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貴博物館の庭園内に移築されている「転合庵」(てんごうあん)に関する資料があれば教えてほしい(図面など)。(東京国立博物館資料館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/27 11:39:27)
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・当館OPACで「転合庵」をキーワードに検索。1件ヒット。①幻の茶室転合庵 / 小堀宗通著. -- 村松書館, 1980.7.(当館請求番号:191-9)当該資料によると、現在当博物館に現存するものは転合庵の一部で、失われた部分も多く、また、本来の転合庵の姿は不明で、現存する以下の史料に記述や図画が残っているとのこと。・伏見転合庵之記(図面あり)・松屋会記(図面あり)・桜山一有筆記・東京国立博物館へ移築される前の転合庵(港区霞町)については、『茶室と茶庭圖解』に写真が掲載されていた。②茶室と茶庭圖解 : 全 / 杉本文太郎著. -- 建築書院, 1911.4.(当館請求番号:131-107)①②を案内。転合庵の図面や考察については、①が詳しい旨併せて回答した。【2022/09/08 追記】過去のレファレンス記録より、以下の資料にも掲載があるこ ...
『秋田雨雀自伝』という資料に「北海道興行日誌」というものが載っているか確認してほしい。秋田雨雀が大正3年に北海道(札幌~釧路等)を回った時のことが書かれている。●その質問の出典や情報源、調査済み事項など『秋田雨雀日記』(全5巻)には掲載なし。(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/27 11:39:02)
from レファレンス協同データベース (2024/12/27 11:39:02)
照会の資料は、正しくは『雨雀自伝』(回答資料1)のこと。こちらを調査した。p.47に北海道を回ったことの回想が書かれているが、探している「北海道興行日誌」ではない。「北海道興行日誌」「秋田雨雀」で蔵書検索するがヒットせず。「北海道興行日誌」「秋田雨雀」でgoogle書籍検索→『秋田雨雀研究』(参考資料1)p.316 年譜の大正4年の4月の項に「糧のない熊」(北海道興行日誌) 新日本五の四とある。→『北海道文学史 明治編』(回答資料2)p.152に、「『糧のない熊(北海道興行日誌)』(「新日本」大正4.4)にはその間の足跡や各地の演劇事情を垣間見えるが、(以下略)」と「北海道興行日誌」について書かれている。当館所蔵の雑誌『新日本』は該当の5巻4号は所蔵なし。国立国会図書館デジタルコレクションで検索。『新 ...
当館OPACで「慈雲の書」で検索すると、東博カタログコーナーにあったので、そちらを提供した。・高貴寺所蔵慈雲の書 / 東京国立博物館編. -- 東京国立博物館, 2004.11.参考資料:東京国立博物館編. 高貴寺所蔵慈雲の書. 東京国立博物館, 2004.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130282269422327424, (当館請求番号:T2004-300(http://webopac.tnm.jp/detail?bbid=0000030865))
当館OPACで検索すると、下記4点の資料がヒットした。・江戸城障壁画の下絵 : 調査研究報告書 江戸城本丸等障壁画絵様 / 東京国立博物館編 ; 図版篇. -- 第一法規出版, 1989.10. (当館請求番号:000-B109)・江戸城障壁画の下絵 : 調査研究報告書 江戸城本丸等障壁画絵様 / 東京国立博物館編 ; 本文篇. -- 第一法規出版, 1989.10. (当館請求番号:000-B109)・江戸城障壁画の下絵 : 大広間・松の廊下から大奥まで : 特別展観 / 東京国立博物館編. -- 東京国立博物館, 1988.2. (当館請求番号:T1988-460)・将軍の御殿 : 江戸城障壁画の下絵 / 徳川美術館[編]. -- 徳川美術館, 1988.10. (当館請求番号:T1988-353)参考資料:東京国立博物館編. 江戸城障壁画の下絵 : 調査研究報告書 江戸城本丸等障壁画絵様 : set. 第一法規出版, 1989.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I11302 ...
明治17年春から空知川水源測量にあたった、札幌県地理掛の山村廣司の報告書「空知川山川脈」と、関係する手記などを所蔵している機関を知りたい。●その質問の出典や情報源、調査済み事項など 『新旭川市史史料1』(p.236)「札幌県巡回日誌」の中に「…当春中より空知水源迄に測量に出張したる、山村某糧米若干を同家に預け置きし由なり」云々とある。空知太のイチリアイヌ家での記述。著者は高橋不二雄、福士成豊も同行していた。(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/27 11:37:20)
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「空知川山川脈」で蔵書検索及び雑誌記事検索、国立国会図書館デジタルコレクション、google書籍検索をするがヒットなし。「山村廣司」で国立国会図書館デジタルコレクションを検索。 →『富良野市史 第3巻』(回答資料1 p.57)に、以下の関連する記述あり。「札幌県地理課 管内諸川脈実測復命留」(道立文書館所蔵史料)には、明治十六年九月~十七年三月の測量調査、明治十七年五月~九月の測量調査が空知川沿いに、最上流域にまで及んでいた様子が記録されている。空知川の実測が必要で、調査の責任者が地理係雇、山村広司と書かれている。また、以下の記述もあり。この記録は測量作業の概略をまとめるかたちになっていて、流域の地形、開墾適地の状況、面積の概略などに触れていない。富良野市域の空知川を実測調査した ...
