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【明治初期のプロテスタント医療伝道について】 1883年に金沢に来た長老派(プレスビテリアン)医療宣教医サラ・K・カミングスとカミングスから医療教育を受けた菱川ヤス(後に女医)について書かれた文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:50)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:50)
○サラ・K・カミングス『日本医史学雑誌 第64巻第3号』 「1880-1890年代の日本におけるアメリカ女性医療宣教師の活動」 藤本 大士/著 p.226-227「カミングス」【URL】http://jsmh.umin.jp/journal/64-3/64-3_gencho_1.pdf (2022年12月22日最終閲覧)『近代日本におけるアメリカ人医療宣教師の活動:ミッション病院とその協力者たち』(博士論文)に同文章が掲載されている。【URL】https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/2001823 (2022年12月22日最終閲覧)『医学とキリスト教』はこの博士論文をもとにしていると思われる(当館未所蔵)。『アメリカ婦人宣教師』(111339700)p.227に「一八八四年、シカゴの婦人伝道局は金沢に女医S・K・カミングスを派遣した。彼女は翌年同僚のJ・B・ポーターと結婚し、ポーター婦人として医療活動を続けたが、一八八七年六月頃、日本政府から免 ...
【金沢の産育習俗について】 金沢の子育て、とくに母乳が出ますように、または無事に止まりますようになどの謂れ、信仰がある寺社の参考文献を教えてほしい。(1) 真成寺の鬼子母神、(2) 興徳寺の鬼子母神、(3) 持明院の妙蓮に関する文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:50)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:50)
(1) 真成寺の鬼子母神『金沢市史 資料編14 民俗』(119748725)口絵41「鬼子母善神」p.368-371「第四節 鬼子母神さん」『金沢市文化財紀要 39 重要有形民俗文化財 真成寺奉納産育信仰資料』(11914489)『金沢 伝統・再生・アメニティ』(118287220)p.439-451「金沢の宗教文化」第三節「ハーリーティー(鬼子母神)信仰」『金沢市卯辰山山麓寺院群区域伝統的建造物群保存対策調査報告書』(119964980)p.170-171「(a)真成寺」『ふるさときらめき館』(118536738)p.228-229「真成寺奉納産育信仰資料」『人づくり風土記 17』(118284096)p.250-256「鬼子母神信仰」『稿本金沢市史 寺社編』(119531469)p.393「真成寺」に「本寺の鬼子母神は、小松城主丹羽長重が、城中に安置して尊信せるものの由にいひ伝ふ」と記載されている。(2) 興徳寺の鬼子母神『金沢市寺町台地区伝統的建造物群保存 ...
【『三壺聞書』の底本について】 『三壺聞書』(石川県金沢城調査研究所、2017年)は、石川県立図書館所蔵森田文庫本の「三壺聞書」の全文を活字化したものか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:50)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:50)
『金沢城普請作事史料 5 三壺聞書』(109244430)「例言」に「本書では、初期加賀藩の動向について、貴重な伝承を数多く書き留める『三壺聞書』を、石川県立図書館森田文庫所蔵本を底本として収載した」と記載されている。目次には巻之一から巻之十四までの項目が収録されている。p.211「表1 「三壺聞書」伝本一覧」によると、森田本は14巻15冊からなる。『森田文庫目録』(119466084)p.56「45 三壺聞書 信連記 自他群書(帙)」によると、その内訳は(1)~(16)三壺聞書 巻1~15、(17)三壺聞書異本追加、(18)三壺聞書目録并撰者来歴からなる。『金沢城研究 第12号』(109197198)「「三壺聞書」伝本を検証する」 木越隆三/著 p.9に「森田本 石川県立図書館 森田文庫所蔵(3函―2) 14巻15冊本。347項目に及ぶ本文を14巻に編集し、巻6のみ分冊にしたので15冊となっ ...
【小堀遠州と金沢の関係について】 金沢と小堀遠州の関係のうち、茶道関係でなく、庭園関係について書かれた文献を教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:50)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:50)
『金沢市史 資料編17 建築・建設』(119623121)p.291-314「庭園」、『加賀・能登の庭園』(118299061)、『石川県の古庭園』(118542566)、『金沢城の庭園』(119945330)、『金沢城研究 第17号』(109270082)金沢城シンポジウム「金沢城の庭園-その歴史と特徴-」に小堀遠州の記載なし。『小堀遠州の美を訪ねて』(113154965)、『前田利常と小堀遠州』(109338877)に金沢の庭園の記載なし。『石川郷土史学会々誌 第44号』(109148854)「金沢に生きた小堀遠州の一族」 横山方子/著 p.19に小堀遠州の一番弟子と見られる賢庭が利常に乞われ金沢城本丸数寄屋及び露地を造るため加賀へ下ったこと、利常が在京中に小堀遠州に大津屋敷について話し、小堀遠州がその造作を見に来て意見を述べた逸話が書かれている。『俳句研究 第4巻 2号』(1937年)p.144-p.153「茶庭」 外山英策/ ...
『金沢市史 現代編 下』(11903262)p.1100-1102「遊戯場の盛況」にパチンコについての記載がある。『金沢市史 資料編 14 民俗』(119748725)p.536-538「パチンコ」『金沢市史 通史編3 近代』(119958310)p.522「モダンな娯楽」に「金沢では「パチンコ屋」として昭和八年に街頭に進出し、夕涼み時の娯楽となった(パチンコ発祥の地を名古屋ではなく金沢とする説もある)」と記載されている。『北国新聞縮刷版 昭和59年4月号』(119898508)p.99、昭和59年4月4日15面「香林坊物語 42」に「パチンコと言えば名古屋が有名だが、実は香林坊が創業の地なのである」と記載されている。『パチンコ百年史』(112363076)p.116-117「本邦娯楽機の出自はOM、冨貴屋とも大阪」に「金沢にパチンコが姿を見せたのは、昭和四、五年頃である。当時はまだパチンコという名称まではなく、 ...
