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【おさよ伝説について】 金沢の遊女で五箇山に流されたといわれる、おさよ伝説のストーリーが書かれた資料を紹介してほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:37)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:37)
『日本の伝説 12 加賀・能登の伝説』(11826161)p.143-147「お小夜と麦屋節」・・・お小夜伝説を概説したもの(いちばんわかりやすい)。『地域と文化 第2号』(180419614)所収、田中喜男「歴史と伝説の間-能越飛の小夜伝説-」・・・各地に残るお小夜伝説を収集し、史実と対比したもの。『加能民俗研究 第35号』(119867421)所収、前田佐智子「能登・越中のお小夜-伝説の背景-」・・・お小夜伝説に関する先行研究をまとめたもの。『加越能文庫「元禄三年御預遊女調理一件」について』(119853613)・・・お小夜伝説のもとになった記録を紹介したもの。『輪島のお小夜』(119559924)、『野菊の露-能登麦屋節考-』(11025894)・・・お小夜伝説をもとにした小説。
【十村棟取について】 十村棟取はどのような役職か教えてほしい。天明5年(1785)に放生津の松屋武兵衛が十村棟取に任命された文書が残っている。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:36)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:36)
『加賀藩農政史考』(119564380)の「十村」の項目に「十村棟取」という役名は載っていない。類似の役名として、「諸郡御用棟取」(同p.65)、「組主附」(同p.95)がある。『金沢市文化財紀要 49 旧十村役亀田家調査報告書』(11915800)、『十村岡部家文書目録』(11930270)、『同 二集』(10911685)等の目録にも載っていない。十村の中の長については、『近世北陸農業史』(11918497)p.51に「無組御扶持人十村は、御扶持人のうち配下の村を有しない十村で、郡内十村首座として、十村の監督指導にあたり、また他郡御用にもあたるなど最高位の十村であった。」とある。『藩法集 6 金沢藩 続』(119565251)所収「河合録」p.777に「諸郡御用棟取 無組御扶持人之内役所切申付候義も有之、又ハ御加増願候刻相願被仰付候事も有之」とある。また、「無組御扶持人ハ其郡 ...
【渡辺太余文(園亭萎文)について】 加賀の園亭萎文(明治~大正)の本名、渡辺太余文の名前の読み方を教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:36)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:36)
『石川百年史』(118290950)に名前が挙げられているが、読みなし。園亭萎文の略歴については、『郷史談叢』(11902881)第四輯p.63-65「園亭萎文と其著せる俳書」に詳しい。「姓は渡辺通称は太余文幼名を百々作といふ金沢の酒肆柄崎屋太平の第三子」とある。名前の読みは書かれていない。その他、『北陸の俳壇史』(119570091)p.161-162、『石川県俳壇明治百年誌』(118282577)p.53、『石川県史 現代篇2』(119871710)p.1116に略歴が掲載されているが、名前の読みなし。『金沢の百年 大正・昭和編』(市史年表)( 109089889)により、没年が大正3年5月28日と判明した。翌日の北國新聞に掲載された園亭萎文の訃報記事によると、太余文は「たよもん」と読む。
【前多兵作商店について】 昭和22年頃、高岡町下藪ノ内にあった前多平作商店(前田兵作とも、璽光尊事件の場所)の正確な場所が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:36)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:36)
前多平作商店は繊維問屋であったというが、『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)及び『石川県商工要覧 昭和27年度版』(119514029)に記載なし。石川新聞昭和22年1月9日の記事に「金沢市高岡町下藪ノ内三番地にいるじ光尊」、同14日の記事に「松ヶ枝町学校横の本部」とある。『金沢市住居表示新旧対照表 86-4』(11917852)によると、高岡町下藪ノ内三番地は現在の金沢市高岡町6-1~15、7-17~24(つる幸~松ヶ枝緑地辺り)に相当する。<追記>『松ヶ枝の広場』(118290727)p.84-85「武蔵町と松ヶ枝公民館」に「松ヶ枝公民館は其の当時個人の所有でしたが、この家へ爾光尊という女の方が当時の横綱・双葉山並に呉(原文ママ、碁)の名人呉清源を連れて乗込ました」と書かれている。
【妙成寺の墓について】 妙成寺には寿福院(千代、前田利常の生母)ともう一人前田家の一族の墓があったと思うが、誰の墓だったか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:36)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:36)
