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質問者の提供資料: 金沢市の用水を記入した1枚のコピー資料上部に『金沢の用水網』、下部に『保全指定用水一覧』と記入がある。(1) 名前の由来川名勘太郎という方が居住。昭和4年(1929)、小立野一本松の道路に川名勘太郎が橋を架けたことによる。『金沢市文化財紀要157 金沢の用水・こばし調査報告書(前編)』P.70-71(2) 源辰巳用水の分流。石引2-6-4風月堂菓子店西側から分かれる。ここから勘太郎川と呼ぶ。長谷川町排水路(旧 笠舞用水)。小立野4丁目18-7住宅南側、辰巳用水より分流→笠舞3-17-10住宅西側で勘太郎川へ合流する。堀切川。小立野2-10金大工学部南西角で辰巳用水から分かれる。笠舞の大清水(おおしょうず アルビス笠舞店の裏)を経由して、笠舞2-13-20住宅角で長谷川町排水路に合流する。『金沢市文化財紀要157 金沢 ...
【香林坊大神宮の移転について】 香林坊大神宮(金沢大神宮)が昭和30年代に香林坊から移転した理由が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:48)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:48)
『金沢市史 現代編 下』(119562680)p.577「金沢大神宮」に「昭和三十九年九月二十六日大手町に移転した」と書かれている。『写真図説 金沢の五〇〇年』(119860171)p.105「香林坊大神宮境内」に「境内地は映画館がたち並ぶなど歓楽街をつくり賑わった。戦後大手町に移り、さらに小菱池町に移転したことで歓楽街は駐車場、空地に変貌した。」と書かれている。『金沢の百年 大正・昭和編』(109215652)p.403(昭和35年1月11日条)に「香林坊の金沢大神宮は社地を売却し、梅本町の高峰譲吉博士邸に新築移転することにきまった。」、p.471(昭和39年9月29日条)に「香林坊から梅本町に移転した香林坊大神宮の新社殿が完成、遷座式典がおこなわれた。」と書かれている。『石川県神社誌』(118412230)p.90「金沢大神宮」に「同(昭和)三十四年金沢市高岡町より現地 ...
【深谷温泉について】 深谷温泉の開湯・歴史などを調べている。『石川県河北郡誌』p.33,p.545-547の深谷温泉の記載の参考資料・出典史料名などが知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:48)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:48)
『石川県河北郡誌』(11824575)p.33「鉱泉 ○深谷鉱泉」に、湧き出し口は寛政年間に発見されたもの、明治15年に発見されたもの、発見年月未詳のものの3つがあると記されている。p.545-547「深谷鉱泉」に、寛政年間に前田土佐守によって発見された経緯及び3旅館の経営者等について記されている。『亀の尾の記』(11824824)p.98「深谷」に「近年より金湯を掘り出し、湯家を建て発行す」と記されている。『加賀志徴 下編』(11824805)p.459「深谷湯」に「深谷村字牧峠にあり。世人深谷の湯と呼べり。今元湯と新湯と二ヶ所あり。元湯の湯主は森義右衛門と云ひ、新湯は近頃開きたり」と記されている。『深谷温泉誌』(11904165)p.1-3「深谷鉱泉沿革の概要」に、天平年中行基により鉱泉が発見されたこと、永仁2年僧日蓮の弟子日像が再発見したこと、天明8 ...
『金沢の百年 年表 大正・昭和編』(109215652)で昭和7年に開催された博覧会を調べたところ、同年に「産業と観光の大博覧会」が開催されたことがわかったため、以下「産業と観光の大博覧会」に関する資料を探した。【URL】https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/shishinenpyou_t.htm (2022年8月26日最終閲覧)産業と観光の大博覧会に関する当館所蔵資料は以下のとおり(二次資料を除く)。『〔産業と観光の大博覧会 記念絵はがき〕』(109211911)『産業と観光の大博覧会 記念絵はがき』(118290905)『金沢市主催産業と観光の大博覧会記念写真帖』(118338141)『新刊金沢案内』(118605414)『金沢市街図 産業と観光の大博覧会記念』(118584969)『金沢市主催産業と観光の大博覧会協賛会会誌』(11906495)『金沢市主催産業と観光の大博覧会誌』(11903059)このうち、『金沢市主催産 ...
【婚活を支援する喫茶店の開業について】 金沢市内で、婚活を支援するパーティーなどを開催する喫茶店を開業したい。補助金の申請をする際に参考となる統計データなどが掲載されている資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:47)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:47)
○WEB検索「婚活 統計」→リクルート社の統計がヒットするが、公的機関による統計はないようだった。・平成28年度の厚生労働省の「婚姻に関する統計」がヒットした。こちらはWEBでPDFを参照できることを紹介した。【URL】https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/konin16/index.html (2022年8月26日最終閲覧)・参考資料室の書架をブラウジングし、『少子高齢社会総合統計年報2021』(113959544)の目次を見ると、p.200-203にリクルート社の婚活に関する統計データが掲載されていたので、紹介した。○WEB検索「喫茶店 統計」→経済産業省「経済センサス」に掲載があり、WEBでPDFを参照できることを紹介した。「喫茶店のいま」【URL】https://www.stat.go.jp/data/e-census/topics/pdf/topics95_2.pdf (2022年8月26日最終閲覧)○開業を目指しているとのことから、『業種別審査 ...
