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六本木の地名の由来には様々な説がある。『角川日本地名大辞典 東京都』p.761に、松の大木が6本あったことからつけられた、とある。『港区近代沿革図集 麻布・六本木』p304-306に、以下の説が記載されている。「上杉・朽木・高木・青木・片桐・一柳等諸侯の下屋敷・中屋敷が6軒まで集まっているので、6軒の苗字にちなんで六本木とした」、「江戸六方の男伊達が住んでいたことから、六方気というべきを、誤って六本木と呼んだ」(『十方庵遊歴雑記』より)。また、「老樹が6本あったので、飯倉六本木町と称した」(『東京案内』より)、「松の巨木6本あった為」(『府内備考』より)ともある。『麻布區史』p.190に、麻布にあった武家屋敷の一覧表がある。p.191青木 p.194上杉 p.199片桐 p.200朽木 p.205高木 p.212一柳があるが、上記 ...
『戦災の跡をたずねて』に、焼かれて炭化した樹木の写真(一部カラー)、住所が載っており、港区のものは以下のとおり。カラー口絵、p.31-33 赤坂氷川神社の大イチョウp.40-45 善福寺の逆公孫樹 旧細川邸のシイ 芝東照宮の公孫樹 芝公園内の焼かれたイチョウ 東京プリンスホテルわきのムクの木『樹』には、以下の木について大きなカラー写真、イラスト地図が載っている。p.22-25 善福寺の逆さイチョウ 旧細川邸のシイノキ『港区文化財のしおり 令和2年1月』に、2019年の様子について記述がある。解説、カラー写真、住所も載っている。p.40に、芝東照宮のイチョウについて「1641年(中略)、三代将軍家光が植えたものといわれ」「高さ約25.5m、目通り(地上1.5mの高さ)幹の周囲6.45m」「都指定・天然記念物」とある。p.71に、旧細川邸の ...
『増上寺旧境内地区歴史的建造物等調査報告書』p.18によると、五重塔は寛永9年二代将軍秀忠の死後、造立された。p.24に、1806(文化3)年焼失し、同6年に再建とある。p.74-75に、1828(嘉永元)年に修復されたとある。p.75,121に写真がある。『東京市史稿 市街篇第34』p.51に、1806(文化3)年焼失し、同6年に再建とある。『東京市史稿 遊園篇第7』p.121-123に、1891(明治24)年に五重塔修繕のときに、塔内の仏像を増上寺へ遷したとある。写真もある。『港区の文化財 第3集 増上寺とその周辺』p.5,7,8に絵図がある。p.43に、昭和20年5月24,25日に空襲で灰燼となったとある。『歌川広重 名所江戸百景』p.156に「増上寺塔赤羽根」の絵がある。(2020年1月更新)参考資料:増上寺旧境内地区歴史的建造物等調査報告書伊坂 道子/編著境内研究事務局, ( ...
『徳川慶喜のすべて』p.260-266に、徳川慶喜系図がある。p.264に、「精(くわし)(明治21年生。勝海舟の養子となる)」と記載がある。『日本の肖像 第3巻』p.40に、「末っ子(十男)精(くわし)」「勝海舟の養子として伯爵となった 夫人は海舟の孫伊代子(小鹿の長女)」とあり、幼少期の写真が掲載されている。p.39に、明治30年代撮影の写真も掲載されている。p.44に、徳川慶喜家系図があり「精(くわし)(明治21~昭和7 勝安芳養子)」と記載がある。『人物レファレンス事典 明治・大正・昭和 編3 あ〜す』p.584に、「勝精(かつ くわし) 明治21(1888)年~?,明治~昭和初期の華族。伯爵、徳川慶喜の十男」と記載がある。「索引対象とした事典」として記載されている『 請願人名辞典』p.208に、「徳川慶喜の十男で、明治32年(1899)1 ...
港区ゆかりの人物の一人、芸妓「万龍」(まんりゅう)が在籍していた置屋「春本」の、当時と現在の住所を知りたい。(港区立三田図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/14 0:30:12)
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港区公式ホームページ「港区ゆかりの人物データベース」によると、「美人芸妓として名を馳せた万龍は、赤坂花街の置屋「春本」の養女になった」とある。(参考資料『幕末・明治美人帖』p.157、『図説・明治の群像296』)。『東京名所図会 赤坂区・麻布区之部』p.39「赤坂田町三丁目」の項に「芸妓屋春本」とある。また『新修港区史』p.527-529に「女太閤とあだ名された春本の女将秀吉が万龍を雇って」との記事がある。朝日新聞記事データベース[聞蔵Ⅱ]1907年(明治40)12月22日朝刊p.7に、春本の女将である「秀吉(ひできち)の財産は50万円以上で溜池及び田町の地面の大部分は同家の所有」とある。インターネット検索〈春本〉〈秀吉〉の結果、[都立図書館TOKYOアーカイブ]の豊原国周(くにちか)の浮世絵に「赤坂 春本秀吉 ...
