。 県で保管していた資料を基に活字翻刻された『長野県町村誌』が発行されている。『長野県町村誌』長野県編 名著出版 1973【N290/33a/1】p.251に「小根山村」がある。 何度かの復刻を経て、現在は、NPO長野県図書館等協働機構が運営する「信州地域史料アーカイブ」のコンテンツに「『長野県町村誌』と明治初期の村絵図」としてインターネット公開されている。この「明治初期から幕末の地名」で、小根 ...
1 「大窪實」氏の動向等について「大窪實」氏が「視學官」の役職にあったことから、当館が所蔵・契約している明治35年から明治37年までの以下の資料を調査した結果、動向等の記述は以下のとおりであった。(1) 『官報』・『明治三十五年十月八日 第五七八〇號』 p.140 「一級俸下賜(以上十月六日文部省) 長野縣視學官 大窪實」・『明治三十六年一月二十六日 第五八六七號』 p.491 「長野縣視學官 大窪實 文官分限令第十一條第一項第四號ニ依リ休職ヲ命ス(文部省) (以上一月二十四日)」・『明治三十七年三月一日 第六一九六號』 p.11 「彙報 官廳事項」 「失官 休職長野縣視學官正六位勳六等大窪實ハ収賄罪ニ依リ去月十九日重禁錮四月罰金十五圓ノ判決確定シ失官者ト爲レリ」(2) 『長野縣報』・『長野県報 明治35年1-12月告諭・ ...
1 信濃源氏大内氏及び平賀氏に係る系譜、系図について 信濃源氏大内氏及びその出自である平賀氏の系譜、系図等の記述は、以下の資料にみることができる。 なお、それらの中に、西筑摩郡(現在の木曽郡に塩尻市大字贄川、木曽平沢、奈良井を含む地域)、旧奈良井宿、旧贄川宿若しくは旧楢川村を含む地域(以下「旧楢川村等」という。)とのつながりを示す記述は確認できない。・『姓氏家系大辞典 第1巻』 太田亮編 角川書店 1976 【288.1/オア/1】 p.1085・『姓氏家系大辞典 第3巻』 太田亮編 角川書店 1976 【288.1/オア/3】 p.5065・『新編 姓氏家系辞書』 太田亮著 秋田書店 1979 【288/93/1】 p.237、p.1083・『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20』 角川書店 1996 【N288/158】 p.36-37、p.904・『日本家系・系図大事典』 奥富敬之著 東京堂出版 2008 【288.1/オ ...
1 長野市第1庁舎( 昭和62年(1987年)8月に別棟の第2庁舎が竣工し、この時期以降旧棟を「長野市第1庁舎」と呼称していることから、本件でも同じ名称を使用する。)の建設時期について 長野市ホームページから閲覧できる『公文書館資料が語る戦後70年 (3/3)』 長野市公文書館作成 p.60に、「(長野市第1庁舎は)昭和40年(1965年)10月に竣工式」との記述が確認できる。このことから、昭和43年(1968年)12月16日の時点で、長野市民会館と長野市第1庁舎の両施設が使用されていたことが確認できる。2 長野市民会館と長野市第1庁舎との間の敷地利用について(1) 住宅地図等における利用状況の調査 上記時点に近接する時期の当館所蔵の住宅地図等で敷地利用状況を調査した結果は以下のとおり。〇『日興の住宅地図 長野市 昭和42 ...
現在の所蔵先は不明。 翻刻資料のあとがきp.25から、出版された1968年当時の所蔵者は佐久史談会会員の井出逸治氏であることがわかる。 しかし、井出逸治氏が所属していた佐久史談会及びこの後継団体である佐久史学会は既に解散しており、連絡の手段はない。参考:「佐久史学会解散」『信濃毎日新聞』令和元年8月19日18面回答プロセス:1 当館所蔵の翻刻資料を確認する『勤王上京日記』井出宣長著 佐久史談会 1968【N289/イデノ】 回答記載のとおり記載が確認できる。2 上記資料の発行者である佐久史談会の連絡先等を確認する 3 県内図書館の所蔵を探す 県立長野図書館「長野県郷土資料総合目録」[最終確認日 2024.5.15] 長野県内の図書館で所蔵している長野県に関する資料をまとめて検索できるデータベースです。2014年以降の情報更 ...
