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西川町大井沢地区に存在する町指定天然記念物「ハゴロモミズナラ」について、詳しい所在地のわかる資料を探しています。地図のほか、場所や道順が記述されている資料などでも結構です。(山形県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/28 12:09:03)
from レファレンス協同データベース (2024/12/28 12:09:03)
「ハゴロモミズナラ」の詳しい所在地について、ご提示いただいた資料をお調べしたところ以下のとおり記載がありました。資料1「フロラ山形 No.33」(昭和52年12月発行)『ハゴロモミズナラは世界に唯一株か』結城嘉美 P43~44(下記はP43に掲載)「(前略)ところが、今年になつて西川町の方からあらためてその調査を頼まれたので9月9日志田忠儀さんらの案内でその原木を見る機会にめぐまれたのであった。これは大井沢の黒渕というところで寒河江川のつり橋を渡り、山道を大岫峠の方向へ約30分ほど登つたところ海抜720mの山中であった。地番は西川町大字大井沢、中山外21国有林70林班ヌ小班というところで、根周150cm、目通りの幹囲103cm、高さおよそ15mほどで樹齢は50年前後というとであろうか。(後略)」資料2「自然研究 ...
新庄市にある円満寺には、新庄九代藩主の戸沢政胤(まさつぐ)公の時代に宥勝(ゆうしょう)という住職がいた。その人物についての資料はあるか。(山形県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/28 12:08:21)
from レファレンス協同データベース (2024/12/28 12:08:21)
・『西村山地域史の研究』の中で、宥勝が鹿苑舎淋山(ろくおんしゃりんざん)という俳号を使っていたことが判明した。その事実を踏まえて調査をすると、以下に記した6件の資料に、淋山についての記載があった。・『西村山地域史の研究』には、宥勝(淋山)は慈恩寺禅林坊暁善の七男であり、文政12年(1829年)9月に新庄戸沢候の祈願所である円満寺の住職となった旨の記載があった。戸沢政胤公は寛政8年(1796年)から天保11年(1840年)まで藩主であり、宥勝が円満寺の住職だった時期と一致している。・『河北町の歴史 上巻』には、宥勝は文化12年(1815年)に武蔵国蒲生村清蔵院から慈恩寺宝蔵院第76世に転住した旨の記載があった。・この他、国立国会図書館デジタル化資料送信サービスで「鹿苑舎淋山」というキーワードで検索 ...
『家族の余命宣告』に対しての子供達にお勧めの本を探してほしい。対象年齢(小学高学年から高校生ぐらい)(山形県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/28 12:07:58)
from レファレンス協同データベース (2024/12/28 12:07:58)
以下の資料を紹介回答プロセス:おばあちゃんが、病気で亡くなるお孫さん視点の児童書・絵本・児童書・ティーンズと内容も看取りについての重いもの、メンタル面、心温まるような絵本など幅広く集めて紹介し選んでいただいた。 回答事例No: キーワード: キーワードヨミ: ジャンル:参考資料:大塚敦子 写真・文. さよならエルマおばあさん. 小学館, 2000.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002907125, 4-09-727249-7参考資料:スーザン・バーレイ さく・え , 小川仁央 やく. わすれられないおくりもの. 評論社, 1987. (児童図書館・絵本の部屋)https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001861171, 4-566-00264-0参考資料:グレン・リングトゥヴィズ 作 , シャロッテ・パーディ 絵 , 田辺欧 訳. 泣いてもいい?. 今人舎, 2013.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I024529567, ...
具体的な歴史については分からなかったが、鑿井の時期や、取水時期の特定できる資料があったためご案内した。資料1「馬見ケ崎川農業水利史 下巻」P208 深井戸施設利用において、一本杉水利組合との協定書あり資料2「土地改良区自慢話」P2 鑿井の理由、年、再掘削の年の記載あり資料3「山形市の環境 昭和58年版」P96資料4「山形市の環境 昭和60年版」P128 農業用深井戸抜け上がり量調査結果に記載あり資料5「山形県公報 平成26年4月1日(第2532号)山形県告示第320号二口堰土地改良区が東部土地改良区へ合併との記載あり
当館で把握している大久保遊水地について記載のある新聞記事は以下のとおり。山形新聞・1977年6月1日 2面「暴れ川(最上川)に歯止め 大久保遊水地 200ヘクタールの美田守る 10年後完成めざし起工」・1981年2月23日 3面「美田を守る築堤,架橋 村山市大久保 遊水地工事すすむ」・1986年12月1日 12面「<NEWSスコープ86>最上川の“安全弁”大久保遊水地」・1995年11月7日(山新内陸版)「大久保遊水地の歩みまとめる 村山・大沼さんが自費出版」・1996年5月11日 3面「96年度予算成立 本県配分決まる 大久保遊水地年度内完成めざす寒河江川下流地区新規かんがい事業」・1997年11月14日 26面「洪水被害を軽減 村山 河北 大久保遊水地が完成」・1997年12月13日 18面「>9< 村山市 大久保遊水地が完成 中学統合で説明会楯岡駅整備が本 ...
