リンク集 RSS/ATOM 記事
ホーム >>
リンク集 >>
RSS/ATOM 記事 (17185)
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。
1.『日本大百科全書 14』 小学館 p.23-24 宗祇(そうぎ)1421-1502より「室町時代の連歌師。生国は近世には紀伊説が広く行われていたが、近江の出自らしい。...九四年(明応三)には兼載とともに『新撰菟玖波集』の撰進に着手し、翌年奏覧して准勅撰の綸旨を賜る。...『萱草』のほか、『老葉(わくらば)』『下草』『宇良葉』などの連歌句集があり、高弟の肖柏、宋長とで巻いた『水無瀬三吟』『湯山三吟』の百韻連歌は著名。...のちに旅の詩人として、さまざまの伝説が生じ、芭蕉などにも影響を与えている。」2.『国史大辞典 第1巻』 吉川弘文館 p.764 飯尾 宗祇(いのおそうぎ)3.『日本人名大事典 1』 平凡社 p.166 飯尾 宗祇(イーオソーギ)4.『図説日本文化の歴史 6』 小学館 p.217-218 正風連歌の確立5.『日本古典文学全集 32』 小学 ...
織田信長が主催した茶会は『天王寺屋会記』に詳しく記録されている。1.『天王寺屋会記』 淡交社 1〜7巻2.『茶道古典全集』 淡交社 「天王寺屋会記」は第7,8巻に収録※いずれも近隣図書館所蔵以下、館内資料に記載のあった招待客3.『信長公記 -戦国覇者の一級史料』 中央公論新社 p.189「天正六年(一五七八)...中将信忠卿、二位法印、林佐渡守、滝川左近、長岡兵部大輔、維任日向守、荒木摂津守、長谷川与次、羽柴筑前、惟柱五郎左衛門、市橋九郎右衛門、長谷川宋任仁...十二人が元日に浅野茶会に招かれた。」※ただし、伝本によって人名表記が異なり、『信長記』には、最後の二人が金森五郎八と前田又左衛門尉、『天正六年茶湯記』には、藤孝と宗仁の名前は見えない。との内容の記述あり4.『よくわかる茶道の歴史』 淡交社 よ ...
1569年(永禄十二年)頃から織田信長が評価の定まった名物茶道具の強制買収や献上(名物狩り)を行っていたことが、『信長公記』に記録されている。また、信長がこれらの道具を使用した茶会を幾度も行っていたことが、『天王寺屋会記』に記されている。さらに、信長は功績のあった武将に対し、名物茶道具を下賜するとともに茶の湯を許可していた。豊臣秀吉は、これらの信長の茶の湯に対する考え方を「御茶湯御政道」と言った。1.『信長公記 -戦国覇者の一級史料』 p.188-191 茶の湯2.『よくわかる茶道の歴史』 淡交社 p.88-96 信長の名物狩りと御茶湯御政道3.『茶の湯の文化史』 吉川弘文館 p.10-16 織田信長4.『茶人豊臣秀吉』 角川書店 p.27-31 名物狩りと御茶の湯御政道5.『豪快茶人伝 上』 埼玉福祉会 ※大活字本 p.30-456.『古典で旅す ...
『みつばち飼う人この指とまれ!』 高文研 p.20-26, p.45-47(重箱式巣箱、現代式縦型巣箱(藤原式)、AY(青木、吉田)式巣箱、信州横型巣箱、丸洞式巣箱を紹介)※その他のページでもさまざまな巣箱を写真付きで紹介『誰でもチャレンジできる!イラストマニュアル・はじめての養蜂』 秀和システム p.75-97 養蜂道具を知ろう『知って楽しむハチ暮らし入門』 農山漁村文化協会 p.62-66 移設巣箱を作る『だれでも飼える日本ミツバチ』 農山漁村文化協会 p.39-62 日本ミツバチ専用の「現代式縦型巣箱」<当館類似事例>「みつばちの飼い方の載っている本はないか。」(小野市立図書館)https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000210311(最終確認:2024/10/4)参考資料:御園孝 編著. みつばち飼う人この指とまれ! : ニホンミツバチ飼育実践集. ...
◆i.地名の由来『角川日本地名大辞典 28」 角川書店 p.356 小野<小野市>「...一説には、小野という名称は最初から固有名詞として付いたものではなく、何々の小野、すなわち付近の里の名を頭に冠して読んだのが普通であったという(小野旧藩誌)また、一柳城下の地は昔小丘陵地で、一帯の原野を小野の原といったことのよるとも伝承される(加東郡誌)。」『加東郡誌』 加東郡教育会 p.106-107 町名選定の事由、大字の起源沿革 『ひょうごの地名』 神戸新聞出版センター p.54 小野「大正四年(一九一五)に小野町となり、昭和二十九年(一九五四)に、河合・来住・市場・大部・下東条の各村を合併して小野市となる。ここでの「小野」は必ずしも小さな原野というのはなく、むしろ大きな原野を表現したもので、大野を「オノ」と呼 ...
