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○寺町『ふるさと写真館』(118505956)p.45「松月寺の大桜」(明治30年頃、大正6年頃、大正13年頃)、p.124-125「野町広小路界隈」(金沢市野田寺町5丁目(現在のつば甚前付近)から眺めた野町広小路、金沢市広小路から寺町を望む)『金沢のいまむかし 写真と地図でみる』(118498145)p.20-21「寺町台地より市街地中心方向のまちの姿」(昭和8年、望楼付きの木造三階建ての建物)『写真集明治大正昭和金沢』(109152230)p.15「寺町の松月寺大桜付近」(大正期、大正末-昭和初期)○飛梅町『ふるさと写真館』p.56-57「金沢第二中学校」(明治頃)『北陸鉄道の歩み』(119561898)p.30「市内電車開通前の石引町」(大正6年)、「同市内電車開通後のもの」『石川百年』(109204668)p.13「大正初期の金沢市出羽町」『写真集 明治大正昭和 金沢』p.8-9「石引町」(市電開通前・後)○石引町『 ...
・『金沢市史 通史編3 近代』p518~519「大正6年(1917)、金沢初のカフェーブラジルが、やはり香林坊に開店している。(中略)純喫茶店は昭和に入って定着した。片町のミドリヤ、カナリヤ、尾張町の石黒ファーマシーなどが古く、6年に香林坊交差点の明治製菓(明菓)が開店」・『金沢の百年 大正・昭和編』(市史年表)( 109089889)p53「大正8年(1919)11.3 石浦町にカフェー・ブラジルが開店した。金沢最初のカフェー」・『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(改編版)(118388152)p133香林坊交差点の写真解説に「金沢におけるカフェーの草分けのブラジル(1919年〈大正8〉開店)」・『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)p40~41カフエ・サンライズ 大正12年創業カフエー・ブラジル 大正8年創業カフエ・パリー 大正13年創業カフェエー・ミカド 昭和2年創業 ...
【狂言の野村家について】 野村萬斎の先祖が金沢出身と聞いたことがあるが、そのことについて詳しく書かれた文献はないか。江戸時代には金沢のどの辺りに住んでいたのか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:39)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:39)
『かなざわ偉人物語 5』(119870338)p148-『能楽史話』(129417074)p396-397『演劇百科大事典 第4巻』(11825266)p407-408『能・狂言事典』(113108828)p441『能楽大事典』(113192053)p703-『六世野村万蔵 狂言の道』(112202825)p167「萬斎聞書」の章に「私は加賀は金沢、桶町の産であります。」と記述あり。『かなざわ偉人物語 5』p150「明治十六年(一八八三)、五世野村万造(六世野村万蔵の父)は二十一歳の時、金沢の桶町(今の尾張町)から、(中略)上京した。」と記述あり。『角川日本地名大辞典 17』(118552562)p207桶町(おけちょう)は、現在の彦三町1・2丁目、尾張町2丁目『金沢町名帳』p316「新町」の項に「御家中日用才許・狂言方役者・記録方并居町組合頭 野村万蔵」の名前がみえる。野村万蔵の居住地は『金沢町絵図』p226に記載されている。それによると、現在の尾張町2 ...
調査過程・『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)P36で創業明治12年であることを確認した。→創業者は大友佐一とわかり、県立図書館の石川県関係人物文献検索を確認した。『石川県人名事典 現代篇3』(118311694)P55によると、明治31年から駅弁当屋になると記載あり。・『金沢老舗繁盛記』(119621969)P9、『金沢の老舗』(11841303)P52、『老舗のおかみ 金沢・加賀・能登』(118393134)P34に創業1830年、加賀藩の御膳所(ごぜんどころ、ごぜんしょ)を永く勤めていたと記載あり。・『老舗百年』(11909605)P59には「大友儀左衛門は加賀藩御料理頭を八十石で勤めて」いたとある。・『包丁侍舟木伝内 加賀百万石のお抱え料理人』(113313570)P31に大友儀左衛門が安政5年(1858)11月18日御料理頭に就任したとある。(出典:諸頭系譜下P905)・『加能郷土辞彙』(初 ...
【金沢カレーについて】 金沢カレーの発祥について書かれた資料はないか。また、代表的な金沢カレーの店がどの辺りにあるのかを知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:39)
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北國新聞記事データーベースから検索。北國新聞の2009年1月6日から1月10日 ふるさとから挑戦第二話厨房の鬼②によると・1961年にチャンピオンカレーの創業者田中吉和がのちに「金沢カレー」と呼ばれる独特のカレーライスを始めたとの記載あり。・その他、会社組織の創業や、後に「金沢カレー」と呼ばれるカレー店の経緯等についても比較的詳しく触れている。同記事で記載されている。「金沢カレー」の店舗については以下のとおり。カレーのチャンピオン 全国に43店舗ゴ―ゴーカレー 全国67店舗 海外6店舗(アメリカとブラジル)カレーの市民アルバ 関西・関東中心 6店舗ターバンカレー 北信越・関西に4店舗『石川あるある』(118570865)p.15「カレーはやっぱり「金沢カレー」に限る」『金沢の法則』(118574327)p.088「「金沢カレー」が全国ど ...
