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【浅野川大橋の火の見櫓について】 浅野川大橋のたもと(橋場町側)に建てられた火の見櫓の写真(明治頃)が掲載された資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:19)
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『石川写真百年・追想の図譜』(1979年)(11901030)、『金沢のいまむかし』(国書刊行会、1991年)(119768764)、『写真集明治大正昭和金沢 ふるさとの想い出』(国書刊行会、1978年)(109152230)に掲載なし。「火の見櫓」で検索したところ、以下の文献に掲載あり。『金沢市文化財紀要 146 金沢の共同井戸・洗い場・火の見櫓』(金沢市教育委員会、1998年)(119622222)p.68「写真4 浅野川大橋西詰にあった火の見櫓 明治6年(1873)撮影 今井一良氏 提供」『市史かなざわ 第1号』(1995年)(119496771)に以下の論文あり。「浅野川大橋橋畔の火の見櫓」今井一良/著
『日本大百科全書 20』(11093899)p.832~833記載あり。昔は、人工的な噴水は発達していなかった。兼六園の噴水は稀な例である。『岩波日本庭園辞典』(112497427)p.264記載あり。石神遺跡庭園遺構出土の須弥山石や石人像、飛鳥京跡苑池遺構の石造物など、飛鳥時代(7世紀)に作られたものが知られる。江戸時代のものとしては兼六園に、園内の霞ヶ池を水源として文久元年(1861年)に作られた噴水があり、飛鳥時代のものを除けば、これが現存する日本最古の噴水である。『兼六園の今昔』(119640089)p.139~141記載あり。日本公園緑地協会、佐藤昌名誉会長からの指摘で兼六園の噴水より古いものが偕楽園にあったといわれた。『加賀百万石と江戸芸術』(118372902)p.68、163~164記載あり。
【ゼームス・マルドックについて】 第四高等学校に教師として在籍していたゼームス・マルドックという人物について書かれた文献が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:18)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:18)
『第四高等学校同窓会会員名簿』(第四高等学校同窓会、1948年)(11825832)p.11「ゼームス・ムルドック 教師 明27.8-同31.1」国会図書館サーチで「ムルドック」と検索したところ、『国史大辞典』に立項されていることが判明した。『国史大辞典 13』(吉川弘文館、1992年)p.1「マードック James Murdoch 1856-1921 イギリスの日本研究家。(後略)」「ジェームス・マードック」「James Murdoch」で再検索したところ、以下の文献を見つけた。『内と外からの夏目漱石』平川祐弘/著(河出書房新社、2012年)(113264789)『漱石の師マードック先生』同(講談社、1984年)
【大野庄用水について】 大野庄用水の起源について書かれた本はないか(同用水を開削したとされる富永佐太郎という人物について知りたい)。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:18)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:18)
『金沢用水散歩』笹倉信行/著(十月社、1995年)(111638496)p.130に「大野庄用水が、何時、どうやって開削されたかは明確ではない。天正年間(1573-91年)、利長の家臣富永佐太郎によって完成したと伝えられているだけである。」と記述されている。出典は明記されていない。『稿本金沢市史 市街篇第1』(金沢市役所、1916年)p.121に「大野庄用水は嘗て大野用水といひ、旧名を大野瀬木と称へたり」とある。また、同p.122に「大野庄用水の一名御荷川は、又鬼川の仮字を用ひたり、御荷川の名は金沢城修造の時、所用の材木を此川より引上したるに因れり」とある。「金沢城修造の時」は寛永8年(『越登賀三州志』石川県図書館協会、1933年、p.443)としている。『金沢古蹟志 第6編』(金沢文化協会、1934年)巻16 p.33に「大野瀬木 五枚町の町尻と伝馬町の入 ...
【可児徳について】 明治から昭和期にかけて活躍した可児徳という人物の経歴等が書いてある本を探してほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:18)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:18)
利用者から以下の資料について情報提供あり。『日本遊戯の解説』可児徳/ほか著(広文堂書店、1922年)・・・当館に所蔵なし。当館所蔵著書に以下の資料あり。『理論実際競技と遊戯』可児徳/ほか著(中文館書店、1919年)(129423527)石川県立図書館に以下の資料あり。『小学校器械体操書』可児徳/著(三省堂)『小学校女子行進運動』坪井玄道・可児徳/著(大日本図書)『小学校遊戯の理論及実際』可児徳/共著(宝文館)『体操発達史』カール・オイレル/著(大日本図書)『鉄棒体操』坪井玄道・可児徳/編(大日本図書)その他、国会図書館等に体操・遊戯関連の多数の著作あり。『官報』第1829号(大正7年9月6日)p.103「叙任及辞令」に「東京高等師範学校教授 可児徳」とあり。国立国会図書館サーチ「ドッジボール」(日本大百科全書、ただし当館所 ...
