リンク集 RSS/ATOM 記事
ホーム >>
リンク集 >>
RSS/ATOM 記事 (17707)
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。
本能寺の伝説(本能寺の変の前に鳴いて知らせたという蛙の香炉や、天明の大火の時に火を防いだイチョウの話)について、書かれている本はないか。(京都府立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 14:25:01)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 14:25:01)
火伏のイチョウについて記載のある本は多いが、蛙の香炉について書かれた資料は多くないようである。以下の資料に記載を確認。〈資料1〉『京の寺不思議見聞録』【1110872361】p43-46に「本能寺 火伏のイチョウ」という項あり。イチョウと香炉、どちらの記述もあり。・火伏のイチョウについては、天明の大火の時と蛤御門の変の時のことが書かれており、イチョウの木の写真も掲載。以下引用。“…「火伏のイチョウ」と呼ばれる木がある。(略)この木から、一七八八年(天明八)の大火で市中が火の海に包まれたとき、不思議なことに突如、勢いよく水が噴出したという。”“さらに一八六四年(元治元)幕府軍と長州軍との戦い(蛤御門の変)のときには、本能寺の近くにあった長州藩邸は幕府軍の攻撃によってことごとく焼きつく ...
健康栄養学科では、2年生が卒業研究で屋上菜園で野菜を育てています。 7月26日(金)・29日(月)の昼休みには、学友会のフードドライブの一環として、収穫したミニトマト、ピーマン、なす、きゅうり、ししとう、甘とうがらし、モロヘイヤ、ゴーヤ、ブルーベリーを2日間で60袋ほど準備し、学生のみなさんに提供しました。 提供の時には、「野菜の提供を楽しみに来ました!」「今夜は麻婆茄子にします!」「明日のお弁当にトマトを入れよう!」など、色鮮やかな野菜を手に取りながら、会話も弾んでおり、健康栄養学科の活動を知ってもらうことができる良い機会になりました。野菜提供の2日間は前期定期試験の真っ最中! みなさん試験もあと少し、がんばってください!
CT scans reveal the technology propelling record-breaking long-distance runners
おそらく昭和30年~40年頃に商店や家の軒先に吊るされていた、電気を使う(細い蛍光灯で虫を引き寄せる)殺虫器について、名前や絵などが載っているものはないか。(さいたま市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:02:48)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:02:48)
該当の殺虫器は「誘蛾灯」「誘蛾電撃殺虫器」という名称であった。『総合百科事典ポプラディア 16巻』の「誘蛾灯」の項目を紹介した。回答プロセス:・所蔵資料の昭和の暮らし(383)や電化製品(545)などの棚を見てみるが、見つからず。・国立国会図書館サーチで“殺虫 電気”で検索 →「誘蛾電撃殺虫器」、「誘蛾灯」という名称がヒット。・埼玉県立図書館の蔵書検索で“誘蛾”を検索 『誘蛾灯史』石倉秀次/著 日本植物防疫協会植物防疫資料館 1991年 分類は616.2・所蔵資料を“誘蛾”で検索→「誘蛾灯」とタイトルにつく小説ばかりヒット。 また、“616.2”分類検索→イネづくりの本ばかりで、防虫のはなしはなさそう。・Webcatplusで“誘蛾”を検索×『やってみよう楽しい実験』S・ダシェフスキー/著 日本版編集委員会/監修・ ...
以下の資料を提供した。『下ごしらえ便利事典』成瀬宇平/著 柴田書店 2005年 『菊乃井・村田吉弘SALAD』村田吉弘/著 柴田書店 2012年 『穀菜和食』松本光司/著 柴田書店 2005年回答プロセス:・レファレンス協同データベースで‘とんぶり 調理法’を検索するが該当情報なし。・蔵書より同キーワードで関連資料を当たる。×『食品図鑑』平宏和/総監修 芦澤正和/監修 梶浦一郎/監修 竹内昌昭/監修 中井博康/監修 女子栄養大学出版部 2006年 説明はあるが具体的な調理法はなし△『食品大百科事典』食品総合研究所/編 朝倉書店 2001年 加工過程の説明あり×『オールフォト食材図鑑』全国調理師養成施設協会/編 全国調理師養成施設協会 1996年 「ホウキギ」の説明あり 具体的調理法なし×『やさい』真木文絵/編 幻冬舎エデュケーショ ...
