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『暮らしの歳時記 石川編』(118543948)P33 「しめ飾りにも地域色」 雑誌『銀花』(170315142)P22~「日本の正月飾り」 全国のしめ飾りの種類、写真や由来 『ほくりくの冠婚葬祭』(118466061)P170~「正月行事」 しめ飾りの歴史
【八家の系図他について】 明治以降について、長氏以外の七家の系図と、仙石家、不破家の系図について記した史料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:24)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:24)
○本多家『平成新修旧華族家系大成 下巻』(111784725)P524~525『石川県史資料 近世篇8 諸士系譜 1』○横山家『平成新修旧華族家系大成 下巻』(111784725)P822『石川県史資料 近世篇10 諸士系譜 3』○前田家『平成新修旧華族家系大成 下巻』(111784725)P542~543『石川県史資料 近世篇11 諸士系譜 4』○奥村家『平成新修旧華族家系大成 上巻』(111766807)P373○村井家『平成新修旧華族家系大成 下巻』(111784725)P713『石川県史資料 近世篇11 諸士系譜 4』○奥村家『平成新修旧華族家系大成 上巻』(111766807)P374~375○前田家『平成新修旧華族家系大成 下巻』(111784725)P540~541『石川県史資料 近世篇11 諸士系譜 4』○仙石家『角川日本姓氏歴史人物大辞典17 石川県姓氏歴史人物大辞典』(118421945)P321~322『石川県史資料 近世篇13 諸士系譜 6』○不破家『角川日本 ...
【北海道への移民について】 明治初期から中期にかけて、石川県から北海道へ移住した人々の数や移住先について記した史料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:24)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:24)
『金沢市史 通史編3 近代』p.49-「石川県人の北海道移住」・・・図1「本節に登場する金沢市からの主な移住地と石川県人の多い屯田兵村」、表15「明治後期における石川県から北海道への移住傾向」『石川の歴史遺産セミナー講演録 第9-11回』(2011年)(109132611)「石川県の北海道移民と能登」新本欣吾/著・・・図2「金沢市からの主な移住地と屯田兵村」、表1「石川県人の職業別北海道移住者数」(明治25-大正8)、表2「石川県移住者の移住先(国別)」(明治42-大正8)、表4「石川・富山県各郡市からの北海道移住動向」(『北海道在住加越能人名録』掲載の人数)、「明治20年代以降、石川県からは毎年1,000戸以上の人が北海道に入っている」『侍たちの北海道開拓』榎本守恵/著(北海道新聞社、1993年)(111416068)・・・見返し「北海道分領管轄図」(金沢藩) ...
【金沢の風呂屋について】 昭和初期の金沢で風呂屋を経営していた人の名前が記された資料はないか。本町2丁目(旧町名柳町)にある「紺屋湯」の先代の経営者の名前を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:24)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:24)
『金沢市詳細図 昭和38年版』(118407249)p.45に「こんや湯(橋爪)」(現店主)の記載あり。住所は英町である。『金沢商工人名録 昭和3年版』(金沢商工会議所、1928年)(119503114)では、旅館業の項目で一部「湯屋」が扱われているが、屋号に「湯」がつくのは「梅乃湯」の一軒のみ。『金沢市史 資料編11 近代1』(金沢市、1999年)所収「商工業名簿」には風呂屋の掲載なし。『金沢町名帳』(文化8年)には31軒の「(湯)風呂屋」が掲載されているが、柳町に風呂屋なし。『金沢市史 現代篇 下』(金沢市、1969年)p.255「理髪・浴場 大正13年3月湯銭の値下げ競争があり、昭和21年の湯屋一斉ストライキも世の関心を集めたものであるが(後略)」とあり、当時は「湯屋」の名称が一般的であった。『金沢の百年 明治編』(市史年表) (119871415)、『金沢の百年 大正・昭和編 ...
