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質問者からの情報提供によると、堀川町の辺りにあったが、大正年間に別の場所に移動したとのこと。『加能郷土辞彙』(初版)、『石川県の地名』(平凡社)、『角川日本地名大辞典17 石川県』などから、宗徳寺は堀川角場町にあったことが判った。堀川角場町は、『住居表示区域町名便覧』によると、現在の堀川町に該当する。『金沢・北陸の城下町』(119952792)・『城下町金沢の人々』(109168730)所収の絵図で探したが、町端のため掲載されていなかった。『金沢町絵図』p.177、久昌寺門前に「宗徳寺」あり。久昌寺門前は現在の堀川町に相当する(『石川県の地名』p.424)
【小川宗順斎について】 高岡で医師をしていた小川宗順斎(天保9-明治12)という人物について書かれた資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:28)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:28)
〇小川宗順斎について「先祖由緒并一類附帳」(『加越能文庫解説目録 上巻』収録)に「小川宗順斎」なし。『石川県史 第2編』収録の「侍帳」に「小川宗順斎」なし。『加賀藩組分侍帳』に「小川宗順斎」なし。『加能郷土辞彙』(改訂増補)p.992「小川玄徳」(御鍼医)、『石川県史資料 近世篇9 諸士系譜 2』「小川氏」(御鍼医)、いずれも「小川宗順斎」とは別系統か。『近世金沢の医療と医家』(113389694)に「小川宗順斎」なし。『金沢市史 資料編15 学芸』(119752058)p.451-456「近世金沢の医家資料」に小川姓は一家のみ(小川玄沢)。『石川郷土史学会々誌 第5号』(119552763)p.90-94「南疇小川孜成について」津田進三/著 小川(玄沢)家歴代の略伝を載せるが、「小川宗順斎」なし。以上から、前田家に仕官した形跡がなく、町医と思われる。〇小川宗四郎( ...
【金沢駅の写真について】 金沢駅の写真について、①創業時のものはないか。②建設中の鼓門を写したものはないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:28)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:28)
①創業時の金沢駅の写真について・『金沢市史 現代篇 上』p.703によると、金沢駅の創業は明治31年4月1日である。当日の北国新聞に写真なし。翌日は欠号となっている。・『[金沢駅]開業八十八周年記念』「沿革史」に「開業当時の金沢駅」「明治33年6月頃の金沢駅」の写真あり。・『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(改編版)(118388152)p.62「日露戦争ころの金沢駅・1905年(明治38)」、p.130「金沢駅・1932年(昭和7)」・『図説金沢の歴史』(109173982)p.128「日露戦争頃の金沢駅」・『金沢写真案内記』(119511466)巻頭写真「金沢停車場」(出版年の1909年頃か)、国立国会図書館デジタルコレクションにあり。・『写真集明治大正昭和金沢 ふるさとの想い出』(109152230)p.40に「金沢停車場」の写真(大正初期)あり。ただし、開設は明治31年8月と記載され ...
【金沢を「金陵」と呼ぶことについて】 原三渓の漢詩「遊金沢」に「加州藩祖金陵擬建業城・・・」とあるが、このことについて記された文献(出典)はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:28)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:28)
「金城霊澤碑銘并叙」津田鳳卿/撰(『金澤古蹟志 第四編』巻10 p.22)(『金城霊澤碑文解説』(11912390)p.1)に「先公比之金陵建業城」とあるのが出典と思われる。津田鳳卿は金沢の漢学者(『加能郷土辞彙』(初版)p.551)。ただし、富田景周は『越登賀三州志』p.433で「凡そ輓近人々奇を好むより、我が加賀州中の地名に至りても、加賀を賀蘭州、金澤を金陵、犀川を犀浦、粟崎を金粟堆、医王山を育王山等書く類多し。新井白石文集其余諸名家文集にも往々見ゆ。是唐山の地名と似たるを以て、其の号の雅訓なるを剽襲するは甚だ謂れなきこと也」と述べ、金沢を「金陵」と表記することにはいわれ(歴史的根拠)がないとする。その他、『金澤古蹟志』における「金陵」の使用例は以下のとおり。・『金澤古蹟志 第三編』巻7 p.21「金陵韓夢鶴道人」(金 ...
【原三渓の漢詩について】 原三渓の漢詩「遊金沢」のうち、①「玉山」に該当する山が金沢近辺にあるか。②「北辰」に該当する地名があるか。③「越南」はどの地域を指すか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:28)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:28)
利用者からの情報提供によると、原三渓の漢詩「遊白山」の全文は以下の通り。「玉山遙掛北辰雄/建業城開煙樹中/春色暁連越南動/金陵四月萬花紅」題の注記に「遊白山 加州藩祖金陵擬建業城・・・」とあり、藩祖前田利家が金沢城を作ったことが記されている。作成時期は大正末年頃とのこと。①玉山について地名辞典によれば、石川県内に「玉山」という地名はない。『日本国語大辞典 第4巻』(第2版)(112260417)によると、玉山には「①珠玉を産出する山。②玉のように美しい山。雪の積もった山などをいう。」の二つの意味がある。ここでは②の意味で白山を指すと仮定し、白山に関する文献を調査した。「玉山」と表記した文献は見つからなかった。ただし、『文学にあらわれた白山』亀原収一/著(119550535)に「橘南谿も、白山はた ...
