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フランスの歌で「カルマニョール」という曲があるが、その歌詞を原文と日本語訳で知りたい。できれば、歌の背景についての解説があるとよい。(成田市立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:31)
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『世界軍歌全集 歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』のp.24-p.25に、「カルマニョールの歌」として、原文と日本語訳が並記されている。民衆の中から生まれた流行歌であり、作者は不明。チュイルリー宮襲撃事件のあと歌われ始めたということが分かっている。パリの民衆は、この歌を口ずさみながら輪になって踊ったため、カルマニョール輪舞と呼ばれたとある。なお、歌詞は無数存在するとも記載されている。回答プロセス:インターネットで「カルマニョール」で検索すると、18世紀後半のフランス革命から歌われている革命歌であることが分かった。当館の蔵書検索で、全文=革命歌で検索すると、『世界軍歌全集 歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』がヒットし、確認したところ「カルマニョールの歌 ...
1964(昭和39)年パラリンピック東京大会のポスターをデザインした、成田とも縁があるらしい「高橋春人」という人物の作品や略歴などが分かる資料があるか。(成田市立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:31)
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『ほろびの街 東京戦災記録スケッチ集』のp.109に、パラリンピック東京大会のポスターが、海外用と国内用の2種類(モノクロで掲載)収録されている。また、高橋氏が戦時中から昭和30年代までにデザインしたポスターや、戦中戦後の東京の様子をスケッチした作品なども、多数収録されている。巻末で、高橋氏の履歴が確認でき、旧:下総町(現:成田市)生まれとの記述がある。参考資料:『ほろびの街 東京戦災記録スケッチ集 』 高橋/春人‖著 PHPエディターズ・グループ 2019 213.606, 978-4-909417-36-7
『環境法判例百選(別冊ジュリスト171)』のp.92-p.93に、「成田新幹線事件ー新幹線工事実施計画の認可と抗告訴訟」(最高裁昭和53年12月8日判決)として、事実の概要、判旨のほか解説が掲載されている。『判例辞典』のp.836-p.838に、「成田新幹線訴訟」について、概要、判旨のほか、判例の意義と問題点についての解説があり、「大規模公共事業と地域住民の生活との間にしばしば生ずる法的紛争の一つ」であり、原告の訴えが斥けられた訴訟。「運輸大臣の日本鉄道建設公団に対する工事実施計画の認可処分が取り消し訴訟の対象にならないとする最初の判決」との記述がある。回答プロセス:データベース「D1ーLaw.com」の、法律判例文献情報検索で「成田新幹線訴訟」と入力すると、『環境法判例百選(別冊ジュリスト171)』に、判 ...
【ひがし茶屋街の越中八尾おわら流しについて】 ひがし茶屋街で越中八尾おわら流しが行われている背景を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:24)
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質問者はネット記事で『「おわら風の盆」の踊りは若柳流の若柳吉三郎氏が振り付けたものであり、ひがし茶屋街の芸妓たちが稽古で振り付けを教えたことから「越中八尾おわら流し」を行っている』ことを知り、関連資料を希望されていた。北國新聞データベースを検索したところ、質問者が読まれたネット記事の出典と思われる以下の関連記事を確認した。『北国新聞縮刷版 No.401(平成11年8月号)』(118430630)p.988「「おわら再興」、洗練された響きで全国区へ」(1999年8月22日/朝刊26頁)『北国新聞縮刷版 No.455(平成16年2月号)』(118451612)p.227「八尾町のおわら流しが里帰り」(2004年2月6日/朝刊19頁)自館の図書検索(キーワード「おわら風の盆」「若柳吉三郎」等)により、以下の図書2冊で若柳吉三郎氏による振り付けの詳しい経緯を確認した。た ...
●藤岡作太郎の兄弟に関して記載のある資料『藤岡作太郎日記 明治四十一年』(109140972)p.99-136に人名索引が記載されている。その中でp.127に「藤岡幸二」の氏名があり、「作太郎の弟」とある。『藤岡作太郎日記 明治四十二年・明治四十三年』(109157880)巻末に人名索引の記載があり、その中でp.33に「藤岡幸二」がある。『藤岡東圃追憶録』(119563720)p.118-120に「惡筆の辯 藤岡幸二」の記載あり。●兄弟についての記載はないが、藤岡作太郎に関連する資料『石川近代文学全集 12』(11826150)p.185-221に藤岡東圃の著作が記載されている。また、p.332-339に「藤井紫影 「藤岡東圃」傳記」の記載あり。p.390-397には「評論・紀行の人々」と題し記載があり、その中でp.393-396に藤岡東圃について記載している。『こども石川県史 人物編』(119873330)p.170に「藤 ...
