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石川県関係人物文献検索に名前なし。『加賀の茶道』(11822488)p.93に「桑原宗宣筆録になる一書が、宗宣の門弟であった小笠原家に伝わっている」と記されている。また、p.174-175「昔話 乾益次郎」の項に「茶道は裏千家流、桑原宗貞の薫陶をうけられた」と記されている。『加賀の茶室』(118415536)p.278「桑原家歴代」に「宗宜は真野宗古、湯川宗俊とともに同流の北陸三哲といわれ、明治の終わりに八十余歳で没した」と記されている。Google検索により、以下の文献が見つかった。『山梨大学教育人間科学部紀要 11巻』p.329-341「近代数寄者の地域的展開 関西・中京・金沢」 斎藤康彦/著 p.33-3409に裏千家11世玄々斎精中の直弟子として「桑原宗宜」、その門人に「桑原宗定」の名前が記されている。山梨大学学術リポジトリ【URL】http://opac.lib.yamana ...
官報情報検索サービスで質問者の氏名を検索したが見つからなかった。北國新聞データベースで検索したところ、平成29年3月1日の記事に名前があり、高齢者叙勲を受けたことがわかった。内閣府ホームページによると、高齢者叙勲とは、春秋叙勲によって勲章を授与されていない功労者に対して、年齢88歳に達した機会に勲章を授与するもので、毎月1日付けで実施しているとのこと。(内閣府ホーム > 内閣府の政策 > 日本の勲章・褒章 > 勲章・褒章制度の概要)【URL】http://www8.cao.go.jp/shokun/seidogaiyo.html前例を調べたところ、平成28年2月27日の北國新聞の高齢者叙勲記事に掲載された人は、同年3月17日の官報に名前が掲載されていた(ただし、全員ではない)。<追記>『官報 第6992号』(平成29年4月5日)7ページに瑞宝小綬章の受章者として名前が掲 ...
石川県関係人物文献検索では見つからず。当館所蔵検索で以下の文献が見つかった。『心の紀行』(11903070) 重山 徳好/著『原論北陸 第4号』(118561329)p.35-40「政争夜話 ラッパと狸の握手」 重山 徳好/著『医王』(119565780)p.127-128「重山徳好」また、『石川百年史』(119563130)p.955、『郷土の政財界の人々 第一部』(118564160)p.57-61にも記載があったが、経営した新聞(社)の名前は書かれていなかった。『石川県史 現代篇3』(118412759)p.543に「「北国タイムス」は、終戦直後に重山徳好が社長、岡谷清次郎が編集局長となって創刊」と記載されている。
【黒本稼堂の経歴について】 黒本植(稼堂)は1914年12月現在に京都師範学校で教えていたと推測されるが、彼の当時の勤務先が確認できる資料はないか。黒本の伝記資料があればありがたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:05)
『春酒介寿集』(119649164) 黒本植/著 稼堂先生著書刊行会 1934年収録されている自叙伝p.14に「第一中学校長森外三郎氏ハ、同郷人ニテ友人ニテモアリ、之ニモ頼マレテ転任シ、在勤十年、大正十一年三月職を辞シ」との記載がある。『文学』1979年11月号 岩波書店 第47巻11号(11903750)に収載されている論文p.26-36 「漱石の「祝辞」について -漱石と黒本植」 北山正迪/著 に黒本植の経歴について記載がある。『春酒介寿集』は当館のほか、石川県立図書館、京都教育大学附属図書館のOPACに所蔵情報がある。また、国立国会図書館デジタル化資料『京都府師範学校沿革史』p.280に京都府師範学校での黒本植の在籍期間についての記載がある。この資料は国立国会図書館ホームページで公開されている。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1277555/1/162
質問者からの情報提供によると、出典は国文学研究資料館所蔵「越前史料」所収の『三好波静略伝』で、慶応元年1月21日条に三好波静(三好助右衛門、福井商人)が金沢の福井藩出店「順好堂」に勤めたことで褒章を受けている。三好波静は文久年間に長崎で福井屋を経営し、また大聖寺で製茶を学び長崎に輸出していた。製茶を学んでいたことから、『加賀茶業の流れ』(119564595)を確認したが、「順好堂」についての記載は見つからなかった。ただし、p.20に「元治元年(一八六四)福井の商人片屋市太郎が職工を連れて江沼郡矢田村の製茶場に赴き、紅茶を製造した」との記載がある。『金沢市史 資料編7 近世5』(119763300)p.504-519「茶商売」の項及びp.539-550「千とり杖」(金沢近郊名所・諸店案内)に「順好堂」の名前なし。『公武合体論の研究』(110 ...
