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【石川県内の国分寺について】 国分寺は聖武天皇の時代に全国に配されたようだが、石川県における現在地が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:10)
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(1)小松市古府(こぶ)町 承和8年(841年)加賀国分寺が指定された。(2)七尾市古府(ふるこ) 承和10年(843年)能登国分寺が指定された。(1)(2)ともに『加賀・能登 歴史の窓』(118432439)p.224~229「加賀・能登国分寺研究の課題」に記載あり。(2)『新修七尾市史 1 考古』(119759157)p.367及び『七尾市能登国分寺跡古府・国分遺跡』(109257652)p.6に遺跡の位置図が収録されている。
【石川県における仏教の伝統について】 石川県での白山信仰の高まり、一向一揆の百姓の持ちたる国の実現、明治末年頃の石川舜台・暁烏敏等の仏教革新運動等の熱い仏教精神の伝統はなぜ生まれたのか。その風土は現在も続いているのか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:10)
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●白山信仰について『石川県史 第1編』(118587370)p.214-233に「第一節 白山の隆盛」、p.234-245に「第二節 白山衆徒の嗷訴」と題して記述あり。『白山比咩神社史 古代・中世篇』(118583916)『白山の歴史』(118428187)『白山信仰と加賀』(11917258)『白山信仰』(11824903)●一向一揆について『図説石川県の歴史』(11826578)p.131-136に「一向一揆・惣国の世界」と題して記述あり。『石川県史 第1編』(118587370)p.344-524に「第十章 一向一揆」と題して記述あり。『加賀一向一揆 鳥越城とともに終焉』(118635629)p.18-21に「4 加賀一向一揆の始まり」と題して記述あり。『本願寺・一向一揆の研究』(11823564)p.66-116に「一 加賀一向一揆の展開 -内部構造の変質を中心に-」と題して記述あり。『一向一揆百年史 「百姓ノ持チタル国」五百年記念』(11825671)p.52-56に「(二) 文明 ...
【渤海との交流について】 8世紀から9世紀にかけて渤海国と日本との間に17回の交流があったと言われるが、その交流が日本や石川県にもたらした影響について知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:10)
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●官号の改易『加賀・能登歴史の窓』(112200286)p.44、『国史大辞典 5』(11063657)p.223-224遣渤海使の項目に、仲麻呂政権による官号の改易は渤海にならったという内容が記載されている。●宣明暦に改暦『加賀・能登歴史の窓』(112200286)p.49、『日本渤海交渉史』(111546447)p.130、『日本と渤海の古代史』(112543600)p.75-85に、烏孝慎らによって宣明暦がもたらされたという内容が記載されている。●漢詩『加賀・能登歴史の窓』(112200286)p.47-48、『日本渤海交渉史』(111546447)p.27、p.83、p.114-115、p.135、p.139-141、p.143、『古代日本と北の海みち』(113752622)p.125-126、p.131-132、『天平の渤海交流』(113068393)p.119、p.155に漢詩やその交歓に関する内容が記載されている。●渤海語『日本渤海交渉史』(111546447)p.111、『渤海国交流の謎を探る』(1 ...
【輪島まだらの発祥や伝達について】 輪島まだらについて、佐賀県の馬渡島が発祥とされている論文があるが、その根拠がしりたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:10)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:10)
<質問者の事前調査事項>・能登のまだら - 北前船データベース(kitamae-bune-db.com)https://kitamae-bune-db.com/db/notonomadara/(最終閲覧日:2024-3-13)・石川県輪島崎における古民謡「まだら」の伝承についてhttp://hist-geo.jp/img/archive/165_025.pdf(最終閲覧日:2024-3-13)佐賀県の馬渡島が発祥とされると書かれている。「能登のまだら」のHPに記載の参考資料を確認するとともに、蔵書検索のキーワード検索にて「輪島まだら」と入力して検索、また国立国会デジタルコレクションにて「輪島まだら 馬渡島」とキーワード検索して調査をすすめた。輪島まだらについて記載のある資料はいくつか見つかったが、伝承についてはっきりと書かれているものはなかった。『こども石川県史』(119873376)p.219「七尾まだら」の説明で、「「まだら」というのは、インド ...
【近代の石川県の物流について】 9世紀あたりまで、日本の表玄関は日本海側であり、明治初期の北前船の活躍する時代まで物流の中心は日本海側であったが、以降陸路、鉄路、航路の発達で全く変わってしまった。その過去の優位なる条件を生かすために北陸の人々はどんな努力をしたのか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:10)
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『敦賀・日本海から琵琶湖へ』(112797002)p.93-112に、明治の鉄道開通による物流への影響についての論稿「北陸線の敷設と金沢市経済の変容」あり。その中のp.107-108、「(4)鉄道開通の影響」に産業・物流・汽船会社や北前船主への影響について書かれている。『北前船・近代の航跡』(109262581)p.7-14に、二代目平出喜三郎(1876~1931)について、北前船衰退後の事業経営について書かれている。母船式サケマス沖取漁業に取り組み、挫折したが、後の基礎を築いた。『海の富豪の資本主義』(113041738)p.257-272に、明治四十三(1910)年前以降の熊田屋・熊田源五郎家の北前船経営の困難克服のための様々な方策(不動産含む多角経営)について記載。『北前船の近代史』(118632000)p.145-161に、明治中期に北前船主が巨大汽船会社への対抗として、汽船を導入したこと ...