当館所蔵資料より、以下の資料を紹介。【資料1】『名前から引く人名辞典 [1]』(日外アソシエーツ 2002)p266に「狂綺堂」きょうきどう“狂綺堂 1872~1939 明治~昭和期の劇作家、演劇評論家≪岡本綺堂≫”とある。「鬼菫」の読み方がわかる資料は見当たらなかった。また、「鬼菫」を岡本綺堂の別名とする情報は、Wikipediaに“別号に狂綺堂、鬼菫、甲字楼など”とあったが今回調査した資料のなかには見当たらなかった。回答プロセス:①Googleで「岡本綺堂 狂綺堂」「岡本綺堂 鬼菫」を検索する。②人名辞典を引く。➡【資料1】③国立国会図書館デジタルコレクション、Google ブックスで「狂綺堂」「鬼菫」を検索する。④「岡本綺堂」に関する資料から探す。⑤「鬼菫」を漢字辞典で調べる。事前調査事項:『文豪たちが書いた食の名作 ...
道内で公営住宅が始まったきっかけを知りたい。道、市町村を問わず、いくつか事例が分かる資料がほしい。(夕張市などの産炭地では、炭鉱住宅を自治体が買い上げて公営住宅とするようなことが考えられるがどうか)(北海道立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/27 11:36:23)
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『新北海道史』や、道内主要市及び、質問者が推察していた夕張市の市史(札幌市、旭川市、函館市、小樽市)、並びに、北海道の住宅史に関する資料に当たり、関連する記述が見られたものを紹介した。現在、法律での区分上の「公営住宅」は、昭和26年7月に公布された公営住宅法に基づき整備されたものを指すと思われる。この法律は、終戦後の引き揚げや復員で深刻化した住宅不足に対応するために制定されたものとのこと。(『新北海道史』(回答資料1))ただ、戦前から住宅不足は大きな問題として捉えられており、公営住宅法公布以前から自治体による住宅提供は行われていたようである。例えば大正期、区政時代の札幌区、函館区、旭川区、小樽市では、区・市営住宅の建築、提供が行われていた旨の記述が各市史に見られる ...
『京浜在住三河人名鑑』(大正10年)P104に「深見坦郎」の項あり。“君は碧海軍矢作の人にして明治十六年を以て産る”とあり。国立国会図書館デジタルコレクションで、ログインなしで閲覧することができる。回答プロセス:①人名事典を探す→『美術家人名事典 古今・日本の物故画家3500人』(日外アソシエーツ 2009年)→記載なし②国立国会図書館サーチで検索する。著書に『能楽具装精華』(桧書店 1933年)があることがわかる。③Web NDL Authoritiesで「深見坦郎」を検索。生年はわからなかった。④国立国会図書館デジタルコレクションで「深見坦郎」を検索。検索結果から『京浜在住三河人名鑑』を見つける。事前調査事項:・深見担郎は日本画家である・『美術家索引 日本・東洋編』(日外アソシエーツ 1991年)は確認済。参考資料:日 ...
札幌の市史及び、手稲町史を調査。 →名簿に当たるものは見つからず。『手稲町誌 上巻』(回答資料1)に上手稲町、下手稲町、山口村及び各字の成り立ちが書かれており、その中で人名及びどこの地域から入植したなどが書かれている。p.115にある「上手稲移住者の住居の図」は活字化したものが『新札幌市史 第2巻 通史』(回答資料2)p.113「手稲村入植図」として載っている。『手稲町誌』(回答資料3)p.30~31に参考資料として仙台藩片倉邦憲旧臣の中で手稲村に移住した人の氏名が載っている。回答プロセス:(参考資料) 1 北海道への移住 山口県∥編集 山口県 2010.3 334.5/HO 2 徳島県人の北海道移住 徳島県立文書館∥編 徳島県立文書館 1999.2 334.5/TO 3 山口開基百年史 手稲山口開基百年記念実行委員会∥編 手稲山口開基百年記念実行委員会 1 ...
年中行事(分類:386)の資料から、クリスマスに関する資料を調査。以下の3点に北海道でのクリスマスの普及についての記述あり。・『北海道の年中行事』(回答資料1)p.207~208明治期はキリスト教系の学校も設立され、クリスマスはこうした学校行事などを通してしだいに広まっていった。一般の家々では、昭和20年代から取り入れられた新しい行事。クリスマスが現在のように盛んになったのは、昭和30年代から40年代にかけて。・『北海道子ども歳時記』(回答資料2)p.55~58札幌のクリスマスと題して、以下の事が書かれている。昔から外国の人たちがたくさんいた札幌では、明治時代からクリスマスが行われていたよう。キリスト教信者を中心に行われていたクリスマスも大正時代になると、大きなお店やデパートなどにクリスマス ...
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