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浜松町駅にある世界貿易センタービルが建つ前には、都営バスの駐車場があったと聞いた。当時の写真や資料が見たい。(港区立三田図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/14 0:30:17)
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『増補港区近代沿革図集 新橋・愛宕・虎ノ門・芝公園・芝大門・浜松町・海岸』p.84に世界貿易センタービル(浜松町2-4-1)が載っており、p.67の1937年(昭和12)の地図では「バス車庫」とある。p.96の1924年(大正10)の地図では「東京市電気局電車車庫」となっている。『東京市電気局三十年史』p.519によると、明治中期、当時の芝区浜松町に東京馬車鉄道株式会社が駐車場と修理場を設置した。1903年(明治36)に東京電車鉄道株式会社となって敷地を拡張し、電車修理工場となった。その後、東京鉄道株式会社と改称し、1911年(明治44)に東京市に買収され、電気局浜松町工場となった。p.307-308によると、電気局は関東大震災後に乗合自動車事業を開始した。p.314「乗合自動車事業概要(昭和4年4月現在)」に、出張所・車庫として「浜松町、 ...
高輪築堤が描かれた錦絵が載っている資料には、次のようなものがある。港区立郷土歴史館特別展図録『人物でみる日本の鉄道開業』の、p.17-48「第2章 鉄道建設と高輪築堤」に、高輪築堤について詳しい記載があり、錦絵も載っている。p.35「東京写真八景 高輪海岸の月夜」歌川広重(三代)明治11(1878)年、「写真名所一覧 高なわ蒸気車往返之図」歌川国政(四代)明治5(1872)年頃p.36「東京名所 芝浦鹿嶋神社景」歌川広重(三代)明治9(1876)年p.38「東京品川海辺蒸気車鉄道之真景」歌川広重(三代)明治5-6(1782-1873)年「第4章 鉄道錦絵の世界」「第2節 高輪海岸」p.80-83に、築堤の錦絵と絵師の解説がある。「東京名勝高縄鉄道之図」歌川広重(三代)明治4(1871)年「東京高輪真景蒸気車鉄道之図」歌川広重(三代)明治6(1873)年「 ...
東京タワーについて計画から完成までの経緯について知りたい。また、「東京タワー」の名称の由来を知りたい。(港区立三田図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/14 0:30:17)
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『東京タワー10年のあゆみ』p.1に、1958年(昭和33)12月23日、日本の技術、国産の材料による世界一の自立鉄塔「東京タワー」が完成したとある。p.45-46に、「東京タワーの公共的役割」について記載がある。また、放送・通信アンテナ等の詳細図がある。p.74-75に、建設の経緯について記載がある。p.78-82に、建設当時の写真(白黒)の記載がある。p.102に、「日本電波塔株式会社」設立から塔体完成までの年表がある。『東京タワーの20年』p.64-71に、建設当時の記録についてと建設当時の写真(白黒)の記載がある。p.71に、1958年(昭和33)10月9日に、搭の愛称の審査委員会が開かれ「東京タワー」に決定したとある。p.100に、「日本電波塔株式会社」設立から塔体完成までの年表がある。『東京タワー物語』p.11-16「マンモス・テレビ塔誕生」に ...
『ミッドタウン・タワー超高層ビル248mへの道』p.30に「東京ミッドタウンの前は防衛庁、江戸時代は大名屋敷だった」の項があり、p.30-34に2007年(平成19)3月30日東京都港区赤坂に開業した大規模な複合施設「東京ミッドタウン」が出現した経緯についての記載がある。それによると、江戸時代に長州藩毛利家の江戸屋敷がおかれていたこの土地は、明治期には陸軍の駐屯地(軍事基地)となり、1945年(昭和20)に太平洋戦争が終わると、アメリカ軍の施設となった。その後、日本に返還され、1960年(昭和35)防衛庁本庁舎ができた。2000年(平成12)防衛庁が新宿区市谷へ移転すると、隣接していた港区檜町公園を合わせて再開発されることとなった、とある。同様の記述が『東京ミッドタウン』p.112「サイト・ヒストリー 土地の変遷 -江戸、 ...
『東京都戦災誌』p.541「第3項 区画整理事業」の「復興土地区画整理区域一覧表」に、港区・芝・麻布・赤坂の焼失面積と土地区画整理区域面積坪などの記述がある。「東京都の対策」p.543-546の記述のうち、p.543に「第1次事業として、駅前広場、繁華街を中心に11ヶ所約161万坪を指定した」とあり、第1地区の麻布森之町・狸穴町の記載がある。「第3節 戦災地復旧対策 第4項 復興計画」p.547-552のうち、p.548に放射街路として第1路線 赤坂田町、第3路線 白金台町、第22路線麻布箪笥町、環状街路として第2路線 新橋、第3路線 芝海岸通、第4路線芝高輪南町霞町などの記述がある。「第5節 都施設の復興」p.558-571のうち、「第1項 河川橋梁関係の復旧」p.558に「河岸堤防復旧工事個所限表」があり、河川名古川、都市区名芝の工種・工費額などの記 ...
