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【「如水日記」について】 松尾芭蕉が大垣に滞在していた時の様子を記した「如水日記」の全文を知りたい。(大垣市文化財保護協会発行『如水日記』(複製・翻刻)は閲覧済みとのこと。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:13)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:13)
1.『大垣市史』等に全文翻刻したものがないか「如水日記」は、文化財保護協会で複製した部分以外には残っていない。2.原史料の所蔵先・閲覧の可否原史料は大垣市立図書館にある。閲覧は可能だが、閲覧申込書の提出が必要になる。詳しくは、大垣市立図書館 担当まで問い合わせのこと。
【回達方について】 明治2~4年の金沢藩に存在した回達方という役職について知りたい。(由緒帳に記載があったとのこと。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:13)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:13)
『加越能近世史研究必携』田川捷一/編著(北國新聞社、1995年)(111671356)p.32「藩機構図」に記載なし。『加能郷土辞彙』(初版)にも記載なし。『石川県史料 第3巻』(石川県立図書館、1973年)(119563032)p.440「明治四年 制度部 職制」に「士族廻達方弐拾四人 拾五石充」「卒廻達方 弐百人 年給弐拾六両充」、p.464「職制附録」に「明治五年正月 日士族卒回達方、寺院触次、里正、市長ヲ廃シ正副区長ヲ置キ(後略)」とある。以上から、回達方とは寺院における触次(触頭)や村における里正(村長)、町における市長に相当する役職であり、具体的には士族・卒族における触・法令の伝達役と解される。藩政期における組頭・足軽小頭等の頭役に相当するものか。
【原元勲の読みについて】 原元勲という武士の読み仮名を教えてほしい。(射水市指定文化財の石碑に名前が記されているとのこと。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:12)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:12)
『加能郷土辞彙』(初版)に「原元勲」の立項なし。『石川県史資料 近世篇8 諸士系譜 1』(109084069)p.79に「九左衛門元勲」の名前あり。振り仮名なし。『諸頭系譜 上』(109169700)p.41に公事場奉行として「原九左衛門元勲」の名前あり。振り仮名なし。『寺島蔵人と加賀藩政』長山直治/著(118393869)p.3、p.33に「九左衛門元勲」の記載あり。振り仮名なし。近世史料館所蔵史料「原文男家文書」及び「寺島家文書」の由緒帳、系図類に「元勲」の記載なし。
【戦前金沢の料亭について】 大正6年母衣町(現彦三町1丁目、尾張町2丁目)にあった登喜和楼という料亭の情報が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:12)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:12)
『城下の百姿 上』(118290010)p.25~27料理店案内 … 該当するものなし。『金沢商工人名録 昭和6年版』(119503132)p.87~95料理・飲食店… 母衣町には昭和2年開業の「をし鳥」(料理・川魚鍋料理) 『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)p.33~45 旅館・料理店…母衣町には大正14年1月開業「萬歳楼」がある。『石川県営業別電話名簿』(昭和4年)(118289978)p.79に「登喜和前田きん」と記載されている。『紳士縉商北陸商工業名鑑』(大正5年)p.51「料理、仕出し」の項目に「仕出料理前田きしん」の名があるが、住所は御歩町になっている。国立国会図書館デジタルコレクション【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/923535/1/56
【家事労働の貨幣換算について】 2013年9月18日付の東京新聞(中日新聞)に、「専業主婦の家事・育児は304万円」という記事が載っていた。その出典が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:12)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:12)
白書・データ集に記載なし。『ニッポン人の家事スタイル資料集 2006年版』(112794261)『男女共同参画社会データ集 2013年版』(113299677)『女性白書 2013』(113448098)新聞記事にあった、「無償労働の貨幣換算額」でインターネット検索したところ、内閣府のホームページ中に「家事労働等の評価について」を見つけた。【URL】http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/sonota/satellite/roudou/contents/kajikatudoutou.html(2014年4月2日現在)(内閣府ホーム>統計情報・調査結果>国民経済計算(GDP統計)>サテライト勘定>無償労働関係)掲載の報告書p.6に「女性の場合(中略)304.1万円」とあり、新聞記事の典拠と思われる。同ページの説明によれば、本統計はサテライト(付随統計)という位置づけで行った推計であり、『国民経済計算年報』(113441050)にも収載されていない。なお、家事労働 ...
