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東京大学史料編纂所近世編年データベースにより加賀藩史料を検索したところ、以下の資料が見つかった。『加賀藩史料 第4編』p.945-946「(元禄元年)三月。非人小屋に収容せられたる刀鍛冶清光一族の待遇に関して上申す」この資料によると、清光の本名は長兵衛(長右衛門とも)といい、父子3人で御細工をしていた。 兄は次郎九郎、弟は太郎という。妻の名前は記されていない。『加賀松雲公 中巻』(119437117)p.653に「非人清光通称長兵衛。初代藤嶋友重以後第六世の刀工と云ふ(中略)其父子三人に各米七合五勺を賜ひ。別に其妻及幼児に物を与へ」と記されているが、妻の名前は明らかにされていない。その他、清光については『加州刀工一覧』(119557920)p.28-29、『加州刀工系図資料』(119557901)p.3、『石川県史 第3編』p.718-722に記載があるが、妻の ...
【100年前の片町の豆腐屋について】 100年くらい前まで片町にあった豆腐屋について書かれた資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:09)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:09)
質問者からの情報提供によると、以下の文献に記載がある。『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)p.212 「豆腐 紺清外次郎 河原町57」その他、紺清外次郎の名前が載っているものとして以下の文献を見つけた。『家屋ノ賃貸価格ニ関スル下調書 昭和五年度 旧第二区』(119527760)「河原町57ノ1 紺清外次郎」『金沢市史 資料編11 近代1』「明治二八年度県税中商業税分賦等級別交名簿」p.715に「塩 河原町 紺清次三郎」の名前がある。『明治大正期商工信用録 第4巻 明治44年』(118583836)石川県下p.50に「〔姓名〕紺清次三郎 〔職業〕麩及豆腐陸軍用達 〔所在地〕仝(金沢市)、河原、三三 〔開業年月〕仝(維新前)」と記載されている。『明治大正期商工信用録 第12巻 大正7年』(118583818)石川県下p.30に「〔姓名〕紺清吉三郎 〔職業〕酒味噌醤油 〔所在地〕 ...
○芝生『金沢市史 通史編3 近代』(119958310)p.519「モダン金沢」「純喫茶店は昭和に入って定着した。片町のミドリヤ、カナリヤ、尾張町の石黒ファーマシーなどが古く、六年に香林坊交差点の明治製菓が開店し、芝生、モナミ、トキワパーラー、コンパル、白椿、十年以降には、アポロン、モンテローザ、山彦、ヒュッテ、りやん、処女林、仙石パーラー、ドリヤン、南海、白夜などが登場した。ちなみに、昭和七年には、広坂署管内のカフェーだけでも四九軒、女給の数は二七四人をかぞえ、最盛時の昭和十二年には七~八〇軒の店舗が存在したという。」と記載されている。『柿木畠タウンガイド』(109205629)p.22「喫茶 芝生」「昭和七年開業の老舗喫茶。」と記載されている。『金沢・柿木畠』(119378375)p.72「芝生開業当時の昭和七年頃」と ...
『角川日本地名大辞典 17 石川県』p.973「割出郷」「戦国期から見える郷村名。加賀国石川郡倉月荘のうち。現在の金沢市割出町に比定される。破出とも書く。応永24年12月13日、摂津満親が「加賀国倉月庄内諸江破出・山口破出」を南禅寺ホウ勝軒に寄進したのが初見」『日本歴史地名大系 17 石川県』p.471「割出村」上記と同じ説をとる。『加賀志徴 下編』p.367「割出村 按ずるに、割出の邑名は改作方より起りたるものにて、此村もし古き村にてあらざる時は、三州改作方命ぜられたる比などに、立たる村名ならむか」
『県下図書館長会議要項』(119535468)「大礼記念金沢市立図書館絵葉書」以下の3冊は上記資料を複製したもの。『金沢市立図書館六十年誌』(119465668)巻頭写真『写真集明治大正昭和金沢 ふるさとの想い出』(11900848)p.71「金沢市立図書館」『目で見る金沢の100年』(119752610)p.68「金沢市立図書館」その他、以下の資料に写真が掲載されている。『金沢市立図書館全景写真』(11918247)(近世史料館所蔵)『金沢市写真帖』(11906744)「大礼記念金沢市立図書館」『金沢 〔昭和7年〕』(118596191)p.28「大礼記念金沢市立図書館」『〔大礼記念〕金沢市立図書館案内』(11904009)表紙写真『金沢市要覧 〔昭和12年〕』(118309097)p.63「大礼記念金沢市立図書館」
【セント・アイヴスについて】 イギリスのセント・アイブス(St.Ives)という町について書かれた本はないか。アートによるまちづくりを行っているらしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:09)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:09)
『イギリス文化事典』(112542101)p.122「ニコルソンたちはコーンウォールのセント・アイヴスに住みつき、これが後に「セント・アイヴス派」(St Ives School)と呼ばれる画家たちを生みだす契機となった。コンストラクティヴィズム(Constructivism:構成主義)と呼ばれる彫刻を試みた、ロシア生まれのガボーもセント・アイヴズに住んだ芸術家の1人であった」『イギリス文化事典』(113360140)p.581「日本で陶芸をひととおり学んだリーチは、今度はヨーロッパの陶芸を身につけるべく、1920年にイギリスに帰国した。そして、濱田庄司(1894-1978)や松林靏之助(1894-1932)といった日本人陶芸家の助けを得てコーンウォール州セント・アイヴスに窯を築き、以後そこを拠点として活動した」『阿川弘之全集 第19巻』(112813124)p.323「セント・アイヴス紀行」「漁業と鉱 ...