『日本のうた 第3集』(118383970)に両方とも記載あり。「逢いたかったぜ」岡晴夫、五木ひろしP240,241「浪曲子守歌」一節太郎 P436,437 玉川に貸出できるものがなかったので泉野をご案内した。
『たべもの日本史総覧』(111518326)『日本料理行事・仕来り大事典』(112585548)『年中行事大辞典』(112898088)ほか何冊かの事典にあたったが総じて次のように記載されていた。○もち(餅)もち米を蒸して臼などでついたもの。餅の語源は、腹にもたれるという意味の「持飯」、携帯に便利な「携飯」から来たとする説、丸い形が望月(満月)に似ているからという説などがある。餅は、古くから神事の供え物、正月や節句など祝の行事で用いられてきた。丸い餅は、古来、心、魂、生命の象徴とみなされ、正月に神に供える餅はその生命、魂の具現化されたものと考えられていた。○雑煮餅に種々の具をあしらった汁物。大晦日に神棚に供えた供物(野菜や魚介類)を元旦に下げ、一つの鍋に煮込んで食べたのが雑煮のはじまりという。「雑」には、いろ ...
【芳斉町の福念寺、英田光済寺の由来と所在地について】 芳斉町の福念寺、英田光済寺の由来と江戸時代の所在地を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:17)
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・『金沢市史 資料編18 絵図・地図』(119308443)の別刷7「金沢城下図」(延宝年間)、『金沢・北陸の城下町 城下町古地図散歩 1』(118339309)p.14に記載を確認した。両寺ともに六枚町専光寺近辺にあり。福念寺は専光寺の左隣、光済寺は英町の通り沿いに「廣斎寺」と記されている。・『加越能寺社由来 上』(118355330)p.534、『金沢古蹟志 第10編』巻26 p.26「英田光済寺跡」にて縁起等を確認し、紹介した。
『加賀藩八家』金沢市観光協会/編(金沢市観光協会、1971年)(11916504)p.6「文久初め幕末の八家(年寄中)」・・・家紋の名前の記載あり。家紋の絵はなし。・前田土佐守直信:木瓜ノ内梅鉢・奥村河内守栄通:丸ノ内九枚笹・本多播磨守政均:丸ノ内立菱・長大隅守連恭:銭九曜・横山三左衛門隆平:丸ノ内万字・前田弾番孝敬:角ノ内梅鉢・村井又兵衛長在:丸ノ内上羽蝶・奥村内膳直温:丸ノ内九枚笹『月刊北國アクタス 1990年1月号』p.36「加賀八家 8人の男たちの「平成」」・・・加賀八家の配置図に家紋あり。『加賀藩八家墳墓史』八木士郎/編(1993年)(119458805)p.149「加賀八家の定紋」・・・加賀八家の家紋の絵(侍帳のコピー)と説明あり。
『原色陶器大辞典』加藤唐九郎/編(淡交社、1972年)(11823174)「わくらやき(和倉焼)石川県鹿島郡和倉(七尾市和倉町)の産。1898年(明治31年)同地の有志が計画して石川県能美郡八幡(小松市八幡)の陶工瀬川新次を迎え和倉陶器会社を創立し、温泉土産の雑陶をつくったが2,3年で廃した。(松本佐太郎)」『定本 九谷』松本佐太郎/著(宝雲舎、1940年)(119565420)p.314「和倉焼 明治31年能美郡八幡の松原新次は松本佐平の紹介を以て七尾市の樋爪譲太郎氏等後援の下に能登和倉温泉に和倉焼を創めたが2,3年にして廃陶した。」「北国新聞」2003年11月19日(水)朝刊p.19「幻の和倉焼、気軽に拝見 湯の街散策の魅力アップ 21日から地元商店街で無料ギャラリー」・・・「和倉焼は1898(明治31)年の七尾―金沢間の鉄道開通を機に地元の海運業樋爪穣太郎をスポンサーに ...
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