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『電信電話事業史 第6巻』(129327010)p.452~記載あり(コピー資料はp.455まで)国立国会図書館デジタルコレクション「電務年鑑 昭和15年度版」(コマ番号157~160)p.255~p.261【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1141600/1/1
『金城聯隊史』(119566052)P.19「台湾派遣」…日清戦争後の台湾平定の戦闘について記述している。『いしずえ』(119588309)P.6 「台湾占領」…「歩兵第七連隊の343人を含む、混成第1旅団が派遣された」『第九師団戦史』(119565331)P.221「台湾防備の令下る」…第九師団は沖縄から台湾へ移動した経緯を記述している。『追憶 金沢輜重兵連隊』(119566348)P.508「師団の台湾への抽出転用」P.509「台湾の守備」…同上『旧第九師団山砲兵第九連隊史』(119566339)P.114「台湾方面戦没者(大東亜戦争)」P.115「台湾(大東亜戦争)」、P.116「第九師団台湾へ転進」、P.117「沖縄:台湾転進」山砲兵第九聯隊将兵名簿」『旧第九師団野砲兵山砲兵第九連隊将校名簿』(119566366)P.5「台湾山砲兵大隊」など
金沢の医師嵯峨健寿の三男、上新川郡早月加積村の豪農、石坂家の養子となる。壮猶館、村田蔵六の塾、大学南校、箕作麟祥の塾等で学び、明治2年慶応義塾の教授となるが、5年一時帰郷、12年栗山村戸長、13年江沼郡長心得、14年富山県会議員、17年富山県御用係、18年富山県属、20年同農商課長、23年富山県会議長を歴任、24年衆議院議員に当選している。一時静養後、26年上新川郡長、29年2月砺波郡長、29年4月東砺波郡長、34年射水郡長、36年上新川郡長となり、勲六等従六位に叙せられた。<参考文献>『石川県議会史 第一巻』(119565206)『金沢高等学校紀要 第34号』(2006年)(119963366)畑中榮/著「加越能詩作者略伝 その1〈あ~え〉」「中越名士伝」(国立国会図書館デジタルコレクション)追加で「伊東祐之」「芦野巻蔵」についての調査依頼を ...
『加能郷土辞彙』(初版)P.887「湯涌温泉」 享保12年5月20日には河島正卿がその十勝景を賦した。P.888「湯涌十景」 祗林紅樹・荒屋夜雨・育王暮雪・戸室夕照・市瀬秋月・笠松晩涼・杉村藤花・高尾朝霞・盞淵緑水・湯涌温泉を数える。『金沢市教育史稿』P.472「河島正郷」 享保12年5月20日河北郡湯涌温泉に遊び、十勝を賦する詩歌あり。湯涌邑某の家に収む、其巻中一瀬秋月に落木粛々月色明、断岸百尺板橋横、水中金影人難掬、淵底珠光魚欲驚『ゆわく 開学百周年記念史』(119570627)P.81「湯涌十景」 全漢詩及び和歌を掲載するが、出典不明。『金沢高等学校紀要 第35号』(119983977)「河島正卿」 出典として「熙朝詩薈」「奚疑遺稿」「三州遺事」(中)を揚げる。『三州遺事』(国立国会図書館デジタルコレクション)p.479「島屋與三兵衛」 「享保12 ...
