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【弥七の豆がら太鼓について】 金沢の民話「弥七の豆がら太鼓」に出てくる三つのお寺の名前を知りたい。(薬師町の本興寺で民話の朗読会が行われた際にもらった本興寺のパンフレットに掲載されていたとのこと。本町の西福寺、薬師町の本興寺ともう一つがどこだったか。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:16)
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「弥七の豆がら太鼓」の民話は、以下の資料に収録されている。『金沢の民話と伝説』金沢こども読書研究会/編(1984年)(11824201)p.102-109「弥七の豆がら太鼓」また、「弥七」については、以下の資料に説明あり。『加賀・能登の民話』清酒時男/編(未来社、1959年)(118412131)p.130-132「弥七」、出典は『石川郡誌』とある。『石川県石川郡誌』(「石川県石川郡自治協会」昭和2年刊の復刻) p.540-543「弥七」、出典は「加賀古跡誌」(所在不明)、『亀の尾の記』(118511828)、『金沢古蹟志』など。『加能郷土辞彙』(初版)p.859「弥七」このうち、「豆がら太鼓」を所蔵する寺院名として、『金沢の民話と伝説』に「西福寺」が出てくる。また、『石川県石川郡誌』(「石川県石川郡自治協会」昭和2年刊の復刻) は『亀の尾の記』に基づき、「西福寺」と「珠洲 ...
『角川日本地名大辞典17 石川県』(角川学芸出版、2009年)p.70「安宅新 明治22年~昭和15年の牧村の大字名。(中略)昭和15年には小規模ながらも機業場10工場を数えた。」『小松市史 第2巻』(小松市史編修委員会、1956年)p.142「興津機業場(職工13名) 木下機業場(12名) 田中機業場(12名) 藤本機業場(8名) 田中機業場(8名) 吉川機業場(7名) 岡田機業場(7名) 木村機業場(7名) 亀田機業場(6名) 山川機業場(5名)」『小松の軌跡』松下正信/編(同、1986年)(11921123)p.43「小松市制前の各町村の実態 牧村 人口3,399 戸数565 産業 農業が主産業で副業として漁業・養蚕・わら工芸類がこれについでいる。なお近年、絹織物の生産に従事するものが増加し、業者数70を数えている。」『安宅新町史』岡田孝/著(石川県小松市安宅新町、1994年)p.300「昭和7年(1932)織物業(興津・吉川 ...
『図説染織技術事典』(111158295)手書き染めの一種に無線友禅がある。 手書き染めを含めた、染の技法について記載あり。『加賀友禅』(119994380)p.56「滲みを防ぐために生地に豆汁(ごじる)と少量の布海苔(ふのり)で地入れをしてから、染料液を筆や刷毛につけて、じかに生地に絵模様を描く無線友禅という技法もある。」と記載あり。その他、無線友禅の定義が載っているのは、以下の通りである。『日本の染織1 友禅』(129407837)p.210『これだけ知れば10倍楽しくなる!きもの用語事典』(113243850)p.126『新装版染織事典日本の伝統染織のすべて』(111421630)p.387
・『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)p.288に記載あり。しかし「亀坂」の由来については書かれていない。・『加能郷土辞彙』(改訂増補)p.223に記載あり。「亀坂」の由来については定かではないと説明されている。・『金沢市文化財紀要 289 金沢市歴史のまちしるべ案内』(109185633)p.177に記載あり。加賀藩初期、石引町付近は深い谷であったが、戸室石を運ぶため、埋めて次第に勾配を緩くした。由来は明らかでないと説明されている。・『金澤古蹟志』(119865900)【巻十一】p.62に記載あり。戸室石を運ぶために埋めて坂を作った。由来は明らかではないと記載されている。・『戸室石引き道』(11911200)p.20に記載あり。「亀坂」を作った理由は戸室石運搬の為、もともと谷であった場所を埋めて少々凹みのある坂にしたといわれる。【結果 ...
【安江神社について】 木下甚太郎兼久の刀を所蔵している。安江神社でこの刀が作られたらしいが安江神社について教えてほしい。また、加賀藩士Iwata Sadayasu がこの刀を好きだと聞いたが、Iwata一族について知りたい。(原文英語)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:15)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:15)
○兼久加賀の刀工。「木下甚太郎」を名乗ったのは2代(?-享和3年2月18日)と3代(寛政7年-弘化3年4月16日)である(『加能郷土辞彙』(初版)P193)。『金沢町名帳』P262によると、「木下甚太郎」は鍛治町に住む刀鍛冶である。○安江神社天慶2年(939)安江八幡宮(やすえはちまんぐう)創立。安元2年(1176)、安江盛高(やすえもりたか)により再建。明治5年(1872)11月郷社に列せられ、7年(1874)6月安江神社(やすえじんじゃ)と改称。39年(1906)水天宮を合祀し、大正13年(1924)3月県社に昇格された。所在地は金沢市此花町(このはなまち)11の27。三代藩主前田利常(まえだとしつね)から刀鍛冶等で宅地を給わったものが住んだことから、はじめは安江鍛冶町(やすえかじまち)と称されていた。のちに鍛治町(かじまち)と呼ばれ、昭和40年(1965)、現在の此花町に改められた。宇多 ...
