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調査過程・『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)P36で創業明治12年であることを確認した。→創業者は大友佐一とわかり、県立図書館の石川県関係人物文献検索を確認した。『石川県人名事典 現代篇3』(118311694)P55によると、明治31年から駅弁当屋になると記載あり。・『金沢老舗繁盛記』(119621969)P9、『金沢の老舗』(11841303)P52、『老舗のおかみ 金沢・加賀・能登』(118393134)P34に創業1830年、加賀藩の御膳所(ごぜんどころ、ごぜんしょ)を永く勤めていたと記載あり。・『老舗百年』(11909605)P59には「大友儀左衛門は加賀藩御料理頭を八十石で勤めて」いたとある。・『包丁侍舟木伝内 加賀百万石のお抱え料理人』(113313570)P31に大友儀左衛門が安政5年(1858)11月18日御料理頭に就任したとある。(出典:諸頭系譜下P905)・『加能郷土辞彙』(初 ...
【金沢カレーについて】 金沢カレーの発祥について書かれた資料はないか。また、代表的な金沢カレーの店がどの辺りにあるのかを知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:39)
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北國新聞記事データーベースから検索。北國新聞の2009年1月6日から1月10日 ふるさとから挑戦第二話厨房の鬼②によると・1961年にチャンピオンカレーの創業者田中吉和がのちに「金沢カレー」と呼ばれる独特のカレーライスを始めたとの記載あり。・その他、会社組織の創業や、後に「金沢カレー」と呼ばれるカレー店の経緯等についても比較的詳しく触れている。同記事で記載されている。「金沢カレー」の店舗については以下のとおり。カレーのチャンピオン 全国に43店舗ゴ―ゴーカレー 全国67店舗 海外6店舗(アメリカとブラジル)カレーの市民アルバ 関西・関東中心 6店舗ターバンカレー 北信越・関西に4店舗『石川あるある』(118570865)p.15「カレーはやっぱり「金沢カレー」に限る」『金沢の法則』(118574327)p.088「「金沢カレー」が全国ど ...
『夢二 美の巡礼者』(119706411)p.3「岸たまき(戸籍名は「他万喜」)、金沢市味噌蔵町下中丁3番地で、明治15年7月28日に生まれている。父は加賀藩士の出、岸六郎右衛門である」『全仕事・竹久夢二の世界』(119706387)p.8「たまきは、金沢市味噌蔵町(現大手町)に生まれ、代々加賀藩に仕えた士族の娘であった」『お葉というモデルがいた』(111728691)p.96「早稲田鶴巻町の絵はがき屋「つるや」の女主人、富山県出身の岸たまき(戸籍上は他万喜)である」『竹久夢二 大正ロマンの画家、知られざる素顔,生誕130年永久保存版』(113466120)p.24-34「夢二の想出」(岸たまきの回想録)『日本女性の歴史 12 大正の女性群像』(11011195)p.114「岸たまき(戸籍名他万喜)は石川県士族の裁判官の次女」小林文庫の中に岸たまきの略歴に関する資料は見つからなかった。
質問者からの情報提供によると、戦前(明治~大正頃)にあったのではないかとのこと。『タウンページ 石川県のと版』p.239によると、平成27年現在、七尾市内には1件の牧場が存在している(七尾市湯川町)。以下の文献を探索したが、御料牧場に関する記載は見つからなかった。『新修七尾市史 10 産業編』(119973193)p.291 牛馬組合村を掲載『石川県史 第4編』(118412276)p.985-1000「畜産業」
【土佐派について】 ① 土佐光芳の略歴が知りたい(光敬と同一人物かどうかを確認したい)。② 土佐光貞筆とされる「三佛斉白象朝貢図」を見たい。③ 土佐派の系図を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
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①土佐光芳の略歴『大日本書画名家大鑑 伝記 上編』(118492642)p.616「光芳 〔画〕土佐光芳、光祐の男、正五位下大蔵大允たり、絵所預となる、元文三年大嘗会悠記主基の御屏風をゑがく、後、剃髪して常覚と号す、明和九年八月廿九日卒す、年七十三」『評伝 日本書画名家辞典』(11822975)p.646「土佐光芳(後略)」『東アジア文化交渉研究 第7号』「近世の土佐派と復古大和絵-「復古大和絵」の定義の問題」 日並 彩乃/著 p.148に光芳の略歴あり。関西大学学術リポジトリ【URL】http://hdl.handle.net/10112/8274② 三佛斉白象朝貢図『美術品所蔵レファレンス事典 日本絵画篇(古代~中世)』(113531158)p.332、『日本美術作品レファレンス事典 第2期絵画篇』(112726762)p.958「土佐光貞」に同名の作品なし。日並前掲論文p.151に挿図2として土佐光貞《粟に鶉図》が掲 ...