【石川県職員録について】 昭和3~20年の石川県学事関係職員録はないか。聾学校の校長・教頭・書記の変遷を調べている。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:03)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:03)
国立国会図書館デジタルコレクションで昭和16.・17年の石川県職員録が閲覧可、また石川県立図書館で昭和3・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14・15・16・18年の石川県職員録が閲覧可である。石川県職員録 昭和16年9月1日現在【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1460662/1/1石川県職員録 昭和17年11月1日現在【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1460653/1/1
【戊辰戦争参加者の座談会について】 2013年7月20日の時鐘の中で、昭和14年に、加賀藩で戊辰戦争に参加した人たちによる座談会が開催されたこと、またその内容が紹介されているが、資料は金沢市立図書館蔵となっているので、元になった資料を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:03)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:03)
時鐘「戊辰戦争と記録」には資料のタイトルが掲載されていない。利用者はすでに近世史料館で尋ねていたが、情報が少なすぎて分からなかったとのこと。『新聞切抜き集』(119534433)「戊辰役を語る座談会」の記事の切り抜きがある。何新聞のいつのものかは不明。(記事には戊辰戦争から70年とある)時鐘の内容に照らしてみて、おそらくこれを指していると思われる。
【加賀毛バリについて】 加賀毛バリの名人とされる、愛久保弥太夫・小原松太郎・和佐忠篤が加賀藩士がどうかを確かめたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:02)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:02)
○愛久保弥太夫『嬉遊笑覧 5』(112370286)P.185が出典、加賀藩士とする根拠なし。東京都公文書館ホームページ「時代の中で史料を読む~生類憐み政策と都市江戸」によると、愛久保弥太夫は御徒組頭の職にある江戸の武士とのこと。○小原松太郎ホームページ「毛針の名工達」に「金沢の巻き師」とある。【URL】http://www004.upp.so-net.ne.jp/onkyouse/tumjayu/page034.html (2024年3月17日現在閲覧不可)『加越能文庫解説目録 上巻』所収「先祖由緒并一類附帳」のリストに名前なし。○和佐忠篤加越能文庫に「和佐系図」あり。別名「根來系図」、『石川県史資料 近世篇10 諸士系譜 3』に根来家の系図あり、この末裔か。『明治前期産業発達史資料 勧業博覧会資料 81』p.199に鮎釣針の出品者として芳斉町の和佐忠篤の名前が掲載されている。
【戦前の金沢郵便局の職員名簿について】 昭和12年頃の橋場町にあった郵便局の職員名が判る資料はないか。(長谷川庄太郎という人物が在局していたかどうかを確認したい。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:02)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:02)
『金沢諸会社職員録』昭和12年版に郵便局(逓信局)の職員名なし。『石川県職員録』『金沢市職員録』にもなし(国家公務員のため)。『職員録』[1943]は局長等主な職員のみ掲載あり。『北陸特定郵便局長会略史』『北陸逓信労働運動史』『北陸逓信事業要誌』にも記載なし。国立国会図書館近代デジダルライブラリー「逓信省職員録(昭和12年)」にも名前なし。
【割出町の人口・世帯数について】 割出町の昭和35・45・50年の人口・世帯数の載った資料がないか、教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:02)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:02)
『住民基本台帳に基づく金沢市の人口及び世帯数』の発行は昭和56年から。『国勢調査報告』総務省統計局/編、『国勢調査地方集計報告書』石川県/編は市町村別までの人口統計を記載してある。『統計かなざわ』、『金沢の市勢』は校区別まで、町(丁)別はなし。昭和45年及び昭和50年に関して」は、『金沢市統計書』、『町別人口および世帯数』(昭和45年)、「町別人口および世帯数」(昭和50年)に割出町の人口・世帯数の記載あり。・昭和45年…世帯数80、人口343・昭和50年…世帯数238、人口546 昭和35年は『金沢市統計書』昭和36年度に記載あり。・昭和35年…世帯数37、人口180
『加能寺社由来』上・下及び『石川県の地名』の「本泉寺」の項目を紹介したが、質問者は大正頃の記載を探しておられるとのこと。大正期に再建された本泉寺本堂の欄間彫刻を手掛けた人物名を文献で確認したいとのこと。ホームページ「二俣紙すきの里まつり」では横山作太郎の作とある。横山作太郎は井波の彫刻師(『井波町史 上巻』p.1253・1256)『医王 医王山校百周年記念誌』によれば、本泉寺本堂は大正8年に再建に着手し、同11年に完成したとのこと。
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