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【神戸市長になった人物について】 金沢第四高等学校を卒業し、神戸市長になった人物の名前や経歴などについて知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:08)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:08)
『兵庫県大百科事典 下』(11053124) p.563『神戸のあゆみ』(129073788)「銅像 原口忠次郎」【URL】http://soutairoku.com/07_douzou/26_ha/haraguti_tyuujirou.html
【犀川の支流・桜橋について】 ①香林坊に犀川の支流があったことが出ている江戸初期の地図がないか。②明治初期に桜橋がなかったと思うが証拠となる地図がないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:08)
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①犀川の支流について『金沢市史 資料編18 絵図・地図』 p.9 図1 加賀国図 江戸初期②桜橋について『金沢市史 資料編18 絵図・地図』 p.47 図55 加賀金沢細見図(明治9年)(近世史料館所蔵)橋の記載あり。『魅せられて犀川大橋』(119781597)p.62 最近実測金沢市街地図(明治42年)桜橋の記載あり。『金沢北陸の城下町』(119952792)p.32~34金府大絵図現在の桜橋と思われる箇所に橋あり。江戸後期に橋が架けられた記載あり(p.4)。その他『石川県史資料 近代篇1 〔皇国地誌〕』p.47 明治初期の橋名の記載あり。犀川上仮橋が現在の桜橋か。『加能郷土辞彙』(初版)p.327「犀川小橋」、p.335「坂井就安」の項
性海寺文書の差出4名① 小林六右衛門・・・【諱】宅元(たくもと) 【石高】250石(寛永11年)→350石(宝永3年) 【役職】御家老役(貞享2年) 【没年】正徳4年② 堀内又兵衛 ・・・【諱】不明 【石高】50石(寛文4年)→350石(寛文終頃) 【役職】御家老役(貞享2年) 【没年】不明③ 長伊左衛門 ・・・【諱】連重 【石高】500石(寛文終頃) 【役職】与力(寛文11年)・御家老役(貞享2年) 【没年】不明④ 加藤紋兵衛 ・・・【諱】秀治 【石高】650石(寛文4年) ※加藤采女(父)代 【役職】御家老役(貞享元年) 【没年】不明(参考文献)『長家史料目録』(穴水町教育委員会、1978年)(11900889)『長氏文献集』(石川県図書館協会、1972年復刻)(11824849)『河野文庫目録』(金沢市立図書館、1992年)『加能郷土辞彙』(初版)(金沢文化協会、1942年)「寛文四年御家中侍帳并高覚帳」(河野文庫 ...
該当の漢詩「入金沢」は『北方心泉 人と芸術』及び『聴松閣吟草』に収録されていることから、北方心泉の作った漢詩であることが確認できる。「聴松閣存稿」冒頭に「係甲申四月十八抵家已後作」とあり、漢詩中に「金沢十年別 帰来無限情」とあることから、明治20年の作か。また、この書が書かれたのも「二十之丁亥」とあり、明治20年である。場所は「呉門」とあり、蘇州の別名である。「再求」については不明。<参考文献>・『北方心泉 人と芸術』(11913624)・『聴松閣吟草』(109140210)・『金沢市文化財紀要 147 金沢・常福寺歴史資料目録』(119641980)・『北方心泉碑文集』(119867806)
『加賀江沼人物事典』(11826873)p.102に後藤能次郎の略歴あり。『石川県江沼郡誌』p.80(郡会議員)及びp.980(西谷村長)に後藤能次郎の職歴あり。『大聖寺川上流域の歴史』(109109506)p.157に、菅谷の「御蔵」の原家主が後藤姓である旨が記されている。p.274「菅谷町住宅図」に後藤姓が複数見られる。p.443「菅谷村用水関係書類」に後藤能次郎の名が散見される。p.447に後藤能次郎の略歴あり。後藤能次郎は安政4年に菅谷村に生まれたとあるが、江戸時代の菅谷村については詳しい史料がなく、(後藤)能次郎家の存在は不明である。
【明治22年の金沢-敦賀間の交通について】 明治22年に金沢から敦賀へ行くには、どのようなルートや方法があったか。(明治22年敦賀-米原間の鉄道が開通し、質問者の曽祖父が当時これを使って金沢から東京へ出たと思われ、残りの金沢-敦賀間について調べたいとのこと。)※敦賀-福井間の鉄道は明治29年開通のため利用できない(『北陸線写真帖』(118487348)p.253)。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:07)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:07)
○海路・金石港から敦賀港へ定期汽船の航行があり、長田町から上金石へは人力車で旅客を運んでいた。『石川県史 第4編』(118412276)p.1030・明治20年金石港に加能汽船会社が設立、輪島以西敦賀間を運行していた。県内から京畿、もしくは東海道を経て東京へ行こうとするものは、荒天でない限りは概ねこの船便を利用していた。『同上』p.1038・「加能汽船会社創立趣意書」『金沢市史 資料編11 近代1』(119647301)p.457-・「加能汽船会社の創立」『金沢市史 通史編3 近代』(119958310)p.219-※・「維新後港運」『金石町史』(11801960)p.563-・「近代の大野海運」『金沢市大野町誌』(119810901)p.279-○陸路明治以降の道路整備・「明治以降の旧北国街道をめぐる陸上交通の概要」『北陸道(北国街道)』(119473113)p.32-・牛谷峠開削、天田峠開削、国道の再 ...
