リンク集 RSS/ATOM 記事
ホーム >>
リンク集 >>
RSS/ATOM 記事 (26926)
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



【長町の連れ込み宿について】 昭和30年頃の長町に連れ込み宿があった旨、文学作品に出てくるが、そのことについて書かれた文献(資料)はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:41)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:41)
・「金沢市街図」(1948、1944等)を紹介した。現在の松ヶ枝緑地の辺りに旅館が集中しているが、連れ込み宿があったという確実な根拠は見つからなかった。『石川県商工要覧 昭和27年度版』(119514029)附録録「商工名鑑」p.117~120「金沢市(金沢旅館業組合加盟旅館)」によると、長町近辺の旅館数は次のとおり。高岡町上薮ノ内 1軒高岡町 2軒栄町 3軒松ヶ枝町 2軒長町川岸 1軒古寺町 2軒裏古寺町 1軒『金沢市詳細図 昭和38年版』(118407249)によると、長町近辺の旅館数(ホテル含む)は次のとおり。高岡町上薮ノ内 1軒高岡町下薮ノ内 1軒高岡町 2軒長町 5軒栄町 4軒長町川岸 5軒裏古寺町 2軒『松ヶ枝の広場』(118290727)「栄町界隈」p.104「遊廓移転の後が旅館となり、栄町だけでも15、6軒も数えられた」
【紙商売について】 江戸時代後期から明治時代にかけての金沢の紙商売に関する資料がないか教えてほしい。商売の規模や従業員数などが判らないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:41)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:41)
<明治時代>「明治28年度県税中商業税分賦等級別交名簿」(『金沢市史 資料編11 近代1』)明治中頃の金沢市内の紙商の氏名89名(2等1名、4等1名、5等1名、6等3名、7等2名、9等3名、10等5名、11等5名、12等4名、13等3名、14等3名、15等7名、16等8名、17等3名、18等5名、19等4名、20等11名、21等3名、22等5名、23等5名、24等4名、25等3名)を拾うことができる。『石川県下商工便覧』(川崎源太郎 1888年刊の復刻)(118542593)横浜茂平(博労町)、野口清右衛門(尾張町)、渡辺太郎平(安江町)、吉川嘉右ヱ門(片町)、大丸小平(橋場町)、永山貞秀(片町)、越田茂平(上堤町)の7名の紙商を収録する。『北陸三県実況案内』(1903年)(118572402)渡辺太郎平(安江町)、炭谷長平(小立野)、丹羽理右衛門(青草町)の3名の紙商を収録する。『明治大正期商工信用録 第4巻 明治44年 下』(118583836)五 ...
○復刻地図『昭和モダンの金沢』(2014年)(118563833)付録「金沢市街地図(1929年刊の復刻)」『かなざわ復刻地図』(2006年)(118489235)「町名改正以前の金沢市街図(1954年刊の復刻)」『金沢市街地図』(2003年)(119781499)(『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(改編版)(118388152)付録、昭和14年発行「大日本職業別明細図・金沢市」の複製)『金沢市史 資料編18 絵図・地図』(1999年)(119646903)別刷24「一万分の一地形図(1888年刊の復刻)」、別刷25「金沢市街図(1905年刊の復刻)」〇住宅地図『金沢市詳細図 昭和38年版』(金沢出版社、1963年)(118407249)(住宅表示変更前の住宅地図)〇金沢市街図(主要なもののみ)『金沢市街地図』(1963年)(11902915)『金沢市街図 昭和37年』(1962年)(119551962)『金沢市街図』(1961年)(119550642)『金沢市街案内図』(1951年)(11913824)『金沢市街図 〔昭和23 ...
