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以下の資料に竹筒を使用した糸電話の作り方などの記述がありました。(1) 『理科十二ケ月 第1月 新風船』 (石井 研堂/著 クレス出版 2004.1) 明治34年発行の雑誌の復刻版です。p.29-31「第七回 弟の送話器」に糸電話についての記述があり、「竹筒の片ッ方に厚紙を張り、それから長い糸を出して其さきに又同じい[原文ママ]竹筒をつけたのでありました。」とあります。(2) 国立国会図書館デジタルコレクション『私たちのたのしい工作教室』 (国友秀夫 著 日本書房 昭和41) (国立国会図書館/図書館・個人送信限定)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1654271/34 (2022.11.21確認)p.63-66(コマ番号34-35)に「糸でんわ」の項があり、p.63に「まず直径が四センチ、長さが十センチぐらいの竹筒かボール紙で、つつを2つつくります」とあります。(3) 国立国会図書館 ...
以下のとおり、資料によって「よしだともつら」「よしだともゆき」と2つの読みが確認されました。・読みが「よしだともつら」であった資料(1) 『幕末維新大人名事典 下巻』 (安岡 昭男/編 新人物往来社 2010.5)p.664「吉田知行」の項に「よしだ ともつら」と読みが記載されています。(2) 『人物レファレンス事典 :新訂増補 古代・中世・近世編3 せ~わ』 (日外アソシエーツ株式会社/編集 紀伊國屋書店(発売) 2018.1)p.2362「吉田知行」の項に「よしだともつら」と読みが記載されています。(3) 『日本史人名よみかた辞典 2』 (日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 2020.2)p.629「知行」の項に「①ともつら」として、「吉田(よしだ)知行 1843~1913 江戸後期~大正期の名古屋藩士〔幕末〕」と記載されています。(4) 『人間登場 -北の歴史を ...
『港区誌』(資料1)のp.33に「天保山附近は古称「牛ケ瀬」といわれ八幡屋新田地先の芦萩そよぐ波頭の地であったが、天保二年(一八三一年)の安治川及び港口を浚渫した際、土砂を堆積して山を築き、廻船入津の目標としたので目印山と称したのが最初で、俗に天保山と呼ばれた。」とあります。また、『港区の歴史と風景 -写真集-』(資料2)のp.13に「【4】浪花の新名所「天保山」 安治川左岸の海辺にできた砂の山。高さ約20mで周りは200mほどの小山であるが、亀甲形の裾地の周囲は2㎞もあった。幕府は廻船の目印になる山という意味で「目標山」と命名したが、天保年間にできたところから俗に「天保山」と呼ばれた。」とあります。『みなと今と昔 :第3版』(資料3)には、p.19に「てんぽうざん 天保山 目標(めじるし)山ともいう。港区築港3 ...
天王寺かぶら(蕪)は大阪の伝統野菜です。『日本国語大辞典』(資料(1))には「カブの栽培品種。大阪付近で古くから栽培された。葉は一般に切れ込みが浅く琵琶(びわ)形で、根は白色、扁球形。大きいものは二キログラムに達する。早熟で、生食や漬物に適する。」とあります。天王寺かぶらの特長や歴史、産地などついて書かれた資料を以下のとおり紹介します。(1) 『日本国語大辞典 :第2版 第9巻 ちゆうひ-とん』(小学館 2001)p.840に「てんのうじ‐かぶ【天王寺蕪】」の項にがあります。(2) 『天王寺村誌』 (大阪府東成郡天王寺村/編纂 新和出版社 1976)「第五篇 行政 第十章 産業 第二節 農業」のp.515-518「乙、特産物」の項、p.515-517に「天王寺蕪菁」について記述があります。「本村独特の産物たり、其の味の美にして其の形麗はしき ...
国鉄で寝台特急蒸気機関SL「大和」が、湊町駅⇔東京駅を昭和30年代~40年代に走っていたと思う。『大和』の写真が見たい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:59:52)
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「和歌山県立博物館」の以下のページより、湊町駅と東京駅を結んでいた寝台列車は急行「大和」であることを確認しました。(1) 和歌山県立博物館:博物館ニュースhttps://hakubutu.wakayama.jp/information/ (2023.10.8確認)「急行大和号のサボ-和歌山と東京を結ぶ寝台列車-」(UPDATE:2011.06.15)「大和号は和歌山と東京を結ぶ寝台列車で、和歌山市駅を発着駅とし、王寺駅で湊町駅(現・難波駅)からの大和号と接続し、名古屋駅を経由しました。」とあります。※サイト内検索で、キーワード「急行大和」と入力して検索すると該当ページが表示できます。以下の資料に「急行「大和」」の写真の掲載が確認できました。(2) 『鉄道ピクトリアル= The railway pictorial 』 1965年4月号 15巻4号(169号) (電気車研究会 鉄道図書刊行会 1965.4)p.66-67 K.E.生「 (20)「大和」 ...
