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【明治期の法令について】 新貨条例、国立銀行条例、貨幣法のテキスト化された全文を探している。公開されている情報があれば、URLや、テキスト情報を教えてほしい。なければ、活字化されている資料(貸し出しの可否)を教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:08)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:08)
新貨条例(明治4年12月19日太政官布告第658号) 『法令全書 明治4年』 国立国会図書館デジタルコレクション 【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/787951/1/149 (2024年1月29日最終閲覧)国立銀行条例(明治5年11月15日太政官布告第349号) 『法令全書 明治5年』 国立国会図書館デジタルコレクション 【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/787952/1/200 (2024年1月29日最終閲覧)貨幣法(明治30年3月29日法律第16号) 『法令全書 明治30年』 国立国会図書館デジタルコレクション 【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/788003/1/21 (2024年1月29日最終閲覧)上記のうち、『法令全書 明治5年』は玉川図書館に所蔵あり。明治期の法令は以下のサイトで検索できる。日本法令索引〔明治前期編〕【URL】https://dajokan.ndl.go.jp/#/ (2024年1月29日最終閲覧)日本法令索引【URL】https://hourei.ndl.go.jp/#/ (2024年1月29日最終閲覧)
『能登半島の昭和』(118563038)p.126-131「輪島の朝市・夕市」『昭和花あり嵐あり』(118487624)p.152「新鮮な海の幸が並ぶ輪島の朝市」『能登半島今昔写真帖』(118480928)p.35「露店が並ぶ朝市通り」『20世紀の照像』(118388161)p.230「輪島の朝市」『目で見る能登半島の100年』(118333216)p.4「輪島の朝市」p.101「賑わう朝市」『追憶の構図』(11824305)p.114「朝市での立ち話」p.231-235「朝市夕市」〇追記上記の質問に加え、輪島町の絵図をお求めになった。跡見学園女子大学機関リポジトリ『【特集 災害】津波資料として読み解く「輪島町絵図」-津波の記録と記憶をめぐって-』【URL】https://atomi.repo.nii.ac.jp/records/1092(2024年2月14日最終閲覧)この記事の中で『能登輪島住吉神社文書目録』(119451170)に「輪島町絵図」の写真が掲載されており、輪島町絵図の ...
・キングストン体制について説明された資料小野朝男著『国際通貨体制』(129355033)p.249~『北國新聞縮刷版 No118』(119899603)※当時の報道記事が確認できる。玉川図書館2階参考資料室での閲覧のみ可能である。・キングストン合意の内容IMF eLibrary"IMF Annual Report 1976"【URL】https://www.elibrary.imf.org/display/book/9781616351885/9781616351885.xml (2024/2/1最終閲覧)※国連の公用語である英語での記述である。pdf版においてはp.122より記載されている。『北國新聞縮刷版 No118』(119899603)p.278「IMF暫定委コミュニケ詳報」(昭和51年1月10日朝刊6面)※日本語訳(簡約)である。玉川図書館2階参考資料室での閲覧のみ可能である。・キングストン体制に関する条文外務省ホームページ「国際通貨基金協定の第二次改正」【URL】https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pd ...
【寛政年間の地震について】 寛政年間にあった地震被害で内灘町の北部(大根布、宮坂、西荒屋、室など)の当時の被害状況を記した史料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:08)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:08)
○インターネットで閲覧できるもの『加賀藩史料 第10編』 (11801636)p.880-902 寛政11年5月26日「金沢に強震あり」近世編年データベース【URL】https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w33/detail/A0092647 (2024年2月3日最終閲覧)『石川県史 第2編』(118587380)p.298-303国立国会デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9536969/1/194 (2024年2月3日最終閲覧)○インターネットで閲覧できないもの『北國文華 2007年夏 第32号』(179054655)p.66-68「寛政金沢地震」『北國文華 2016年夏 第68号』(179097296)p.159-167「「寛政の金沢地震」は第一級史料」
【佐々成政の家紋について】 佐々成政の家紋について知りたい。また、金沢城の鼠多門に佐々成正の家紋がつけられているが、その詳細について知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:08)
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『金沢城』(11827104)p.81に、鼠多門について「これはもと佐々成政の城の門であったが、天正の戦いの頃、分捕した楼門だと伝えられ、その破風に佐々の定紋である桔梗の紋を付けてあった」とある。この資料を利用者自身で調べられた上で、上記質問事項の申し出があった。〇家紋に関する資料『イチから知りたい!家紋と名字』(113481940)p.79に「信長に仕えた武将たち」として、佐々成政の家紋とされる「七つ割れ隅立て四つ目」が紹介されている。『家紋で読み解く日本の歴史』(112532240)p.166-169に「輝く「太閤桐」」と題し、秀吉に対抗をつづけた男として佐々成政を挙げている。家紋に関しては「佐々氏は宇多源氏の佐々木氏の末流が上総の佐々庄に住んで地名を名字にした。子孫が尾張に移って織田氏に仕えた。家紋は佐々氏の子孫が ...
