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1.兵庫県小野市来住町(きしちょう)にある来住城跡の歴史について知りたい。2.下来住町にある鍬渓神社と来住城に関係はあったのか。3.喜始(きし)という苗字の由来について知りたい。(小野市立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:52:26)
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:52:26)
1.来住城跡の歴史について①『加東郡誌』p.842~843 「播磨鑑」「播州古城軍記」「播陽古城記」「来住校報告」からの引用によると、 ・来住城の領主は清和源氏を先祖に持つ来住安藝守景政、その嫡子景利であり、三木城に籠った。 ・子孫の来住文右衛門の弟は源三郎といい、百姓だった。 ②『三木合戦』p.29 三木合戦で三木方の侍大将として来住を守備した景政が、戦火が静まった後、その軍図を菩提寺に奉納した。2.来住城と鍬渓神社との関係①『はりまおの 小野市拾遣』好古館/兵庫県立図書館所蔵 p.57~58 来住領主の源唯支が鍬渓神社の神事を再興し、子孫代々受け継ぐ。②『加東郡誌』p.566~568 領主赤松範景、来住惟友、来住景政、松平清匡、その他の武将は鍬渓神社への崇敬が厚かった。3.喜始という苗字の由来①『小野市絵図 ...
現在、野生下でトキ(鳥類)が生息しているのは、日本国内では新潟県佐渡市のみだが、かつては日本国内のほぼ全域、および東アジア一帯に広く分布しており北海道でも函館等南部が生息域だったようだ。ついては、1 北海道においては、トキの生息記録がどの様であるか時期や地域など知りたい。2 具体的な記録以外に、トキに関連する民話や民間伝承などあれば知りたい。3 北海道におけるトキの伝統的呼称を、アイヌ語を含め、その由来等もあわせて知りたい。●その質問の出典や情報源、調査済み事項など令和5年度佐渡市「トキガイド
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:40:44)
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:40:44)
1 北海道においては、トキの生息記録がどの様であるか蔵書検索、雑誌記事検索でヒットなし。googleで「北海道」「朱鷺」で検索 →「トキの野生復帰のための生息環境の整備方策策定調査報告書」がヒット平成17年3月 林野庁https://www.rinya.maff.go.jp/j/kokuyu_rinya/kakusyu_siryo/pdf/00417_0_h16.pdfその中の「1-2近世におけるトキの分布と生息状況」に道南で朱鷺の生息があったことが記されている。その参考文献を調査し、以下の資料に記述あり。・安田健 「トキの文献(その2)」 →当館所蔵なし。NDLデジタルコレクション送信サービス限定で閲覧可。トキの文献-2-(資料) / 安田健/p8~27応用鳥学研究会 編『応用鳥学集報』4(1),山階鳥類研究所,1984-03. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2300380 (参照 2024-05-10)北海道については以下の文献 ...
新選組の永倉新八が話題になっており、『小樽新聞』の連載が「新選組顛末記」としてまとまっている。以下について知りたい。1 加藤眠柳およびインタビューの記者について。2 大正2年3月17日より6月までの連載であることは確認できたが、初回と最終回の掲載日。●その質問の出典や情報源、調査済み事項などwikipediaと新選組顛末記の販売のサイトの解説。加藤眠柳については、黒岩比佐子氏の「パンとペン」。(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:38:09)
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:38:09)
1 『小樽新聞』の連載に関わる加藤眠柳とインタビューの記者について『子孫が語る永倉新八』(回答資料1)p.20に以下の記述あり。 →この取材を主に担当したのは、社会部記者の吉島力であり、社会部長の加藤眠柳が連載原稿をまとめた(時には眠柳も直接取材したこともあったはずであるが)。二人は、現在の雑誌取材におけるデータマンとアンカーマンという役割分担をしていたといっていいだろう。以降、加藤眠柳について書かれている。吉島力については、p.29~31で書かれている。それによると、明治42年に小樽新聞入社、連載終了後に小樽新聞を退社。大正2年北海タイムス社入社。札幌本社に在籍後、しばらくして釧路支局に異動。戦時中まで在籍していたらしい。また、p.204で以下の記述あり。 →その当時の同〔小樽新聞〕新 ...