【飯田景応について】 金沢市出身の作曲家、飯田景応が昭和29年に並木町の北國劇場又は北国第一劇場で自身の音楽生活25周年記念の会を開催したことが書かれた新聞記事が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:08)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:08)
『金沢の百年 大正・昭和編』(市史年表)(109089889)に飯田景応の記載なし。石川県立図書館ホームページ「石川県関係人物文献検索」によると、以下の文献に飯田景応の記載がある。『加能人 1999年8月号』(170162535)p.4-5「金沢生まれの名作曲家「飯田景応」」 高原重兵衛/著『加能人 2000年7月号』(179018327)p.3-4「わが青春の「飯田景応」」 高原重兵衛/著『石川県大百科事典』(1993年刊行)(118310632)p.37「飯田景応」また、以下の文献にも記載がある。『日本の作曲家 近現代音楽人名事典』(112976059)p.37「飯田景応 [生]1916年(大正5年)2月5日 [没]1967年(昭和47年)1月3日」北國新聞データベースにより以下の記事が見つかった。北國新聞 2002年(平成14年)7月8日 朝刊 9面「歌謡界で活躍の県人二人」 高原重兵衛/著北國新聞 2010年(平成22年)12月18日 朝刊 32面「飯 ...
【石川県内のゴルフ場について】 石川県内のゴルフ場について書かれた本はないか。加賀芙蓉カントリークラブについて調べたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:08)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:08)
「加賀芙蓉」で資料検索したが見つからなかった。インターネットのGoogleで検索したところ、アイランドゴルフガーデン加賀のホームページが見つかり、もとは加賀芙蓉カントリークラブであったことがわかった。【URL】http:/www.island-golf.co.jp/kaga/ (Home > News&Topics > コース名変更のご案内)北國新聞データベースで検索したところ、2013年09月11日の朝刊5頁に「アイランドゴルフに譲渡 小松市の加賀芙蓉カントリー倶楽部 丸紅グループ」という記事が見つかった。その他、石川県内のゴルフ場に関する資料は以下のとおり。『加南地方史研究 第14号』(109184037) 「加賀温泉郷ゴルフ場内遺跡(予報)」 上野与一/著 小松市二ツ梨、矢田野、荒屋、那谷、馬場、加賀市分校、箱宮町の丘陵に加賀温泉郷ゴルフ場が建設されることにより、工事に先立っ ...
【戦前の湯涌の地図について】 「湯涌温泉濫觴記」に湯涌の地図が載っていないか。湯涌の1920年から戦前にかけての地図はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:08)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:08)
○湯涌温泉濫觴記について近世史料館氏家文庫特13.0-31「湯涌温泉濫觴記」は氏家栄太郎の手写で、地図は収録されていない。『汲古雑録』(119546962)p.92-107に「湯涌温泉濫觴記」の活字が収録されている。湯涌の地図は収録されていない。○湯涌の地図について『ゆわく』(119570627)p.76及び『ふる里』(109068780)p.5に「湯涌谷村誌」所収の簡略な地図が収録されている。集落内の建物の配置等は記載されていない。陸地測量部発行二万分一地形図に「湯涌」があるが、集落内の建物配置等は判読できない。『金沢市詳細図』(昭和38年発行)(118407249)p.133に湯涌温泉の地図が収録されている。
【百万石まつりの傘鉾について】 むかしの百万石まつり又はその前身の祭りに傘鉾が出ていたらしいのだが、その写真はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:08)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:08)
『加越能の曳山祭』(118364670)p.317-325「傘鉾から曳山へ」によると、傘鉾は依代となるホコと、ホコを飾りたてる傘が一体となったもので、京都祇園祭などでみられる。曳山の原型の一つとされ、高岡、福野、城端など越中地方の曳山との関係が深い。加賀地方では、三輪車の曳山が傘鉾から始められたものと思われ、美川、金石、松任の三輪曳山が傘鉾と関係があるとのこと。『旧藩祖三百年祭と金沢の祭 盆正月から百万石まつりへ』(109180637)p.12「46 尾山神社昇格慶賀祭御分霊神輿渡御行列」に傘鉾らしき絵が描かれている。『金石町誌』(11801960)巻頭写真「第11図 大野湊神社千二百年祭行列ノ図」及び下記ホームページの同図に傘鉾らしき絵が描かれている。金沢市立玉川図書館近世史料館 平成23年 新春展 宮越から金石へ【URL】https://www2.lib ...
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