『新修港区史』p.489に「虎ノ門には読売新聞創刊の記念碑が建てられているが、洋学者の子安峻(たかし)らが読売新聞を創刊したのは、明治7年11月2日で、その場所は、当時虎門外琴平町1番の旧武家長屋であった」とあり、読売新聞創刊の碑であることがわかる。『港区の今昔』p.236-237に、「読売新聞創刊の碑(千代田区霞ヶ関3-8-1)港区教育委員会建設」「1974年(昭和49)読売新聞の創業100年を記念して建てられた碑」とある。『歴史散歩みなと』p.62に、カラー写真と「虎ノ門1-2 (千代田区霞ヶ関3-8)(区文化財標示板)」とある。『港区文化財のしおり』p.13に、「虎ノ門1-2(千代田区霞ヶ関3-8) 文化財標示板(昭和49・1)」とある。カラー写真、付録の地図もある。『読売新聞百年史』p.103-104に、『記念碑、本社「創刊の地」』の記 ...
明暦の大火は1657年。『増上寺旧境内地区歴史的建造物等調査報告書』p.19に、「増上寺内でも学寮94宇、坊中15院、恭敬院が類焼した」とある。P.24に「火災とのたたかい・類焼しなかった増上寺御霊屋」の項目がある。P.39に「大規模火災時には、坊中も幕府から援助をうけている例が多い」とある。注釈に「類焼記録より:明暦3酉年正月19日、丸山本妙寺出火、山内焼失学寮94宇坊中15院外に恭敬院、この時銀150貫目を官より賜う」とある。『明暦の大火』p.120によると、増上寺に火が入って、所化寮の110余の寺院、表の東門、芝神明の本社・神楽堂・護摩堂などを炎上させた。p.131に、「幕府は寺社奉行を増上寺に派遣して、大火犠牲者の法要を営むことを命じ、その費用として300両を下賜した。(中略)2月26日から増上寺の貴屋は100人の ...
新橋―横浜間の鉄道を建設する際に、陸地でない場所を埋め立てて石垣を築いたことについて書かれたものはあるか。(港区立三田図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/14 0:30:11)
from レファレンス協同データベース (2025/3/14 0:30:11)
『鉄道考古学事始・新橋停車』p.28に高輪の築堤工事の写真があり、築堤は品川の八ツ山や御殿山を切り崩した土砂で埋め立て、堤の石垣用石材は高輪海岸の石垣や第七台場の石垣などを流用したとある。『日本の鉄道創世記』p.78に、海の築城に利用された石垣は沿岸から最も遠方にあった七番の未完成台場を切り崩すところから始められ、付近の八ツ山、御殿山の土砂、幕府が築いた東海道の石垣などが運び込まれたとある。これでも足りなくて伊豆など遠方からも調達しているとある。『日本鉄道創設史話』p.282‐302に切通し工事を請負った平野弥太郎の手記がある。p.289に、芝浦より品川まで馬ぶみ12尺の土手を築き、海面の表面は上等の角石にて、石垣、裏面の方は間知石、亀腹石垣になる目論見とある。『日本鉄道事始め』p.77-98に ...
『港区近代沿革図集 麻布・六本木』p.10,32によると、有栖川宮記念公園の場所は、1862年(文久2)の地図では「南部美濃守下屋敷」となっている。この場所の調査をした『陸奥盛岡藩南部家屋敷跡遺跡発掘調査概要報告書』p.3に「南部家は、明暦2年(1656)、築地に拝領していた中屋敷と、当時の笠間城主浅野長直の下屋敷になっていた本遺跡地とを交換した」とある(『東京市史稿』による)。『東京市史稿 市街篇第6』p.1096-1097に、南部家所有の築地中屋敷と、浅野内匠頭長直所有の麻布一本松下屋敷とを交換とある。『古板江戸図集成 第1巻』「正保年間江戸絵図 正保元年(1644)」p.133に、浅野内匠下屋敷があり、有栖川宮記念公園の場所と思われる。『江戸の坂東京の坂』p.133-138「二つの南部坂と浅野屋敷」の項で、正保元年江戸絵図 ...
猫塚の所在地は、港区三田1-4。『港区史 上巻』p.406に、原史時代の遺跡として「芝赤羽町(都立三田高校内猫塚-オセンチ山)、円墳、専門家は指摘も確認もしていない」とある。『港区の文化財 第7集 三田と芝』p.58-60に、猫騒動の概要と共に赤羽小学校内の猫塚の写真がある。『都心部の遺跡』p.125に、猫塚(オセンチ山)、遺存良好などの記載があり、p.173には地図がある。『御家騒動 江戸ばなし 第11冊』p.267-290に、「有馬の猫騒動」の項があり、演劇や講談にも脚色されることが多かった久留米藩の有馬家で起こった猫騒動について詳しい。『港区近代沿革図集』p.190に、「有馬家上屋敷で非業の死をとげた奥女中の飼い猫が、飼い主の恨みをはらすべく化け猫となり、関係者につぎつぎとたたりを及ぼしていくが、最後は江 ...
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