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下記資料より、福井県は昭和46年頃に刈込池周辺50ヘクタールを購入して公有地とし、昭和54年頃に環境整備を行った可能性があります。なお、記載があるという事前調査資料「福井県土木史」1・2巻を調べましたが、刈込池周辺整備についての記述は確認できませんでした。福井県議会史編さん委員会 編さん『福井県議会史』第6巻,福井県議会事務局,1993.3. p1273,1724国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9639866/1/658 (参照 2024-10-22)・・・「昭和46年の福井県議会」中の、知事による昭和47年度当初予算説明で、”刈込池周辺50ヘクタールを重要景観地として購入した”とある。また、p1724には”県は(中略)46年から(中略)自然公園の中でも、特に重要景観地を買い上げ、公有地として永久に残す施策を進めていた”とある。福 ...
徳田靖之『感染症と差別』(かもがわ出版、2022年)の52頁にある註に「この湯ノ沢部落が、明治40年法律第11号「癩予防ノ件」の適用を免れた」と書かれているが、これは本当か。(国立ハンセン病資料館図書室)
from レファレンス協同データベース (2025/3/9 10:57:15)
from レファレンス協同データベース (2025/3/9 10:57:15)
j-stageにて「自由療養」でキーワード検索・森修一、加藤三郎、横山秀夫、田中梅吉、兼田繁『草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究Ⅱ―湯の沢部落史―』(日本ハンセン病学会雑誌72巻1号、2003年)「4-5 湯の沢部落の解散」→「全国で進むハンセン病者の隔離政策の中、湯の沢部落にも最後の日が近づいていた。他のハンセン病者集合地と違って、納税や兵役など、国民としての義務を果たし、自治を有する湯の沢部落に対し行政もその解散を強制できずにいたのである。しかし、バルナバ・ミッションの解散が決定され、湯の沢部落の崩壊が決定的となった1941年(昭和16年)3月、群馬県衛生課は湯の沢部落代表に対し、栗生楽泉園内への部落の移転の開始を申し入れ、ここに湯の沢の解散への動きが始まった。(中略)同年【1941年(昭 ...
‘Game changer’: German spending plans lift bond market’s growth forecasts
from UK homepage (2025/3/8 22:00:15)
from UK homepage (2025/3/8 22:00:15)
Chancellor-in-waiting Merz’s promise to do ‘whatever it takes’ pushes Bund yields sharply higher in anticipation of more issuance
以下の資料をご案内しました。15世紀に和歌に匹敵する文芸として連歌を大成した飯尾宗祇(西行や能因法師と並んで松尾芭蕉が最も尊敬していた詩人の一人)が九州(大宰府天満宮:菅原道真は連歌の守り神)を訪れ歌枕(うたまくら)になっている名所を訪ね各地で連歌会(れんがえ)を行いました。宗祇は在来の連歌の上に古今和歌集の幽玄さを加えて連歌の革新を図りました。戦国大名らは京の文化教養への憧憬を宗祇の提唱する連歌革新の中に見つけ、そのために宗祇は全国各地から招かれて、旅する連歌師となりました。芭蕉が憧れた旅に死す 生き方はこのような時代の中で育まれたものであるといえます。17世紀後半にも、西山宗因など藩主と交わりのある連歌師が現れ中央の連歌師が訪れることで連歌会が多数催されました ...
別所温泉に明治末期から大正時代にあった「みどりや旅館」の場所は、今の地図ではどのあたりか。旅館は今もあるのか。(県立長野図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/8 19:24:46)
from レファレンス協同データベース (2025/3/8 19:24:46)
国土地理院のwebサービスで提供されている「地理院地図」で見ると別所温泉大湯近くの緑屋旅館は、「+」のあたりと思われる。[最終確認2025.2.23] 明治33年に発刊された『別所温泉誌』飯島寅次郎著・刊 1900【N221/22】p.41-42「温泉宿及び市中の概況」の大湯付近にある宿の中に、「緑屋 山極吉右衛門」が確認できる。[国立国会図書館デジタルコレクション インターネット公開 最終確認2025.2.23] 『上田歴史地図 上田市・小県郡』尾崎行也・佐々木清司編著 郷土出版社 1983 (長野県の歴史地図シリーズ1)【N221/94】p.66に「別所温泉明細図」(昭和6年)があり、大湯近くに緑屋旅館を示す記号「㋭」が確認できる。p.95にこの図の解説があり、裏面には「上田市他商工家案内」((昭和6年図:p.70-71、解説:p.96)が刷られていたことがわかる。「上田 ...
