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【佐野鼎への褒賞について】 佐野鼎が天狗党の乱の対応をした際に前田斉泰から金一封をもらっている。その文書があれば見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:04)
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・『佐野鼎と共立学校―開成の黎明―』(119754259)の「佐野鼎年譜」p.30より、「慶応元年 7月、天狗党の乱鎮圧の功により、白銀三枚等を拝領」とある。・『石川縣史 第貳編』(118587380)のp.902に、「慶喜加賀藩の將を賞す」とあるが上記の記述は見つけられなかった。・『軍艦発機丸と加賀藩の俊傑たち』(109212178)のp.100に,「元治元年(1864)7月初旬に壮猶館砲術稽古方惣棟取役を拝命し、この年の暮に鉄砲隊を率いて越前敦賀に出向き、加賀藩に投降した水戸の武田耕雲斎を主将とする天狗党の人々を護送する役目を担い、その功により白銀を拝受した」とある。・『万延元年訪米日記』(11903719)所収「佐野鼎小伝」、『北陸史学 創刊号』(119561996)「万延訪米の加賀藩士佐野鼎について」に天狗党の乱鎮圧の功による白銀拝受の記載なし。・国立国 ...
【石川県の神道の成り立ちについて】 石川県および、北陸地方の神道の成り立ちについて調べている。古事記、日本書紀、風土記、縄文時代などに関連した、神道の文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:04)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:04)
ご自身で『石川県神社神道史』(118466606)をお持ちになり、上記についてご質問された。原始から古代の年代を中心に、該当地域の神道、宗教、信仰等について調査した。〇原始、古代『図説石川県の歴史』(11826578)p.58-60「チカモリ遺跡の巨大柱列の謎」『ふるさと石川歴史館』(118377936)p.34-35「縄文人と呪術 土製や石製、多彩な呪具 謎が多い縄文儀礼」p.46-49「特集記事 古鏡の世界」p.94-95「神階叙位と加賀・能登の神々 『一宮』の社格を得た 白山比咩神社と気多大社」p.98-99「ビジュアル特集 白山禅頂と仏神の世界」『白山信仰の源流 泰澄の生涯と古代仏教』(118373140)p.8-24「第一章 山岳信仰」『古代王権と交流 3』(118353157)p.361-387「古代北陸の宗教文化と交流」『越の万葉集』(119788195)p.345-374「古代北陸の宗教的諸相-越中を中心として-」『石川 ...
国立国会図書館サーチで検索し、類似のレファレンス事例を見つけた。「東京の銭湯経営者には富山県出身の人が多いがなぜか」(富山市立図書館)この中に『銭湯の謎』と『絵でみるニッポンの銭湯文化』が紹介されていた。『銭湯の謎』(112181064)p.182-183「銭湯と北陸の知られざる関係」に、東京や関西の銭湯に北陸出身者が多い理由が考察されている。『絵でみるニッポン銭湯文化』(310520085)p.52に「銭湯人のルーツ 加賀・能登」という文章が掲載されている。インターネット検索で以下の記事が見つかった。「東京の銭湯経営者に「北陸出身が多い」説は本当か」【URL】https://urbanlife.tokyo/post/56838/ (2023年10月18日最終閲覧)この中で北國新聞2002年10月8日付記事より、「石川県出身の銭湯経営者は大坂で六割、京都で八割を占め、関東でも新潟 ...
【大坂の梵鐘について】 『大阪市史 第5』p.13-28に収録されている「大阪三郷町中御取立承傳記」に「摂州大坂町中鐘」の「鐘銘」が掲載されている。この中に書かれている「藤原家次」について解説した資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:04)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:04)
「摂州大坂町中鐘」の「鐘銘」は『大阪市史 第5』(129073732)p.25-26に原文が、p.26-27に解説文が掲載されている。藤原家次についてはp.26、p.27に「冶工藤原家次」と書かれており、鋳物師(金工職人)と思われる。p.18、p.28に「鋳物師宗左衛門」の記載があり、この人物の先祖がこの鐘を鋳造したと主張していることが書かれている。レファレンス協同データベースに「大坂町中時報鐘」についての事例あり。「大坂の町に時を知らせた「大坂町中時報鐘」について、鐘が鋳造された由来などのエピソードが知りたい。」(大阪府立中之島図書館)(2023年8月30日 最終閲覧)【URL】https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000279690この中で紹介されている『日本の梵鐘』(113696603)p.213に、藤原家次は大坂の鋳物師、堀(堀野)家の初現の人で、大阪府庁舎の屋上 ...
【式子内親王の和歌の解釈について】 新古今和歌集に掲載の和歌について・式子内親王 の読みは「ショクシナイシンノウ」でよいか。・山深み春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水 という和歌の、「松の戸」の解釈を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:04)
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○『式子内親王』奥野陽子/著 ミネルヴァ書房 2018.6(113660262)p.8-10 名について によると、ショクシ、シキシ、ノリコの3通りの読みがあるが、歌人としての式子の古来の言いならわしは「ショクシ」である。○『新古今和歌集全注釈 1』久保田淳/著 角川学芸出版 2011.10(113265534)p.47-48に、この和歌の解釈が掲載されている。歌意 山が深いので春が訪れたともわからない庵の松の戸に、とぎれとぎれに懸かる玉のような雪解の水。○松の戸 松で作った山家の戸。「松の枝を集めて作った粗末な戸」「松の枝折戸で庵のさま。「松」と「待つ」と掛詞」など、種々の解釈が記載されている。
質問者ご自身で『大日本職業別明細図 金沢市』(118633900)の閲覧をご希望になり、加藤商店の位置を確認された。同資料の裏面には「砂糖 粉類店」として、「加藤常次郎商店」と店名が記載されている。安江町とその周辺地域の写真を中心に調査した。加えて「加藤商店」の広告や引札、「加藤常次郎」に関する資料を調査した。○安江町及び周辺地域の写真が掲載された資料『わが町・金沢安江町』(109280070)のp.61-124に「安江町追憶のアルバム」として写真等が掲載されている。うちp.61-70には「町の姿」と題して、安江町通りや市電等の写真がある。p.71-76では「町の記念」として、「日露戦争の凱旋紀念・1906年(明治39)」や「御大典奉祝記念・1915年(大正4)」等の写真がある。p.77-93では「町の商事」として、番付表や商店引札が掲載されてい ...
