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平成3年(1991年)度の湯田温泉周辺のホテル・旅館の分布について知りたい。その年の「タウンページ」や関係資料を所蔵しているか。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:34)
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当館では、「タウンページ」を含む電話帳は最新のもののみ所蔵しており、平成3年(1991年)の電話帳類は所蔵していない。なお、国立国会図書館では、1991年12月6日現在の「タウンページ」を所蔵している。(以下、インターネット情報の最終確認日は2024年11月14日)“国立国会図書館サーチ タウンページ 山口県山口市・防府市・萩市・長門市地方 1991年12月6日現在”(国立国会図書館) https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004300716なお、当館所蔵の旅行ガイド「るるぶ山口」の1991年発行分(下記資料1)に、「山口 宿泊大情報」の項があり、「平成3年1月末日現在」の宿泊施設の一覧がある。p55-56に「湯田温泉」として、ホテル・旅館類が24施設掲載されている。ここでは各施設の所在地は明示されていないが、料金、特徴が簡単に ...
(1)霜月は11月を意味する言葉として用いて良いか。(2)「令和5年霜月吉日」という日付に「澄み渡る秋空(もしくは秋晴れ)のもと」という言葉を添えたいが、霜月に秋は違和感があるとの指摘があった。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:33)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:33)
(1)広辞苑や国語辞典には「旧暦の11月の異称」と説明されている。『現代こよみ読み解き事典』(下記資料1)には、以下の説明あり。“旧暦一月は、季節的には新暦では一か月ずれて二月となるが、この和風月名はずれずに現在でも、睦月は一月、如月は二月となっており、季節感で一か月の差異があるので注意する必要がある。”(2)『現代こよみ読み解き事典』では、天文学、気候学、暦の上での四季の区分を以下のように記している。○天文学 秋 秋分-冬至前日(新暦9月23日頃~12月21日頃まで) 冬 冬至-春分前日(新暦12月22日頃~3月20日頃まで)○気候学 秋 新暦九~十一月 冬 新暦十二月~二月○旧暦・節切り(太陽太陰暦) 秋 立秋-立冬前日(新暦8月8日頃~11月6日頃) 冬 立冬-立春前日(新暦11月7日頃~2月3日頃)○旧暦・ ...
秋本武という人物の訃報が新聞に掲載されていないか、調べてほしい。同人物は、大正10年12月9日生まれで、小郡町長、防府市長(10代、S39~43)をつとめ、最終的には県議もつとめたようである。1980年代までは活動が終えるが、いつ亡くなったかはわからない。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:33)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:33)
下記資料1によると当該人物の没年月日は昭和60年2月28日。訃報は、山口新聞(昭和60年3月1日7面)と防日新聞(昭和60年3月5日1面)のものを確認した。山口新聞(資料2)の訃報によれば、亡くなった当時の肩書は、医療法人緑山会周南高原病院理事長とあり。防日新聞(資料3)の訃報によれば、亡くなった当時の肩書は、防府商業高等学校同窓会会長とあり。参考資料:1.中西輝磨 著. 昭和山口県人物誌. マツノ書店, 1990.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002080198, (p 48)参考資料:山口新聞 昭和6年3月1日, (p7)参考資料:防日新聞 昭和60年3月5日, (p1)
萩藩10代藩主の毛利斎熈の三男、毛利左近信順(のぶゆき)の略歴(特に、敬親が藩主になって以降)とその家臣、信順の子である喜久姫の離縁の理由、同じく信順の子で敬親の養子になった順明(のぶあきら)の略歴について知りたい。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:33)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:33)
毛利左近信順の略歴について、既に確認済みの『もりのしげり』に記載されたもの以外の情報として、以下がある。下記資料1『近世防長人名辞典 増補版』p250に、「学を好み詩歌を能くす」とある。この資料は、“国立国会図書館デジタルコレクション”に収録されている。(図書館・個人送信限定資料)吉田祥朔 著『近世防長人名辞典』,マツノ書店,1976.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12190803/1/133 (参照 2024-11-14)また、萩藩の幕末・明治期の歴史書である資料2『防長回天史 2 第2編』p79-80に、信順(左近君)死去の記事がある。その部分を引用すると以下のとおり。「(引用者注:安政2年)三月九日左近君卒す君は清徳公の第二子なり故に公常に之を待つ頗る厚し藩内に令し音曲を停止すること十日始め崇 ...
萩に関連した人物の菩提寺が掲載されている下記資料1『萩先賢忌辰録』に賀屋恭安の墓所に関する記載あり。p345には旧萩市瓦町にある「蓮池院」が菩提寺となっている人物が掲載されており、その中に「同(資料前述の人物より賀屋と読める) 恭安 敬」とあった。また、資料1には掲載者の「没年」、「行年」、「墓」、「事項」についても掲載されており、賀屋恭安の「墓」の項には「〇」とある。資料1p6によると、「○印は寺内に墓のあるもの」とあるため、賀屋恭安の墓所は「蓮池院」にあると思われる。田中助一 編『萩先賢忌辰録』,萩市仏教団,1970. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12214372 (参照 2024-11-14) p6,p345(14コマ,183コマ) 図書館個人送信限定資料参考資料:1.田中助一 編. 萩先賢忌辰録. 萩市仏教団, 19 ...
