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【石川県師範学校および石川県啓明学校、校長野村彦四郎について】 明治8年10月から明治10年7月にかけて石川県師範学校および石川県啓明学校(いずれも金沢大学の前身)の校長を、明治12年ごろ石川県学区取締を、明治13年6月から明治14年4月まで羽咋郡長を務めた野村彦四郎という人物について調べている。記述、写真、史料、研究文献があれば紹介してほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
『〔石川県師範学校学友会〕会誌 第57号』(118561383) 巻頭に第一代校長として写真あり。『石川県師範学校同窓会会員名簿』(119511368) P12 「死亡、就任 明治8、去任 明治10」と記述あり。『金沢大学の淵源 加賀藩医学館から甲種医学校まで、および石川県啓明学校・石川県専門学校の歴史』(109175243) P101 略歴記載あり。石川県立図書館のサイト石川県関係人物文献検索で検索の結果『石川県史 第4編』P174『石川百年史』P153(写真)、669『石川教育』第137号(大正4年7月)P35『歴代顕官録』P757 明治19年4月より第一高等中学校長を勤める。(国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。)【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1021174/1/1
【滝村の御救米願について】 『一ノ宮の歴史』p.103に「御救米願」(享和3年正月15日の海難事故に伴うもの)という史料の翻刻が収録されているが、後半の百姓名が省略されているので、全文が掲載された史料はないか。(出典は加越能文庫と記されている。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
『加賀藩史料 第11編』の享和3年の項には記載なし。滝村は現在の羽咋市域に該当するため、『羽咋市史 近世編』を確認したところ、p.605に全文が収載されていた。同ページに「滝村起網一件(加越能文庫16.73-7)」の表紙写真が掲載されている。近世史料館で確認したところ、同史料内に「御救米願」の原文が収録されていた。
『北国新聞に見るふるさと110年』上・下は2003年の刊行のため、それ以降の記事はなし。ここ10年程度の新聞記事の見出しを一冊にまとめた本は、現在のところ刊行されていない。ただし、北国新聞が年末(12月29日頃)に、その年の主な出来事(略年史)をまとめているため、『北国新聞縮刷版』の12月号を紹介した。
【神威と自然現象との関係について】 神仏の力によって風が吹くなどの自然現象が発生したことが書かれた郷土の文献があれば教えてほしい。(『三州奇談』に出てくるとのこと。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
『加賀藩史料 第10編』p.899「春日野晴嵐 地震よりさきにくづるる引山は袋の神のあらし吹くかも」『白山颪』(109177542)9丁にも同じ狂歌が収載されている。
【天保6年の火災について】 『加賀藩史料 第14編』p.560に「三月十一日。横安江町より火を失す」とし、次のページに焼けた町名などが記されているが、武家地か町人地なのか教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:29)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:29)
p.561「横安江町青木八郎左衛門出火、武家寺家町家軒数附」とあり、被災地は武家地・寺地・町地にまたがっている。青木以下28家・・・武家地東末寺以下9寺・・・寺地横安江町以下9町・・・町地
○闇市の定義「闇取引の品物を売る店が集まっている所。第二次大戦直後、各地にできた。闇市場。」(『大辞泉』) 闇市が存在したのは敗戦後から昭和25年頃にかけてとされる(『国史大辞典 14』)。○金沢における闇市の所在地『金沢市近江町市場史』(11902686)p.76に「昭和20年(1945)11月20日、魚類の統制が撤廃されるとヤミ市となった近江町にはだれかれとなく品物を持ち込んで品物を売り繁盛するのであった。」と記されており、近江町市場が敗戦後の一時期、闇市と化していたことがわかる。『石川の戦後50年』(118557872)によると、片町に「寿美田の扇屋さんのとなりの、今の片町センターのところに、バラック営業の市民市場」、「昔の大和の大橋寄り」の「連鎖店」の二つの闇市があった(p.44-45「ヤミ市の活気」)。『20世紀の照像 石川写真 ...