【「風俗画報」投稿者について】 「風俗画報」によく投稿していた人物がどういう人か知りたい。①池田かげろう(太郎) ②竹内南山人(外喜男) ③五峰庵 ④辰川芳翠(鑛作) ⑤丸谷きの字(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
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石川県立図書館ホームページ:石川県関係人物文献検索【URL】http://www4.library.pref.ishikawa.lg.jp/ (調査2015.11.19)国立国会図書館サーチ【URL】http://iss.ndl.go.jp/?type=psrch上記にて、記載のある資料の内容調査を行う。①池田太郎 「風俗画報261号」(109136960)p47追悼記事に略歴あり。明治5年2月25日~明治35年9月。津幡出身。小学校教員④辰川鑛作「北陸の産業と温泉」(118273305)p205加賀友禅の巨匠。茶道宗和流宗匠「日本の茶家」(11056636)p44212代立川宗弘、本名鑛作 此松庵と号し中川除町に住む。書画の号は芳翠。昭和20年7月15日没(享年67歳)②③⑤の人物については、資料みつからず。
【那谷寺の薬師如来について】 那谷寺の薬師如来の厨子に蝶の家紋がつけられているが、どこの家紋か。また、その家と仏像との関係について詳しく知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
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蝶の家紋であれば、加賀八家の村井家の可能性が第一に考えられる。『加賀藩八家墳墓史』(119458805)p.152によると、村井家の家紋は「丸に揚蝶紋」である。村井家と那谷寺との関係を調べるため、以下の文献を探したが、手がかりは見つからなかった。『那谷寺』(118404766)薬師如来に関する記載なし。『那谷寺誌』(180520272)「那谷寺什器明細表」の中に薬師如来なし。『新修小松市史 史料編9 寺社』(109111308)『加南地方史研究 第58号』(109131300)『同 第60号』(109175539)那谷寺文書(由来書、書状等)を収載するが、薬師如来に関する記載なし。『加賀市史料 4 大聖寺由緒帳』(11915873)p.283-293村井家由緒帳に薬師如来に関する記載なし。『小松市立博物館研究紀要 第7集』(109229756)p.1-35「那谷寺記録管見」清水藤九郎/著p.26「峯薬師如来 一尊 桂林院様御 ...
【斎藤三九郎について】 斎藤弥九郎の弟、斎藤三九郎について書かれた資料(とくに明治以降の足跡が書かれたもの)が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:38)
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石川県関係人物文献検索により、『金沢市教育史稿』に記載があることがわかった。『金沢市教育史稿』(118290979)p.497また『加能郷土辞彙』(改訂増補)p.351にも経歴が記載されている。幕末以降については、横山隆章(加賀八家の一人、通称三左衛門)の家臣となったが、故あって禁錮となり、廃藩置県に至り罪を許されたとある。近世史料館所蔵の「先祖由緒并一類附帳」に斎藤三九郎の履歴及び親族関係が記載されている。明治3年当時の居宅は、横山元家中の住む銀杏町(現在の桜町・暁町)にあった。三九郎には「寅男」という倅がいたと書かれているが、その後の詳細については確認できなかった。『氷見市立博物館年報 第25号』(119975080)p.110-119「斎藤弥九郎の弟・三九郎について」小谷超/著に、上記由緒帳の翻刻が掲載されている。また ...
【金沢市の寄附に関する条例について】 金沢市の寄附に関する条例(金沢市の寄附採納ではなく、金沢市内における一般人の寄附行為に関するもの)が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:37)
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質問者からの情報提供によると、条例の名称は「金沢市金銭物品等の寄附募集に関する条例」といい、最高裁判例に載っているとのこと。D1-Law(法情報総合データベース)で検索したところ、最高裁判例昭和40年(あ)第2483号に同条例の名称が掲載されていた。金沢市の例規検索で同名の条例はヒットせず。「金沢市建築基準条例」及び「金沢市特別用途地区建築条例」の附則において、同条例を改正する条例(平成4年3月27日条例第4号)が引用されている。『金沢市公報 平成4年1月~12月』(119412065)p.28に「金銭物品等の寄附募集に関する条例を改正する条例」が掲載されており、元の条例が昭和26年条例第41号であることがわかった。『金沢市公報 昭和25年1月~26年12月』(129695652)p.315-318に「金銭物品等の寄附募集に関する条例」が掲載されていた。
【暉天女について】 法華経の教典にのっていた、「暉天女」についてくわしく知りたい。(読みは、カガヤキ か ヒカリ か不明)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:37)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:37)
『仏説観普賢菩薩行法経 法華経』「顔色紅の如くにして、暉天女に過ぎたるあり。」の記載あり。(アマゾンの内容紹介より)【URL】http://www.amazon.co.jp/dp/B00E4WSVCO/『新国訳大蔵経 法華部2』(112959343)p.575「顔色紅輝にして、天女に過ぎたる有り。」との記載あり。書き下し文の解釈の違いと思われる。
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