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御質問の件については、次の資料に記載がありました。 (1)『旧多久邑人物小志』 旧多久邑史談会 旧多久邑史談会 1931 p.178 鶴田 冲 字元逸、通稱元偲、九皐と號す。(中略)年三十、白樫に葬る。 (2)『多久市史 人物編』 多久市史編さん委員会/編 多久市 2008 pp.91-92 鶴田 冲 撰分の白樫に葬られる。 (3)『丹邱の里 No.16号』 多久市郷土研究会/編 多久市郷土研究会 2015 (pp.51-52 「戦国武将 鶴田氏とその後継~梶峯城を南に眺む~」 宝藏寺 博) p.51 この賢氏の子の俊氏の代から朗氏の代まで、約二百六十年間、十代(別添・家譜図)に亘る鶴田氏の墓所が、梶峯城を南に眺む多久町撰分・白樫の山中にひっそりと残っている。 p.52 家譜図に冲が記載されています。また、公益財団法人孔子の里が発行する広報誌に記載がありましたので、御紹 ...
「美空ひばり」「西郷隆盛」「大隈重信」の戒名に、それぞれ名前の一部(「美空」「隆盛」「重信」)が入っている。その読みを知りたい。(佐賀県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/26 16:06:12)
from レファレンス協同データベース (2025/2/26 16:06:12)
御質問の件について、次のとおり回答します。1.「美空ひばりの戒名の読み」については、次の資料に記載がありました。 (1)『姉・美空ひばりと私 光と影の50年』 佐藤 勢津子/著 講談社 1992 p.178 戒名・慈唱院美空日和清大姉(じしょういんみそらにちわせいたいし) (2)『美空ひばりと島倉千代子』 小菅 宏/著 アルファベータブックス 2018p.250 戒名・慈唱院美空日和清大姉(じしょういんみそらにちわせいだいし) ※菩提寺の「日蓮宗 延宝山 唱導寺」のホームぺージには、「慈唱院美空日和清大姉(じしょういんみそらにちわせいたいし)」と記載されています。【http://www.shoudouji.org/】(最終アクセス日:2024.4.4)2.「西郷隆盛の戒名の読み」については、次の資料に記載がありました。(3)『戒名・法名・神号・洗礼名大事典』 鎌倉新書 ...
御質問の件については、次の資料に記載がありました。(1)『徐福と日本神話の神々』 前田 豊/著 彩流社 2016p.14 図「徐福出航伝説地(中国)と渡来伝説地(日本・韓国)」 A佐賀県 伊万里市波多(秦)津町(2)『葉隠研究 第93号』 葉隠研究編集委員会/編 葉隠研究会 2022p.31 「徐福・葉隱の検証で世界へ」 星野 郁夫徐福の船団が着いたのは、伊万里湾です。そこには、秦族にちなんだ波多津や汐多という地名がついています。 (後略)(3)『佐賀の歴史 古代史編』 大矢野 栄次、矢野 生子/共著 佐賀低平地研究会地方創制部会/編 五絃舎 2022p.24 徐福一行は黄海の西南の海流に乗って伊万里湾に入った。伊万里市の「波多津」(伊万里湾の東側)は、波多=秦、津=港であり、徐福を思わせる地名である。(中略)徐福一行は500人程度の偵察 ...
太平洋戦争時における、佐賀空襲を含めた、佐賀県内の空襲による死者数、負傷者数、いつ、どこであったかについてご教授いただけないでしょうか。(佐賀県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/26 16:06:12)
from レファレンス協同データベース (2025/2/26 16:06:12)
御質問の件については、次の資料に記載がありました。 (1)『佐賀空襲 第三版』 佐賀空襲を記録する会/編 佐賀空襲を記録する会 2012 巻末図 「佐賀空襲(昭和20年8月5日23時30分より6日1時00分まで)の被害一覧」 (2)『佐賀県警察史 下巻』 佐賀県警察史編さん委員会/編 佐賀県警察本部 1977 pp.399-405 (四)佐賀の空襲を語る―元警防課長 (3)『佐賀県災異誌〔補訂版〕』 佐賀地方気象台/編 佐賀県防災課 1964 pp.670-671 空襲被害報告 (4)『佐賀県大百科事典』 佐賀新聞社佐賀県大百科事典編集委員会/編 佐賀新聞社 1983 p.305 佐賀空襲p.484 戦災参考資料:(1)『佐賀空襲 第三版』 佐賀空襲を記録する会/編 佐賀空襲を記録する会 2012 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I41111101623662, 参考資料:(2)『佐賀県警察史 下巻』 佐賀県警察史編さん委員会/編 佐 ...
1.正法寺に鍋島直茂先妻・慶円尼の墓があるが、他に誰の墓があるのか。2.宗智寺に鍋島直茂娘・養寿院の墓があると聞いたが、その資料はあるのか。(佐賀県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/26 16:06:11)
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1.「正法寺に鍋島直茂先妻・慶円尼の墓があるが、他に誰の墓があるのか」については、次の資料に記載がありました。(1)『高木瀬町史』 土井 芳彦/編 佐賀市立高木瀬公民館 1976p.189 豪族高木氏の菩提寺だっただけに、高木家累代の墓碑が並んでおり、(中略)開基妙明尼の墓と伝えられる宝篋印塔がある。(中略)高木肥前守胤秀(覚仲宗樹)の墓や、(中略)東高木城主高木鑑房の二男大栄入道(多良入道泰永)の墓もある。p.190 過去帳を繰って見ると、高木肥前守胤秀の嫡女に、慶円尼という女性がある。(2)『肥前おんな風土記』 豊増 幸子/著 佐賀新聞社 1976p.78 慶円夫人の墓は高木氏の菩提寺高木瀬町の正安寺(原文ママ)にある。 ※「慶円の墓(正法寺)」の写真あり2.「宗智寺に鍋島直茂娘・養寿院の墓があると聞いたが ...