【北国街道と浅野川大橋の幅について】 安政4(1857)年頃の森下町~橋場町~尾張町~袋町にかけての北国街道の道路幅及び浅野川大橋の橋幅が記載された図書などを教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:49)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:49)
○北国街道の道幅について『金沢町人の世界』(11826084)p.147「道路」に「幹線の総延長は七万九三二三メートル、幅員が最大一〇・九メートル、最小が二メートルであった」と記載されている。『城下町金沢』(118412347)p.11に「橋場町から森本町・金屋町までの道幅が約三間(五・五m余)」と記載されている。『北陸道(北国街道)』(119473113)p.67に「道幅は、「加越能三州道程記」によると、「山上村ヨリ金沢野町壱里山迄 三間半」」と記載されている。『石川県史資料 近代篇1 〔皇国地誌〕』(明治前期成立)(119562920)p.2「袋町」に「幅凡五間壱尺」、p.3「尾張町」に「幅凡五(本通)」、p.9「橋場町」に「幅凡七間」、p.19「森下町」に「幅凡三間(本通)」と記載されている。○浅野川大橋の橋幅について『金沢町人の世界』(11826084)p.150「橋」に「明治 ...
能登町宇出津に関する郷土資料と、ゲームに関する資料を中心に調べる。『石川ふるさと遺産』(109282234)p.200-201に「伝統の遊び・文芸」として「宇出津発祥、全国人気に ごいた(能登町)」と紹介されている。ゲームのルールと、全国に保存会の支部がある、との記述がある。『能都町史 第2巻 漁業編』(11907027)p.641-643に、「(一) ごいたの起因と由来」と「(二) ごいたの競技方法」について記述がある。『能州能登町物語 一』(118464610)p.236-238に、ごいたに関する記述あり。「起源ははっきりしませんが、そうとう古くから伝わる、「能登半島」広しといえども、この町の人々しかしない、できない伝統的なゲームで独特の遊びです」と、紹介されている。また、ルーツが将棋であること、漢字では「娯慰多」とも書く、などの記述がある。 ...
【中屋行在所について】 中屋行在所(老舗記念館)の外観の写真が見たい。大正期に建て替えられる以前の写真が必要である。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:48)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:48)
明治期の石川県内の街並みが掲載された資料を中心に調査した。以下は建物の外観が図または絵として掲載されている。『稿本 金沢市史 市街編第2』(119564183)p.372-373の間に、「明治天皇行在所 藥舗中屋氏居宅圖」と記された間取り図が附属されている。『石川県下商工便覧 復刻版』(118542593)に「中屋彦十郎」と記述された絵が掲載されている。『南町のあゆみ』(119887317)p.128に「明治時代の中屋家(『稿本金沢市史』)」として、外観の絵が掲載されている。また、p.35には現在の老舗記念館内部の写真が掲載されている。p.124には「昭和8年の行在所の玉座(『石川県写真帳』)」と記された建物内部の写真が掲載されている。以下は外観の写真を掲載している。『金沢写真案内記』(119511466)に「行在所(中屋氏邸)」の写真あり。門と思われる部 ...
【金沢の戦争遺跡について】 以下の施設の成立過程が分かる資料を教えてほしい。(1) 第九師団関連部隊(師団司令部、歩兵第七連隊、山砲兵第九連隊、工兵第九連隊、輜重兵第九連隊)、(2) 石川県護国神社、(3) 金沢陸軍墓地(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:48)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:48)
(1) 第九師団関連部隊『石川県史 第4編』(118587405)p.1097-1098「明治四年七月廃藩置県の令あり。翌八月に至り金沢の城地を兵部省の所管に属せしめ、不要の殿閣倉庫悉く破壊せしを以て、旧観忽ち一変せり。五年二月兵部省を廃して陸軍省とせしを以て、城地も亦陸軍省の有となる。(中略)六年一月政府は国中の兵備を改めて四鎮台を六鎮台と為し、金沢に名古屋鎮台の分営を置く。因りて大尉藤堂高矩、一小隊を率ゐて名古屋より来り、七月大尉松村正雄の一小隊も来るに及び、相合して中隊となり、同年十一月には歩兵第二十一聯隊と称するに至れり。八年三月二十八日歩兵第二十一大隊長陸軍少佐津田正芳、歩兵第七聯隊長勤務を命ぜられ(中略)当時聯隊本部を旧二ノ丸殿中菊の間に置き」【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1186851/1/613 (2022年12月22日 ...
質問者からの情報提供によると、現在判明している石川県の産地は以下の3か所である。金沢市倉谷町、石川郡鳥越村大字河原山、河北郡津幡村大字瓜生出典は『三州地理志稿』とのこと。ほかに金沢市熊走町に砥石と成因的に同類の硯石の算出があるとのこと。『加能越三州地理志稿』(118511766)p.39「砥石 出河原山村領」、p.123「砥石 瓜生村出」の記載あり。『加賀国産物志』「石土水火部」に「同郡(能美郡)河原山村領アラ砥石アリ」と記載されている。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/2536425/1/79 (2022年12月22日最終閲覧)『加賀志徴 上巻』(11824804)p.216「砥蔵山」(江沼郡坂下村、現加賀市山中温泉坂下町)に「山の間砥石多く有りて、用ふる時は甚だ用をなす」と記載あり。『享保元文諸国産物帳集成 第1巻』(11917119)p.449(加州産物帳)に「あら砥石 能美 ...
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