『金沢古蹟志 第7編』(119865937)巻20 p.10「松月寺桜」に該当の漢詩の全文が返り点つきで掲載されている。出典は鳩巣文集前篇巻四と記されている(活字史料なし)。『寺町台地の史跡と文化財』(119806121)p.35「松月寺」、『ふるさときらめき館』(118536738)p.133「松月寺の桜」に室鳩巣の漢詩への言及がある。解説はなし。『石川県史 第5編」(118587414)口絵p.44「松月寺老桜」に室鳩巣の漢詩への言及がある。室鳩巣が金沢にいたのは元禄10年(1697)から正徳元年(1711)までと記載されている。『金沢大学国語国文』第45~47号に畑中栄氏が室鳩巣の漢詩の解説を掲載している。(45号(109285700)46号(109285719)47号(109285728))47号p.31-34に「昌興日記に見る鳩巣詩」の一覧が掲載されているが、松月寺の桜に関するものは見当たらなかった。
「加賀毛」「毛針」で資料検索したところ、以下の資料が見つかった。『金沢市文化財紀要 74 金沢の諸職』(11921425)p.31-32「加賀毛鉤」に概要及び工程が記載されている。『石川県の伝統工芸品産業』(11930353)p.79-86「加賀竿・加賀針」に歴史・現状・特徴などが記載されている。 『金沢の伝統工芸』(119923736)p.40に加賀毛針の概要と目細八郎兵衛商店の紹介が掲載されている。『石川郷土史学会々誌 第54号』(109338741)「鮎毛バリ釣り-独自な方法で鮎の生態を観察した鮎毛バリデザイナー村田歳久の弟子桶川他気雄の考察-」『石川郷土史学会々誌 第51号』(109261762)「加賀藩平士二千石も鮎毛バリ釣り、鮎網漁をしていたのか」上記資料で翻刻・紹介されている「鮎針書上」は玉川図書館近世史料館郷土資料(090-1219-139)に収録されている。加賀毛 ...
【リンカーンの演説について】 リンカーン大統領が1865年に上院で語った次の発言について、全文が知りたい。「政府は自らの購買力と消費者の購買力を満たすのに必要なすべての通貨と信用をつくり、発行し、流通させなければならない。(中略)貨幣は人類の主人であるのをやめ、下僕となるだろう。」(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:09)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:09)
『リンカーン演説集』(119860162)に「貨幣は人類の主人であるのをやめ」の記載なし。p.118-119にリンカーンの財政策・貨幣観がわかる一文として「現在諸君に慫慂したいことは、この争いを短期間に終らせるために、法律上の手段を諸君が供与されること、すなわちこの事業のために諸君が、少なくとも四十万の兵力と四億ドルとを政府の支配下に置かれることである。(中略)六億ドルの負債は、国民一人当りにすれば、われわれがあの独立戦争を切り抜けて来た時の革命の負債額よりも少額である。それに現在わが国の貨幣価値は当時の価値に比べて、人口増加の割合よりもずっと大きな割合で増加している。(中略)今の時において正しい結果を収めることは、それは将来には世界にとって十倍の人と十倍の金よりももっと価値のあるものとな ...
【戦前の金沢市北町周辺の土地利用について】 明治、大正、昭和戦前あたりに金沢市北町周辺の土地がどのような用途で使われていたか。地図や記録があれば見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:09)
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『角川日本地名大辞典 17』(118552562)p.312に北は、「明治22年~昭和18年の戸板村の大字名。」とある。またp.597に戸板村は、「明治22年~昭和18年の石川郡の自治体名。大豆田・二口・北・若宮出・二ツ屋・二口六丁・薬師堂・若宮・渕上・桜田・示野・示野中・北広岡・南広岡・長田・西念新保16か村と中村(字向中)・増泉村(字向増泉)の各一部が合併して成立。」とある。『二万分一地形図』(明治43年陸地測量部発行)より、果園と田が広がっているのが確認できる。『戸板村史』(118414323)p.350に「古來戸板村は(中略)主として水稲栽培に精魂を傾注し、(中略)他面戸板村獨特の梨園經營者も漸次增加の一途を辿り、加賀梨の本場として世評嘖々、村民又栽培技術の研究に専念し經濟的生活面の充足と相俟つて梨園の面積は逐年擴 ...
【仏蘭西語伝習所について】 幕末期に横浜にできた仏蘭西語伝習所に加賀出身の人物がいたかどうか確認したい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:09)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:09)
『幕末教育史の研究 1(直轄学校政策)』p.676-723「仏国語学伝習所(仏学所)」に同所での修学者の名前が掲載されている(主に幕臣)。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/12036652/1/362 (図書館送信、2024年3月19日最終閲覧)『幕末教育史の研究 2 (諸術伝習政策)』p.43-78「横浜表のフランス語伝習」に同所での修学者の名前が掲載されている(主に幕臣)。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/12042347/1/30 (図書館送信、2024年3月19日最終閲覧)同上書p.38-39によると、松平加賀守家来黒川誠庵以下9名及び同家来岡田平之進以下9名が「英学等」修行のため横浜語学所開所まで横浜の石橋助十郎方へ入塾したいと願い出て、許可されている。
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