【名士余技展について】 昭和3年1月15日に金沢で開催された第8回名士余技展の概略・出展作・出展者が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:04)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:04)
15日前後の北國新聞で記事を探す。1月19日に写真掲載あり。会期は15日から24日、開場は石川県商品陳列所とある。当館所蔵の『石川県商品陳列所第20年報』(119503034)昭和5年刊 を確認したところ、第10回の「余技作品展覧会」出品内容、点数、出品者地域別人数が記載されていた。第8回が記載されていると思われる18報を所蔵する県立図書館に内容確認を依頼。第8回余技作品展覧会は第19報 昭和4年刊 に記載があること、記載内容は20年報と同じ項目であることを確認し、質問者に県立図書館を紹介した。
【回天の設計に携わっていた父の業績について】 父が呉の海軍工廠に在籍し、回天を設計したと聞いている。また、親戚で徴兵され満洲へ行き終戦後シベリアで抑留された人がいる。二人のことがわかる資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:04)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:04)
・『士官総覧』等軍関係名簿に当るが記載なし。・回天・人間魚雷などをキーワードに検索し、『人間魚雷』等を提供するも記載なし。・改めて回天設計に携わった人を調査 回天は、1943年陸軍の沢崎正恵が設計し軍に上申。その後黒木博司、仁科関夫が考案。改良を重ねたことがわかった。・『呉市史』第4巻記載なし。第6巻p425~432に「特攻兵器の製造」に設計に関わった人々の名前があるが対象者の氏名なし。・広島県立図書館所蔵の『呉海軍工廠職員名簿(S3)』にも記載なし。・石川県立図書館所蔵の『回天』 に記載なし。・国立国会図書館軍事関係名簿を調査するも該当する名簿なし。もう一人の人物と合わせ軍籍記録を調査した。同様の調査結果が埼玉県立久喜図書館がレファレンス協同データベースに掲載されていた。「昭和24 ...
【前田家の殿様の話し言葉について】 江戸時代初期の前田家の殿様がどのような言葉を実際に使っていたのかが書かれた資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:04)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:04)
殿様の言葉が直接書きとめられたわけではないが、前田利家・利長・利常の言行録として以下の資料を紹介した。『御夜話集 上編』(118405235)『御夜話集 下編』(118512039)『加賀藩史料 第1編』(11801624)p.642-698「前田利家行状」『加賀藩史料 第2編』(11801625)p.214-223「前田利長行状」『加賀藩史料 第3編』(11801626)p.588-763「前田利常行状」
【彦三の番地について】 原戸籍に記載されている、明治35年頃にあった「彦三十五番丁」の現在の住所が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:04)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:04)
『住居表示区域町名便覧』、『日本歴史地名大系 17 石川県 石川県の地名』(111271846)、『稿本金沢市史 市街編第2』(11906332)などによると、彦三は一番丁から八番丁までしか存在しない。「彦三十五番丁」に居住していた戸主が八十島姓であったため、八十島姓の人物が彦三に居住していないか調べた。『金沢市文化財紀要 185 彦三町遺跡』(119763024)p.35「第26図 金府大絵図」、『金沢・北陸の城下町』p.14の「四ハン丁」に「八十島」と記載されている。『加賀藩組分侍帳』p.165「八十島祥庵 含」(加越能文庫 特16.31-65「先祖由緒并一類附帳」によると戸主の父に相当)の住所は「彦三四」と記載されている。『住居表示区域町名便覧』等によると、彦三四番丁は現在の彦三1丁目に相当する。
【馬場小学校の旧校舎について】 馬場小学校の旧校舎が金沢市内で最初のコンクリート建築だったかどうかが知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:03)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:03)
『石川の近代建築 富山の洋風建築』(11907175)「32 金沢市立馬場小学校」に「いまの校舎は昭和五年八月、それまでの木造校舎が焼失したあと、新築された。県内に現存する鉄筋校舎では一番古い」と記載されている。『おもいで 還暦記念誌』(119407323)p.148-149「参考資料 《母校の沿革》」によると、馬場小学校の校舎の建築の歴史は以下のとおり。明治3年11月 小橋小学校が創立される。明治24年6月 現在地に校舎を新築する。明治37年4月 新校舎が落成する。昭和5年8月 現校舎が落成する。昭和63年7月 改築校舎が完成する。『金沢市馬場尋常小学校学校経営之概要 昭和8年度』(119510718)に校舎前景の写真が掲載され、沿革大要に「同(昭和)五年八月 新校舎竣工ス」と記載されている。『昭和初期の 木谷吉次郎翁と馬場尋常小学校』(109159016)p.1に「 ...
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