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1)大桑あさんがやし質問者より江戸時代頃の盆踊りであるとの情報あり。館内検索でキーワード「大桑 あさんがやし」と検索すると下記の資料がヒットした。『加能民俗研究 第44号』(109174442)p.51-58に「大桑あさんがやし」と題して、地区の概要、伝承地、実施期日・場所、由来・伝承、芸態、歌詞、道具・衣装、類似の芸能、組織、民俗的な評価と問題点、参考資料が掲載されている。上記資料に載っていた参考資料について何冊か内容を確認すると「大桑あさんがやし」についての記載が見つかった。『金沢市文化財紀要 51 金沢市口頭伝承調査報告書』(11823683)p.65-68 あさんがやしについて、大桑や長坂など地域ごとに異なる歌詞や伝承について記載がある。『石川県の民謡 民謡緊急調査報告書』(11910150)p.118 「あさん返し」の項目 ...
【明治初年の金沢の人口動態について】 明治初年に石川県の県庁所在地が金沢から美川に移された際、金沢の人口が減少したはずだが、その具体的な数字が記された資料が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
『石川県史 第4編』(118587405)p.86-87「現住人口累年比較」に明治16年(1883)以降の金沢の人口の推移が掲載されている(明治16年106,659人)。『金沢市史 通史編3』(119958310)p.29「表10 廃藩置県直後の金沢町と士族」によると、明治4年(1871)の金沢町の人口は123,453人、うち士族は52,992人である。p.42によると、明治24年(1891)の金沢の士族の人口は11,249人である(家族は含まれない)。『石川県の歴史』(118558628)p.189によると、明治4年の金沢の人口は123,363人、うち武士は61,659人である。『石川歴史館』(118377936)p.340「主要都市の人口変遷」によると、明治9年の金沢の人口は97,654人、明治26年(1893)の金沢の人口は91,531人である。『伝統都市の空間論・金沢』(118412454)p.75「藩政期金沢の家数・人口」によると、明治4年(1871)の金沢の人口は123,363人である。『稿本金沢市史 ...
【二俣の歴史について】 金沢市二俣地区の歴史について、特に定住始めから一向一揆に至る時代の文献等の情報を提供してほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:06)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:06)
『医王 医王山校百周年記念誌』(119565780)p.12-24「古代・中世」以下の3冊には二俣の古代・中世(一向一揆より前)のまとまった記載なし。『石川県河北郡誌』(11824575)p.381-422「浅川村」【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1877582/1/212 (2023年12月11日最終閲覧)『山の民物語』(118419580)p.220-231「二俣の巻」『金沢市二俣町』(119458510)
『金沢専売支局一覧』(118570328)によると、明治38年2月に金沢町田丸町に「金澤煙草製造所」が置かれた。明治43年7月に金沢市長町に「分工場」が増設された。大正3年に新工場に移転したとあり、本資料では「工場」と表記されている。『北陸専売事業60年のあゆみ』(11913574)によると、大正2年に専売局金沢専売支局、大正10年に同金沢地方専売局、昭和24年に日本専売公社金沢地方局と名称変更された。昭和50年に地方局社屋が完成し、「旧工場」「新工場」と呼称されている。『日本近代建築総覧』(11055462)p.218「金沢市立図書館」に「(旧専売公社C-1号工場)」と補記されている。
【ルビの使い方について】 ルビの使い方について、平仮名でも片仮名でもよいのか、読ませたい読み方を振ってもよいのかしりたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:06)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:06)
『日本大百科全書 20』(11093899)p.643「振り仮名」の項目に、「漢字の読みを示すために、その漢字の右側または左側、ときに両側につけた仮名。(中略)ルビ Ruby ともいう。」と説明あり。振り仮名の歴史についても簡潔にまとめられており、過去には平仮名のものも片仮名のものもあったことが分かる。レファレンス協同データベースにて「振り仮名」と検索すると以下の回答がヒット。内容を参照しながら回答した。「振り仮名のつけ方について、ルールなどを解説してある本を教えてください。」https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000116191(参照日:2023/10/15)『本づくりの常識・非常識』(112226522)p.89に「ルビとは」と題して、「ルビとは本文に対して振られる仮名、振り仮名をいいます。(中略)ルビは、読みが難しいと思われる ...