【前田家伝来の貝桶について】 前田家伝来の貝桶(貝合わせの貝を入れておく容器)の、貝合わせの図柄が全て載っている資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:47)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:47)
例年、ひな祭りの時季に成巽閣で前田家伝来の雛人形や雛道具の展示があるため、著者「成巽閣」で検索。『御雛 一』(119487208)p14『御雛 二』(119379407)p7,23,40 に貝合わせの写真が載っているが、図柄がはっきり分かるのは一部拡大されている写真のみ。全体写真では小さく、個々の図柄までははっきりしない。○「雛人形」で検索してヒットした『名家秘蔵 雛と雛道具』(11014101)p40-41に、成巽閣所蔵の「貝合わせの貝と雛道具の貝」、「貝桶と貝」の写真があるが、これも全ての図案まではわからない。
前回のレファレンス「足利義政の生花について」の続き【URL】https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000289347 (2022年8月26日最終閲覧)撫子の古名、常夏は古今和歌集にも使われており、足利義政の時代より遡る。『日本国語大辞典 第9巻』(112297874)p.1184「常夏」前回のレファレンスで確認した資料を見直し、撫子又はその別名(石竹を含む。)が掲載されていたものは以下のとおり。『日本花道史』(11927207)p.40-41「文明二年奥書の「仙伝書」に於ては(中略)端午 竹 菖蒲 石竹 杜若」『いけばな史論考』(111834193)p.497-511「(付録)巻子本「池坊立花秘伝書」」(永禄6年成立)「端午、竹、菖蒲、石竹」「高不用物(中略)なでしこ」
【ベートーベンの絵画について】 「自然の中を散策するベートーベン」という見出しのついた、ベートーベンがフロックコートを着、ステッキを持って小道を歩く絵が載っている画集が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:47)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:47)
インターネットで「自然の中を散策するベートーベン」と検索したところ、ユリウス・シュミット(1854-1935)の絵画「孤独な巨匠-自然を散策するベートーヴェン」という記載及び絵画が見つかった。「後ろ手を組み、野を歩く姿」【URL】https://ihatov.cc/blog/archives/2006/10/post_416.htm (2022年12月22日最終閲覧)『ベートーヴェン』(11052263)p.117にJ・シュミト画のベートーヴェンの絵画が掲載されている。
『金沢 もう一面の日本』(118342921)p.154-156「Kanazawa Castle and Ishikawa Gate」、p.156-172「Kenrokuen」『HOW TO SEE KANAZAWA』(119548090)p.2「KENROKU PUBLIC GARDEN」、p.4「KANAZAWA CASTLE」『Kanazawa Japan guidebook』(109087463)p.11「Kenrokuen Garden」、「Kanazawa Castle Park」『introducing KANAZAWA JAPAN』(119362473)p.6-7「Kenroku Garden」、p.8「Kanazawa Castle」『KENROKUEN』(11922442)『金沢』(119452472)p.2(金沢城)、p.3(兼六園)『KANAZAWA JAPAN』(11929191)「Kenrokuen Park」「Ishikawa Gate of Kanazawa Castle」『加賀百万石の城下町への旅』(119985908)p.4-5「寺内町から百万石の城下町へ」『Daimyo Gardens』(419377750)(泉野図書館所蔵)
【高岡城址について】 1870(明治3)年3月、金沢藩は窮民救済と農地増殖のため、古御城、御旅屋跡、桜馬場を民間に払い下げて、開墾する旨、布達したとされている。その後、御旅屋跡、桜馬場は直後に払い下げ手続きに入ったが、古城跡は七尾県が1872年5月に民間払下の落札を決定している。なぜ2年余りにわたり手続きが猶予されたのか、関連資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:46)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:46)
高岡市立博物館の以下のページに「明治3年(1870)、金沢藩は高岡城跡の払い下げ開墾を布達(水堀の埋め立て禁止と原形の保存が条件)しますが、実現はしませんでした。」と書かれている。【URL】https://www.e-tmm.info/siro.htm『高岡古城志』(109172125)p.92に「廃藩置県後、高岡が七尾県に属した頃、県の所管に移されたが、明治五年県が僅かの財源を得るために、此古城址を払下げることにし、全地域を金四千二百五十円で伏木の藤井能三氏に、松杉等立樹凡そ一千九百本を金一千円で高岡の内島六平氏に落札した。」と書かれている。『容膝書屋閑話』p.13に「明治四年七月の廃藩置県後は、県の所管に移りました。翌五年にいたり当時の七尾県当局は、これを民間に開放したばかりでなく、進んで開墾させるためにこれを払下げることにしました。 ...
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