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満州への修学旅行に関する資料として、1906年6~9月発行の福井県の地方新聞や教育会関係の雑誌を教えてほしい。1906年の夏の満洲旅行に実際行った人の書き残した手記、日記などの史料、あるいは、福井県庁から各学校に発した史料、旅行後に福井県庁に旅行者から提出された復命書のような資料はないか。 『福井県教育雑誌』16号(1906年9月25日)p.39-41の著者・澂水、著者の「澂水」は教育者のペンネームと思われるが、その本名や、人物に関する情報が欲しい。(福井県文書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/5 9:58:59)
from レファレンス協同データベース (2025/3/5 9:58:59)
明治39年6月~9月の福井の地方新聞は当館では複製も含めて所蔵しておりません。雑誌としては『福井県教育雑誌』15号(8月25日)と16号(9月25日)が該当する。福井県内の13機関が参加するデジタルアーカイブ福井の詳細検索で「満州」「満韓」等のキーワードで検索しましたが、該当の文書なし。ペンネーム「澂水」について「デジタルアーカイブ福井」や「国立公文書館デジタルコレクション」等で検索したが、どのような人物かは特定できず。なお、ご指摘の『福井県教育雑誌』16号、p. 39-41の澂水による「満韓旅行中の所感」は、他県に比べて福井県の学生の参加者がいない(あるいは少ない)ことを嘆いているような記事でした。この資料は、当館内にて、複製物(モノクロ)を閲覧できます。(郵送複写も利用できます ) 事前調査 ...
いつ頃出来たのか・成り立ち……下中邦彦(1981)「日本歴史地名大系第18巻 福井県の地名」によると、文永2年(1265)の若狭国惣田数帳写に「野後宮四反佐分郷」と見える。」とあり、そのころには集落があったよう。「角川日本地名大辞典 18福井県」(1989)でも、同様な記載内容でした。※上記資料は、京都府立郷土学・歴彩館が運営する「東寺百合文書WEB」に「若狭国惣田数帳案」として掲載されています(12コマ目の右から10行目です)。成り立ち当初の住民名・現代の住宅地図……定住からはるかに時代が下った江戸期の宗門改帳も、デジタルアーカイブ福井、福井県史、小浜市史には見当たりませんでした。※参考:現地の資料館に資料があるかもしれません:おおい町立郷土資料館事前調査事項:口伝にて、「青井の家(屋号はヤザ ...
『福井県史』及び『金津町史』中に引用されている文書資料について、目録上でその資料を特定できないものがあり、それらの資料について教えてほしい。1. 『福井県史通史編3』p. 783「天保十三年の敦賀における上級の町人と並の町人の服装および持ち物の例をあげる。」 →こちらの記述の根拠となった資料はあるか2. 『金津町史』p. 185の最終行〜p. 187の1行目までの「急度申し遣し候」の記述 →引用元が(吉川家文書)とあるが、具体的にどの資料か。(福井県文書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/5 9:58:09)
from レファレンス協同データベース (2025/3/5 9:58:09)
『敦賀市史』史料編第1巻のp. 65~67に掲載されている「大和田みえ子文書」の触書写が記述のもとになった史料と思われる。また、同様の触書は周辺地域でも出されており、当館が資料叢書3として刊行した『若狭国小浜町人の珍事等書留日記』p. 28・29にも同じような触書がみられる。当館所蔵「吉川充雄家文書」中にある「駅新古規方御用留」(C0037-00005)内に『金津町史』の引用元史料が確認される。
「デジタルアーカイブ福井」で公開されている『図説福井県史』近世29の「民衆の倫理と女性」に、白崎村阿弥陀起請文の画像が掲載されている。この資料をデジタル画像で閲覧することは可能か、また、この起請文を翻字した刊行物はあるか?(福井県文書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/5 9:57:27)
from レファレンス協同データベース (2025/3/5 9:57:27)
『図説福井県史』掲載写真の多くは「デジタルアーカイブ福井」には収載されておりません。 お尋ねの「白崎村阿弥陀仏起請文」のデジタル画像は当館にはございませんが、『図説福井県史』の現物には当該文化財は縦15 cm・横5.5 cm程度の大きさで掲載されており、拡大すればだいたい判読できるほど鮮明です。同書は新潟県立図書館にございます。 また、「白崎村阿弥陀仏起請文」のモノクロ写真と翻刻文は、『福井県史 資料編6中・近世四』の口絵とp. 861に収載されています。同書も新潟県立図書館にございます。
越前町南条郡燧や越前市森久町の、古くからの歴史や庄屋などの記録を調べたい。デジタルで閲覧は可能?おすすめの本や資料があれば教えてほしい。初めて館の資料をデジタルで閲覧する場合、登録手続きは必要か。文書館のみで閲覧できる資料や本はあるのか。国会図書館デジタルの登録はしているが、国会図書館のデジタルサイトからそちらの文書館の資料や本や古文書のすべてを閲覧することは可能か?(福井県文書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/5 9:57:19)
from レファレンス協同データベース (2025/3/5 9:57:19)
ご提示の資料郡番号H0050「山内治郎左衛門家文書」の資料はデジタルアーカイブ福井では画像を公開しておらず、インターネットでの閲覧はできません。当館に来館いただいて館内端末から画像を閲覧するか、複製本を閲覧するかのどちらかになります。検索方法参考:デジタルアーカイブ福井の「詳細検索」で、「資料」のみにチェックを入れ、フリーワードに「燧」で検索すると4件の資料がヒットします。同様にフリーワードで「森久町」あるいは近世の呼称「大塩中村」などで検索してみてください。おすすめの資料:一般的な郷土誌の紹介ですが、「王子保村誌」や「福井県南条郡湯尾村誌」などを参照なさってはいかがでしょうか。デジタルアーカイブ福井で公開している画像を閲覧する場合は特に登録は不要ですが、館内で複製 ...
