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【金沢香林坊広見について】 金沢市図書館ホームページに掲載の郷土資料『金沢絵葉書』34. 金沢香林坊広見 の写真が撮影された年代が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:53)
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・『金沢絵葉書』(11826123)現物の宛名面を確認するが、写真の撮影年代は記載されていなかった。・明治末~昭和初期の金沢の風景が掲載されている写真集を参照し、似た写真がないか探索した。その結果、『ふるさと写真館』北國新聞社、2008(118505938)p.102 「香林坊広見」を発見した。絵葉書の構図に近く、電柱や看板が一致する。ただ、中央の柳の木の葉の量が異なるため、季節は異なると思われる。この写真の撮影は、大正2(1913)年となっている。
【ショパンとチョコレートの関係について】 ショパンが恋人サンドの勧めでホットチョコレートを飲用していたことが書かれた資料が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:53)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:53)
『チョコレート語辞典』(113781660)は参照済み(出典の記載なし)とのこと。p.87に「ショパンの創作活動を支えたエナジードリンクは、フランス人女流作家のジョルジュ・サンドお手製のホットチョコレートでした」と記載されている。ショパンが口にしたチョコレートまたは飲料に関する記載のあった文献は以下のとおり。○ショパンに関する文献『ショパン全書簡 1836~1839年 パリ時代』(1139545646)p.345「(1839年3月2日付)」「コーヒーもワインも飲んでいない-飲むのは牛乳だけ」、p.358「([1839年3月]12日付)「(ジョルジュ・サンドが)薬湯を煎じ」『ショパン その愛と生涯』(11020235)p.130「コーヒーもワインも飲まず、暖かい牛乳だけを飲む」『ショパン評伝』(129419186)p.371「?々阿片の幾滴かを砂糖或ひはゴム水と一しょにおあがりになり」『ショパン ...
【石川県立金沢第一中学校の立面図について】 石川県立金沢第一中学校の模型作成のため、立面図、特に正面から見て左部分の屋根伏図を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:53)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:53)
当館OPACにて「第一中学校」「第一中学校 立面図」で検索した結果、ヒットした資料を参照した。また、当館の分類番号K526資料も参照した。・『金沢一中泉丘高校百年史 前編』『金沢一中泉丘高校百年史 後編』 金沢一中・泉丘高校百年史編集委員会/編 一泉創立百周年記念事業実行委員会 1993.10・『石川写真百年・追想の図譜』 石川県写真史編纂会/編纂 能登印刷 1979 p.87・『写真で見る石川の百年』 「写真で見る石川の百年」編集委員/編 石川県写真師会 1967.11・『写真集明治大正昭和金沢 ふるさとの想い出 写真集』 金沢編集委員会/編著 国書刊行会 1978.11・『目で見る金沢の100年』吉元 至/監修 郷土出版社 2001.10・『金沢ノ景〔絵葉書帳〕』 作者不明 出版者不明・『金沢写真案内記』 和田 文次郎/編集 北陸出版協会 1909.5・ ...
「薦掛け」「菰掛け」で資料検索するが見つからず。Googleブックスで検索すると、るるぶ・まっぷる等のガイドブックに記載が見つかったが、詳しい方法は記載されていない。『日本文化のかたち百科』(112890508)p.106「こも掛けと雪吊り」に「雪深い北陸の冬は、庭木の「雪吊り」や土塀の「こも掛け」など、ふだん見られない風情のある風景にあふれる」と記載され、図11「「こも掛け」された土塀越しに見える「あずまだち」」が紹介されている。『金沢の家並』(11827158)p.65「雪囲いは家々の窓や戸口だけでなく土塀にも装備される。雪に埋まった土塀が痛まないためである」と記載され、写真6「土塀の雪囲い」が紹介されている。北国新聞 昭和61年12月12日 夕刊 7面「備えあり 土塀にこも掛け」に「金沢市長町の武家屋敷で土塀のこも掛 ...
文献が残っているのは、前田利家が文禄二年(1593)二月七日付で国元に宛てた書状が最古であるようだ。『石川県史 第3編』(118587399)p.900「製箔」「製箔の藩政初期より既に行はれたることは、前田利家が肥前名護屋在陣中文禄二年二月七日附を以て、七尾の留守三輪吉宗に輿へたる消息に『金子三枚か五枚、はくをうたせ可(レ点)申候。(以下略)』とあるによりて見るべし。」とある。※NDLデジタルコレクションで閲覧可【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1921106/1/653 (令和5年3月21日最終閲覧)『金沢箔の沿革と現況』(119566034) 1966 p.25(2)金沢箔の開産「金沢箔の開産について、わたしがいま接しうる最古の史料は利家時代のものである。すなわち、文禄二年(一五九三)二月七日附で(以下略、石川県史と同内容)」と記載されている。『加 ...
