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質問者からの情報提供によると、戦前(明治~大正頃)にあったのではないかとのこと。『タウンページ 石川県のと版』p.239によると、平成27年現在、七尾市内には1件の牧場が存在している(七尾市湯川町)。以下の文献を探索したが、御料牧場に関する記載は見つからなかった。『新修七尾市史 10 産業編』(119973193)p.291 牛馬組合村を掲載『石川県史 第4編』(118412276)p.985-1000「畜産業」
【土佐派について】 ① 土佐光芳の略歴が知りたい(光敬と同一人物かどうかを確認したい)。② 土佐光貞筆とされる「三佛斉白象朝貢図」を見たい。③ 土佐派の系図を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
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①土佐光芳の略歴『大日本書画名家大鑑 伝記 上編』(118492642)p.616「光芳 〔画〕土佐光芳、光祐の男、正五位下大蔵大允たり、絵所預となる、元文三年大嘗会悠記主基の御屏風をゑがく、後、剃髪して常覚と号す、明和九年八月廿九日卒す、年七十三」『評伝 日本書画名家辞典』(11822975)p.646「土佐光芳(後略)」『東アジア文化交渉研究 第7号』「近世の土佐派と復古大和絵-「復古大和絵」の定義の問題」 日並 彩乃/著 p.148に光芳の略歴あり。関西大学学術リポジトリ【URL】http://hdl.handle.net/10112/8274② 三佛斉白象朝貢図『美術品所蔵レファレンス事典 日本絵画篇(古代~中世)』(113531158)p.332、『日本美術作品レファレンス事典 第2期絵画篇』(112726762)p.958「土佐光貞」に同名の作品なし。日並前掲論文p.151に挿図2として土佐光貞《粟に鶉図》が掲 ...
【「風俗画報」投稿者について】 「風俗画報」によく投稿していた人物がどういう人か知りたい。①池田かげろう(太郎) ②竹内南山人(外喜男) ③五峰庵 ④辰川芳翠(鑛作) ⑤丸谷きの字(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
石川県立図書館ホームページ:石川県関係人物文献検索【URL】http://www4.library.pref.ishikawa.lg.jp/ (調査2015.11.19)国立国会図書館サーチ【URL】http://iss.ndl.go.jp/?type=psrch上記にて、記載のある資料の内容調査を行う。①池田太郎 「風俗画報261号」(109136960)p47追悼記事に略歴あり。明治5年2月25日~明治35年9月。津幡出身。小学校教員④辰川鑛作「北陸の産業と温泉」(118273305)p205加賀友禅の巨匠。茶道宗和流宗匠「日本の茶家」(11056636)p44212代立川宗弘、本名鑛作 此松庵と号し中川除町に住む。書画の号は芳翠。昭和20年7月15日没(享年67歳)②③⑤の人物については、資料みつからず。
【那谷寺の薬師如来について】 那谷寺の薬師如来の厨子に蝶の家紋がつけられているが、どこの家紋か。また、その家と仏像との関係について詳しく知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
蝶の家紋であれば、加賀八家の村井家の可能性が第一に考えられる。『加賀藩八家墳墓史』(119458805)p.152によると、村井家の家紋は「丸に揚蝶紋」である。村井家と那谷寺との関係を調べるため、以下の文献を探したが、手がかりは見つからなかった。『那谷寺』(118404766)薬師如来に関する記載なし。『那谷寺誌』(180520272)「那谷寺什器明細表」の中に薬師如来なし。『新修小松市史 史料編9 寺社』(109111308)『加南地方史研究 第58号』(109131300)『同 第60号』(109175539)那谷寺文書(由来書、書状等)を収載するが、薬師如来に関する記載なし。『加賀市史料 4 大聖寺由緒帳』(11915873)p.283-293村井家由緒帳に薬師如来に関する記載なし。『小松市立博物館研究紀要 第7集』(109229756)p.1-35「那谷寺記録管見」清水藤九郎/著p.26「峯薬師如来 一尊 桂林院様御 ...
【斎藤三九郎について】 斎藤弥九郎の弟、斎藤三九郎について書かれた資料(とくに明治以降の足跡が書かれたもの)が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
石川県関係人物文献検索により、『金沢市教育史稿』に記載があることがわかった。『金沢市教育史稿』(118290979)p.497また『加能郷土辞彙』(改訂増補)p.351にも経歴が記載されている。幕末以降については、横山隆章(加賀八家の一人、通称三左衛門)の家臣となったが、故あって禁錮となり、廃藩置県に至り罪を許されたとある。近世史料館所蔵の「先祖由緒并一類附帳」に斎藤三九郎の履歴及び親族関係が記載されている。明治3年当時の居宅は、横山元家中の住む銀杏町(現在の桜町・暁町)にあった。三九郎には「寅男」という倅がいたと書かれているが、その後の詳細については確認できなかった。『氷見市立博物館年報 第25号』(119975080)p.110-119「斎藤弥九郎の弟・三九郎について」小谷超/著に、上記由緒帳の翻刻が掲載されている。また ...