千歳市出身の畔柳二美(クロヤナギ フミ)という作家について調べている。特に、佐多稲子と交流があったようなので、そのあたりのことを知りたい。(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:30:55)
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:30:55)
畔柳二美の略歴については『北海道文学全集 第17巻 女流の開顕』(回答資料2)、『北海道文学大事典』(回答資料1)に掲載があった。佐多稲子との交流については、『文学者の手紙 7 佐多稲子』(回答資料4)に佐多稲子と畔柳二美の往復書簡が掲載されているほか、「畔柳二美・佐多稲子往復書簡をめぐって」という中野武彦による解説がある。『佐多稲子全集 第18巻 エッセイ』(回答資料5)の64p~「折り折りの人」という章に「太田洋子・畔柳二美のこと」という文章が掲載されている。また、新日本文学会の事務・編集に携わった小沢信男による追悼録『通り過ぎた人々』(回答資料3)には畔柳二美の章があり、佐多稲子らとの交流についても触れられている。この追悼録によると、畔柳二美の晩年と闘病について、20年来のパー ...
五稜郭の戦いの終結後、松前藩は家臣中の戦争非協力者、領民での徳川脱走軍への協力者、徳川脱走軍の潜伏者を捜索、逮捕して罰したが、捜索や逮捕の時の細かな様子、捕まった兵士の名前や具体的な役職、刑罰など詳しく載っている文献・書籍を知りたい。●その質問の出典や情報源、調査済み事項など『福島町史』第二巻通説編(上) 第四編第三章第六節(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:28:40)
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『北海道史』(参考資料1~2)には詳細な記述なし。『松前町史 通説編 第1巻 下』(回答資料1)に調査済み資料の『福島町史 第2巻 通説編』(参考資料3)より詳細な記述あり。 →4月17日の福山城回復の時点から探索が始められ、5月に本格的逮捕に踏み切った。5月6月の2か月の逮捕者は福山城下で118名、江差で140名。そのうち徳川脱走軍の潜伏者は144名。どんな刑になったかの集計表「第5-33表 松前藩戦時行刑一覧表」あり。『館藩白洲目録』に逮捕者の判決が詳しいとある。『松前町史 通説編 第1巻 下』及び『福島町史 第2巻』の該当記述の典拠となっている資料を調査。→3点とも国書総目録になし。松前町史の史料編になし。・『松前藩福山日記』 →道立文書館の私文書検索で「福山日記」で検索。ヒットあり。・『館藩白洲目録』 雑 ...
「樺太」という地名について、カラフトであるのになぜ「樺」太と記述するのか。「カバフト」と呼ぶ例もあるようだが、旧来あの場所は「カラフト」であり、カバフトは「樺」の文字に引きずられたと思われる。ならばなぜ「樺」という文字を採用したのか知りたい。1869年(明治2年)に北海道と名称変更された折、外務大丞丸山作楽の進言により樺太となった、との記述を見受けたが、具体的な過程を知りたい。●その質問の出典や情報源、調査済み事項など閲覧済資料・『南樺太』西村いわお著(1994年発行)・『校訂蝦夷日誌二編
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:27:18)
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『日本歴史地名大系 1 北海道の地名』の「サハリン島」の項 →「古くから「からと島」もしくは「からふと島」とよんでおり、「唐太」という漢字を当てることがあったが、それはカラヒト(唐人)の訛音だろうという(北夷分界夜話)、「樺太」という当て字は明治2年(1869年)に蝦夷地探検家の松浦武四郎が与えたものである。」とある。『大日本地名辞書 第8巻 増補版』の「樺太」の項 →「岡本氏(前開拓判官)樺太探検日記曰く、明治元年8月の比、予は松浦武四郎と(しばしば)論談したりしに、嘗、柯太の号を定むるに至り、松浦は樺太とせんと云ふ。」と2名の主張が分かれていたことが記述されている。岡本氏は「柯は土人の旧名にして、作の義なり、太は大に間あらしむる也、此島元来南島(北海道)と同一なりしを、神の ...
