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【金沢市の建築物の写真集について】 30年前に金沢市が発行した、金沢市の旧家の写真集を見たい。(以前に請求したことがあり冊子体の薄いものだった。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:34)
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「金沢市文化財紀要 115 金沢の歴史的建築と町並み」(ダイジェスト版)(119469380)「金沢市文化財紀要 105 金沢の歴史的建築と町並み」(119411783)「金沢市文化財紀要 57 金沢の歴史的建築」(11917593)「甍 石川のまちなみ百選」(11826305)
・「金沢消防のあゆみ 自治体消防発足25周年」(金沢市消防本部、1975年)(119566080)(年表あり)・「金沢火災史」津田義雄/著(1941年)(119508317)大火については・「金沢の百年 明治編」(市史年表) (119871415)・「石川県災異誌 1982」金沢地方気象台/編(119871451)・「石川県を主とした火災消防抄史」津田義雄/著(11903424)40~100軒 燃えた火災もあった。
・北国新聞 記事データベース のほか・「人物レファレンス事典 昭和(戦後)・平成編」(112540994)p.1966で確認できる。→平成7(1995)年3月20日没
・利用者からの情報提供によると、大久保慶二郎は、金沢出身で熊本県庁の職員となり、建築設計の仕事をし、金沢没となっているとのこと。・また、この人物について知るため、利用者から『明治初期の官員録・職員録』(石川・富山・福井の市立図書館・横断でも所蔵なし)の所蔵場所を聞かれたので、明治の人物と思われる。・西日本新聞に出生地が掲載されていたとのこと。国指定文化財等データベースに以下の記載あり。【URL】http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.html名称:九州海技学院本館(旧宇土郡役所庁舎)年代:明治35/昭和63改修所在地:熊本県宇城市「県営繕の大久保慶二郎の設計(推定)」(2015年現在は削除されている)<追記>その後、国立国会図書館デジタルコレクションで、職名と月給の記された『職員録』が閲覧可能である ...
【大野の海商 浅黄屋(あさぎや)について】 金沢市大野(江戸期には石川郡大野)の海商、浅黄屋(現在は浅井)について記された文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:34)
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・「大野町史」・「石川県大野町誌」・「金沢市大野町史」・「加賀藩における都市の研究」(11002644)海運の項目等に、浅黄の姓(屋号)の人物が散見される。・「大野醤油の歴史」吉本政昭/著(109140613)浅黄屋(鴻野)と浅黄屋(浅井)の関係や、それぞれの由緒について詳しく書かれている。
【旧制高等女学校の卒業アルバムについて】 石川県立金沢女子学校の卒業アルバムがどこかに保管されていないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:33)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:33)
・「石川県教育史」などで、大正~昭和23年まで、県立の女学校が金沢市内に2校(第一高女、第二高女)あることを確認した。・第二高女史「真清水の心」(11918674)に記載あり。また、明治42年~昭和6年までの卒業写真をつづったアルバムが当時の同窓会にて、保存する内容の記載も確認した。・「真清水会誌」にて同窓会は解散していることを確認した。インターネットで調査したところ、県文教会館にて上記アルバムを所蔵していることを確認した。※県文教会館で旧制中学関連の資料を数多く所蔵している。学校ごとに所蔵リストをPDFファイルで確認できる。
○建てられた時期について明治41年 泉野(地黄煎町から六斗林に至る空地約8,000坪)に新築決定明治42年 工事着手明治45年 一部完成大正2年 新校舎へ生徒が移る〈出典〉・『目で見る金沢の百年』p.55・『金沢の百年 明治編』(市史年表) (119871415)p.175・『石川県教育史 第1巻』p.351~、p.1258・『石川県師範教育史』p.172○建てられる前は何だったか元は「調練場跡」だった。『金沢古蹟志』に「泉野練兵場跡(中略)明治7年8月金沢区長より貧民授産の為め御払下げの儀を出頭し、内務省へ上申し、払下げに相成り、今茶畑とす。」と記載されている。以上から、泉野練兵場→茶畑→師範学校と推移したと考えられる。〈出典〉・『金沢市 六斗林ものがたり』p.34 ・『金沢城下南部の歴史』p.238 ・『加能郷土辞彙』(初版)p.49 イズミノ~・『金沢市史 資 ...
『加越能文庫解説目録 下巻』(金沢市立図書館、1981年)7576「茜染一件書類」『金沢古蹟志 第5編』(金沢文化協会、1934年)巻14 p.19「茜染伝方事略」『国事雑抄 上編』(石川県図書館協会、1971年)p.236「茜染御用相勤紺屋之事」『加賀藩史料 第6編』(清文堂出版、1970年)p.205「(享保5年)五月十六日。町奉行等茜染を専業とする茜屋理右衛門没後の状況を答申す。」(続漸得雑記からの引用)『加能郷土辞彙』(初版)p.3「茜染」「茜屋雪斎」「茜屋理右衛門」『温故集録 4』p.304~313「茜染之義御穿鑿」延宝2年(1674)に茜屋理右衛門を但馬国出石から呼び寄せたが、理右衛門の死後、茜染の伝承者がいなくなった経緯等が記されている。
・『新編 日本の歴代知事』(118290100)p.851に記述あり。明治14年2月12日~明治28年3月26日までと記載されている。
【加賀藩の薬種業について】 加賀藩の薬種業で、加賀三家と呼ばれた、亀田・石黒・中屋について、歴史等を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:31)
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福久屋(石黒)、宮竹屋(亀田)、中屋(中屋)。綱紀が寛文十年(1670)藩医堀部養淑・堀部養佐の両名から、加賀藩の秘薬を伝授させた。(『金沢市史 資料編15 学芸』p.458)・『加賀藩の秘薬』三浦孝次/著(118413219)p.161-168「福久屋」、p.168-172「中屋」、p.172-187「宮竹屋」石川県の薬学史に関してもっともくわしい図書。各薬種についても記述あり。<福久屋(石黒)>・『続 加能の名家』(11802500)p.99「福久屋の石黒家」・『年報都市史研究 11』(118584987)p.14-27「近世初期の流通転換と問屋」ギョーム=カレ/著近世初期の石黒屋の問屋業について記したもの。・『金沢の老舗』(118413003)p.16-21「家柄町人福久屋石黒伝六商店」・『薬草と加賀藩』(109083061)p.42-43「薬種商 福久屋(石黒伝六家)について」<宮竹屋(亀田)>・『金沢町人の世界』田中喜男/著(11826084)p ...
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