笄町の場所と笄川や笄橋の由来などについて、下記の『笄町ってどこ?』からその概要がわかる。『笄町ってどこ?』冊子表紙絵「江戸の花名勝会 五番組 河原崎権十郎・竜川笄橋貞世の関・竜土」国立国会図書館蔵。作者は二代目広重。内容は、笄橋の由来にかかる伝説で、平将門が源経基を攻めた際に、敗走する経基軍は将門方の興世王が設けた竜川(笄川)の関所を太刀の笄を渡して無事通過したという筋立であることが記載されている。「笄川」に、親川・龍川(竜川)とも呼ばれる笄川は、郡上藩青山大膳邸内の蛇ケ池(南青山2丁目・青山墓地)の流水・清水を水源とし、青山北町の下水排水が霞町で合流して町域の中央を南下して天現寺橋で古川(渋谷川)に入っていくとある。今では根津美術館内の池と有栖川宮記念公園内 ...
サイパン島がアメリカに占領された1944年(昭和19)7月以降、日本本土がボーイングB29爆撃機の行動範囲に入り、同年11月24日に80機が東京の町々に初めて爆弾・焼夷弾を落とした。それ以降、1945年(昭和20)8月15日まで、東京は100回に近い空襲をうけ40万発以上の爆弾と焼夷弾をあびたが、その内港区内に直接的被害を与えた空襲の様子については主に『港区史 下』p.855-856、および『東京都戦災誌』に詳しい。『港区史 下』p.854-874「戦災」に、主に『東京都戦災誌』(昭和28年東京都編)を基にした区内戦災のあとの記載がある。p.863に被災面積について記載がある。芝区・麻布区・赤坂区の区域面積・罹災面積・比率があり、「芝区は他区にくらべれば罹災比率が低かったが、麻布区・赤坂区は70%以上を焼いてしまった」とある。p.864-865「 ...
『東京江戸案内』p.38「西郷・勝会見の地碑」によると、1868年(慶応4)3月15日の江戸城総攻撃の前日である3月14日に、官軍参謀の西郷隆盛と幕臣勝海舟が江戸城を無血開城するために会談したのが薩摩蔵屋敷とある。会談が成功し、江戸を戦火から救うことができた記念の碑として、その写真と住所(港区芝5-33)の掲載がある。勝海舟と西郷隆盛の会見に至るまでの歴史的、社会的背景については、『港区の文化財 第7集 (三田と芝 -その1-)』p.49-55「江戸開城談判の地」に詳しい。会談の場所については諸説あるとしているが、p.54に、「3月13日の会見は高輪の薩摩屋敷で行い、翌14日の会見を田町の蔵屋敷で行ったと考えることが一般的」とある。その他の資料として、『江戸東京学事典』p.933-934「幕末の三事件」に、江戸開城に関する ...
『港区指定文化財』p.25に増上寺梵鐘の写真、p.26に鐘銘の記載がある。『浄土宗大本山 増上寺』p.16に、鐘楼堂と梵鐘についての記述がある。鐘楼堂は1633年(寛永10)の建立だが、現在のものは戦後に再建されたもの。鐘楼堂におさめられている梵鐘は、あまりの大きさに7回の鋳造を経て1673年(延宝1)に完成した東日本で最大級の大梵鐘、とある。また、『大本山増上寺史 本文編』p.689に、「上野寛永寺、浅草浅草寺と並んで江戸三大梵鐘の一つに数えられ、その音色は遠く木更津まで聞こえたと伝えられている」との記述がある。鐘の大きさについては、『増上寺史』p.53に、「長さ1丈、口指渡そとのり5尺8寸。口の厚さ6寸5分。蓮花座廻り1丈8尺3寸。蓮花指渡9寸6分。4千貫。」とある。『港区文化財のしおり』p.35「増上寺梵鐘」に、「高 ...
汐留にあった仙台藩邸について、江戸時代の様子がわかる資料は、次のようなものがある。『江戸の武家屋敷』p.11-27「大名屋敷の外観・風景 仙台藩伊達家上屋敷から」に、以下の記述がある。仙台藩伊達家はおよそ62万石の外様大名で、現在の港区東新橋一丁目に上屋敷を所有した。この地は1641年(寛永18)下屋敷として拝領し、1676年(延宝4)から明治維新後に収公されるまで上屋敷として存続した。同邸跡は、隣接する龍野藩脇坂家上屋敷跡(北側)・会津藩松平家中屋敷跡(南側)と合わせ、「汐留遺跡」として発掘調査が行われた。p.12-22 表門模型、屋敷に使用された瓦等の写真、絵図面多数p.23-27 江戸詰め家臣に関する記述、文書の写真、菩提寺である東禅寺の図面『江戸の大名屋敷』p.93-127「仙台藩伊達家芝屋敷の形成と変遷」に ...
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