【金沢駅東広場整備について】 鼓門が平成17(2005)年3月に完成し、供用を開始した。完成に至るまでの経緯を知りたい。1 市民へのアンケート調査は行われたか。2 東広場整備に関する市民の新聞投書はあるか。3 金沢にはさまざまな伝統モチーフがあるが、なぜ鼓が選ばれたのか。4 懇話会にてどのような意見が出ていたか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:03)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:03)
北國新聞データベースを中心に検索を行った。キーワード 東広場、懇話会、委員会、シティゲート、鼓門、地鳴り(投書欄の名称) など 1,2について、アンケート調査や市民の投書は発見できなかった。・北國新聞朝刊 1994/09/30 24面 「広く市民の声を」市民の声を聞く場を設けることで合意したとの記述あり。・同 1994/10/08 25面 24日、市民フォーラムで市民の声を聞く との記述あり。・同 1994/10/24 21面 城下町風か未来志向型か、2つの意見が交錯 との記述あり。・同 1995/03/23 25面 広場には歴史と現代を結ぶシンボルとなる木製の門が建てられる との記述あり。・同 1997/06/20 30面 「シティゲート」加賀宝生の鼓イメージ との記述あり。他、以下の資料を提供。『金沢駅東広場工事記録誌』(119884763) 金沢市都市整備部駅周辺整備課 金沢市 ...
【金沢の料亭「山乃尾(山の尾)」について】 卯辰山にある料亭「山乃尾」は、創業者の太田多吉が昭和初期に手放し、現在は経営者が変わっているが、その経緯を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:03)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:03)
石川県立図書館の検索サイト SHOSHO(https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/)でキーワード「山乃尾」で検索。以下の新聞記事がヒット。記事名 庭に聴く 北陸名園の四季 山乃尾・明治の料亭庭園(金沢市) 時の流れ見守る掲載紙 北陸中日新聞:朝刊 掲載日 1993-12-26 掲載ページ 17当館所蔵のマイクロフィルムで当該記事を参照。「明治二十三年に料亭「山乃尾」が開店。大正時代まで続く。この時、北大路魯山人が滞在した。その後、私邸となり、現在の店主本谷一弥さんの父弥太郎さんが昭和十九年に別荘として購入。同二十五年に料亭旅館「山乃尾」として再出発した。」と記載あり。『紳士縉商北陸商工業名鑑』(大正5年)p.51「料理、仕出し」の項目に「太田多吉」の名があり、住所は八幡町十九、二〇合併と記されている。国立国会図書 ...
【金沢市公会堂の跡地利用について】 金沢市公会堂の始まりは諸書に記載があるが、終わりについては詳しく書かれていない。金沢市公会堂がいつまで使用され、いつからボーリング場になったのか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:03)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:03)
『金沢市詳細図 昭和38年版』(118407249)p.57では、金沢市公会堂跡地に「森田屋内アイスパレス建設用地」と記載されている。『金沢市詳細図 昭和39年度版』(118407258)p.67では、同地に「永宝ビル建設中」と記載されている。『金沢市住宅明細図 67』(118407472)p.87では、同地に「永宝ビル 1階スターレーン」などと記載されている。『金沢の百年 大正・昭和編』(109215652)によると、昭和35年9月まで公会堂の使用が確認できる。『金沢市史 現代篇 下』(119562680)p.1102に「昭和三十八年以降、ボーリング場が長町と西町に出現した」と記載されている。『金沢市史 現代篇 上』(119562670)p.366に「(公会堂は)昭和三十七、観光会館が建設されると、同年五月取りこわされた」と記載されている。『金沢の百年 大正・昭和編』(109215652)p.481、昭和40年3月2日条に「西 ...
【観音町の町家について】 観音町通り(金沢市観音町1丁目~3丁目)の江戸期の建物について、建物は平屋で、2階建ては許されなかったという考え方の根拠となる文献を教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:03)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:34:03)
○観音町の建築規制について『金沢古蹟志 第12編』(119865982)巻32p.1-2「観音町」、『石川県の地名』(118287258)p.437-438「観音町」、『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)p.307-308「観音町」に2階建を規制する内容は記載されていなかった。金沢の町家の2階建規制に関する文献を探した。○金澤町家の建築規制について『金沢の町家』(11822617)p.35に「(元禄期金沢の町家は)中二階をもつ町家が多くみられる」「二階に寝間のようなプライベートな室をとっていたのではないだろうか」、p.54に「(1800年代の金沢の町家について)板葺き石置屋根の中二階建、本二階建が多く、二階正面には格子窓を入れ」、p.91-92に「藩政期の武家住宅や農家は一般に平屋建であった(中略)しかし、町家になるとたいてい二階建となる」、p.140に「藩政期には町家の高さ ...
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