森小路遺跡は、新森中央公園を中心に半径300mの範囲に広がる弥生時代中期から古墳時代にかけての集落遺跡です。発見された当時は、市内最低平地遺跡(標高2.8m)として注目されました。以下の資料に森小路遺跡に関する記述がありました。(1) 『旭区史』(大阪都市協会/編集 旭区創設五十周年記念事業実施委員会 1983)p.223-224に、新森中央公園を中心に東西0.5キロメートル、南北0.6キロメートルにわたり、石包丁、石斧、石槍、石錐などのほか、弥生式土器、須恵器などが多数発掘され、発掘土器から弥生中期前葉の遺跡と推定されたとの記載があります。(2) 『旭区地域史 -旭の今昔-』(旭区の今昔を知る会/編集 大阪市旭区役所 2012.3)p.22-23に記載されています。発掘された土器の写真や、遺跡の主な調査地点の地図なども挿入されていて、ビ ...
以前、大阪市都島区の桜ノ宮駅付近で廃線の遺構や未成線の名残のような構造が残っているのを見たことがる。都島区付近の鉄道遺構や廃線、未成線に関する資料はないか。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:58:17)
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都島区周辺の鉄道遺構・廃線・未成線について、以下(1)-(6)に記述があります。(1) 『旅は途中下車から -降りる駅は今日決まる、今変える-(交通新聞社新書 146)』 (土屋 武之/著 交通新聞社 2020.10) 「第3章 定期券でも途中下車 関西編:大阪環状線に煉瓦積みの歴史あり」の章で、「「鉄道遺跡」を途中下車で巡ってみたい。」として桜ノ宮駅付近の鉄道遺構とそれに関連する廃線や未成線、廃止駅について記述されています。p.144-148「幹線のターミナル駅だった、桜ノ宮」では旧桜ノ宮線の煉瓦積みの橋台について、p.148-151「まだまだ桜ノ宮に残る「謎」」の項では旧城東線の煉瓦積みの橋台や「京阪電鉄乗越橋」と名付けられた橋桁などの鉄道遺構について、p.151-154「淀川電車区へ通じていた廃線跡」では城東貨物線の廃線跡などに触れられ ...
昭和50年代に、日本人のいちばん好きな流行歌は「青い山脈」だったというアンケート調査があった。この調査の出典が何か知りたい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:56:47)
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(1) 『 流行歌物語 -精選盤 昭和の流行歌-』 (日本音楽教育センター [出版年不明)p.14-21「昭和とともに歩みつづけてきた、僕の音楽人生。/服部良一」のp.15「日本人に最も愛された曲「青い山脈」」の項に 、「昭和五十五年にTBSが行った『歌謡曲と日本人』というアンケート調査で、明治、大正、昭和の三代にわたる一〇〇〇曲の中から、日本人が最も好きな歌のトップに選ばれたこともある。このときの支持率は51%。日本人二人に一人が、この曲を好きだ、といってくれている。」とあります。(2) 『私の履歴書 文化人 14』 (日本経済新聞社/編 日本経済新聞社 1984.4)p.411-482「服部良一(作曲家)」のp.470「青い山脈」に関する記述の中で「東京放送の『調査情報』誌が「歌謡曲と日本人」のテーマで明治、大正、昭和の三代にわたる千曲の歌 ...
ブギの女王・笠置シヅ子が大阪市大正区の小学校の出身で、実家の銭湯または小学校を会場としてコンサートを開いたというのは本当か?(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:55:48)
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(1)『ブギの女王・笠置シヅ子 : 心ズキズキワクワクああしんど』(砂古口早苗/著 現代書館 2010.10)「第一章 「ようしゃべるおなごやな」-讃岐生れで大阪育ち-」のp.22-27「少女歌劇に入る」の項、p.23に「一家は一九ニニ年に下福島から中津に引っ越し、静子は曽根崎尋常小学校へ転校。翌ニ三年には十三に引越し、神津尋常小学校に転校。ニ四年に川口へ引越し、本田尋常小学校へ転校。ニ五年、大正区南恩加島へ引っ越し、南恩加島尋常小学校へ転校」とあります。巻末p.256-266「笠置シヅ子年譜」のp.256に「一九ニ七(昭和二) [年齢]十三 三月、大阪市大正区南恩加島尋常小学校卒業」とあります。また、銭湯での記述もあり、上述p.23に「幼少期から風呂屋の脱衣場を舞台に踊りや歌を披露したのが近所の評判となり、小屋掛けの浪曲劇団 ...
1939年、服部良一/作曲・奥野椰子夫/作詞の「夜のプラットホーム」と言うタイトルの曲が、検閲を受け発売中止となった。戦後、出し直してヒット曲となったが、この曲の検閲理由が知りたい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:55:10)
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下記の資料に関連する記述がありました。(1) 『ぼくの音楽人生 -エピソードでつづる和製ジャズ・ソング史-』 (服部 良一/著 日本文芸社 1993.3) p.179-192「東宝系映画音楽」の章のp.181に「夜のプラットホーム」の発売禁止処分について記述があり、「発禁理由は、軟弱で、厭戦思想があるというものであった。もっとも、作詞家の奥野君は、新橋駅で出征兵士を見送る勇ましい歓呼の中で、プラットホームの柱の陰で泣いている新妻らしい女性の姿に心打たれて詩を作ったという。検閲官にもそれが感じられるのか、「出征兵士を見送る風景が連想され、めめしい」と、発売を許さなかったのである。」とあります。(2) 『上海ブギウギ1945 -服部良一の冒険-』 (上田 賢一/著 音楽之友社 2003.7) 「3 特殊工作員、服部良一」のp.95「一九三九年、今 ...
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