【石川県民の歌(テイチク版)の作詞者について】 石川県が制定した「石川県民の歌」の前にテイチクから出された「石川県民の歌」の作詞者、信原俊行の経歴を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:27)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:27)
質問者より以下の情報提供あり。・以前、北國新聞が「石川県民の歌」を特集した記事の中に記述がある。・金沢蓄音機記念館にテイチク版「石川県民の歌」のレコードが現存する。・信原俊行は松波中学校の校歌を作詞している。・北原白秋主催の雑誌『多磨』の同人で、昭和43年に「北訪記」を寄稿している。当館蔵書検索、石川県立図書館横断検索、国立国会図書館サーチではヒットせず。Google Booksで1件ヒット、『石川県年表』に名前が出てくることがわかった。『石川県年表 昭和篇2』p.284に、新日本建設国民運動の歌の入選者として「信原俊行」の名前あり。出典は昭和23年7月16日の北国毎日新聞である。上記日付の北国毎日新聞及び石川新聞に、「石川県民の歌」の入選記事あり。同歌は、石川県社会教育課が新日本建設国民運動 ...
『加能郷土辞彙』(初版)p.324に「ゴンシチガツジ 権七ヶ辻 金沢片町から竪町へ入る四ツ辻を、昔は権七ヶ辻と呼んだ。」とある。この出典と思われる『金沢古蹟志 第6編』巻16 p.8「権七ヶ辻」に「旧伝に云ふ。片町より竪町へ入る四ツ辻をば、昔は権七ヶ辻と呼べり。酢屋の権七といふもの此辺に居住す。故に権七ヶ辻と呼びたりしを、後に呼び誤りて五七ヶ辻と称すといひ伝へたり。」と記載されている。同様の地誌『亀の尾の記』には「権七ヶ辻」の記載なし。『金沢電車案内』(118273403)「電車沿線案内」p.11「酢屋権七の宅跡-〔片町〕-停留場の辻を権七ヶ辻といふ、旧と現今の勧工場の処に酢屋権七といへる狂言師あり」次に、「片町」(以下、旧町名の場合は「」でくくる。)近辺の地図を確認した。「金府大絵図」(天保期、『金沢 ...
【近世史料館や歴史博物館の赤レンガについて】 近世史料館や歴史博物館の赤レンガの特徴や他の赤レンガとの違い、建てられた当時の事を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:27)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:27)
『ふるさときらめき館』(118536738) p111 旧金澤陸軍兵器支廠〈県立歴史博物館)明治から大正にかけて建てられた。2階建て、切妻、桟瓦葺き、左右対称を基本とした無駄のない機能的なデザインとなっている。アーチ状の開口部や棟飾り、補強材のような柱など使用している。2階床には3ヵ所の大きな荷揚げ口があり、内部の壁面は漆喰仕上げとなっている、と記載されている。p112 旧第四高等学校本館屋根は大棟に棟飾りを立て、煉瓦造りの煙突を6ヵ所設けている。壁面は煉瓦の長辺を見せる列と短辺を見せる列を交互に組み合わせるイギリス積みを採用していることが記載されている。『北陸専売事業60年の歩み』(11913573)p29-30 「(3)金沢専売支局の発足と赤レンガ工場の落成」大正10年玉川町に赤レンガの新工場と付属事務棟の建設が開始され ...
・蔵書検索の「青草市場」「写真」、「近江町市場」「写真」で検索し、以下の資料がヒットした。・石川県関連の写真集・市場関連資料以上より次の資料を紹介した。『北陸三県実況案内』(118572402)「金沢市街実況」「金沢青草辻」『金沢青果商百年史』(119477444)p.47,56,57『金沢電車案内』(118273403)「市中各所案内」口絵、「青草辻の青草市場」、「近江町の魚市場」『ふるさと写真館 北国新聞創刊115年記念』(118505938)p.120「大正中期の金沢青草辻市場(現近江町市場)入口」
【横地氏、勝田氏について】 前田家に仕えていた横地氏、勝田氏について、仕官の経緯等がわかれば教えてほしい。併せて、勝田氏一族の今村氏、内田氏の由緒及び勝田氏主君の吉見氏と能登地域との関わりについての文献を教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:27)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:27)
<横地氏>・「先祖由緒并一類附帳」(『加越能文庫解説目録 上巻』)に横地姓は3家あり。菩提寺について判明するものはいずれも竜淵寺(曹洞宗)と記載されている。・『石川県史資料 近世篇10 諸士系譜 3』に横地氏の系図は3系統あり。小兵衛家は「於守山仕 瑞竜公 二百石」、藤助家は「百石仕 高徳公」、善九郎家は「小兵衛子 仕 高徳公 百三十石」と記載されている。<勝田氏>・「先祖由緒并一類附帳」(同上)に勝田姓は6家あり。菩提寺は妙慶寺(浄土宗)が4家、妙正寺(日蓮宗)が1家、高岸寺(日蓮宗)が1家である。・質問者からの情報提供によると、6代将軍家宣の側室で、7代将軍家継の実母、月光院の出自は勝田氏とのこと。この情報に基づき、インターネットで検索すると、月光院の父は「元加賀藩士で浅草唯念寺の住職勝田玄哲」、 ...
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