『金栄山妙成寺誌』(119325246)の表紙の絵図に「寿福院殿御墓」と「造妙院殿御墓」と記されている。「造妙院」は『加能郷土辞彙』(改訂増補)に記載なし。『金栄山妙成寺誌』図版p.30に「浩妙院墓」の写真が掲載されている。浩妙院は同p.78によると、「亀鶴姫、三代前田利常息女」のことである。『加能郷土辞彙』(改訂増補)p.832に略歴あり。
【北大路魯山人の書について】 北大路魯山人の書「万里白雲弧月円」(あるいは「万里無雲弧月円」)の出典が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:35)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:35)
世田谷美術館ホームページ「ミュージアム コレクション」によると、「萬里白雲弧月円」の書が世田谷美術館の塩田コレクションに収録されていることがわかった。【URL】http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection_list.html?id=col00034『塩田コレクション 北大路魯山人』(小林文庫、180488872)p.101に「127 短冊『萬里云々』」、付録「塩田コレクション 北大路魯山人 新収蔵作品」p.15に「157 掛軸『萬里無雲弧月圓』」の写真が収録されている(「白」と「無」は字のくずし方が似ている)。出典は記されていない。『禅林句集』(112903007)p.147に「萬里無雲弧月圓」(万里雲無く弧月円なり)が収録されている。出典は(類聚17)と記されている。国立国会図書館デジタルコレクション『禅林類聚 17』によると、「萬里無雲弧月圓」は禅僧、丹霞淳(虚堂智愚)の七 ...
【専売公社工場の解体時期について】 玉川こども図書館にある時計台が移動された時期、工場が解体された時期を知りたい。昭和47年と50年代二つの説があるようだ。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:35)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:35)
『北陸専売事業60年の歩み』(日本専売公社金沢地方局)(11913574)・昭和47年10月2日 新金沢工場開業・ 〃 9月29日 旧金沢地方局解散式実施・旧工場跡は玉川図書館と県立玉川公園になり、旧工場の赤レンガの一部が図書館に利用保存された『金沢市立図書館六十年誌』(金沢市立図書館)(119465579)・昭和50年12月市議会において、専売公社跡地を図書館にする計画があるが、県と専売公社との間で土地譲受の交渉が遅れており、県から譲渡を受ける市は結論を出せない・昭和51年11月頃 新図書館建設計画 整備基本方針策定・昭和52年10月13日 新図書館起工式以上の事から、47年10月以降52年10月までに解体されたことが判った。『金沢の百年 昭和続編』(市史年表) (119320651)でこの期間の出来事を調査昭和48年8月30日 「玉川町の旧専売公社金沢工場の外側取り ...
ジュネーブ条約は以下の4つの条約からなる。(『ジュネーブ条約一覧表』、129342607)第一条約:戦地にある軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約第二条約:海上にある軍隊の傷者、病者及び難船者の状態の改善に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約第三条約:捕虜の待遇に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約第四条約:戦時における文民の保護に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約上記条文は『国際条約集 2015年版』(113510309)に収録されている。また、防衛省のホームページ(ホーム > 所管法令等 > 関係条約等 > 防衛関係条約等)等でも閲覧できる。旧のジュネーブ条約(赤十字条約)は国立国会図書館デジタルコレクションの『条約彙纂 第2巻 第1部』等 ...
『石動半七の生涯』(119563918)『壁面の美を求めて』(129742565)『石川県商工要覧』(119514038)「商工名鑑」p.1に記載あり。
『金沢市史 現代篇 下』(119562680)p.788-「明治期における劇場」、p.870-「大正・昭和時代の劇場」は、いずれも映画専門館と寄席が除かれている。『金沢大学教育学部紀要 第11号 人文・社会科学編』(11922208)所収、「四世嵐冠十郎および明治の加賀歌舞伎-劇場と地方諸優について-」藤田福夫/著 p.15に記された明治、大正期の寄席の一覧は以下のとおり。明治期:夷座(後、宮比座。香林坊大神宮境内、明治中期) いろは座(下新町) 新富座(後一九席となる。同席は下新町より尾張町に移る。最も後まで存した。) 小福座(香林坊) 福栄座(香林坊) 松栄座(石屋小路) 宝座(大工町) 住吉座(住吉市場の中) 小石座(中石引町) 松ヶ枝館(松ヶ枝町) 堂井席(御小人町) 春日座(森山町) 弥生座(横安江町)大正期:八千代座(新道) 神明館(野町)『石川郷土史学会々誌 ...
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