企業物価指数(卸売物価指数、東京卸売物価指数)が掲載されている資料等については、国立国会図書館提供調べ方ページ「リサーチ・ナビ」内の調べ方案内「過去の貨幣価値の調べ方」(https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/business/post_102809)(2024/1/18最終閲覧)が詳しい。上記ページに記載されている資料で金沢市図書館が所蔵している資料は以下のとおり。『完結昭和国勢総覧第2巻』(118282108)(p.443~掲載)玉川図書館2F参考資料室及び泉野図書館1F参考資料室所蔵『日本長期統計総覧第4巻』(11099354)(p.330~掲載)玉川図書館2F参考資料室及び泉野図書館1F参考資料室所蔵『明治以降卸売物価指数統計』(410003750)(p.24~掲載)泉野図書館1F参考資料室所蔵
【古紙幣について】 メール添付画像の古い紙幣に書かれている文言の内容、支配人名などを知りたい。また、紙幣や国債について書かれた書籍はあるか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
『日本貨幣カタログ 2024』(114094807)p.210によると、添付画像は、明治6年8月20日~明治32年12月9日発行の旧国立銀行紙幣10円である。文言については、『紙幣肖像の近現代史』(113519449)(植村峻/著)p.74に以下のとおり書かれている。「表面上部には、「此紙幣の引当として日本政府の公債証書を東京大蔵省の出納寮に預候也」、下部には「此紙幣を持参の人えは何時たりとも壱円相渡可申候也」と支払文言が印刷されている。」※「壱円」という金額部分は各札の金額に読み替える。頭取名・支配人名については、『三井銀行八十年史』(129823556) p.535にて、添付画像と同じ十五銀行発行の20円券の大きな画像があり、「頭取 毛利元徳」「支配人 中村清行」と書かれていることが確認できる。紙幣や国債について書かれた書籍は、上記『紙幣 ...
【珠洲の米蔵について】 江戸時代、加賀藩の米蔵(御蔵所)が能登(現在の珠洲市付近)に存在していたか。もし存在していればその管理は誰が担っていたか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
『加越能近世史研究必携』(113226643)p.177、『加賀藩史料 第4編』(11801627)p.539、『加賀藩農政史考』(118546645)p.403、『加賀藩農政史の研究 上』(118546369)p.209によると、珠洲郡の鵜飼には収納蔵が1つあった。『珠洲市史 第6巻』(11903807)p.174に「当市域での御蔵は、飯田(三)・蛸島(二)・鵜飼・正院・大谷・鵜島に、町蔵は飯田に設けられ、御蔵の管理のためには、その付近に蔵番がおかれた」と記載されている。『宝立の今昔』(11909588)p.15に「藩直領の年貢米を収納する倉庫を、「御蔵」といったが、宝立では鵜飼と鵜島に設けられ、管理のために、その付近に蔵番がおかれたといわれている」と記載されている。年貢収納に関わる役人に関して、『加賀藩農政史の研究 上』(118546369)p.289に「所口町奉行の支配下に、所口・輪島・飯田・中居など、能登 ...
1)大桑あさんがやし質問者より江戸時代頃の盆踊りであるとの情報あり。館内検索でキーワード「大桑 あさんがやし」と検索すると下記の資料がヒットした。『加能民俗研究 第44号』(109174442)p.51-58に「大桑あさんがやし」と題して、地区の概要、伝承地、実施期日・場所、由来・伝承、芸態、歌詞、道具・衣装、類似の芸能、組織、民俗的な評価と問題点、参考資料が掲載されている。上記資料に載っていた参考資料について何冊か内容を確認すると「大桑あさんがやし」についての記載が見つかった。『金沢市文化財紀要 51 金沢市口頭伝承調査報告書』(11823683)p.65-68 あさんがやしについて、大桑や長坂など地域ごとに異なる歌詞や伝承について記載がある。『石川県の民謡 民謡緊急調査報告書』(11910150)p.118 「あさん返し」の項目 ...
【明治初年の金沢の人口動態について】 明治初年に石川県の県庁所在地が金沢から美川に移された際、金沢の人口が減少したはずだが、その具体的な数字が記された資料が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:07)
『石川県史 第4編』(118587405)p.86-87「現住人口累年比較」に明治16年(1883)以降の金沢の人口の推移が掲載されている(明治16年106,659人)。『金沢市史 通史編3』(119958310)p.29「表10 廃藩置県直後の金沢町と士族」によると、明治4年(1871)の金沢町の人口は123,453人、うち士族は52,992人である。p.42によると、明治24年(1891)の金沢の士族の人口は11,249人である(家族は含まれない)。『石川県の歴史』(118558628)p.189によると、明治4年の金沢の人口は123,363人、うち武士は61,659人である。『石川歴史館』(118377936)p.340「主要都市の人口変遷」によると、明治9年の金沢の人口は97,654人、明治26年(1893)の金沢の人口は91,531人である。『伝統都市の空間論・金沢』(118412454)p.75「藩政期金沢の家数・人口」によると、明治4年(1871)の金沢の人口は123,363人である。『稿本金沢市史 ...
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