長野県社会教育課が編集しており、資料の大半が参加者による記名の旅行記、感想集。旅行日程や経費概算等は、県社会教育課の編集と思われる。・『青年代表満鮮視察紀行昭和9年3月』長野県社会課[編] 長野県 1934【N379.2/29/1】 表紙 標題紙 口絵写真 1頁に2葉 旅行略図 1頁 序 1頁 目次 1頁 長野県青年代表満鮮視察旅行日程表 p.1-3 長野県青年代表満鮮視察旅行団 p.3 紀行 p.4-31 (2名の旅行日誌) 感想集 p.32-56 (参加者10名の感想文) 経過大要 p.56-61 奥付 1頁 見返 裏表紙・『長野県青年代表満鮮視察旅行記昭和9年度』長野県社会教育課[編] 長野県 1935【N379.2/29/2】 表紙 標題紙 口絵写真 2頁に7葉 目次 1頁 緒言 p.1-2 長野県青年代表満鮮視察旅行日程 p. 3-5 長野県青年代表満鮮視察旅行団 p.5-6 満鮮視察旅行記 p.6-57 (3名の旅行日誌) 特殊研究報告 p ...
松本市北内田の「北部青年団」とはどういった団体か知りたい。この地区の県道289号沿いにある角柱型の道標の碑文で、皇紀2600年に「北部青年団」が建立したことがわかった。(県立長野図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/8 19:24:46)
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当館資料を調べたが、「北部青年団」そのものについての資料は確認できなかった。 なお、当該角柱に記された年号が「皇紀2600年」とあるので、昭和15年(1940年)の建立となる。この時代の内田地区は、東筑摩郡片丘村(現・塩尻市片丘)の一部だった。片岡村は明治7年に、北内田村、南内田村、北熊井村、南熊井村、中狭村の5村が合併してできた村。現在の塩尻市の小字から旧村の位置関係を見ると、北内田村が一番北側に位置している。 松本市内田地区は、塩尻市内田地区のうち北内田が昭和35年4月1日に分市して松本市に合併した地区。 調査過程で、『片丘村誌』片丘村誌編集委員会編 片丘村誌刊行会 1985【N233/76】に、塩尻市の南内田地区に青年団についての記録が残っていることが記されていた。p.570-572に「青年団」の項目があ ...
諏訪湖で、大正14年1月下旬から2月上旬に、氷上飛行訓練をしたというメモが書かれた飛行機の写真を入手した。この事実がわかる、新聞記事などはあるか。(県立長野図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/8 19:24:44)
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「信濃毎日新聞データベース」で、陸軍の「各務原航空大隊」が、大正14年1月25日から耐寒氷上訓練の準備を始め、2月2日に訓練を終了していたことがわかった。 なお、この期間「各務原航空大隊」以外に、「所澤一中隊車輌班」や「松本歩兵五十聯隊」も、諏訪湖で氷上演習や耐寒訓練を行った記事があった。 併せてスケート大会も開催され、飛行機とスケートを見物する人で、湖上は空前の賑わいをみせたようだ。『信濃毎日新聞』掲載記事・「耐寒飛行準備成る 二十九日から四日間諏訪湖を中心に」 1925(大正14)年1月27日 夕刊 2面・「雪さへ飛ぶ悪気流に試験飛行を決行 見事な氷上着陸」 1925(大正14)年1月28日 夕刊 2面・「寒風に妙技 氷上飛行第二日」 1925(大正14)年1月29日 朝刊 5面・「湖上は空前の賑ひ 飛行機やスケート見物で ...
市販のケーキの素を使って手軽にデザートを。ピラフのフライパンを洗って使いましょう。
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