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次の資料を紹介しました。・『神奈川縣廳物語 本庁舎建設60周年記念』神奈川県出納局 1989本庁舎の建設六十周年を記念して編集された資料です。p.44~52「神奈川県庁舎の歴史」、p.53~82「神奈川県庁の生い立ち」、p.83~118「4代目県庁舎の建設」に、初代~4代目それぞれの県庁舎に関する詳細な情報が掲載されています。その中に、p.66~67「県庁舎の移りかわり」として、日本大通り付近の建物の変遷が図示され、合わせて県庁舎の位置の変遷も伝えています。p.81のコラム「さまよえる県庁舎敷地」では、三代目庁舎が関東大震災で焼失した後、四代目庁舎の建設地をめぐる動きが記載されています。また、p.56~57に「県庁舎の本籍地を決めた先達 井伊直弼」の項があり、1858年5月の日米修好通商条約によって取り決められた開港場「神 ...
『匠の姿 Vol.4』(出山健示/文 二玄社 1999)p.109に渋柿を2回塗り、その上から黄土を混ぜた亜麻仁油を塗るとある。『傘 和傘・パラソル・アンブレラ』(LIXIL出版 2016)p.74には「えごま油を中心とした植物油の混合油を塗る。」とある。一般社団法人日本植物油協会のWebサイト「竹と和紙と植物油が織りなす和傘の世界」のページには、「荏油(えのあぶら)、亜麻仁油、桐油に、紙に油を浸透しやすくするために少量の鉱物油を混合して使用」とある。https://www.oil.or.jp/trivia/wagasa.html(2024.11.21確認)
白井市立図書館所蔵の『江戸醤油酢問屋伊勢屋宇兵衛の研究 民間活力に徹した人生』(鈴木普二男/著 1990)を紹介。
文化3年頃、ある紀行に大磯から馬で現在の埼玉県川越市へ「なまり節」を運ぶ商人がいたという記述があるが、大磯は「なまり節」製造が盛んであったのか。(神奈川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/13 13:29:09)
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大磯において「なまり節」の製造が盛んであったかどうかの記述がある資料を見つけることはできませんでしたが、参考までに、関連しそうな記述のある資料をご紹介しました。・『大磯町史 6 通史編 古代・中世・近世』大磯町 2004「第三章 近世 第四節 村と人々の暮らし」(p.355-447)中、p.406-432に「五 漁業と浦の暮らし」が立項されています。江戸時代の大磯浦の漁師の生活や漁場、運上や魚の輸送などについての記載があるものの、なまり節などの加工品についてや、川越方面への輸送についての記述は見つけることができませんでした。なまり節の原料となる鰹については、p.426に「鰹漁は相模湾内でも真鶴から内側の地海といわれた真鶴から江の島沖までが良好な漁場で大磯・小磯沖は鰹漁の中心的漁場の一つであった」と記述さ ...
戦国大名・北条早雲が伊勢盛時であり、室町幕府の政所の頭人の伊勢氏の一族だとされているが、北条早雲以降の北条家などの歴代当主が、室町幕府の政所の頭人伊勢氏や政所代の蜷川氏などと交流のあった資料はあるか。(神奈川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/13 13:28:41)
from レファレンス協同データベース (2024/12/13 13:28:41)
以下の資料を紹介しました。・『後北条氏家臣団人名辞典』下山治久編 東京堂出版 2006(以下①)こちらの資料は、後北条家の当主や、関係した主な人物が立項されている辞典です。立項されている人物の解説は、古文書や記録類をもとに記述されています。<伊勢氏>①p.47-48に「貞辰 さだとき」が立項されており、「『快元』天文三年六月三日の条では、(中略)氏綱は鎌倉比企谷(鎌倉市大町)で酒宴を開き、(中略)。参加した人達は伊勢備中守貞辰はじめ伊勢八郎、伊勢又次郎・大和兵部少輔入道・千秋入道の面々であった。」との記述があります。文中の『快元』は『快元僧都記』を指しています。『快元僧都記』は次の資料に収録されています。・『羣書類従 第25輯』塙保己一編 続群書類従完成会 1971・『神道大系 神社編 ...
アザラシの記載がある江戸時代の資料としては、本草学等の博物学的視点のものと、蝦夷の旅行記等で名産として記載されているものがある。当館で確認のとれたものは以下のとおり。『本朝食鑑5』(人見必大/[著] 平凡社 1981)p.328,362、『本草綱目啓蒙4』(小野蘭山/著 平凡社 1992)p.66,91、『毛吹草』([松江重頼/編]岩波書店 1976)p.176、「蝦夷島記」(『続々群書類従 第9』続群書類従完成会 1978)p.526、「日本山海名産図会」(『日本庶民生活史料集成 第10巻』宮本常一/[ほか]編 三一書房 1970)p.69~70、『日本庶民生活史料集成 第28巻 和漢三才図会』([寺島良安/著]三一書房 1980)p.545、「東遊雑記」(『日本庶民生活史料集成 第3巻』竹内利美/[ほか]編 三一書房 1969)p.529,p.538、「蝦夷談筆記」(『日本庶民生活史料 ...
