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大正14(1925)年10月20日に行われた陸軍特別大演習御前講演において、進講者の新澤順吉が「大崎平野に起これる史実に就いて」と題する講演を行ったと、当時の河北新報夕刊に記事として掲載されているが、その内容を記録した資料はあるのか。宮城県図書館の蔵書検索で「陸軍特別大演習記録」がヒットするが、その資料の中に講演内容は収録されているか。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:14)
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大正14(1925)年10月20日の陸軍大演習時に行われた御前講演の内容については、下記の資料に記載がありました。【 】内は当館請求記号です。資料1 新沢順吉 編『摂政殿下の御前に召されて』新沢順吉, 1925年序【K204/ニ1】pp.1-8に「大崎平野に起れる史実に就て」との題名で、講演内容が掲載されています。なお、お問い合わせの下記の資料を確認しましたが、関連する記述は見当たりませんでした。資料2 宮城県 編『陸軍特別大演習記録 : 大正十四年十月宮城県下に行はれたる』宮城県, 1928年【K396/ミ1】参考資料:新沢 順吉/編. 摂政殿下の御前に召されて. 新沢順吉, 1925序【K204/ニ1/イ】:, 参考資料:宮城県/編. 陸軍特別大演習記録. 宮城県, 1928【K396/ミ1/イ】:,
当館所蔵資料でお調べしたところ、問合せの記述は見当たりませんでしたが、関係があると思われる記述がありましたので、参考までにご案内します。※【 】は当館請求記号です。資料1 『仙台郷土研究』1巻12号, 無一文舘書店, 1931年【PK201/セ】pp.23-24 安部定橘「養賢堂と青柳文庫所蔵本の散逸せる図書に就て」永沼柏堂と小野田元熈知事が、館林の旅館で養賢堂旧蔵の唐本を見かけ、尋ねたところ親戚の塩谷良翰からもらったものだったとの逸話が紹介されています。回答プロセス:1 当館所蔵資料で関係があると思われる以下の資料を調査。資料1 『仙台郷土研究』1巻12号, 無一文舘書店, 1931年【PK201/セ】資料2 佐々久 編『郷土史事典宮城県』昌平社, 1977年【K200.3/サ1】資料3 佐々久 著『近代みやぎの歩み』宝文堂, 1979年【K206/サ2】資料4 常盤 ...
下記の当館所蔵資料に記載があった。【 】内は当館請求記号。資料1 千鹿野茂 著『都道府県別姓氏家紋大事典』東日本編, 柏書房, 2004年【288.6/2004.6/1R】pp.161-198 「宮城県の家紋」の項がある。資料2 『角川日本姓氏歴史人物大辞典』4 : 宮城県姓氏家系大辞典, 角川書店, 1994年【K288/カ9】pp.945-978 「第三部 資料編」-「宮城県の家紋」の項がある。また、下記の資料は地域ごとに家紋がまとめられている。資料3 鈴木常夫 著『仙台地方の家紋と苗字』本の森, 2006年【K288/2006.Y】資料4 川村要一郎 著『白石刈田地方の苗字と家紋』川村要, 1980年【K288/カ1】資料5 川村要一郎 著『伊達郡の苗字と家紋』本の森, 2010年【K288/2010.5】資料6 川村要一郎 著『宮城県南の苗字と家紋』本の森, 2013年【K288/2013.2】参考資料:千鹿野/茂∥著. 都道府県別姓氏家紋大事 ...
現在の仙台市泉区朴沢で小屋森山の石材を運ぶための軌道の計画があったが、それらが記載されている資料はあるか。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:13)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:13)
以下の当館所蔵資料に該当する「宮城石材軌道」の記述がありました。【 】内は当館請求記号です。資料1 仙台市博物館 編『泉区の歴史探し』仙台市博物館, 2016年【K225/2015.3/3】p.11 「5 交通の今昔 道の移り変わり」-「コラム 泉にも汽車が走っていた?」の項「(前略)仙台軌道の他にも、朴沢から根白石、実沢を経て仙台の通町に至る宮城石材軌道が1920年に国の許可をえました。この鉄道は、路線を七北田、松森を経由して岩切に通じるものに変更して実現を目指しましたが、ついに完成しませんでした。(後略)」また、同頁に「仙台鉄道と宮城石材軌道の路線図」との地図の記載もあります。なお、参考までに「小屋森山」に関する記述のある資料も御案内します。資料2 泉市誌編纂委員会 編『泉市誌』下巻, 泉市, 1986年【K225.5/イ1/2】 ...
下記の資料に記載がありました。※【 】内は当館の請求記号です。1. 昭和26年生まれの出生数(男女別、合計数)について資料1 日本統計協会 編『日本長期統計総覧』第1巻, 日本統計協会, 1987年【351/1987.X/1タR】pp.206-207 「2-26 男女別出生数、出生率及び出生性比(明治5年~昭和59年)」の項昭和26年(1951)の項目では、出生数について、総数2,137,689、男1,094,641、女1,043,048 と記載されています。2. 令和3年の70歳の人口数(男女別、合計数)について資料2 総務省統計局 [監修]『日本統計年鑑』第七十二回(令和5年), 日本統計協会, 2022年【G/ニ】p.56 「2-5 年齢別人口(令和2、3)」の項「「国勢調査」及び「人口推計」による。10月1日現在。」として、令和3年(2021)の年齢70歳の項目では、人口数について、総数1,784,000、男854,000、女930,000 と記載さ ...