『佐賀経済新聞 2024年7月24日』の記事(https://saga.keizai.biz/headline/1895/)に出ている、雑誌『佐賀』の「故侯爵鍋島直大公追悼号」は、具体的には第何号でしょうか。(佐賀県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/26 16:06:11)
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御質問の件については、当館の所蔵している『佐賀』を調査しましたが「故侯爵鍋島直大公追悼号」は確認できませんでした。なお、当館には大正10年から大正13年の『佐賀』は所蔵がありません。東京大学附属図書館「東京大学OPAC」を確認したところ、「佐賀/佐賀郷友青年會」の情報が見つかりましたので、参考として御案内します。 URL:https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_details/?lang=0&opkey=B172307845236494&srvce=0&amode=12&bibid=3001006622(最終アクセス日:2024.8.8) コメント欄に「故侯爵鍋島直大卿追悼號 (雑誌『佐賀』大正11年5月)」の記載があります。
フェートン号事件後の佐賀藩(深堀鍋島家含む)内の処分について切腹ほか処分を受けた全ての人物について、役職と名前を知りたいので、それらが載っている書籍等をご教示願います。(佐賀県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/26 16:06:11)
from レファレンス協同データベース (2025/2/26 16:06:11)
御質問の件については、次の資料に記載がありました。(1)『鍋島直正公伝 第1編』 中野 礼四郎/編 西日本文化協会 1973pp.151-155 「兩番所番頭に切腹を命ず」 大番頭鍋島七左衛門茂辰をして病と稱して深堀に屏居せしめ(中略)長崎番所の守を失ひたる千葉三郎右衛門胤明、蒲原次右衛門好古の兩人に死を賜はり(中略)目付以下の組頭秀島平之丞、武雄權大夫、鶴皐之進、牧環(たまき)、石井小右衛門、大野吉兵衛、岩松源吾、石井傳作、中野又兵衛、志波吉兵衛十人の家禄を收め、鍋島茂辰の深堀在住は、長崎奉行に對して然るべからずとて、之をも佐嘉邸に歸住せしめ(中略)深堀の士松本三郎大夫は評定所に召喫せられて糺問せられんとせしが、先だちて自刃せり。(2)『佐賀県史 中巻』 佐賀県史編さん委員会/編 佐賀県 1968p.325 佐 ...
天保6年5月10日前後の佐賀藩の請役家老を調べています。鍋島監物という人物誰なのか、お教えいただけますでしょうか。(佐賀県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/26 16:06:11)
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御質問の件については、次の資料に記載がありました。(1)『多久市史 第2巻』 多久市史編さん委員会/編 多久市 2002p.76 請役家老の地位は(中略)天保四年には太田鍋島家の茂矩(監物)が請役に登用され(後略)(2)『佐賀市史 第2巻』 佐賀市史編さん委員会/編 佐賀市 1977※『直正公御年譜』天保六年五月二十九日の条の訳文あり p.209 一、 美作(多久茂澄)より家作用相貯え置き候金五百両より弐百金、(中略)監物(鍋島茂矩)より八拾金(後略)事前調査事項:須古鍋島家の鍋島安房茂真が、天保6年5月10日以降、請役家老に就任した際、鍋島監物太夫という人物が請役家老だったことは、『鍋島直正公伝』で確認出来ました。参考資料:(1)『多久市史 第2巻』 多久市史編さん委員会/編 多久市 2002https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I41111100 ...
御質問の件については、次の資料に記載がありました。 (1)『佐賀市史 第4巻』 佐賀市史編さん委員会/編 佐賀市 1979 pp.617-625 「2 娯楽施設の発達」 (2)『佐賀市史 下巻』 佐賀市/編 佐賀市役所 1973 pp.485-486 「第一節 劇場」 pp.487-488 「第二節 映画常設館」 (3)『橋の歴史とその周辺』 北原 学/著 北原 学 1991 pp.24-25 「劇場橋と佐賀劇場」 (4)『佐賀県大百科事典』 佐賀新聞社佐賀県大百科事典編集委員会/編 佐賀新聞社 1983 p.216 「喜楽座」 p.306 「佐賀劇場」 (5)『保存版佐賀・小城・多久の今昔』 福岡 博/監修 郷土出版社 2012 pp.148-152 「佐賀市の娯楽場」 (6)『写真集明治大正昭和佐賀』 福岡 博/編 国書刊行会 1979 pp.76-77 喜楽座、宇宙館、佐賀劇場の写真と説明 (7)『佐賀・小城・多久の昭和』 樹林舎 2019 pp.94-96 「映画館」 (8)『新郷土 第35巻 ...
◆参考資料1「新生イスラエルに捧げた シャガールのステンドグラスの華やぎ : エルサレム ハダッサ医療センター・シナゴーグ」(『芸術新潮』 2020年8月号 p.78-81)お尋ねのステンドグラスは、エルサレムに新設されたシナゴーグのためにシャガールが1960-1962年に制作した「シャガールの窓」とわかる。また、「シャガールの窓」は、古代イスラエルの12の部族をテーマにした12枚で構成されていることがわかる。12枚のうち一部の写真の掲載あり。◆参考資料2「新生ユダヤの国に捧ぐ」(『芸術新潮』 2013年7月号 p.67-75)p.70-71に「シャガールの窓」の12枚のステンドグラスの写真とそれぞれのモチーフの部族の名が掲載されている。回答プロセス:(1)国立国会図書館オンライン(2023.12.21時点)で探す。「シャガール&ステンドグラス」で検 ...
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