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下記資料に「五城尚武会」に関する記載がありました。※【 】内は当館請求記号です。資料1 小野寺宏編 著『仙台陸軍幼年学校資料集』中巻, 小野寺宏, 2016年【K396/2014.5/2】pp.911-928「第五部 仙台陸軍地方幼年学校・仙台陸軍地方幼年学校資料(榴ヶ岡時代)」-「十六、陸軍地方幼年学校「志願手続」と「入学試験問題」(明治三十三年?同四十年)」の項p.911「仙台市にある五城尚武会と称する団体が発行したものである。この会は名称から考えると、士官学校や幼年学校などの軍関係学校の受験勉強を手助けする趣旨とした会であろうか。ページには予習会として一月八日から三か月間を挙げている。これは明治四十年九月の発行である。明治三十五年から同四十年までの問題を掲げている。」pp.913-928に「陸軍地方幼年学校志願心得、志願 ...
下記資料に、蝦夷塚古墳群に関する記述があるか確認して欲しい。(1) 中田町史編纂委員会 編『中田町史』中田町, 1977年「第一章 中田町内の主なる遺蹟」の項(2) 宮城県史編纂委員会 編『宮城県史』26, 宮城県史刊行会, 1958年「風土記御用書出 登米郡上沼村」の項(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:16)
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下記のとおり回答しました。※【 】内は当館請求記号です。資料1 中田町史編纂委員会 編『中田町史』中田町, 1977年【K261.4/ナ1-2】pp.3-21「第一章 中田町内の主なる遺蹟」を確認しましたが、「蝦夷塚古墳群」に関する記述は見あたりませんでした。なお、別の章に「蝦夷塚」に関する記述がありました。p.504「第十二章 文化財保護委員会」-「第四節 中田町内の主なる文化財」-「上沼地区」-「蝦夷塚」の項「大泉粧坂六十一番地にある。山地六町一歩に亘る。円形の塚二、三坪のもの数十ある。(後略)」p.783「第三十一章 名所・旧蹟」-「第四節 上沼地区」-「蝦夷塚」の項「新堤の西北に蛇洞がある。この蛇洞の西側山林地帯を蝦夷塚と呼んでいる。(後略)」※資料1は、国立国会図書館デジタルコレクションで図書館送信参加館・個人 ...
遠山景晋の『未曾有記』について言及した論文が、下記資料に収録されています。※【 】内は当館請求記号です。資料1 鈴木棠三 著『近世紀行文芸ノート』東京堂出版, 1974年【915.5/ス4】pp.167-208 「五 遠山景晋の旅行歴」の項『未曾有記』の中の仙台領に関する記述について、pp.185-189にて簡単に触れている箇所があります。参考資料:鈴木 棠三/著. 近世紀行文芸ノート. 東京堂出版, 1974【915.5/ス4】:,
佐藤大介編著『18~19世紀仙台藩の災害と社会 別所万右衛門記録(東北アジア研究センター叢書38号)』(東北大学東北アジア研究センター、2010)の中に、「(附録1)天保 4 年(1833)~天保 12 年(1841)仙台藩奉行・出入司・郡奉行任免表」があり、年・奉行・出入司の表が出ている。この掲載内容を含め仙台藩の歴代の役職別の家臣名がわかる資料があるか。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:16)
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1 御提示の資料について ※【 】内は当館請求記号です。当館所蔵資料の書誌は以下のとおりです。資料1 『東北アジア研究センター叢書』(38), 東北大学東北アジア研究センター, 2010年【P051.1/ト/0010】佐藤大介「18~19世紀仙台藩の災害と社会 別所万右衛門記録」のうち、pp.56-59に「(附録1)天保4年(1833)~天保12年(1841)仙台藩奉行・出入司・郡奉行任免表」が収録されています。また、資料1は下記URLより閲覧可能です。東北大学機関リポジトリ『東北アジア研究センター叢書』URL http://hdl.handle.net/10097/00128125 (最終アクセス日:2024年5月15日)2 仙台藩の主要な役職に就任した人物名の一覧が掲載されている資料として下記があります。資料2 清水東四郎 著『宮城県通史』宝文堂, 1976年【K201/シ1-2】pp.433-445「附録」-「五、伊達家奉行任免表」 ...
下記の資料に記述がありました。※【 】内は当館請求記号です。資料1 菊地勝之助 編『名数みやぎ郷土小事典』宝文堂出版販売, 1973年【K031/キ1-2】pp.59-60「(25)王門の四傑」の項資料2 菊田定郷 著『仙台人名大辞書』仙台人名大辞書刊行会, 1933年【K280/キ1】p.28「アベ・ゲンギ 阿部玄議」の項p.205「オートモ・ナオヒロ 大友直寛」の項pp.634-635「タカナリタ・キンダイ 高成田琴臺」の項p.821「ナンジョー・テーコ 南條鼎湖」の項資料3 『宮城県人物誌』歴史図書社, 1978年【K280/ミ13】「仙台近古史談」のうちp.48「阿部鶴鳴」の項p.72「高成田琴臺」の項※資料2とほぼ同じ内容です。資料4 坂田啓 編『私本仙台藩士事典』増訂版. 坂田啓, 2001年【K280/サ7-2】p.200「大友他氏の動向」の項「明和年中在仙者」に「兵太郎・兵学者安永五年没 三六才。(人 ...