Googleで「佐渡家 北前船」と検索したところ、以下の新聞記事がみつかった。北國新聞2020年3月30日 朝刊 28面「北前船の文献見つかる 美川の旧船頭家」同記事によると、佐渡家は白山市美川の旧家で、北前船の船頭を務めていたとのこと。また、文献の旧蔵者は佐渡富吉ということがわかった。そこで、佐渡富吉に関する以下の文献を紹介した。『美川町政史』(119563284)p.288「県税戸数割分賦歩合決議説明」明治32年度13等、明治40年度12等、p.289明治45年度10等に佐渡富吉の名前が掲載されている。美川(本吉)の海運業については『美川町史』(119547001)p.348-387「廻航業と豪富」に記載されている。
【将軍家への献上品と特産物について】 加賀前田家から徳川将軍家への献上品について書かれた資料はないか。また、加越能の特産物についてまとめた資料が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:52)
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武艦に各大名家からの献上物が掲載されているため、以下の資料を提供した。『文政・天保国郡全図並大名武鑑』(11825122)p.238-239に加賀国(加賀宰相)分が掲載されており、「時献上」の項に寒塩鯛、鱈、海苔、筋海雲(もずく)、初鯖、福野干瓢、串海鼠、葛粉蕨粉、輪島索麺、麹漬蛸、初鮭、大奉書、象眼鐙等が列挙されている。加越能の特産物については、『加越能近世史研究必携』(118341577)p.191「加越能諸産物一覧」に産物とその生産地が掲載されている。
『石川県史 現代篇1』(118412730)p.551に、「生活物資の欠乏と配給統制機構の硬直化」として、石川県内での配給統制について記載されている。『石川県史 現代篇3』(118412759)p.454-455に「栄養食糧問題」として、金沢市内での食糧事情に関して記載されている。「同年七月には主食配給が一割減の一日二合一勺となり共同炊事・雑穀などの奨励が始まった」等といった記述がある。『金沢市六斗林ものがたり』(119771358)p.146-156に、「戦前・戦中と人々の暮らし」として、食糧事情等の記述がある。そのうちp.153に「昭和十六年(一九四一)四月から大都市圏では米穀は配給通帳制となると同時に、外食券制が実施されるようになり、金沢市などでは一年遅れで実施されたようだ」、p.154に「昭和十七年(一九四二)一月には食塩が通帳配給制となり、 ...
【西洋哲学用語の翻訳について】 井上哲次郎が近代西洋哲学の用語を翻訳したことについて書かれた文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:52)
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資料検索「井上哲次郎 翻訳」で見つからず。Google検索で見つかった以下の文献を紹介した。「翻訳語と中国思想 : 『哲学字彙』を読む」 三浦 國雄/著(『人文研究』47巻3号)【URL】https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il/meta_pub/G0000438repository_KJ00000267875 (2022年12月22日最終閲覧)「明治期における近代哲学用語の成立」 朱 京偉/著(『日本語科学』12号)【URL】http://doi.org/10.15084/00002093 (2022年12月22日最終閲覧)『近代日本語』(11030797)p.223「「認識論・対象・表象」などは井上哲次郎とされる」井上哲次郎が編纂した『哲学辞彙』に関する資料は以下のとおり。『和製漢語の形成とその展開』(118446917)p.305-324「『哲学字彙』における訳語の成立」『哲学辞彙 訳語総索引』(11021806)p.223-238「『哲学字彙』について」
【金沢三寺院群の成立について】 金沢三寺院群の成り立ちなどについてのレポート・論評資料などを閲覧したい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:51)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:51)
『城下町』 松本 四郎/著 (113283318)p.16-18「寺町の成立」に「城下町のなかで寺町の位置などは、城門からみて鬼門の方角になるところとか、城郭防衛の一翼を担う意味がある」と記載されている。『伝統都市の空間論・金沢』 田中 喜男/〔他〕著(118412454)p.48-53「寺院の移動」に「小立野台寺院群の建立は本来、草創期金沢城および城下防衛を目的とする」、「寺町寺院群・卯辰山麓寺院群は元和・寛永期の城下町プランの一翼を担って移動、建立された」などと記載されている。『金沢市史 通史編2 近世』(119896540)p.205-207「寺院群の成立と立地」に「寺院群形成の本質は城下の空間利用区分・都市整備にあった」などと記載されている。『石川県史だより 第46号』「万治二年の城下町改造」 中野 節子/著 小松家臣団の金沢帰還に伴い、町中 ...
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