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柳宗月の漢詩をどこかで見たが、何に載っていたのかは覚えていないとのこと。国立国会図書館サーチで「柳宗月」と検索するも見つからず。Googleブックスで検索し、以下の文献が見つかった。『東学乱記録』『甲午東学革命史』『東学農民戦争史料叢書』『天道教百年略史』上記のいずれも当館に所蔵なし。金沢市図書館所蔵の以下の東学党(甲午農民戦争)関係の資料に当たってみたが、「柳宗月」の記載は見つからなかった。『朝鮮韓国近現代史事典』(112324354)『朝鮮近代史』(11076178)『朝鮮の近代史と日本』(11087485)『東学史』(410013317) 崔済愚、金ホウ準(ホウは王偏に奉)の漢詩が掲載されている。『朝鮮独立運動の群像』(11056208)『明治日本の植民地支配』(113308650)
【警察の歌について】 警察の歌「我が帽章と朝日影」を作詞した山川吉雄氏は金沢市出身らしい。その没年が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:57)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:57)
○山川吉雄の略歴について質問者からの情報提供によると、『満洲芸術壇の人々』p.132に山川吉雄の略歴が掲載されている。山川吉雄は明治10年3月5日に生まれ、加賀中学校を卒業し、大連警察署長を務めた。本籍は金沢市東馬場町、現住所は大連市紅葉町と記載されている。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1907538/1/110 (図書館送信参加館・個人送信限定、2023年3月18日最終閲覧)『警察学論集』第33巻9号 「警察歌についての一考察」 渡辺 忠威/著 p.98に、警察歌の一等当選者として「南満洲営口南本街警察署官舎 山川吉雄」の名前が掲載されている。『朝鮮及満蒙に於ける北陸道人史』(129970810)p.596に山川吉雄の略歴が掲載されている。山川吉雄は明治11年に山川涼の嫡男として生まれ、金沢中学校卒業後、明治31年に石川県警察部に入り、同41年に関東 ...
まず、『書家画家雅号(呼称)索引 上 書の部』小笠原 長則/編 日本地域社会研究所 2000.8(112232566)にてお調べする。→見つからず。利用者自身で「南湖」をキーワードに、人物レファレンス事典で以下2人の名前を見つけた。・春木南湖(ハルキ ナンコ) 1759-1839 江戸時代中期~後期の伊勢長島藩士、画家。(以下資料(3) p.1768参照。)・大場景明(オオバ カゲアキ)※別名:大場南湖(オオバ ナンコ) 1719-1785 江戸時代中期の水戸藩士。(以下資料(2) p.423参照。)〈参考図書〉(1)『人物レファレンス事典 美術篇』日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 2010.1(113152432)(2)『人物レファレンス事典 古代・中世・近世編3〈2007-2016〉あ~す』日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 2018.1(113632188)(3)『人物レファレンス事典 古代・ ...
【長山家について】 江戸幕府に旗本として仕えた長山家の祖で、江戸時代初期に前田家に仕えていた長山道直について知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:57)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:57)
○利用者からの情報提供長山道直は前田孫四郎のもとで馬廻りをしていたことが諸家系譜に書かれている。「諸家系譜」(国立公文書館デジタルアーカイブ)【URL】https://www.digital.archives.go.jp/item/2541209.html (131コマ、2023年3月13日最終閲覧)前田孫四郎は前田利長及び前田利政(前田土佐守家の祖)の別名である。『加能郷土辞彙』(119754858)p.802「前田利長」【URL】https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/jii/jii_804.pdf (2023年3月13日最終閲覧)『加能郷土辞彙』(119754858)p.804「前田利政」【URL】https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/jii/jii_806.pdf (2023年3月13日最終閲覧)○長山家・長山道直について『加賀藩初期の侍帳』(119986164)「天正三年越前府中侍帳」「慶長十年富山侍帳」「慶長之侍帳」「元和之侍帳」に長山姓は見当たらず。前田利政の家臣団をまとめた侍帳の ...
【金沢紡績について】 現在は金沢市民芸術村になっている、金沢紡績について調べている。当時の写真、図面、従業員数等が分かる資料が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:57)
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金沢紡績(後の錦華紡績、大和紡績)について調査。大和紡績の社史、石川県絹業史、金沢市民芸術村に関連する資料を提供した。『金沢市史 通史編3』(119958310)p.491-496に、「金沢紡績の創設」「錦華紡績金沢工場」「日東紡績金沢工場」について記述がある。同書p.494に「金沢市民芸術村のレンガ倉庫 平成17年」として、建物の外観の写真が掲載されている。『大和紡績30年史』(119555765)p.183-184に「金沢紡績株式会社の創立」について、p.194-198に「金沢紡績の経営難」「錦華紡績株式会社の成立と発展」についての記載がある。『ダイワボウ60年史』(119754061)p.26-27に「金沢紡績の誕生」、p.33-35に「金沢紡績の経営難」「錦華紡績の設立」について記述がある。『石川県絹業史』(11903732)p.306-308に、「一、錦華紡績株式会社」として、創立年月日 ...