以下のとおり。概要が記載されているもの『国史大辞典 3』国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1992(11046083)p.143-144『江戸時代年表』山本 博文/編 小学館 2007(119982370)p.121詳細な記載があるもの『加賀騒動記』 山路 愛山/著 敬文館 1912(118411368)国立国会図書館デジタルコレクション にもあり https://dl.ndl.go.jp/pid/945779(参照 2023-10-13)『御家騒動』北島 正元/編 人物往来社 1965(129180170)『加賀騒動』青山 克弥/訳 教育社 1981(11909943)『加賀騒動 若林 喜三郎/著 中央公論社 1979.1(11013556)『新選御家騒動 下』福田 千鶴/編 新人物往来社 2007.12(112941311)『加賀騒動』(小説)横山 方子/著 文芸社 2007.10(119982192)大槻伝蔵について『風のあしおと』田中 喜男/編 静山社 1982(11913165)p.102-111御家騒動についての考察『地域社会の歴史と人物』(118508466)p.45-57 吉 ...
【宮沢賢治と暁烏敏の関係について】 宮沢賢治の父は熱心な浄土真宗信者で、暁烏敏を花巻に招き賢治に講話を聴かせていたらしい。宮沢賢治と暁烏敏の交流について書かれた資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:06)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:06)
『宮沢賢治大事典』(118483509)p.393-394「浄土真宗」、『宮沢賢治イーハトヴ学事典』(113155407)p.227-228「浄土教」に宮沢賢治と暁烏敏の関係が記されている。『金沢大学暁烏文庫蔵暁烏敏宛宮沢政次郎書簡集』(180188894)に宮沢賢治の父、政次郎から暁烏敏に宛てた手紙の本文が収録されている。『文芸論叢 41』 「宮沢賢治と浄土真宗」【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/7946025/1/165 (図書館・個人送信限定、2023年10月8日最終閲覧)上記資料に以下3点の記載がある。(1) 「八、九歳の頃から、毎年大沢温泉で開かれた講習会に、父に伴われた賢治は幼い割合に熱心に聞き、殊に講師のうちの暁烏敏のそばにいて離れなかった」(『兄のトランク』(11090911)所収「兄賢治の生涯」からの引用)(2) 『暁烏敏日記 上』(129795667)の明治39年8月2-5日条に賢治を含む宮沢一族との交 ...
社会福祉法人梅光会の創設者であるD.R.マッケンジーについて調べているとのこと。質問者の持っていた記念誌の引用元『カナダメソジスト日本伝道概史』は、国立国会デジタルコレクションにて一般公開されていることが分かった。『加奈陀メソヂスト日本伝道概史』p.186~190に「21 デイ・アール・マツケンヂ―(一八六一-一九三五)」の項目があり、金沢での活動について書かれている。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1109306(最終閲覧日:2023-09-17)また、当館所蔵の以下の資料にもそれぞれマッケンジーの記述がみつかった。『石川県大百科事典』(118310632)p.853「プロテスタント教会と宣教師」の項目に「マッケンジーは同21年(1888)旧制四高の教授として金沢に赴任、後に伝道に専念した。」、p.918「マッケンジー」の項目に「1861~1935 宣教師 ...
【石川県知事公舎付近の変遷について】 ○以前に「横山邸之図」を当館で閲覧したことがあるが、所蔵の確認をしたい。○石川県知事公舎や旧横山邸(城南荘)付近の変遷が分かる資料を参照したい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:05)
○『男爵横山邸之図』(119500248)近世書庫所蔵 を案内。○城南荘(旧横山邸)については、次の資料に記述あり。『石川県の文化財』(11824508)『金沢市文化財紀要 57 金沢の歴史的建築』(11917593)『金沢市文化財紀要 105 金沢の歴史的建築と町並み』(119411783)『石川県の近代和風建築』(109118102)『金沢市史 資料編17 建築・建設』(119623121)『ふるさときらめき館』「愛蔵版ふるさときらめき館」編集委員会/編 北國新聞社 2011.8(118536738)p.114 ○知事公舎については、『石川県の近代化遺産 石川県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』石川県教育委員会編集 石川県教育委員会(119995252)p.181「石川県内の近代化遺産一覧」に竣工年と簡単な構造の一覧の記述あり。○『金沢古蹟志』第五編(119865919)巻十三p.24-25 壮猶館 の項目に、柿木畠が横山氏の邸 ...
【定賢権律師について】 門前の総持寺の前身である諸嶽観音堂の住職、定賢権律師(じょうけんごんのりっし)は何宗の僧だったのか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:05)
以下の文献を紹介した。『太祖瑩山禅師』 東 隆真/著 国書刊行会 1996.9(111772152)p.664 総持寺に残されている文書から判断するに、神仏習合、本地垂迹の宗教的風土のなかで、定賢権律師は、三密の修法を勧行する僧であった。が、天台、真言のいずれかを特定することはむずかしい。いずれにせよ、密教僧であったことはまちがいない。『越前瑩山禅師ものがたり』大浦 和子/著 大浦和子 2013.8 (109181142)p.36-37 能登の鳳至郡櫛比庄(現在の門前町)に諸嶽観音堂という、行基菩薩が開いた真言律宗の寺院で、定賢律師が住職を勤めていた。
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