新井白石の著書といわれる「山形紀行」の所在はお探しすることが出来なかったが、「所在が不明」という記載があった資料を参考まで紹介。資料1「新井白石の研究」(宮崎道生)P772~773「新井白石關係文獻總目」内の「所在不明のもの」という項目に「四四八 山形紀行 一巻」という記載があり。資料2「定本折たく柴の記釈義」(宮崎道生)P118「(略)その機縁が順庵の山形紀行閲読にあったことが知られるが、本紀行については、詩篇『弔藤公実方墓』〔白石先生遺文拾遺、全集五、七三頁〕により僅かに片鱗を窺い得るにすぎない。」という記載があり。資料3「研究資料集 第31号」(山形郷土史研究協議会)P77「新井白石(傳藏・君美・勘解由)は山形に来た・住んでいた?」という記事内に「・『山形紀行』は探していま ...
斎藤茂吉に関する資料について、当館でも多数所蔵しており、特に大石田に暮らした頃について記載がある資料を一部紹介。資料1「斎藤茂吉随行記 上巻-大石田の茂吉先生-」資料2「斎藤茂吉随行記 下巻-大石田の茂吉先生-」大石田時代の茂吉を支えた板垣家子夫による茂吉の生活、周辺、歌の背景が克明に記録された資料。資料3「斎藤茂吉歌集 白き山研究」「白き山」の本文成立、評釈、地名と人名、各句索引、資料から成っている基礎的な研究書。資料4「斎藤茂吉『白き山』と最上川 小平博之写真集」「白き山」に関わる風景写真(モノクロ)や、板垣家子夫による選歌、『白き山』ところどころ-大石田の茂吉先生(板垣家子夫)が掲載されている。このほか、当館ホームページで公開している文献目録(著作、単行本、雑誌掲 ...
雪が降る前兆に鳴る初冬の雷の呼び名を調べています。「雪起こし」と言う地域もあるようですが、山形県内では何と呼んでいるのでしょうか。方言辞典や郷土資料などに記されているものがありましたら教えてください。またその呼び名がいつごろから言われているのかも分かりましたら併せて教えてください。(山形県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/28 12:05:27)
from レファレンス協同データベース (2024/12/28 12:05:27)
雪と雷の関係についての記述があった資料を紹介。資料1「雪の言葉」P278「冬のはじめ、雲が低く垂れ込め、いかにも雪が降ってきそうな天模様のとき、突如として雷鳴が轟くことがある。庄内地方の人々は、これを『雪おこし』と呼び、雪のいよいよ近いことを知る。内陸地方では『雪おろしの雷様(らいさま)』などともいう。(以下略)」資料2「山形県方言辞典」P637「ユぎオロシ ユキオロス (中略)②初冬に鳴る、雪の降る前兆の雷。西置白鷹・長井周辺。南置南原。東田大泉。⑯・ 60※」 ※60の表記は「60に〇」以下同じ※⑯及び60 については、当該資料P(8)「出典の解題」において次のとおり記載。「本辞典に収載した方言集・方言資料は次の通りで、本文においては頭書の番号によって出典を示した。これらの種別は、(中略 ...
寒河江サービスエリアとその周辺(チェリーパーク・ハイウェイオアシス・最上川ふるさと公園・スマートIC)について知りたい。(山形県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/28 12:05:04)
from レファレンス協同データベース (2024/12/28 12:05:04)
山形自動車道の寒河江サービスエリアとその周辺の施設の整備に関することを知りたいとのことだったので、以下の資料と新聞記事を紹介した。また、これらの施設等が整備された当時の寒河江市長が佐藤誠六氏であるが、国立国会図書館のデジタルコレクションに佐藤誠六氏が書いた論文があったため紹介。(『都市政策(75)』(書誌ID:000000028478)42~47コマ) 県外利用者だったため、最寄りのサービス参加館での閲覧をご案内した。<新聞記事>山形新聞 1988年11月24日、1994年7月9日、1995年2月25日、1995年11月22日、1999年7月17日毎日新聞 1987年5月20日参考資料:寒河江市史 下巻 現代編 寒河江市史編さん委員会/編 寒河江 寒河江市 201203, 参考資料:寒河江の歴史に誘う要約編 寒河江市史を読む 50の切り口 寒河江市史編纂委員会 ...
山形県の真室川音頭について、Wikipediaに下記の表記があった。『現在知られている歌詞は、1952年(昭和27年)に真室川町が歌詞を広く募集し、それを織り込んだものである[2]。これは、「正調真室川音頭」と呼ばれ[2]、レコード録音された。』戦前(昭和8年頃)に歌われていた主流の歌詞を知りたい。(山形県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/28 12:04:14)
from レファレンス協同データベース (2024/12/28 12:04:14)
歌詞は一部のみの場合があることをお断りしたうえで、真室川音頭の歌詞が掲載されている資料を以下の通り紹介。資料1「真室川町史」真室川音頭由来記(P1125~1137)昭和八、九年に奉公先から帰郷した近岡ナカさんが、真室川に本来あった真室川節に近岡さん流のナット節、カムチャッカ節の調子を加えて半ば創作して歌ったのが現在の真室川音頭のはじめだという記載があります。そのほか、カムチャッカ節の歌詞(P1126~1127)や、ナット節の歌詞(P1128)、真室川節の歌詞(P1129~1130)花柳街で歌われた代表的な歌詞(P1130、P1131~1132)の記載があります。資料2「山形新聞」平成26年6月1日、8日、15日の計3回にわたり、近岡ナカエ氏が取り上げられた。真室川音頭関連の記事が掲載されています。・6月1日 朝刊5面「 ...
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