【北村弥一郎と日本硬質陶器の関係について】 北村弥一郎が日本硬質陶器の技師長に就任した経緯について、日本硬質陶器の創業者との関係から知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:12)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:12)
『日本硬質陶器の歩み』(119564058)p.73「北村弥一郎取締役就任 先に死去された会社顧問藤江永孝とともに林屋組時代から会社に貢献のあった、前東京高等工業教授北村弥一郎氏は(大正7年)1月29日の総会で取締役1名増員に伴う候補者として推薦せられ且つ技師長となった。」上記「林屋組時代」については、同p.26「硬質陶器の創設」(林屋次三郎述)に以下の記載あり。「(前略)それから釉薬の苦心に取りかかったが、これがまたなかなかうまくゆかないので、このために6ヶ月程苦心して、どうも困ってしまった、ところが農商務省の工業試験場に所長をしている北村弥一郎という人が金沢出身で英独に長く留学してフイアンスを研究して最近帰朝したことを聞き、友田、吉村両氏に上京してもらい一カ月程も滞京して漸くその秘訣を習い金沢に ...
①『金沢・旅館名鑑』(11921801)②『金沢の老舗』(118413003)⇒p138に手形の話あり。p4「浅田屋」、p205「石屋旅館」、p136「住吉屋旅館」、p259「山下旅館」③『深谷温泉誌』(11904165)④『老舗百年』(11909605)p58「浅田屋」、p62「すみよし屋旅館」⑤『北陸三県実況案内』(118572402)明治36年頃の7軒の旅館が掲載されている。追加調査分★手判問屋の記載あり。『加能郷土辞彙』(改訂増補)p598『稿本金沢市史 風俗編第2』p345-355『城下町金沢 封建制下の都市計画と町人社会』(118412347)p78~79『金沢市史 通史編2 近世』p438⇒手判問屋七軒のうちの大浦屋幸右衛門の記載あり。『金沢市史 資料編6 近世4 町政と城下』p259⇒手判問屋七軒が挙げられている。『幕藩制都市の研究』(11825456)p288石川県立図書館、「石川県関係人物文献検索」で手判問 ...
【ガントレットについて】 明治37年(1904年)8月、金沢で開催された文部省主催の中等教育英語科教員を対象とした夏季講習会の3人の外国人講師のひとりとしてガントレットが招かれたという記事の正確な日付および出典が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:11)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:11)
北国新聞河北版 明治37年8月をマイクロフィルムで通覧したが、該当の記事なし。夏季講習会への言及はあるものの、実施日等は詳しく記されていない。『石川県教育史 第1巻』(119565618)740ページに「明治25年以降、石川県は、教員の現職教育を私立石川県教育会主催の夏期講習に委任してきた。」とある。したがって、明治37年の夏期講習も石川県教育会の主催であった可能性がある。同会発行『私立石川県教育会雑誌』は、第32号(明治37年3月以降)から第35号(明治38年2月以前)が欠号のため、明治37年夏の会報が収載されていない。金沢大学附属図書館に同雑誌のマイクロフィルムが所蔵されていたため、欠号分の会報を確認してもらったが、英語科の夏期講習会については記載がなかった(34号に体操遊戯の夏期講習会の記事あり)。<追記>利 ...
【飯田町の松平筑前守について】 吉村昭「暁の旅人」に主人公松本良順が飯田町(東京)の松平筑前守の屋敷に送り込まれたとある。この松平筑前守とは前田利常の事か。「暁の旅人」は幕末の話で記載は明治元年となっている。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:11)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:11)
・利常が松平筑前守であったことは間違いない。・明治元年 14代当主慶寧(よしやす)も筑前守であった。・前田家の屋敷は現在の東京大学本郷キャンパスにあった。(現文京区本郷7丁目)・江戸時代の飯田町は現在の飯田橋にほぼ該当する。・明治初年の地図及び『東京都の地名』(112371659)によると飯田町には、讃岐高松藩、上総請西藩、遠江相良藩(のち出羽鶴岡藩の中屋敷)、出羽亀田藩、下野皆川藩(のち武蔵金沢藩)があった。『加越能近世史研究必携』(113226661)p13~14『古地図で歩く江戸城・大名屋敷』(109131070)p91~95『明治の東京 江戸から東京へ』(111775987)p11
○『物価の文化史事典 明治 大正 昭和 平成』 (112980893)森永 卓郎/監修P410~411金価格・100年の推移明治初期~平成6年までの表あり。(やや抜けがあります)※1941~1944年の戦時下は取引が禁止されていた。○『日本の物価と風俗135年のうつり変わり 明治元年~平成13年』(118378595)文教政策研究会/編集P551純金地金1g年間最高価格明治初期~平成7年までの表あり。(やや抜けがあります)
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