リンク集 RSS/ATOM 記事
ホーム >>
リンク集 >>
RSS/ATOM 記事 (22706)
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



カクテルの名前「ジン・バック(gin buck)」は、何に由来するものか?英国の「バック」というパブの名からきた、と何かの本で読んだ覚えがあるのだが…。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 14:15:00)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 14:15:00)
「カクテル : 初めてカクテルを作る : カラー図鑑」(成美堂出版)41ページ、ジン・バックの説明で、「ロンドンの名門バー、バックス・クラブが発祥だからとも、英語のバック(BUCK)に雄鹿や元気のいい若者といった意味があるので、そのキック感(酔いやすい感じ)から命名されたともいわれています。」と記述あり、ご紹介する。また、サントリーHPのカクテルレシピ「ジン・バック」には、「“バック”とは、スピリッツにレモン ジュースとジンジャー・エールを加えて作るスタイルのことで、“Buck”には“Stag”(雄鹿)の意味があり、“キックのある飲み物”ということから名づけられたと思われる。」と紹介されている。回答プロセス:カクテルに関する当館資料を調査する。 『カクテル : 初めてカクテルを作る : カラー図鑑』( ...
『中国料理辞典(下)技術・文化篇』 (同朋舎,1999.8)【シュウマイ/焼売/乾蒸焼賣】の項目(p.136)によると「シュウマイは地方によっては「焼麦(シャオマイ)」とも書き、病害を受けてまっ黒になった麦の穂を伝染を防ぐために焼いた、その形に似ているところからついた名称」という説をご紹介。『世界たべもの起源事典』(東京堂出版,2005.4)【シューマイ】の項目(p.164)に語源について諸説の記述あり。併せてご紹介。回答プロセス:1.食物関連の参考図書を調査2011.2追加調査2.商用データベースで調査「Japan Knowledge(ジャパンナレッジ)(事典・辞書等)」にて各辞書・事典の【シュウマイ】【シューマイ】【焼売】の項目を確認。名称についての説明は見当たらず。「ルーラル電子図書館(農業・食)にて“シュウマイ”“シューマイ”“焼 ...
萩藩:塚田孝編『近世大阪の都市空間と社会構造』P68に土佐堀屋敷あり。熊本藩:伊藤純「新出熊本藩大坂屋敷絵図」『大阪の歴史と文化財』2 1999.2 p75~80回答プロセス:現在の大阪市内の中之島界隈に当時の蔵屋敷は大勢集まっていた。敷地の大きさを調べているとのことなので、発掘調査の記録をあたってみる。当館の蔵書検索で「蔵屋敷」×「発掘調査」の結果1. 『大阪市北区広島藩大坂蔵屋敷跡 -大阪市教育委員会による大阪市立近代美術館(仮称)建設工事に伴う発掘調査報告書- 2』 大阪市文化財協会/編集 大阪市文化財協会 2004.3 当館書誌ID:0010924106 2. 『大阪市北区広島藩大坂蔵屋敷跡 -大阪市教育委員会による大阪市立近代美術館(仮称)建設工事に伴う発掘調査報告書- 1』 大阪市文化財協会/編集 大阪市文化財協会 2003.3 当館書誌ID:00 ...
茨木市外 北川診療所について・昭和18年前後に実在したか・もし、あったとして、現在のどこにあたるか(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 14:13:16)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 14:13:16)
「小林多喜二とその盟友たち」/「極める眼 : 小林多喜二とその時代」 に、多喜二の2年後輩の寺田行雄が、1943年(昭和18年)4月8日大阪茨木市外の春日村(現茨木市五日市)の北川療養所で結核のため病没したとの記述あり。ただし、当時の府下の病院や診療所などの名簿にあたるものはない。結核の診療所である可能性があるとのことなので、昭和12年時の結核患者収容機関を調べるも、それらしい施設は発見できず。昭和26年時の大阪府下の電話帳にて、現在の茨木市かその近辺と思われる医療機関は A 茨木市外四箇村組合伝染病院 B 大阪警察病院 茨木分院 の2箇所のみであり、それぞれ「北川診療所」との関連はつかめず。回答プロセス:質問者より聞き取りした事項(1)質問者の知人の知人がここで亡くなられたらしい(2)茨 ...
『鴈治郎の歳月』(文化出版局)1972刊(二代目 鴈治郎 著) p.19の 「父の生家」の章で、「はじめ南の精華小学校の東裏手に住んでいて、これは借家でしたが、人気が出たので” 鴈治郎裏”と呼ばれていました。東京では裏とはいわずに横丁とよぶそうで…大阪では横丁とはよばずに裏と申す。」と書かれている。他、「鴈治郎横丁」について触れられている資料をご紹介したが、由来については上記以外には見つからなかった。回答プロセス:1.『鴈治郎自伝』1935刊(初代 鴈治郎) p.73に 「自宅(通称鴈治郎裏といふ。いまの難波の精華小学校の東裏手)にゐると…」という記述あり。 1881(明治14)初代の父の歿年の話として出てくる。2.『鴈治郎の歳月』1972刊(二代目 鴈治郎) p.19の「父の生家」の章で「はじめ南の精華小学校 ...