以下の当館所蔵資料に記載があった。【 】内は当館請求記号。1 碑自体の概要について記載されている資料資料1 入間田宣夫 監修『講座東北の歴史』6, 清文堂出版, 2013年【K201/2012.9/6】pp.275-296 佐藤雅也「誰が戦死者を祀るのか」pp.289-290に記述があり、「西討戦死之碑」との名称の碑について、設置の経緯等に関する簡潔な説明と碑の白黒写真が掲載されている。資料2 仙台市歴史民俗資料館 編『戦争と庶民のくらし』5, 仙台市教育委員会, 2019年【K207/2001.7/5】p.8に「明治11年(1878)11月建立「西討戦死之碑」(2008年撮影)」とのカラー写真が掲載されている。2 碑文について記載されている資料資料3 庄子輝光 編『仙台案内』庄子輝光, 1890年【K292.5/シ1】pp.11-12に「維明治十年十一月十四日」からはじまる碑文が掲載されている。なお、この資 ...
大槻磐渓の漢詩『平泉懐古』の現代語訳と解説が、掲載されている資料はあるか。また、『寧静閣集』の影印が収録されている資料はあるか。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:12)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:12)
以下の資料に記載があった。※【 】内は当館請求記号。1 大槻磐渓の漢詩「平泉懐古」の現代語訳と解説が掲載されている資料資料1 簡野道明 原著 ; 田口暢穗 編著『漢詩の名作集』上, 明治書院, 2011年【921/カト2011.4/1】p.315に「平泉懐古」の原文、書き下し文、評釈が掲載されている。なお、著者は大槻淸崇となっているが、磐渓の名である。資料2 鎌田正, 米山寅太郎 著『漢詩名句辞典』大修館書店, 1980年【921/カ5/R】p.519に「平泉懐古」の原文、書き下し文、解説が掲載されている。2 「寧静閣集」の影印が所収されている資料資料3 富士川英郎[ほか] 編『詩集日本漢詩』第17巻, 汲古書院, 1989年【919/ニ2/17】また、以下のデータベースにデジタル画像として公開されている。国文学研究資料館提供「国書データーベース」-『寧静閣集』(奈 ...
以下の資料に記載がありました。【 】内は当館請求記号です。資料1 気仙沼市史編さん委員会 編『気仙沼市史』7, 気仙沼市, 1994年【K263.6/ケ3/7】pp.131-133「第二章 生業 染物屋」の項「気仙沼地方では、藩政時代から昭和の初めのころまで、着物の染物を主としていたが、戦後間もなくの造船ブームのころから、船下ろしの祝いに大漁旗(フライ旗)を贈るようになり、大漁旗に主力を注ぐようになった。(中略)昭和三十年代までは流れ職人を使用することも多く、型付け職人や糊付け職人などは、遠くは銚子の方から毎年秋になるとやってきた。(後略)」等、大漁旗を制作する「染物屋」についての記述があります。資料2 川島秀一 著『カツオ漁』(ものと人間の文化史 ; 127), 法政大学出版局, 2005年【664.63/2005.8】pp.269-271 「第六章 大漁 ...
下記の資料に記述がありました。※【 】内は当館請求記号です。資料1 中西慶爾 編『中国書道辞典』第2版. 木耳社, 2005年【728.22/ナケ2005.4/R】p.759「どうぎょく 〔童・鈺〕」の項資料2 山田利明[ほか] 著, 世界聖典刊行協会 索引編纂『中国文人書画家名鑑』世界聖典刊行協会, 1981年【722/チ1/R】p.227「童・鈺」の項資料3 中田勇次郎 編『中国書論大系』第14巻:清, 二玄社, 1986年【728.2/チ1/14】pp.315-316「童鈺 どう・ぎょく」の項以下の資料には生没年、経歴の記述はありませんでした。資料4 恵光院白 編『美術家索引』日本・東洋篇, 日外アソシエーツ, 1991年【703.5/エ1/1R】資料5 『日本学術資料総目録 美術工芸篇』1988年度, 朝日出版社, 1988年【027/ニ5-2/63-1】回答プロセス:1.ジャパンナレッジ、Web NDL Authoritiesで検索をかけるが、ヒットせず。2.静岡県 ...
以下の資料を案内した。※【 】内は当館の請求記号。資料1 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』22, 角川書店, 1982年【291.03/ニ11/22R】pp.522-523「しらいとのたき」の項p.523「(前略)特に和歌では、加茂季鷹・日蓮上人がこの滝を詠み、頼朝の「此の上にいかなる姫がおわすらむをだまき流す白糸の滝」はよく知られている。」なお、下記資料を確認したが、白糸の滝に関する記述は見当たらなかった。資料2 永岡慶之助 著『源頼朝』(物語と史蹟をたずねて), 成美堂出版, 1979年【913.6/ナケ1979.1】資料3 安田元久 編『源頼朝 : その生涯と時代』新人物往来社, 1979年【289.1/ミヨ1979.2】回答プロセス:(追加調査 2024/06/19)以下の資料にも記載があった。資料4 『静岡県史蹟名勝天然紀念物調査報告』第12集, 静岡県, 1937年【29 ...
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