木曽家畜市場についてその始まりや名称変更、移転、所在地について知りたい。また、昭和47年(1972年)8月27日に市場があった場所は市場移転後にどうなっているのか知りたい。(県立長野図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/1 20:56:53)
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1 市場の変遷・移転・名称について 江戸時代から大正2年までの馬市の変遷については、『木曽福島町史 第3巻』木曽福島町教育委員会編 木曽福島町 1983【N234/76/3】のp.224-237「馬市の変遷」にまとめられている。(1)江戸時代までの馬市について 馬市の起源は江戸期にさかのぼる。起源については、『木曽福島町史 第3巻』(前掲)p.196-202「木曽馬生産の歴史的背景」が参考になるが、年等の詳しい時期は不明。 また名称については、同書p.224に七月の夏市を「毛附(けづけ)」「お毛附」「半夏市(はんげいち)」、九月の市を「中払」又は「中見市(なかみいち)」と呼んだとある。 場所については、p.224に「中山道往還の上町・下町の町の目抜き通りの店先につないで行われた」とある。(2)明治時代の馬市について 明治に入ると、福島戸長役場が馬市 ...
長野県庁が信州大学教育学部の場所に庁舎ができる前は西方寺を使っていたと聞いたことがある。いつ頃のことだったか知りたい。(県立長野図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/1 20:54:16)
from レファレンス協同データベース (2024/12/1 20:54:16)
『長野市誌 第8巻』長野市誌編さん委員会編 長野市 1997【N212/318/8】p.62-63「西方寺」の項目に「明治四年(一八七一)六月から七年七月まで三年あまり、長野県庁仮庁舎として使用された」とある。このほか、下記資料に記述が確認できた。『長野県史 通史編 第7巻』長野県編 長野県史刊行会 1988【N209/11-4/7】p.51に明治四年七月西方寺を仮庁舎として開庁式を行い、二十六日から長野県の執務を開始したことが書かれている。また、県庁舎の新築については、p.103に明治6年用地を長野村と腰村の地七反七畝二三歩(現信州大学教育学部の地)と決定し、明治7年10月に落成、30日から事務を開始したことが書かれている。『長野県政史 第1巻』長野県編・刊 1971【N317/74/1】p.41 「[明治4年]七月二十五日、長野県は西方寺を仮庁舎に決め、権(ママ)知事はじ ...
タイトルから確実に関係があると思われる論文は確認できなかったが、次の文献を紹介した。1 「産米の食味特性の実態把握と変動要因の解明」『農業関係試験場県単プロジェクト研究成果』第15号【N610/99/15】p.8-22 p.16-17「水質と食味特性」 長野県農業総合試験場発行の資料に掲載されている論文で、上伊那地域の河川、三峰川・与田切川の2河川の水と蒸留水で生育した結果が記されている。2 早瀬吉雄著「能登における水環境を生かした良食味米生産の可能性」 J-Stageで本文の閲覧が可能[最終確認日 2024.11.24]。 長野県内ではないが、石川県鳳珠郡能登町と新潟県魚沼地域の水質、気候の比較が行われている。3 「農業用水基準」『最新農業技術事典』農業・生物系特定産業技術研究機構編著 農山漁村文化協会 2006【610.33/ノウ】p.1194 2の文献 ...
次の資料に、すずめ焼き、ふなこく、甘露煮、鮒ずしの調理方法の記載が確認できた。・『聞き書 長野の食事 日本の食生活全集 20』農山漁村文化協会 1986【N596/37】<諏訪盆地> p.159「ふなのすずめ焼き」 p.159-160「ふなこく」<佐久平> p.188「山の幸、川の幸のあふれる――日常の食生活」 調理法ではないが、「ふなは、流水に泳がせて泥を吐かせてから、醤油、酒、砂糖、で煮つけて日常のおかずにする」とある。 p.209「ふなの甘露煮」・『信州の味(ながの農業と生活別冊)』長野県生活改善グループ連絡協議会[編] 長野県農業改良協会 1990【N596/48】 p.74「鮒の甘露煮」「鮒ずし」 p.89「鮒のすずめ焼き」 ・『信州の郷土料理』高野悦子著 信濃毎日新聞社 1982【N596/28】 p.162-163「フナの甘露煮」 p.163-164「フナのすずめ焼き」・『ヘルスメ ...
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