以下の資料を提供した 『郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-18福井県』 ゼンリン 1997年 『五木寛之の百寺巡礼―ガイド版―第2巻 北陸』五木寛之/監修 講談社 2003年 『吉崎御坊の歴史』朝倉喜祐/著 国書刊行会 1995年以下のインターネット情報を案内した 「和樂Web」 小学館回答プロセス:所蔵資料をキーワード:「嫁おどし肉づき面」「福井県」等で検索、あわせて福井県の伝説や歴史資料を確認する。① 『福井県の歴史散歩』福井県の歴史散歩編集委員会編 山川出版社 2010年 P81 願慶寺、吉崎寺二つの寺にそれぞれ伝説の「嫁威肉付面」(よめおどしにくづきめん)として残っている旨の記述あり② 『郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-18福井県』 ゼンリン 1997年 P50 願慶寺、吉崎寺それぞれの解説に「嫁威肉付面」が所蔵されてい ...
うつ病患者の家族のケアについて書かれた書籍を探しています。家族がうつ病患者についてどう振る舞うべきかを書いた資料は、一般読者向けのものも多く見つけられますが、それにより発生する家族側のメンタルの摩耗をどうケアするかについて書かれた書籍はありますか。(さいたま市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:01:56)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:01:56)
うつ病患者を持つ家族のケアについて、さいたま市図書館の蔵書から関連する内容が書かれたもの、また、ウェブサイトで家族のケアについて書かれてサイトがあるか調べました。≪さいたま市図書館で所蔵している書籍≫・『家族が「うつ」になって、不安なときに読む本』下園壮太/著 前田理香/著 日本実業出版社 2022年 p.145~ 「暴力や暴言に悩んだときには距離を取り医療機関の力を借りる勇気が必要」 うつ状態をサポートする周囲の人への直接的なアドバイスが書かれている。 p.161~ 第4章 「うつ」になった大切な人への寄り添い方と自分も大切にする方法 うつ病の家族を見守る側も疲れることを理解し、患者の症状の変化に翻弄されないこと、自分のせいだと誤解しないことが大切と書かれている。 p.174~ マンガや本、支援 ...
回答プロセスにある②~⑦の資料を紹介した。回答プロセス:・蔵書資料をキーワード:「吉良仁吉」「吉良の仁吉」で検索→浪曲CDがヒット・国立国会図書館サーチで上記キーワードを検索→蔵書より関連資料を当たる①『清水次郎長』(講談名作文庫) 講談社 1976年 ……講談シナリオ②『次郎長三国志 下巻』村上元三/著 角川書店 2008年 ……小説 P255「吉良の仁吉」あり③『東海遊侠伝―次郎長一代記―』今川徳三/著 教育社 1982年 ……小説 P185「高神山の喧嘩」あり④『清水次郎長と明治維新』田口英爾/著 新人物往来社 2003年 ……伝記 P129「荒神山の決闘」あり⑤『梅蔭寺 清水次郎長伝』田口英爾/著 みずうみ書房 1987年 ……伝記 P148「荒神山に両軍対峙し仁吉ついに散る」⑥『人物探訪 日本の歴史 10 任侠の群像』 暁教育図 ...
大宮花の丘農林公苑の歴史について知りたい。開園したのはいつか、開園以前は何があったのかなど。(さいたま市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:01:56)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:01:56)
現在、大宮花の丘農林公苑が位置する場所(埼玉県さいたま市西区西新井124番地)は、1974年~1981年まで一般廃棄物の処分場であった。1988年大宮市が立案した「ふるさと農林公苑事業」により、1990年、大宮市西新井に『(仮称)ふるさと農林公苑』整備計画が制定され、造成が行われた。1991年には園内に『緑のふるさとセンター』がオープンし、お花畑の工事は1997年12月に完了した。しかし「開園日」がいつであるかは、同公園にも記録がなく、新聞記事や大宮市の広報などにも発見できなかった。現在のさいたま市HPでは2000年10月をもって公園完成としているが、その旨が記載された紙媒体の資料は、現時点で確認できていない。回答プロセス:インターネット情報の最終確認日は全て2024年1月25日①さいたま公園ナビ 公益財団法人さいたま ...
障子紙の引手の部分が破けるのを防ぐために、一部をバツ印のようにして補強するという手法があった。それがいつの時代に生まれたものなのかを知りたい。(さいたま市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:01:55)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:01:55)
具体的に障子のバツ印にする張り方がいつごろから行われてきたかを明確に記したものは見つからなかった。そのため、障子の歴史を紐解きつつ、過去の絵巻などを確認しながら、バツ印がいつごろ登場したものなのかを確認した。そもそも現在の障子は、鎌倉時代に『蔀戸』(しとみど)などと組み合わせることによって急速に普及された。室町時代になると茶室が発展し、近世初頭に武家住宅で、接客のための「茶室」「書院」を中心とした「書院造」が確立。間仕切りとして明障子が多用され、近世になると庶民の住宅が飛躍的に発展した。バツ印は引手の補強という意味合いをもつため、茶室というよりはしょっちゅう開け閉めされる庶民住宅の障子に当てはまる。そのため、普及してから生み出された手法であると考えられる。『 ...
execution time : 0.231 sec