宮城県図書館が所蔵している下記資料は、チリ地震津波に関連した文集かどうか知りたい。・佐藤正助[ほか] 著『ひとすじの道 : リアスの浜で』志津川町立戸倉小学校また、他に戸倉小学校が出版または著作、編集した資料で、チリ地震津波について記載した資料の所蔵はないか。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:15)
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(1) お示しがありました資料の内容を確認したところ、戸倉小学校長であった今野公一氏の退職(平成2年3月31日)を記念し発行された記念誌で、当時の志津川町教育長、戸倉小学校のPTA関係者、児童、教職員が執筆しています。チリ地震津波に関する記述は見あたりませんでした。※【 】内は当館請求記号です。資料1 佐藤正助[ほか] 著『ひとすじの道 : リアスの浜で』志津川町立戸倉小学校, 1990年【K370/コ4】(2) その他、当館所蔵資料を調べたところ、下記資料にチリ地震津波の被災時のことが記載されていました。資料2 麻生川敦, 南三陸町立戸倉小学校 著『南三陸町立戸倉小学校 避難と復興の記録』南三陸町立戸倉小学校, 2012年【376.28/2012.8/タ】p.17 「3 戸倉小学校の立地と防災計画について」-「1 町の防災計画と戸倉小学校」の項「南 ...
仙台城下にあった光福院と光明院の所在地はどこか。また、仙台藩における真言宗の触頭について記述がある資料はあるか。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:15)
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1 「光明院」の所在地については、下記資料に記載がありました。ただし、お尋ねの「光明院」と同一の寺院であるかどうかについては確認できませんでした。※【 】内は当館請求記号です。資料1 『仙台叢書』第1巻, 宝文堂出版販売, 1971年【K081/セ1-2/1】「残月台本荒萩」(p.241-317.)のうち、「巻之四 寺院之部」p.311 「龍宝寺末寺。/一同心町。滝沢山光明院。」※原文は旧漢字です。資料2 田辺希文 編, 鈴木省三 校『封内風土記 第1巻』宝文堂出版販売, 1975年【K290.1/ホ1/1】「巻之二 府城」のうち、p.42 「滝沢山光明院。在旧寺小路。真言宗。龍宝寺末寺。不詳何時何人開山。滝沢明神別当。而寄付廩米三口。中御門帝。享保中。祐春法印中興。」※原文は旧漢字です。訓点は省略しました。2 「光福院」については、下記の絵図に記載があ ...
江戸時代における仙台藩の火事について、延焼のしやすさなどを考察したいため、仙台城下の道幅について、特に大町通と奥州街道の道幅について記載している資料を知りたい。また、広小路などの火除け地を設けたというような資料があれば知りたい。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:14)
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1 大町通と奥州街道の道幅について記載のあった資料は以下の通りです。※【 】内は当館請求記号資料1 仙台市史編纂委員会 編『仙台市史』第3巻, 仙台市, 1950年【K225/セ1-3/3】pp.388-389 「仙臺の市街及び土木建築」-「第一章 藩政期」-「第一節 市街の創設、擴張」-「町割」の項「尚大町に關して天保四年肝入書上(只野淳所藏)の次の貴重な記録がある。」という記述の後に、大町通と交差する道の道幅が細かく記載されています。大町通に関しては「六尺杖ニテ…(中略)…大町は幅五間」という記載があります。p.389に「第七圖 大町間數」として大町通と交差する道の道幅を含めて記載した図が示されています。pp.390-391 「仙臺の市街及び土木建築」-「第一章 藩政期」-「第一節 市街の創設、擴張」-「街路」の項「我國内の例を見ると幹線 ...
宮城県図書館所蔵『仙台東照宮御祭礼檀尻図』について、資料名は資料の中などに記載されているのか。また、仙台東照宮の祭礼における山車の呼称について知りたい。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:14)
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1 『仙台東照宮御祭礼檀尻図』について(1)お尋ねがありました資料の書誌事項は下記のとおりです。【 】内は当館請求記号です。資料1 仙台東照宮御祭礼檀尻図 刊本 寛政3 1帖, 1791年(『伊達文庫目録』1307,【KD176.2/セ2】)(2)この資料の表紙に題簽(書籍等の表紙に題名を書いて貼り付ける短冊形の紙片)が貼付してあり、「仙台東照宮御祭礼檀尻図」と墨書されています。タイトルはこれによったものです。2 仙台東照宮の祭礼における山車の呼称について下記資料に記載がありました。資料2 小井川和夫「仙台祭についての覚え書き」『東北歴史博物館研究紀要』2号, pp.121-149, 東北歴史博物館, 2001年【PK201/ト】pp.134-135「(略)山車に付された名称には「渡物」(「仙岳院日鑑 明暦元年九月十七日条」他)」、「作り物」「かさり物」(「東 ...
仙台市泉区紫山・朝日地区が住宅地になる過程や、開発によって追われた野生動物について調べています。泉パークタウンの開発に関する資料はありませんか。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:14)
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下記資料に、泉パークタウンの開発に関する記述がありました。※【 】内は当館請求記号です。資料1 三菱地所株式会社社史編纂室 編『丸の内百年のあゆみ : 三菱地所社史』下巻, 三菱地所, 1993年【673.9/1993.3/2】 pp.416-423 「第11章 安定成長時代に即した業容の多様化(昭和48年~56年)」-「第3節 第二の柱を目指す不動産販売事業」-「4. 泉パークタウンの開発」の項 p.476 「社内報にみる泉パークタウンの歴史」の項 昭和56年に造成地に熊が侵入した記述があります。pp.582-597 「第12章 総合デベロッパー・三菱地所(昭和56年~平成3年)」-「第3節 500億円体制を確立した不動産販売部門」-「3. 充実する泉パークタウン」の項 資料2 ちいき図鑑「ここから」製作委員会 [編]『ここから : ちいき図鑑 : kokokara : 子どもたちにつなぎたい地域の想いと未来 ...
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