【金沢市の社会館について】 石川県の学童疎開で、金沢市が「社会館」という場所で疎開者の受け入れを行っていたことがわかった。社会館は現存しているか、また戦時中に社会館があった場所が現在のどこにあたるかが知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:24)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:24)
質問者からは一例として石川県石川郡額村にあったとの情報提供があったことから、まず額村での学童疎開の場所が書かれた文献を調べた。1.石川県及び額村での学童疎開の受入れ先について当時の新聞記事等を確認したところ、「社会館」で受け入れたという記載は見つけられず、寺院での受入れが主のように見受けられる。・『学童疎開の記録 1』(111555900)p.141「表1 集団疎開先と疎開実施日」から、石川県では大阪市都島区の学童を昭和19年9月15-17日に受け入れたことがわかる。p.511 大阪府大阪市都島区の各学校の疎開先を一覧で確認することができる。なお額村は、桜宮校の疎開先として割り当てられている。・『学童疎開の記録 4』(111555938)p.321「新聞に見る学童疎開 昭和19年9月5日北国毎日新聞」記事内に各市町村ごとに受入れ先の記 ...
【普仏戦争後のヨーロッパ視察について】 『石川県史 第4編』p.231に岡田正忠・寺西成器・北川亥之作が普仏戦争後のヨーロッパを視察したと書かれているが、このことについて詳しく書かれた資料はないか。また、この時にヨーロッパを視察した寺西成器について他に書かれた資料があれば見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:24)
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●岡田正忠(雄次郎・棣)について『加賀藩史料 藩末篇下巻』(11801641)p.959、979、1101、1102に「岡田雄次郎(岡田棣)」の記載あり。『石川郷土史学会々誌 第23号』(119343370)p.1-6に「加賀藩海外留学生追録-岡田雄次郎・丈太郎、吉井立吉、桜井省三について-」の記載あり。『金沢の百年 年表 明治編』(109282388)p.15に明治四年(一八七一年)の「社会・文化」の事項として「3.17 太政官は大藩に対して士族2人を推薦させて海外視察を命じた。金沢藩から岡田雄次郎と吉井立吉が派遣された」とある。『黎明期の異国見聞録』(109353167)p.151-176に「四「仏蘭西遊国日記」」の記載あり。また、p.230-244に「Ⅶ『仏蘭西遊国日記』との出合いと岡田家が所蔵する事情」の記載あり。『軍艦発機丸と加賀藩の俊傑たち』(109212178)p.112-134に「2 岡田雄次郎」の記載あり。p. ...
【金城高等学校の円形校舎について】 金城高等学校(現・遊学館高等学校)にあった円形校舎について、築年、解体年、写真、および建設経緯の書かれた図書・資料などを紹介してほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:24)
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○北國新聞データベースによる検索『北國新聞』 平成20年3月22日 朝刊 25面 「遊学館高を一部改築」に「円形学館は、一九五三(昭和二十八)年、第二学館は五八年に建設された」と記載あり。『北國新聞」 平成20年6月17日 朝刊 19面 「工事の無事を祈る 遊学館高校舎改築地鎮祭」に「円形学館は駐輪場を備えた円形広場に生まれ変わる」と記載あり。『北國新聞』 平成21年10月2日 朝刊 29面 「遊学館高校新校舎棟完成」に「本校のシンボル的存在となっていた円形校舎が新しく生まれ変わり地下に駐輪場を備えた遊学広場になりました」と記載あり。○当館資料検索『石川の私学』(109216542)p.52に「昭和二十八年、日本で第一号の円筒型校舎の建築に着手した」と記載あり。『遊学のこころ』(109222147)p.46-48「円筒校舎が注目を浴びる」に建設の ...
●理財『広辞苑 第7版』(113620605)によると、「経済」の類語に「理財」がある。p.3074には、「理財:貨財を有利に運用すること。経済」、「理財学:経済学の旧称」と記載されている。・「理財」の語源中国の古典『易経』の「下繋辞伝」の一節、「財は財を理めて辞を正しくし、民の非を為すを禁ずるを義と曰ふ」が語源とされ、以下の資料に記載がある。『易経』(129668548)p.352・理財に関する資料『備中松山藩』(512476670)p.159-162に、藩の元締役であった山田方谷の藩政改革の理念となった「理財を論ず」(理財論)の記載がある、『山田方谷の文 方谷遺文訳解』(112036288)p.241-251に「理財論」の原文と訳が記載されている。●経済『日本の経済思想四百年』(111178654)p.33より、経済という語の由来として経世済民を挙げているが、経世済民は「今日 ...
【尊経閣文庫について】 若林喜三郎著『前田綱紀』148ページに前田家には明治末の時点で数十万点の史料があったと記載されているが、現在では約1万点だという。それぞれの数字の出典やこの間の経緯がわかる資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:23)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:23)
明治末の時点の史料数・『加賀松雲公 中巻』(119437117)p.126-127に参照元の記述があり、そこには、和漢の珍籍が元々数十万あり、それから散逸もあったが尚数十万残存しているとある。この本の発行年が明治41年なので、明治末の史料数の記録はこの本からと思われる。国立国会図書館デジタルコレクションでも、ログインなしで閲覧できる。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/781990/1/2/ (最終閲覧2024/11/6)現在の冊数・wikiの「尊経閣文庫」に和書7500部、漢籍4100部、文書2500点と記載があるが、出典は書かれていない。【URL】https://ja.wikipedia.org/wiki/尊経閣文庫 (最終閲覧2024/11/6)・文書に関しては『加賀前田家と尊経閣文庫』(118581340)p.167に「古代から近世にかけての数千通の古文書が伝来している。そのうち正文を中心にまとめられている「尊経閣古文書纂」 ...
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