『金沢商工会議所百年史』(11909598)末尾にあり。
以下の自治体史に給帳などが収載されている。『福井県史 資料編 3』p.119-185「給帳」『福井市史 資料編 4』p.184-384「給帳」『福井市史 資料編 5』p.61-106「役人列集」『福井藩士履歴』1・2・3・4(福井県文書館、現在順次刊行中)【URL】http://www.library-archives.pref.fukui.jp/?page_id=467「ふくいの人物について調べる」(福井県立図書館OPAC内)【URL】http://www.library-archives.pref.fukui.jp/?page_id=154
○成り立ちについて説明している文献『常用字解 第2版』白川 静/著(113416110)p.302 記載あり。『常用漢字コアイメージ辞典』加納 喜光/著(11326523)p.481『本当は怖ろしい漢字』小林 朝夫/著(112845567)p.164『図説 漢字がわかる字源事典』新井 重良/著(113005188)p.88○元となった文字が表記してある文献『古代文字字典 甲骨・金文編』城南 山人/編(112364823)p.346『古代文字字典 別巻古文編』城南 山人/編(112463705)p.237『甲骨文字字典』小林 石寿/編(11088211)p.286
【「大坂冬の陣」について】 慶長19年(1614)の「大坂冬の陣」のうちの、12月4日の「真田丸の戦い」の戦況と推移について知りたい。「真田丸の戦い」には加賀藩主・前田利常公と藩兵が参加したと聞いたが、利常公と藩兵の行動に関連した図書・論文があったら、タイトル・発行元を教えてもらいたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:23)
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○図書『石川県史 第2編』(118412712)p.236~268「第7節 大阪両陣」『加能郷土辞彙』(改訂増補)p.129~130「大坂冬陣」『前田利常略伝』(119563794)p.18~26「8、大阪役」『小松黄門 前田利常公』(11827101)p.33「四日」○論文『加能史料研究 第7号』(1995.3)(119497741)「大坂冬陣における家中奉公人と給人夫役」木越隆三/著 p.1~21『市史かなざわ 第5号』(1999.3)(119640982)「大坂冬陣日記再考」長谷川孝徳/著 p.62~72『加賀藩研究 第2号』(2012.6)(109161195)「戦場における大名前田家の統制と加賀藩士の自律性―大坂の陣を事例として―」岡嶋大峰/著 p.1~17○史料集『前田氏戦記集』(118511917) 「大坂両陣日記」p.129~139、「大坂両度御出馬雑録」p.141~162『加賀藩史料 第2編』(11801625)p.265~283「大坂冬陣日記」、「三壺聞書」等『越登賀三州志』(119989783)p.281~283
○加賀獅子の由来『金沢市文化財紀要 48 加賀獅子』(109206457)p.21「金沢における獅子舞の起源は定かではないが、その歴史は古い。花園八幡町の波自加弥神社に、室町時代の作と考証される麦喰獅子(指定文化財)が現存するが獅子舞に使用されたか確かでない。一説によると天正十一年(一五八三)前田利家が入城したとき、獅子舞が行われたともいわれている。文献で明らかなものは、小立野二丁目の上野八幡神社の古文書には、天明七年(一七八七)、庶民の芸能として獅子舞が行われていたことが示されている。すでにこの頃、庶民の芸能として獅子舞が行われていたことは事実である。慶応年鑑卯辰山の天満宮建立に際しての祭礼に、各町が競演したのを期に激増したものという。」○胴の模様『加賀・能登の民俗 小倉学著作集第2巻 民俗芸 ...
『藤本文庫目録』(118402645)を確認したところ、法帖を書いたり、山本源右衛門(基庸)の書を写していることから、書家と思われる。『大日本書画名家大鑑』には「安田龍山」が収載されていない。改めて『藤本文庫目録』を確認したところ、佐々木派の絵師が安田龍山の肖像画を描いていることから、金沢の人物と思われる。『郷土の人と書』(11904350)、『石川県史 第3編』の書道の項目に「安田龍山」は見当たらず。日本古典籍総合目録で「安田龍山」を検索したところ、別号が「文卿」、本名が「政代」(まさのり)であることがわかった。『加能郷土辞彙』(初版)、『加越能文庫解説目録 上巻』(先祖由緒并一類附帳)、『諸士系譜』(石川県史資料所収)、『加賀藩組分侍帳』で「安田政代」は見当たらず。再度『藤本文庫目録』を確認したとこ ...
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