『足羽県地理誌』の村落の距離の記載で「県下へ○丁」等の記載があるが、起点はどこなのか。 足羽県編『足羽県地理誌』(明治06年)(国立公文書館デジタルアーカイブにて20/180コマの 「下四ツ居村」で【里程:縣下へ13丁】以降、最後の第16区「境村」【里程:縣下へ11丁,以下省略】 178/180コマに至るまで【縣下】と記載されている。(福井県文書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/5 9:57:13)
from レファレンス協同データベース (2025/3/5 9:57:13)
『足羽県地誌』の時期の起点について、明確に記した資料は見当たりませんでした。江戸時代には、『福井県史』、および『図説福井県史』にありますように、九十九橋北詰が起点とされていたようです。『新修福井市史1』によりますと、明治42年に、道路元標がこの場所に建てられたようです。『足羽県地誌』は、明治5年、陸軍省、第七十二号(4月24日)(『法令全書 明治5年』より)を受けて作成されたもので、その指令には、「城郭城址地方管庁ノ所在、幷街市村落人烟稠密ノ所ハ経緯ノ度数及距離方向」とあります。つまりこの時、起点・元標に関しては詳しい規定はありません。ついで、法令全書(明治8年)「皇国地誌編輯例則」には、「某県庁(所管ノ県庁)ヨリ何方幾里、(中略)但し里數ハ、元標ヲ明記スヘシ」とありま ...
「https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/bunsho/category/kankoubutsu/467.html福井藩士履歴」に、藩士、新番格以下の履歴が掲載されている。下級藩士の場合は、掲載されない。陪臣:翻刻資料はないが、「元陪臣 乾」「元陪臣 坤」 の2つの福井藩の陪臣録もある。 商人等:福井藩士履歴には出てこない。
【文献】中村英重「福井県と北海道移住」(『地域・情報・文化 札幌大学女子短期大学部創立25周年記念論文集』、1993)を参照し、福井県移民の出身とされる浜四郷村、大安寺村、木部村の自治体史を調査してみました。結果、『木部村誌』(1962)のp. 452に「…川崎では三年続きの凶作の為、明治29年春北海道十勝の池田農場へ八戸移住した。」との記載がありましたが、他の自治体史には記載がありませんでした。『福井県史 通史編5』『図説福井県史』には、北海道移住に関する項目はありますが、池田農場に関する記載はありませんでした。北海道開発局のWebサイトに「十勝開拓と川」という文書(PDFファイル)があり、その中に池田農場に関する記載もありましたのでご紹介いたします。【デジタルアーカイブ福井(資料検索)】《 ...
杉原丈夫「本堂町の獅子渡御」(『福井県立博物館紀要 第4号』、杉原丈夫「獅子渡り-福井市本堂町-」(『若越郷土研究』)がございます。回答プロセス:杉原丈夫「本堂町の獅子渡御」(『福井県立博物館紀要 第4号』杉原丈夫「獅子渡り-福井市本堂町-」『若越郷土研究』事前調査事項:県の文化財のページ「オシッサマのお渡り」
1. 福井県立図書館の図書『浜中生の体験した学徒動員と福井空襲』(若狭高校の前身・旧制小浜中学校の記録)『都の乾安居の野に』(福井商業高校前身・福井商業学校の記録)『福井県教育百年史 第2巻』2. 『福井県史 通史編』当館の「デジタル歴史情報」のフリーワード検索で「学徒」と入力するといくつかヒットします。3. 『福井新聞』当館をはじめ、県内13の機関が参加する「デジタルアーカイブ福井」の新聞記事検索で検索できます。フリーワードで「学徒」と入力するといくつかヒットします(「新聞」ではなく「新聞記事」をチェックしてください)。新聞は当館で複製物を閲覧できます。4. 学徒出陣の時の寄せ書き、千人針などの資料(どちらも当館で閲覧可)日の丸寄せ書き千人針
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