【金沢市の寄附に関する条例について】 金沢市の寄附に関する条例(金沢市の寄附採納ではなく、金沢市内における一般人の寄附行為に関するもの)が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:37)
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質問者からの情報提供によると、条例の名称は「金沢市金銭物品等の寄附募集に関する条例」といい、最高裁判例に載っているとのこと。D1-Law(法情報総合データベース)で検索したところ、最高裁判例昭和40年(あ)第2483号に同条例の名称が掲載されていた。金沢市の例規検索で同名の条例はヒットせず。「金沢市建築基準条例」及び「金沢市特別用途地区建築条例」の附則において、同条例を改正する条例(平成4年3月27日条例第4号)が引用されている。『金沢市公報 平成4年1月~12月』(119412065)p.28に「金銭物品等の寄附募集に関する条例を改正する条例」が掲載されており、元の条例が昭和26年条例第41号であることがわかった。『金沢市公報 昭和25年1月~26年12月』(129695652)p.315-318に「金銭物品等の寄附募集に関する条例」が掲載されていた。
【暉天女について】 法華経の教典にのっていた、「暉天女」についてくわしく知りたい。(読みは、カガヤキ か ヒカリ か不明)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:37)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:37)
『仏説観普賢菩薩行法経 法華経』「顔色紅の如くにして、暉天女に過ぎたるあり。」の記載あり。(アマゾンの内容紹介より)【URL】http://www.amazon.co.jp/dp/B00E4WSVCO/『新国訳大蔵経 法華部2』(112959343)p.575「顔色紅輝にして、天女に過ぎたる有り。」との記載あり。書き下し文の解釈の違いと思われる。
『ふるさと人物伝』(118527452)p.382「長谷川準也」に、長谷川準也は1897年に私邸を兼六園に編入した際の疑惑で失脚したこと、長谷川邸跡は戦前期までさまざまな集会の会場となっていたこと、現在は梅林になっていることが記載されている。『金沢の百年 明治編』(市史年表) (119871415)p.10に「長谷川準也が広坂の上に自宅を構えて宅地内に各種の桑苗を植え桑園を研究、また宇治から茶実を取りよせて栽培した」とあるのが初見である(年月は不明)。この出典は『長谷川準也君』(11903081)「談叢」p.7「明治三年の頃広坂の高即ち今の兵器支廠の向の公園内俗に長谷川邸跡という処へ自宅を構へ」及びp.9「翁は後広坂の高の金澤神社の地続きに転居した」と思われる。『兼六園全史』p.20に「明治五年五月には、兼六園を期間を限定しないで広く開放 ...
・ヘルスセンター内のサニーランドの門『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(改編版)(118388152)p.229『石川富山昭和あのとき アルバム編』(118564625)p.156 閉園時の写真・ヘルスセンター開業『北国新聞縮刷版 平成17年11月号』(118469770)p.261 平成17年11月6日の21面・いしかわ動物園『いしかわ動物園10年のあゆみ』(109107510)p.4・ヘルスセンターのDVD『昭和モダンの金沢 加賀能登』(118563833) の付録DVD「成長から成熟へ 夢の国 金沢ヘルスセンター 昭和40年」
【義経の松について】 大野川の「みなと橋」のたもとにあった義経の松について詳細が知りたい(どこかに移設された、もう枯れていてない等)。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:37)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:37)
Googleマップのストリートビューで現在の状況を確認したところ、たしかに「義経の松(2代目)」という看板がかかっているのが確認できたが、松自体は存在しなかった。「義経の松」に関する記載として、『石川県石川郡誌』(「石川県石川郡自治協会」昭和2年刊の復刻) p.556に「神木。大野橋の東詰に一株の黒松あり、樹齢三百年を経たりといふ。其の地は当町日吉神社の境外地なるに因り、之を神木と称す。伝説に、源義経奥州に潜行する時、此の樹下に憩ひたりといへども、付会なるべし。藩主前田氏粟崎地方に鷹狩りの時、此の処に少憩し、船に乗りて発向したるが故に、手づから此の樹を植ゑて標となせりともいふ。」と説明されている。大野町公民館に問い合わせたところ、義経の松はヤマト醤油の方が維持管理をしてきたとのこと ...
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