天保14(1843)年に奈良を訪ねた旅行記に、図を見て、断り書き付きで、東大寺大仏と大仏殿の寸法が記されている。東大寺は、平重衡と松永久秀に焼き討ちされているが、現在の建物は宝永6(1709)年に再建されたものであり、当時の財政事情から東西はそれ以前の約6割ほどになっている。旅行記にある寸法はいつの時期のものか。(奈良県立図書情報館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/13 12:30:17)
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『奈良史料叢書2 庁中漫録4-6』のp.172によれば「朝野群載ニ曰、大仏殿ノ高サ十-五丈-六-尺、東西二‐十九-丈、南-北【中略】東西砌三-十二-丈七尺」とあります。朝野群載は、1116年成立とされていますので、平重衡が燃やした前の寸法です。これですと、旅行記にある寸法の3/5程度で、54m程度と、現在の寸法とほぼ同じです。松永久秀らが燃やした後の再建時の記録がやはり、庁中漫録に掲載されており、この翻刻(島津良子・坂東俊彦「玉井家藏『大仏再建記』解説および史料翻刻」2(『南都仏教』88、2006所収))は、「大仏殿再建案二百分之一正面図」を掲載しています。これによれば、「大仏堂 桁行弐拾八間六尺弐寸梁間弐拾五間四尺一寸」としており、52m程度です。すなわち、旅行記にある大仏殿の東西49間(89m)という数字は、平重 ...
江戸時代の庶民がアザラシをどう捉えていたのか。「縁起の良い魚」(万歳楽)ともてはやしたり畏れたりしたと聞いたが、当時の記録があれば、教えて欲しい。(市川市中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/13 12:25:33)
from レファレンス協同データベース (2024/12/13 12:25:33)
天保4(1833)年に尾張愛知郡熱田前新田の海で捕らえられたゴマフアザラシについての記録が複数ある。『彩色江戸博物学集成』(平凡社 1994)p.364,366に大窪昌章「海獣図」として、見世物として公開され、外国書によって同定し、体測体重、形態、生態の知見を付し、銅版画を作成した等の記載があるほか、同図の写が、国立国会図書館NDLギャラリー「描かれた動物・植物―江戸時代の博物誌―」https://ndlsearch.ndl.go.jp/gallery/nature/31(2024.11.21確認)に掲載されている。『動物奇想天外 江戸の動物百態』(内山淳一/著 青幻舎 2008)p.85には、「又兵衛新之田前新開ニ入込候海獣ノ記」がある。また、「〈天保四巳日記〉海(かい)獺(だつ)談話図会」が西尾市岩瀬文庫のWebサイトで閲覧でき、海獣を見ようと見物人が集まる様子など当時の雰囲気 ...
サンリオが発行していた雑誌『リリカ』について知りたい。創刊の経緯や漫画界からの評価、連載していた作家の一覧などが知りたい。(早稲田大学図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/13 12:24:18)
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雑誌『リリカ』で「連載していた作家の一覧」については、一般Webサイトで掲載されているものになるが、複数見つかった。「創刊の経緯」や「漫画界からの評価」については確認できなかった。「連載していた作家の一覧」について(一般Webサイト情報)私設図書館「高橋亮子 作品館」のホームページhttps://www.shiryoukan.org/libinfo/liblist/lyrica/「くだん書房」のホームページhttp://www.kudan.jp/EC/lylyca.html「少女漫画ラボラトリー【図書の家】」のホームページhttps://www.toshonoie.net/shisho/magazine/ririka.html確かな情報を得るためには、『りりか』現物を確認することをおすすめする。「明治大学 米沢嘉博記念図書館・現代マンガ図書館」にも所蔵されている様子。https://manga.meiji.jp/Opac/search.htm?s=5YS1vzZKPBLCwv2TA9pmYx067ib以下が、今回の調査内容。まず、『リリ ...
『ゼンリン住宅地図千葉県市川市 1』(ゼンリン 2023)p.54によると柏井町3丁目には大柏川にかかる「浜道橋」がある。『市川市字名集覧』(市川市教育委員会 1973)によると、柏井町3丁目91~104の字が「浜道」(p.29・図12)となる。『市川の道をたずねて』(市川博物館友の会歴史部会 2005)p.32~34に「浜道」(森亘男/[著])が掲載されており、『更級日記』の菅原(すがわら)孝標(たかすえ)の女(むすめ)が通ったという説や、平将門、源頼朝が通ったという伝説のほか、『成田参詣記』『葛飾誌略』から、日蓮上人が通ったとの説の紹介がある。菅原孝標の女については、『市川 市民読本』(改訂版 市川市教育委員会 1979)p.284、頼朝の伝説に関しては、『市川の伝承民話』(市川市教育委員会 1992)p.94~95にも記載あり。
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