以下の資料を探している。1 北海道魚介類行商取締条例の条文2 北海道の行商に関わる許認可名簿や具体的な資料3 道内の通商自治組合のような行商団体を詳しく記述した資料4 道内のガンガン部隊に関する資料●その質問の出典や情報源、調査済み事項など山本志乃氏の論文「なりわいとしての「小商い」-市と行商にみる地域的流通の意義と可能性-」を見たり行商鑑札についてネットで検索したが、米子鉄道管理局に鑑札の制度があったこと、ヤフオクの履歴等から函館に行商団体のバッチが存在した事など断片的な事しかわからなかっ
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:25:24)
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:25:24)
1 蔵書検索、雑誌記事検索で「北海道魚介類行商取締条例」で検索 →ヒットなし国立国会図書館デジタルで検索。 →『北海道議会史 第5巻』(回答資料1)がヒット。昭和26年第1回定例北海道議会(昭和26年2月26日~3月23日)の議案に「北海道魚介類行商取締条例」あり。『北海道公報目録 昭和26年1月~12月』で「北海道魚介類行商取締条例」の公布を調査。 →北海道条例第29号昭和26年4月1日公布昭和26年4月1日号外p.1~2に掲載。2 「行商」で所蔵調査及び雑誌記事検索 →ヒットなし3、4 国立国会図書館サーチ及びgoogle書籍検索で「ガンガン部隊」を検索。以下の資料に記述あり。『新北海道史 第6巻 通説』(回答資料4:p.83~84) →その中で、組合設立の声が高まり、昭和24年4月室蘭行商組合連合会が道内で最初に発足し、そのご各地に行商 ...
北海道の米価について。1979年、政府買入価格に銘柄間格差が導入されたが、北海道はほとんどが最低ランクだったらしい。そのことがわかる文献等を探している。(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:00:02)
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 10:00:02)
「銘柄間格差」「北海道米」でインターネットを検索。 →J-STAGE:「品質格差導入米価と北海道の稲作経営」(山田定市著)p.25の昭和54年の米価に関する部分で以下の記述あり。北海道産米は5類に属し、直接の政府売渡価格においてもこれまでにない格差をつけられるわけであるが、実際の影響は価格差につきるものではない。5類にランクされるということは、事実上、規格商品としての米として認定されないということであり、事実上、米穀市場から道産米が排除される、ということにほかならない。J-STAGE:「品質格差導入米価と北海道の稲作経営」(山田定市著)https://www.jstage.jst.go.jp/article/amsjj/10/0/10_KJ00009927224/_pdf/-char/ja(最終アクセス日:2024/02/20)昭和54年の北海道農業の動向について、北海道年鑑他、当時の資料を調査。以下の資 ...
千島列島、シュムシュ(占守)島のカシワラ(柏原)湾、パラムシル(幌筵)島のスリバチ(擂鉢)湾のあたりに昭和17,18年頃に鮭やマスの加工工場があったはずだが、それがわかる地図があれば見たい。(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 9:54:04)
from レファレンス協同データベース (2024/10/24 9:54:04)
千島列島については所蔵している地図がほとんどないため、主に、千島列島に関する歴史、写真集などの資料、千島・北千島の漁業、または北洋におけるサケマス漁業に関する資料を中心に確認した。工場の位置関係などがわかる地図や写真は見つからなかったが、柏原湾、および擂鉢湾に缶詰工場がある様子、と思われる風景写真は・『経済上より見たる新興北千島漁業(盛漁期に於ける幌筵島擂鉢湾の全景)』(回答資料2)・『懐かしの千島(摺鉢湾の鮭鱒工場)(柏原湾の缶詰工場)』(回答資料1) に数点みつかった。そのほかには昭和8年~12年頃まで、どの会社が北千島のどこに工場をもっていたか、という一覧が・『奪われた北千島その漁業史』(回答資料5)・『新興北千島漁業の経済調査』(回答資料3)・『北千島の水産業 ...
Musk’s $1mn-a-day voter giveaway could violate US law, DoJ warns
from UK homepage (2024/10/24 9:50:50)
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Billionaire Trump backer has targeted swing states with contest ahead of presidential election
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