『大阪春秋 9巻』146ページに境川運河の埋立についての記述があり、この運河には、北から境川橋、玉船橋、汐干橋、辰巳橋、玉藻橋などが架けられていた、と橋の名前が出てくる。『大阪の川』87ページには、境川運河は明治35年(1902)開削、昭和39年(1964)埋立完了、場所は安治川と尻無川連絡する水路(西区・港区)であったことがわかるが、辰巳橋についての記述はない。『西区史』41~42ページに運河の開削と架かっていた橋についての記載はあるが、橋については名前が出てくるのみであった。『埋もれた西区の川と橋』423~427ページに、位置や橋名の由来、橋の写真、周辺の町の概観の記述があり、詳しい。大阪市西区役所のホームページに区内の名所・旧跡を案内したものがあり、運河と橋について若干触れていたので ...
「わらわし隊」とは、昭和13年に、朝日新聞と吉本興業がタイアップして、日中戦争の前線に皇軍慰問のため派遣した演芸慰問団のこと。大阪編成の南支班のメンバーの一組としてミスワカナ・玉松一郎が選ばれた。ワカナ・一郎は、この年、2回派遣され、2度めの帰還報告講演で演じられたのが漫才の「わらわし隊」であった。「わらわし隊」の派遣については、、『大衆芸能資料集成 第7巻』(三一書房 1980)p216~217に詳しい。漫才の「わらわし隊」は同書p323~326に掲載あり。回答プロセス:商用データベース「MAGAZINEPLUS」(日外アソシエーツ雑誌論文情報)で”わらわし隊”を検索。雑誌『人文論叢』の1999年3月号に「皇軍慰問団「わらわし隊」に見る漫才の逆説」という記事が掲載されていることがわかった。その記事の参考文献表 ...
『嵯峨流 文人華』(庄司太虚、精華社 1970)「幽谷贈佩」の解説に、(1)白居易の詩「橋辺遊女佩環委、波底上陽金碧明」と、(2)梅記の「行歩則環佩の声有り」が引用されていた。全文と解説が見たい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 14:11:18)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 14:11:18)
お探しの詩は、下記のものと思われます。(1)杜牧「洛陽長句二首」の二首目「橋辺遊女佩環委、波底上陽金碧明」(2)禮記「行歩則環佩の声有り」(1)は、『唐詩類苑 4』(汲古書院,1991)に白文(p.99~100)があります。訓読・語釈は大阪市立図書館では見当たりませんでした。(2)は、『新釈漢文大系 29 礼記 下』(明治書院,1979)に白文・訓読・語釈(p.756~758)が掲載されています。※国立国会図書館レファレンス協同データベース事業サポーター様より、情報提供をいただきました。原文については、下記中国語のサイトからも検索・閲覧可能です。(2015.2確認)(1)について・「【新詩改罷自長吟】全唐詩檢索系統」(http://cls.hs.yzu.edu.tw/tang/tangats/Tang_ATS2012/)を検索 作者:杜牧 詩文:橋を入力すると26件ヒット、うち該当の漢詩を確認「詩 ...
日本の年間の広告支出額の過去10年間のデータを、媒体別(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、ネット)に知りたい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 14:10:35)
from レファレンス協同データベース (2025/4/1 14:10:35)
「電通広告年鑑 '05/'06 」p115表5「媒体別広告費の推移」(1985~2004年)に記載されています。また、公的機関の情報でないか、調べてみますと、総務省統計局・政策統括館・統計研修所サイトに媒体別広告費の推移の項目があり、そこからでも、過去のデータを見ることができす。回答プロセス:1.広告費等を調べる基本資料である「電通広告年鑑 '05/'06 」を調べると、「媒体別広告費の推移(1985~2004年)」に関する表がありました。2.また、公的機関のHPで、広告費についての記載がないかを調べようと考え、 Googleの検索オプションで、“媒体別”ד広告費”を入力し、ドメインを「go .j p」に指定して検索すると、 総務省の関連ページの中に、媒体別広告費の推移に関して記載されたものがあるとわかりました。3.再度総務省のHP ...
当館所蔵の下記資料をご紹介した。1.「新教育学大事典 7」 第一法規出版 p52.「内閣制度百年史 下巻」大蔵省印刷局,1985 p2202008.12追加調査3.文部科学省サイト「学制百年史 資料編」 にて、全文が公開されていた。回答プロセス:「レファレンス情報システム」(国内の図書館などの情報機関を対象とした限定公開のデータベース)で、 “青少年学徒ニ賜ハリタル勅語”を検索して見つけた12件の資料のうち、当館所蔵資料をご提供。参考資料:「レファレンス情報システム」「新教育学大事典 7」 細谷 俊夫/[ほか]編 第一法規出版,1990.7 「内閣制度百年史 下巻」 内閣制度百年史編纂委員会/編集 大蔵省印刷局,1985 文部科学省サイト「学制百年史 資料編」 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198102/hpbz198102_2_009.html(2008.12.16確認), 備 ...
execution time : 0.256 sec