「柄巻屋喜右衛門」については、文化6年『金沢町絵図』p.314及び『金沢町名帳』p.376「下天神町」の箇所に記載がある。職業は「松木挽売」と記されている。江戸時代末期の史料によると、町役人の役料は銀で支払われている。『金沢市史 資料編6 近世4 町政と城下』p.377に、「地子町肝煎 喜右衛門」の名前が記されている。この「喜右衛門」が「柄巻屋喜右衛門」かどうかは明らかでない。なお、質問者からの提供資料に記載されていた「貧民救済に米を提出し褒美をもらったり藩から扶持米を受けていた」ということに関連する資料として、近世史料館平成23年度夏季展パンフレットに「河北郡番代六兵衛窮民救恤金差出ニ付下知方申渡状」が収録されている。北陸では明治2年(1869)に飢饉があり、藩は町村役人たちに金品の拠出を命じたよ ...
『石川県銀行誌』北村魚泡洞/著(北国出版社、1980年)(11913146)p.214-「幻の金沢銀行とその結末」・石川県立郷土資料館村松七九文庫に『金沢銀行申合規則』という一冊がある。・金沢銀行という名は『石川県史 第4編』に言及がある。・米沢喜六氏所持の文献に、中村文右衛門が金沢銀行頭取に就任していた記録がある。・「金沢銀行申合記録」前書によると、金沢為替会社(総棟取木谷藤十郎ら)が改称したもの。・金沢銀行は明治15年改称を発議し、同17年6月から18年9月まで銀行業務を行っていた。『石川県史 第4編』(石川県、1931年)p.731-「銀行」[会社名]金沢銀行 [資本金]6万円 [創立]明治12年 [所在]金沢 [代表者]不詳『〔北陸銀行〕創業百年史』(北陸銀行、1978年)(129358760)p.53「金沢為替会社 金沢第十二国立銀行との関係」「明治10年8月26日、 ...
≪回答≫駒田長平 明治10年生~大正14年9月没(享年49歳)・この駒田長平が大樋長平だという裏付けは取れなかったが、掲載記述から本人と思われる。・またネット上では、同時代の大樋焼作家の加藤長寿も、作品には大樋長寿と紹介されているため、駒田長平が大樋長平と紹介されている可能性は高い。≪掲載資料≫『石川県史 第4編』(118412276)P764『石川百年史』(119871489)P203『石川県姓氏歴史人物大辞典』(118421945)P101≪出ていない資料≫『日本工芸会石川支部記念誌』(119708102)『大樋焼』(119480000)その他、大樋焼関係の資料(K751)を見たが、大樋長平・駒田長平は出てこない。≪ネット検索≫石川県関係人物文献検索「大樋長平」では、出てこなかった。駒田長平が分かった後、石川県関係人物文献検索で、再度検索した。「駒田長平」では、上記 ...
【池田町四番丁の銀行について】 池田町四番丁の現・ヤベドレメの所在地にあった銀行の写真はないか。(家族からの伝聞によると、北國銀行の前身の銀行があったとのこと。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:14)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:14)
『石川県銀行誌』(11913146)p.210「能和銀行経過表」によると、穴水銀行は明治33年7月に設立され、昭和6年11月中居銀行と合併した。中居銀行は昭和13年9月合併して能和銀行となった。能和銀行は昭和18年合併により北國銀行となった。『しんたて』(119887667)p.152「ヤベドレメ」によると、同校は昭和21年現在地の住宅に設立され、昭和32年現在の校舎を新築したとのこと。銀行の建物は、おそらく大正頃から昭和32年まであったのではないかという。昭和38年の住宅明細図(『金沢市詳細図』)では、既に「ドレスメーカー 矢部」と表記されている。『金沢市街地図』(昭和14年発行)では、池田町四番丁に建物の記載なし。裏面の「日本職業別明細図」の「銀行 会社」に「能和銀行金沢支店」が掲載されているが、住所は「南町」である。また、池田町 ...
「湖東問答」は巌谷小波校訂『俳諧論集』(俳諧文庫第13編、博文館、1899年)に収載されているが、当館に所蔵なし。同じ向井去来の俳諧問答を翻刻したものに横澤三郎校註『俳諧問答』(岩波書店、1954年)(129662526)がある。「夏引集」は、和本の形態で京大・東大洒竹・酒田光丘・柿衛・天理綿屋に所蔵されているが(日本古典籍総合目録データベースによる)、翻刻はない。なお、デジタルデータが早稲田大学古典籍総合データベースで閲覧できる。【URL】http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko18/bunko18_00387/index.html中村俊定(写)
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