現在 小松市、以前は中海村・『石川県能美郡誌』p.1300に「米左衛門屋敷」と出てくるがフリガナなし。・『南加賀の山城』(119669176)p.151に出ているがフリガナなし。・『石川の山』(11826860)p.223に出ているがフリガナなし。・『石川県中世城館跡調査報告書 3 加賀2』(119959864)p.77に出ているがフリガナなし。・『日本城郭大系 7』(11802317)p.505「米左衛門屋敷」は五十音配列から「こめざえもんやしき」と読むと推定される。・『仏御前の生まれた原町の歴史』(国立国会図書館デジタルコレクション)p.16に出ているがフリガナなし。
・『鶴見総持寺物語』斉藤美枝/著(鶴見文化協会)は、県立図書館所蔵。一般販売していない図書のため、寄附でもらったものと思われる。・『新修門前町史 資料編 2』(119857416)p.218~272 能登の総持寺から鶴見へ移転した経緯について、多数の記載あり。p.326~340 鶴見に移った所蔵品についても写真などの記載あり。・新しい図書がほしいとのことだったので、出版情報を見たが、市販されていなかった。・以下の資料は玉川図書館所蔵。『渡辺玄宗禅師記録覚』(119656220)『永平寺・総持寺』(129139634)『総持寺誌』(129155560)『総持寺の歴史』(113387896)
【加賀藩の支出の内訳について】 ある資料集に「加賀藩の支出」として総額16万両と記載されていた。上記の数値の原典(出典)を教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:40)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:40)
・『石川県史』及び『金沢市史』に加賀藩の支出額は明記されていなかった。・田畑勉氏の論文に基づき、延宝年間、寛政2年(1790)、天保11年(1840)、嘉永元年(1848)の支出の内訳を確認したところ、現銀の支出額は15万~26万両で推移しており、一定していなかった。・メールにて上記支出推移表を送付し、正確な数字に基づく表を作る場合は、田畑論文に当たった方がよいこと、原典の史料名(加越能文庫所収)や複写物が必要な場合は改めてお問い合わせいただきたいことを回答した。〈参考文献〉「延宝・天和期における加賀藩財政の構造とその動向について」田畑勉/著『地方史研究 155』(1978年)「宝暦・天明期における加賀藩財政の意義」田畑勉/著『史苑 30-1』(1973年)「寛政・享和期における加賀藩財政の構造について」田畑勉/著『地方 ...
【磯部村の一向一揆について】 磯部村の一向一揆について書かれた文献はないか。また、磯部村の極楽橋についての記載はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:40)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:40)
1.磯部村の一向一揆について・『一向一揆と富樫氏』所収の「官地論」を紹介した。・その他、『加能史料』長享2年条、井上鋭夫『一向一揆の研究』等に、長享の一揆における磯部村勝願寺の活動が記されている。2.磯部村の極楽橋について・北国新聞2006年2月12日の記事を紹介した。(「末村さんによると、「極楽橋」は桂町、磯部町、金沢城公園内などの五ヶ所に現存」)・現在の場所は地図に記載がなく明らかにできなかった。
北國新聞平成21年7月16日の記事によると、「島清の文学への野心の芽生えを物語る金沢商業学校の同級生、橋場忠三郎が残したノートの写しが存在する」(石川近代文学館の所蔵品と思われる、小林文庫にコピーあり)。『石川県史 現代篇2』p.1037「大正四年三月、金沢商業学校系の同人誌「憂汐」(うしお、二ノ二編集兼発行人、長沢定次)が出ているが、はじめ「潮」と言い潮社の機関誌である。これには詩歌のほか小説、戯曲、評論が見られ、同人名として橋場忠三郎、濡羽次郎、川波志郎、長沢定次、村山美樹生、佐川晃、水毛生伊作、島田清次郎、千保孝二、鈴見昌一らである。橋場忠三郎は金石の人、金商卒。文章世界に投書小説を書いている。」
【兼六園にあるラジオ塔について】 兼六園にあるラジオ塔はいつ設置されたものか。(兼六園事務所に問い合わせても、分からなかったとのこと)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:39)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:39)
・『兼六園全史』『名勝兼六園』等、兼六園関係の図書には、記述なし。・『〔NHK金沢放送局〕50年のあゆみ』(11909830)年表の昭和8年5月15日に「兼六園内にJKラジオ塔設置」とある。・本文内(p.8)に説明と写真があったので、見せると間違いないとのこと。
・『データブックオブ・ザ・ワールド 2012年版』(113191109)おもな都市域の人口の推移と将来人口・『世界の統計 2011年版』(109129554)主要都市人口・『世界地名情報事典』(112428887)人口・位置・歴史など・『国際連合世界人口年鑑 2009-2010 Vol.61』(113194577)首都及び人口10万人以上の都市人口・『地図で知る世界の大都市』(112176313)都市ごとの人口・主な言語・通貨・日本との時差・日本の姉妹都市
execution time : 0.288 sec