・『前田利家の出自 荒子城物語』(119778887)p71 (五)荒子衆「『北藩秘鑑巻十八』によれば「尾州荒子御普代」とは、山森吉兵衛・奥村次右衛門・吉田長蔵・姉崎勘右衛門・三輪作蔵・山森久次・金岩与次 右七臣之外、村井又兵衛、(以下14名略)是等荒子衆ト云。一書、弘治二年より、荒子六人衆、高畠孫十郎、村井長八郎、原田又右衛門、木村三蔵、吉田孫兵衛也ト云。安土七人衆、吉田長蔵、三輪作内、姉崎勘右衛門、山森橘兵衛、山森久次(後改恒川)、奥村次右衛門、金岩与次」以上が荒子城時代の家臣である、と記載されている。・『石川県大百科事典』(118310632)p31 荒子衆前田利家が尾張国荒子城を領有していたころ(1569~75年)の従臣。そのうちでも山森伊織、奥村治右衛門、吉田孫兵衛、姉崎四郎衛門、三輪作蔵、山森久次(後に恒川と改 ...
【東部第52部隊(山砲)の兵舎跡地について】 昭和19-20年当時の東部第52部隊(山砲)の兵舎跡地の現在の番地を教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:29)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:29)
まず、「東部第52部隊(山砲)」に関する記述を探した。『旧第九師団野砲兵山砲兵第九連隊将校名簿』(119566366)p.5「山砲兵連(大)隊、独立混成旅団砲兵隊関係部隊名(山砲兵第九連隊)」の「連(大)隊独混砲兵隊」として、「山砲兵第五十二連隊」があり、駐屯地は「金沢」と記されている。以下、「東部第52部隊(山砲)」は、「山砲兵第五十二連隊」のことであり、同兵舎は「山砲兵第九連隊」内にあったと仮定し、所在地を探した。『金沢市街地図 昭和七年度』によると、野田町に「5 山砲兵第九連隊兵営」がある。『金沢市史 通史編3 近代』p.636「野田兵営図」に「山砲兵第九連隊(現自衛隊)」の記載がある。陸上自衛隊金沢駐屯地のホームページ内「沿革」に 「金沢駐屯地は、昭和25年12月、旧陸軍野戦砲兵第九連帯跡地に、警察予備隊金澤営 ...
質問者からの情報提供によると、堀川町の辺りにあったが、大正年間に別の場所に移動したとのこと。『加能郷土辞彙』(初版)、『石川県の地名』(平凡社)、『角川日本地名大辞典17 石川県』などから、宗徳寺は堀川角場町にあったことが判った。堀川角場町は、『住居表示区域町名便覧』によると、現在の堀川町に該当する。『金沢・北陸の城下町』(119952792)・『城下町金沢の人々』(109168730)所収の絵図で探したが、町端のため掲載されていなかった。『金沢町絵図』p.177、久昌寺門前に「宗徳寺」あり。久昌寺門前は現在の堀川町に相当する(『石川県の地名』p.424)
【小川宗順斎について】 高岡で医師をしていた小川宗順斎(天保9-明治12)という人物について書かれた資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:28)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:28)
〇小川宗順斎について「先祖由緒并一類附帳」(『加越能文庫解説目録 上巻』収録)に「小川宗順斎」なし。『石川県史 第2編』収録の「侍帳」に「小川宗順斎」なし。『加賀藩組分侍帳』に「小川宗順斎」なし。『加能郷土辞彙』(改訂増補)p.992「小川玄徳」(御鍼医)、『石川県史資料 近世篇9 諸士系譜 2』「小川氏」(御鍼医)、いずれも「小川宗順斎」とは別系統か。『近世金沢の医療と医家』(113389694)に「小川宗順斎」なし。『金沢市史 資料編15 学芸』(119752058)p.451-456「近世金沢の医家資料」に小川姓は一家のみ(小川玄沢)。『石川郷土史学会々誌 第5号』(119552763)p.90-94「南疇小川孜成について」津田進三/著 小川(玄沢)家歴代の略伝を載せるが、「小川宗順斎」なし。以上から、前田家に仕官した形跡がなく、町医と思われる。〇小川宗四郎( ...
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