【江戸時代に日本を訪れた外国人の記録について】 徳川家綱の時代にドイツ人医師が来日し取り調べを受けたらしい。その時の記録が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:56)
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『国史大事典 6』(11070977)p.942「シドッティ」(シドッチ)はイタリア人宣教師。シドッチに面会した新井白石の記録「采覧異言」は『新井白石全集 第4巻』(118546780)に、「西洋紀聞」は『西洋紀聞』(129662740)、『日本思想大系 35 新井白石』(129142007)に収録されている。『国史大事典 5』(11063657)p.219「ケンペル」はドイツ人医師で元禄3年(1690)長崎に到着した。ケンペルの著書を翻訳したものに『鎖国論』(413769673)がある。
『俳諧人名辞典』高木 蒼梧/編 巌南堂 1970(11825383)p.567に「聴秋(ちょうしゅう)」の項目あり、「三十三年十一月二条家から花の本の号を許され~」との記述あり。そこをコピーされた。『俳句辞典 近代』松井 利彦/編 増補版 桜楓社 1982(11040636)p.473「花の本(はなのもと)」「花の本聴秋(はなのもとちょうしゅう)」の項目あり、そちらもコピーされた。 『俳句辞典』(11040636)、『俳諧宗匠花の本聴秋』(109338779)を紹介したが該当しないとのこと。重ねて詳細を聞くと、7~8年前に玉川図書館で歴代の俳諧宗匠花本の一覧表(一枚もの)を見た記憶があり、それを再度見たいとのことだったので検索したが見つからなかった。以下のレファレンス事例を参考にした。「明治期の俳諧宗匠、京都の「花の本(はなのもと)」と大阪の「 ...
【尾小屋鉱山と辰巳遊廓について】 尾小屋鉱山にあった料理屋について書かれた文献はないか。また、松任の辰巳遊廓の沿革や実態について書かれた文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:56)
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○尾小屋鉱山について『近代石川県地域の研究』(11917681)p.179-205「尾小屋鉱山と横山鉱業部」『ふるさと写真館』(118505938)p.86-87「横山家の尾小屋鉱山」、p.120「尾小屋鉱山でストライキ」、p.153「華麗なる一族~鉱山王・横山家の映画と没落~」、p.295「尾小屋鉱山休山を発表」『からくり師大野弁吉とその時代』(118489262)p.353-375「石川県の近代鉱業と尾小屋鉱山」、p.372に「鉱山町に特有の遊廓の形成と「娼妓制度」などをめぐる社会問題など、尾小屋鉱山に関しては今後とも様々な視点からの考察が可能であり、また必要である」と記載されている。『ふるさと石川歴史館』(118377936)p.414-415「尾小屋鉱山の盛衰 近代的経営導入し発展 全盛期のストで失速」『20世紀の照像』(118388161)p.38「尾小屋鉱山・1910年(明治43)」、p.39「尾小屋鉱山の鉱山労 ...
ご自身で『名前から引く人名辞典』日外アソシエーツ株式会社/編 新訂増補 日外アソシエーツ,2002.8(112351861)を引き、p.1411「ゆうこく 有国 ありくに 浦井有国」の項目を発見、コピーされた。当館OPACでヒットせず。WEB検索。デジタル版 日本人名大辞典+Plusに項目があったため、自館に所蔵がある講談社日本人名大辞典 上田 正昭/〔ほか〕監修 講談社 2001.12 (112313628)を参照。p.294-295「浦井有国」の項目をコピーされた。国立国会図書館サーチで検索し、デジタルコレクションで『眺望集』浦井有国 編 橘仙堂;松月堂 1825、『新六歌仙』浦井有國 [編] 1847が参照できることを紹介した。
【検事正官舎の旧地について】 現在黒門前緑地に移築されている検事正官舎の旧地の隣に地方裁判所長の官舎があったらしい。その配置がわかる資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:56)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:56)
○質問者からの情報提供質問者が持参した黒門前緑地<旧高峰家・旧検事正官舎>のパンフレットによると、旧検事正官舎の来歴は以下のとおり。明治43年(1910) 兼六園下に建てられる。大正7年(1918) 路面電車敷設による道路拡張とともに現在地に移築される。また、当館所蔵の『金沢市電車開通記念写真帖』(11906741)に移築前の写真が掲載されている(「兼六公園より本社の敷地を望む全景(金沢地方裁判所々長及同検事正官舎敷地を買収し本社敷地に充用す 大正六年十一月十五日撮影)」、「本社変電所等建築以前の光景(金沢地方裁判所々長及検事正官舎の光景 大正六年十一月十五日撮影)」)。両官舎の位置関係はわからない。検事正官舎の旧地は現在の兼六園駐車場の場所に当たり、移築後は北鉄本社や石川県税事務所があったとのこと。 ...
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