当館で確認できた古い記述は下記のとおり『日本歴史地名大系 29-2』 平凡社 p.283 小野町より「文明三年(一四七一)」正月二六日の東加茂霜台田年貢勘定状(清水寺文書)にみえる「小野井口方」は当地のことか。」『昭和十二年刊小野旧藩誌補遺稿』 藤本 欣司/著 p.80より「元禄十一年(一六九八)、葛山七右衛門、吉田源兵衛より、松平若狭守に差し出した知行所絵図面の解説に「土佐守敷所、以前は敷地村の地に御座候処、門前村の地、小野と申す所へ、承応二年巳年(一六五三)屋敷所替え申し候。」『小野旧藩士、二頁』とある。」『地志播磨鑑(復刻版)』 播磨史籍刊行会 p.325 …宝暦十二年(1762)に完成したものの復刊小野ノ府に関する記載あり参考資料:日本歴史地名大系 第29巻 2 (兵庫県の地名 2). 平凡社, 1999.https://nd ...
主に古墳時代とする説と弥生時代後期とする説があるが、比較的新しい資料では、弥生時代としているものが多い。『日本大百科全書 14』 小学館 1987年 p.750 【たたら】より「わが国での鉄器の使用は弥生時代とともに始まったが、国内での製鉄は六世紀後半から福岡県西部および岡山県吉井川上流産地などで、砂鉄から木炭を燃料兼還元剤とし海綿鉄塊を生産することが始まった。」 『鉄の日本史』 筑摩書房 2022年 松井 和幸/著 p.74-75より ※( )内は要約(日本列島内の製鉄の開始期について、弥生時代後期説と古墳時代説があるが、著者は前者と考えている。その理由として、広島県の三原市小丸遺跡から弥生時代後期頃とされる製鉄炉が検出されていること。日本列島の人が鍛冶技術を獲得して以降、700年近くも製鉄技術を知らな ...
道具を使えば作ることが可能。1.『完全図解最新シャボン玉あそび』 造事務所/編 1997年 双葉社 p.52・53「四角形のシャボン玉」 四角いシャボン玉以外にもらせん状や二重など様々なシャボン玉の作り方が載っている。2.『でんじろう先生の学校の理科がぐんぐんわかるおもしろ実験』米村でんじろう/監修 2015年 主婦と生活社 p.7「自由研究1ー5丸くないシャボン玉はできる?」(理由つき)3.『科学まちがい図鑑』左巻健男/監修 2023年 西東社 p.34「実はできる!?丸くないシャボン玉」回答プロセス:①当館のレファレンス事例「小野27-034 シャボン玉はなぜ丸いのか知りたい」の参考資料を確認し、資料1が見つかる。②館内検索機で児童書を対象に「シャボン玉 しかく」 「シャボン玉 実験」でキーワードし、資料2・3が見つか ...
1.『総合百科事典ポプラディア 14』 2021年 ポプラ社 p260・261「本」の項より 概要に「人々に伝えたいことや、のこしたい情報を、文字や絵にして手で書いたり、印刷したりして1冊にまとめたもの。・・・」とあり、文字の記録とはじまりに「世界最古の文字の記録は、一説には粘土板に人類最初の文字、くさび形文字や図がらをほりつけたもので、紀元前3000年から紀元前2100年ごろ、メソポタミア文明時代につくられたとも考えられている。・・・」との記述がある。2.『本のことがわかる本 1』 2015年 ミネルヴァ書房 p14~23「本の誕生」3.『本について授業をはじめます』 永江朗/著 2014年 少年写真新聞社 p59~「本のルーツをたどる旅」4.『本のれきし5000年』辻村益朗/作 1995年 福音館書店5.『本 : 起源と役割をさぐ ...
「卵が先か、にわとりが先か」は、決定不能な問題の隠喩として用いられるとおり、遺伝学的観点などから卵とする意見がある一方、生化学的観点などからにわとりとする意見もあり、学問分野や立場により意見が分かれている。1.『生物学の基礎はことわざにあり』 杉本正信/著 岩波書店 2018年 p.134-p.144 単細胞生物が多細胞生物へ進化し、有性生殖をおこなう生物が生まれたときに、多細胞生物の個体から卵子と精子の原型ができたので、「卵より鶏が先だった」と考えられると記載。2.『たまご大事典』 高木伸一/著 工学社 2020年 p.188 進化上、爬虫類のたまごから鳥類の祖先が生まれたと考えられることから、たまごが先と言えると記載。3.『雑学大全』 東京雑学研究会/編 東京書籍 2012年 p.545 2006年にイギリス人の遺伝学者、哲学者、 ...
execution time : 0.195 sec