次の絵本を探している。今から8年以上前に、図書館に寄贈された絵本で、周南市又は下松市のサークルが発行したものと思われる。装丁は通常の絵本と同様。内容は、仲良しの鬼のうち、一人が旅に出てしまい、残された鬼が寂しく思っていたところ、旅に出た鬼から、大仏や鳥など様々なものを経由して手紙が届くというもの。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:33)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:33)
下記資料1『七夕』が該当すると思われる。この資料は、「下松手づくり絵本の会」が発行したもので、当館所蔵分は2013年に発行者から寄贈されたもの。内容は、ほぼ質問者が提示したとおりだが、送られたものは小包であり、中には「笹の葉の七夕飾り」が入っていて、友達のことを思いながら七夕を祝うものとなっている。資料1は、当館のほか、県内各地の図書館で所蔵している。(最終確認日2024年11月14日)“山口県内図書館横断検索 『七夕』の検索結果”(山口県立山口図書館)https://library.pref.yamaguchi.lg.jp/wo/cross/?title=七夕&publisher=下松参考資料:1.さわさちこ ぶん・え. 七夕. 下松手づくり絵本の会, 2012.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I024209252,
萩市大井の鵜山半島にある「ぐろ」と呼ばれる石垣について、参考文献を探している。特に山本博氏や國守進氏の論文や著作について知りたい。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:32)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:32)
萩市大井鵜山の石垣について、書かれた資料は以下のとおり。(インターネット情報の最終確認日は2024年11月14日)下記資料1『元寇飛沫の東端』九州山口地域の、元寇に関する遺跡や遺物についての論文で、p188-193に鵜山岬の東岸にある石積みを元寇の防塁と考察している。『山口県史 通史編 中世』p153の「関係論文に、大井鵜山岬東岸に元寇時に築造された石築地が残るとする先述の山本博「元寇飛沫の東端」がある。」という記述や、後述の資料2「長門国の元寇資料と遺蹟」p16の「大井鵜山岬東岸に、元寇時に構築された石築地が残ることを報告されたのは山本博氏であった。」という内容などから、鵜山の石垣を元寇の防塁とする説は、山本氏の論文が初出と思われるなお『萩市史 第2巻』にある「山本博によってすでに紹介された ...
『防長風土注進案 奥阿武宰判』の須佐村の項に、千家清主(俊信)の説として、「須佐」の地名は素戔嗚尊と関係があるとし、須佐の高山が「須佐之男の神山」に由来する、とある。また、『山口県史 上』に「須佐湾は昔から北海岸の良港で神代の昔がし(ママ)素鳴男の尊が朝鮮に往来された途次寄港せられ、その際は高山に御登りになつて四方を展望されたと言ふので高山を神山と呼び地方を須佐と稱するようになつた起源だと傳へられてゐる」とある。このことに関する出典を知りたい。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:32)
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下記資料1『防長風土注進案』須佐村の項(p393)に記載のある、千家清主(すがぬし 俊信(としざね)とも)が唱えたという、「須佐」の地名起源について、出典となる文献等は見当たらなかった。 “国立国会図書館サーチ”(国立国会図書館)でキーワード「千家俊信」「千家清主」の語で検索したが、千家の著作集のようなものは見当たらなかった。また、“国書データベース”(国文学研究資料館)にて、検索対象を著者、キーワードを「千家俊信」として検索し、千家の著作を調査したが、タイトルから、須佐に関する記述があると思われるものは見当たらなかった。千家の著作の多くは翻刻されていないもの思われ、網羅的な調査は困難。(インターネット情報の最終確認日は2024年11月14日。以下同じ。)“国書データベース 千 ...
祝島の神舞神事について、起源などの基本情報や、祭りに使う道具、事前準備、櫂伝馬船と呼ばれる先導船の踊り子の役割、祭り当日の流れがわかる資料、また、伊美別宮社(大分県)に関する資料や、神舞時に神職らが舞う神楽についての資料が知りたい。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:32)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 13:08:32)
祝島の神舞神事について、比較的詳細な資料として以下がある。下記資料1『周防祝島の神舞行事』昭和51年(1976年)に神舞行事が県指定無形文化財となった際に作成された神事の記録。神舞の由来や過去の記録、昭和51年時の神舞の概要(施設の図、飾りや供え物、全体の流れ、神楽の説明など)が記載されている。なお、巻末に、昭和51年時の神舞を撮影した記録映像(16ミリフィルム)が「山口放送KRYプロダクション」により作成されたとあるが、このフィルムについては、今年6月に別途調査した際は、所蔵先が見当たらなかった。資料2『上関町史』p771-829 第4章 祝島の神舞『周防祝島の神舞行事』の内容を抄録したもの。資料3『海を渡る祭』神舞行事を大分県側からの視点で調査記録したもの。伊美別宮社の行事についても記載 ...
武庫川に架かる国道2号の武庫大橋について調べたい。(尼崎市立歴史博物館 地域研究史料室 “あまがさきアーカイブズ”)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 12:31:38)
from レファレンス協同データベース (2024/11/29 12:31:38)
武庫大橋は、現在の尼崎市と西宮市の境界を流れる武庫川に架かる、国道2号の橋梁です。阪神国道(現国道2号)の敷設は、大正8年(1919)に兵庫県会で議決され、翌大正9年から工事が始まりました。自動車が増加するなか、道路幅がない旧国道(近世の中国街道)では交通に支障をきたすことから、旧国道とは別のルートを定めて、新たに軌道・車道・歩道に区分された幅員20mの道路を直線状に建設する計画で、今でいうバイパス道路として建設されたものです。大阪府域と兵庫県域を通る阪神国道には、多くの橋が架けられました。なかでも武庫大橋は全長200m余りと、兵庫県側では最も長い橋です。鹿島組(現鹿島)が施工し大正14年8月に着工、大正15年12月に竣工しました。設計者は、橋梁技術者として多くの橋の設計に携わった増田淳 ...
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