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2025年6月5日付けで、米国公共図書館協会(PLA)のPublic Libraries誌のオンライン補完版“Public Libraries Online”に、LGBTQIA+の健康とウェルビーイングを支援する情報をまとめた記事“Supporting LGBTQIA+ Health and Well-being: Reliable Resources”が掲載されています。 LGBTQIA+コミュニティの人は、長い間、スティグマや差別を受けるなど、身体的・精神的なウェルビーイングについて困難な状況に置かれていましたが、近年、特に一部の政府ウェブサイトから正確で包括的な健康情報が削除されたこともあり、健康格差が拡大する懸念があるとしています。このような中、図書館の役割が重要視されるとして、LGBTQIA+についての、またそのような人に向けた、信頼できる健康情報リソースのリストを掲載しています。 続きを読む
UK pledges £11.5bn of new state funding for Sizewell C nuclear plant
from UK homepage (2025/6/10 16:09:19)
from UK homepage (2025/6/10 16:09:19)
Latest money raises total taxpayer investment in power station site to £17.8bn
Vacancies fall and the number of people claiming jobless benefits rise
江戸時代後期に播州地方で活躍した医師「小林綱平」の略歴について教えて下さい。彼は「瘡科医談」(2巻本)の著者です。(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:51:22)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:51:22)
略歴を記載した資料は見つかりませんでしたが、小林綱平の名が記された下記のような資料があります。『村の歴史 通史編 香寺町史』香寺町史編集委員会/編 2011(p.344)には、文化11年(1814)1月、伊能忠敬の第八次測量隊の別隊が、溝口村の医師小林綱平宅に止宿したとの記述があります。また、それに関連して、『文献で読む溝口の歴史』鎌谷博善ほか/著 2017(p.321)には、次のような記述があります。〔補記 小林家について 西念寺境内墓地の入口北側に小林家の墓碑八基がある。この内の一基が医師小林綱平の墓碑であると云われている。現在の“大友電気水道設備”店のある場所(溝口1256-1)は、“小林屋敷”と呼ばれ、往時の生野街道沿いにあるので、伊能忠敬測量隊分隊一行はここに投宿したものと思われる。 また、『神崎 ...
次の本に関連の記述があります。① 『塩道と高瀬舟 陰陽交通路の発達と都市の構造変化』 富岡儀八/著 1973 古今書院 p.20~32に近畿西部の地域の塩の移送路について記述があります。② 『日本の塩道 その歴史地理学的研究』 富岡儀八/著 1978 古今書院 内容は①と重なっています。③ 『近世日本の塩』 広山堯道/著 1997 雄山閣出版 p.307~308に塩回送路の津居山・円山川・市川ルートについて記述があります。④ 『塩の道を探る』 富岡儀八/著 1983 岩波書店 p.103~104に関連記述があります。回答プロセス:まず、『姫路市史 第3巻 本編 近世1』 姫路市史編集専門委員会/編 1991 の3章6節にある塩の生産と流通についての部分をあたるが、市川・夢前川・揖保川の上流は明らかでないと書かれている。次に669の棚で③と④を見つける。③に参 ...
戦時中に今の姫路市立灘中学校の場所に陸軍の工場があり、今のJR御着駅からそこに専用の鉄道路線があったそうですが、それについて経緯、図面などわかる資料はありますか?(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
簡単な経緯および路線については、以下の資料に記載があります。図面は見つかりませんでした。・『松原郷土史シリーズ4 近・現代の松原』(1998年 寺脇弘光著 灘の松原自治会出版) P105「旧松原村地形変遷図④ 昭和22年」(昭和22年(1947年)の修正測量によって作られた地形図を略図化したもの)があり、線路導入の簡単な経緯の記載があります。・『歴史を刻む松原荘 姫路市白浜土地区画整理事業完工誌』(1979年 姫路市白浜土地区画整理組合) P146~147 「戦後間もないころの白浜地区」の地図と航空写真 地図上には鉄道路線の記載あり、航空写真では線路が確認できます。・『住宅案内図帳 姫路市的形四郷』(1961年 日本特殊地図協会) P1 地図上で、白浜(今の灘中学校付近)から御着駅までの路線あり。
造船の父と言われた、赤松則良の先祖について、教えて下さい。ウィキペディア の記載では、赤松義則の庶流の苗喬・則良とありますが、赤松家の本流ではない のでしょうか。また、 義則は名字帯刀を許されて、赤松になったそうですが、改名前はどのようだった のでしょうか。(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
「赤松則良の先祖」について回答いたします。『赤松則良半生談』 赤松則良/著 平凡社/出版 によりますとp.4 「出生から成人まで」赤松則良の父・吉沢雄之進は播磨国網干の商家・赤松泰助(良則)の長男に生まれ、江戸に出て、町奉行筒井伊賀守(政憲)の目安方・吉沢久之進(資隆)の娘婿となっています。その後、雄之進の後妻・ますを母として則良が次男として生まれます。則良が7歳の時、父方の祖父・赤松泰助と父・雄之進が協議の上、則良を赤松氏の後継としています。p.248 「関係人物略伝」則良の実祖父・赤松泰助については、播磨国網干にて干鰯問屋、船主、米穀・綿布の売買、回漕業を兼ね、竜野藩の廻米御用達を勤め、苗字帯刀を許されるに及び祖先の赤松姓に復した。といった内容が記載されています。・赤松良 ...
戦時中に姫路市の仁寿山の北側で現在県立支援学校があるあたりに陸軍の弾薬庫(?)があり、終戦間際に爆撃をうけてかなりの大爆発があったらしいのですが、記録などありますか?(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
『きぎすの郷に生きて』(1987年 姫路市立四郷小学校) P78~80 昭和20年7月3日の姫路大空襲において爆撃された東阿保の火薬庫の記述があります。
明治初期、兵庫県姫路市付近に「宮置村」が存在したか。それは、いつ頃あったのかを知りたい。調べ方も。(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
調べ方としましては、地名辞典を調べていただければと思います。当館所蔵の『角川日本地名大辞典 28 兵庫県』で「宮置」を調べると、p.1449に記載があります。(以下抜粋)みやおき 宮置〈夢前町〉 夢前川中流域右岸に位置する。〔近代〕宮置村 明治9~22年の村名。飾西郡のうち。明治9年町村と中村が合併して成立。(中略)明治22年置塩村の大字となる。
姫路市大塩にあった塩田が廃止された後、土地利用や開発の計画としてどのようなものがあり、どのように計画は変化してきたか。(姫路市立城内図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/10 14:24:17)
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当館所蔵の資料をお調べしたところ、姫路市の都市計画として以下のものがあります。その中に少しずつですが、大塩についての記載が確認できました。①『姫路港振興計画策定にかかわる調査研究報告書 昭和58年1月』 姫路港振興策々定委員会/編 1983年 姫路港振興策々定委員会/出版 p.14 姫路港の現況 (6)白浜地区②『姫路の都市計画 [平成5年版]』 姫路市都市局計画部都市計画課/編集 1993年 姫路市都市局計画部都市計画課/出版 p.42 Ⅸ都市づくり 3.港湾整備③『姫路の都市計画 [平成8年版]』 姫路市都市局計画部都市計画課/編集 1996年 姫路市都市局計画部都市計画課/出版 p.46 Ⅸ都市づくり 3.港湾整備④『姫路市都市計画マスタープラン』 姫路市都市局計画部都市計画課/編 2006年 姫路市都市局計画部都市計画 ...
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