『夢二 美の巡礼者』(119706411)p.3「岸たまき(戸籍名は「他万喜」)、金沢市味噌蔵町下中丁3番地で、明治15年7月28日に生まれている。父は加賀藩士の出、岸六郎右衛門である」『全仕事・竹久夢二の世界』(119706387)p.8「たまきは、金沢市味噌蔵町(現大手町)に生まれ、代々加賀藩に仕えた士族の娘であった」『お葉というモデルがいた』(111728691)p.96「早稲田鶴巻町の絵はがき屋「つるや」の女主人、富山県出身の岸たまき(戸籍上は他万喜)である」『竹久夢二 大正ロマンの画家、知られざる素顔,生誕130年永久保存版』(113466120)p.24-34「夢二の想出」(岸たまきの回想録)『日本女性の歴史 12 大正の女性群像』(11011195)p.114「岸たまき(戸籍名他万喜)は石川県士族の裁判官の次女」小林文庫の中に岸たまきの略歴に関する資料は見つからなかった。
質問者からの情報提供によると、戦前(明治~大正頃)にあったのではないかとのこと。『タウンページ 石川県のと版』p.239によると、平成27年現在、七尾市内には1件の牧場が存在している(七尾市湯川町)。以下の文献を探索したが、御料牧場に関する記載は見つからなかった。『新修七尾市史 10 産業編』(119973193)p.291 牛馬組合村を掲載『石川県史 第4編』(118412276)p.985-1000「畜産業」
【土佐派について】 ① 土佐光芳の略歴が知りたい(光敬と同一人物かどうかを確認したい)。② 土佐光貞筆とされる「三佛斉白象朝貢図」を見たい。③ 土佐派の系図を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
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①土佐光芳の略歴『大日本書画名家大鑑 伝記 上編』(118492642)p.616「光芳 〔画〕土佐光芳、光祐の男、正五位下大蔵大允たり、絵所預となる、元文三年大嘗会悠記主基の御屏風をゑがく、後、剃髪して常覚と号す、明和九年八月廿九日卒す、年七十三」『評伝 日本書画名家辞典』(11822975)p.646「土佐光芳(後略)」『東アジア文化交渉研究 第7号』「近世の土佐派と復古大和絵-「復古大和絵」の定義の問題」 日並 彩乃/著 p.148に光芳の略歴あり。関西大学学術リポジトリ【URL】http://hdl.handle.net/10112/8274② 三佛斉白象朝貢図『美術品所蔵レファレンス事典 日本絵画篇(古代~中世)』(113531158)p.332、『日本美術作品レファレンス事典 第2期絵画篇』(112726762)p.958「土佐光貞」に同名の作品なし。日並前掲論文p.151に挿図2として土佐光貞《粟に鶉図》が掲 ...
【「風俗画報」投稿者について】 「風俗画報」によく投稿していた人物がどういう人か知りたい。①池田かげろう(太郎) ②竹内南山人(外喜男) ③五峰庵 ④辰川芳翠(鑛作) ⑤丸谷きの字(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
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石川県立図書館ホームページ:石川県関係人物文献検索【URL】http://www4.library.pref.ishikawa.lg.jp/ (調査2015.11.19)国立国会図書館サーチ【URL】http://iss.ndl.go.jp/?type=psrch上記にて、記載のある資料の内容調査を行う。①池田太郎 「風俗画報261号」(109136960)p47追悼記事に略歴あり。明治5年2月25日~明治35年9月。津幡出身。小学校教員④辰川鑛作「北陸の産業と温泉」(118273305)p205加賀友禅の巨匠。茶道宗和流宗匠「日本の茶家」(11056636)p44212代立川宗弘、本名鑛作 此松庵と号し中川除町に住む。書画の号は芳翠。昭和20年7月15日没(享年67歳)②③⑤の人物については、資料みつからず。
【那谷寺の薬師如来について】 那谷寺の薬師如来の厨子に蝶の家紋がつけられているが、どこの家紋か。また、その家と仏像との関係について詳しく知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
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蝶の家紋であれば、加賀八家の村井家の可能性が第一に考えられる。『加賀藩八家墳墓史』(119458805)p.152によると、村井家の家紋は「丸に揚蝶紋」である。村井家と那谷寺との関係を調べるため、以下の文献を探したが、手がかりは見つからなかった。『那谷寺』(118404766)薬師如来に関する記載なし。『那谷寺誌』(180520272)「那谷寺什器明細表」の中に薬師如来なし。『新修小松市史 史料編9 寺社』(109111308)『加南地方史研究 第58号』(109131300)『同 第60号』(109175539)那谷寺文書(由来書、書状等)を収載するが、薬師如来に関する記載なし。『加賀市史料 4 大聖寺由緒帳』(11915873)p.283-293村井家由緒帳に薬師如来に関する記載なし。『小松市立博物館研究紀要 第7集』(109229756)p.1-35「那谷寺記録管見」清水藤九郎/著p.26「峯薬師如来 一尊 桂林院様御 ...
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