【浄土真宗の僧侶について】 先祖で浄土真宗の僧侶だった英文郁という人物について資料を探してほしい。(その子、英実英〔掬月実英〕は有名な人物とのこと。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:06)
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「英実英」、「掬月実英」で人名事典を探したが、なし。『龍谷大学三百五十年史 資料編 第四巻』p.284に「(明治13年)8月30日(中略)山城国「下京区廿三組住吉町慶証寺住職」掬月実英 得業申付候事」とある。よって、西本願寺派の僧侶である。『加能真宗僧英伝』、『加能寺社由来』上下、『金沢市史 資料編13 寺社』に記載なし。
【郡付足軽について】 1.足軽を登用する際、藩としては足軽の頭数だけを揃えておけばよかったのか、もしくは遠くても血筋の人を登用するのか。2.射水御郡足軽の中村家について調べてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:06)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:06)
1.足軽の登用方法について・『藩国官職通考』(109091054)に今石動足軽32人、「北藩秘鑑」(『金沢市史 資料編4 近世2 藩制』所収)に今石動附足軽30人(内小頭2人横目4人)とある。遠所付足軽の定数管理はしているものの、史料や時代により異同がある。・新規採用の一例として、嘉永元年(1848)に杉木役所を再置した際の記述を以下に示す。「下級職員として留書足軽五人が杉木新町に居住し執務することとなったが、福井助之丞・小寺丈右衛門は小杉より住替え、滝田滝之助・高橋六次郎は新規採用、他の一人は割場附足軽から郡付足軽として配置替えとなり、砺波郡山方御用を兼帯、山内六丞は小杉宿にあって杉木役所の手伝い、この他に中島弥三平・高橋直之丞・松本忠蔵・山田重蔵は杉木新町にあって砺波郡山方御用を勤めた」(『近世在郷 ...
○五十嵐随甫・『加能郷土辞彙』(初版)p.33「五十嵐道甫」・・・弟に随甫がいた(初代)。・『金沢市史 資料編16 美術工芸』p.229に作品解説と略歴あり。○河村是外・レファレンス協同データベースによると、『石川県物産陳列館第2年報』に氏名と住所の記載があり、竪町36に居住していたとのこと。「「河村是外」という人物について」【URL】http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000042796・『金沢漆芸・加賀蒔絵』(11929430)p.39、大正10年に営まれた五十嵐道甫追善供養の参画者の中に河村是外の名前が見える。・『職人の世界 伝統工芸』(111308374)田中喜男/著、浅香光甫からの手紙の中に河村是外への言及があり、南画を得意としていたとのこと。(その他、『金沢市史』・『金沢の近代工芸史研究』に記載なし。作家でなく職人のためか。) ...
金沢観光協会のホームページによると、せせらぎ通りにメグスリノキが植えられているが、最近植えられたもののようである。香林坊と目薬の関係については、『金沢古蹟志 第6編』巻16 p.8「向田香林坊伝」に、香林坊の地名の由来となった向田香林坊が目薬の秘方を所持し、前田利家に調合したこと、宇喜多秀家に差し上げたところ平癒したことなどが記されている。ただし、メグスリノキとの関係は不明である。「向田香林坊伝」の原典「香林坊家記」は、『日本都市生活史料集成 5』(129174190)に翻刻されている。
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