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住吉区帝塚山にあった料亭兼高級旅館「鉢の木」について調べております。1956年から1961年にかけて将棋の名人戦(大山名人対花村九段、升田九段ほか)などが行われた格調高い老舗で、住吉に住む将棋好きの作家、藤澤桓夫の著作にも登場しています。現在、跡地にはマンションが建っています。往時を知る人も少なく、記録を当たるしかないようです。手がかりになる情報はありますか。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/1 0:30:37)
from レファレンス協同データベース (2024/12/1 0:30:37)
「鉢の木」について、詳細な記述のある資料は確認できなかったため、電話帳や住宅地図等も含めて調査しました。 (1) 『大阪府旅館名簿 1972』 (大阪府旅館名簿編纂委員会/編 大阪府旅館環境衛生同業組合 1972.5)「組合員 大阪市内の部」p.157-159「住吉支部」のp.158「住吉支部(2)」に、「鉢の木」の項目があり、所在地、電話、経営者、室数、収容人員、宿泊料金、最寄り駅と距離、加盟団体が記載されています。(2) 『大阪府旅館名簿 -組合創立15周年記念- 昭和48年版』 (大阪府旅館名簿編纂委員会/編 大阪府旅館環境衛生同業組合 1973)「組合員 大阪市内の部」p.175-176「住吉支部」のp.176「住吉支部(2)」に「鉢の木」の項目があり、上記資料(1)と同様に、所在地、電話、経営者、室数、収容人員、宿泊料金、最寄り駅と距離、加盟団体が記載され ...
明治の「北の大火」は、ある工場の塀で鎮火されたと聞いたことがある。これについて書かれた資料はあるか。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/1 0:30:37)
from レファレンス協同データベース (2024/12/1 0:30:37)
明治42年7月31日から翌日にかけて、「北の大火」と呼ばれる火事がありました。現在の大阪市北区から出火して西へ燃え広がり、福島区にかけての広範囲を焼き尽くしました。工場の壁に行き当たって鎮火したとされていますが、そのことが書かれた資料は、以下のようなものが見つかりました。(1) 『新修大阪市史 第6巻 近代 2』 (新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1994.12)「第四章 社会生活と文化の諸相 第三節 市民生活の諸相 2 大災害の発生」のp.810-813「北の大火」の項に詳細な記述があり、p.811に「鎮火できた西端は福島紡績会社の外柵であった(『グラヒック 大阪大火画報』)」とあります。(2) 『福島区史』 (大阪都市協会/編集 福島区制施行五十周年記念事業実行委員会 1993)「第一章 通史 第二節 明治時代から区制発足までの歩み ...
昭和50年頃、大阪市の南港から高松に渡るフェリーに乗っていたと自分の親が話していた。どこの会社の船か、また一日に何便ぐらい出ていたのかなどが知りたい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/1 0:30:36)
from レファレンス協同データベース (2024/12/1 0:30:36)
当館が所蔵する昭和50年代の時刻表を確認したところ、大阪市の南港と高松を結ぶ船の情報は見つからず、大阪市内から高松に渡る船は、弁天埠頭-高松の船についての情報が見つかりました。(1) 『時刻表 1980年3月,10月』 (日本交通交社 1980.3,10) ・1980年10月号「国鉄バス・会社船 ≪四国地方≫」のp.509の「大阪・神戸からの四国連絡船」の項に大阪-高松を結ぶ船について掲載があります。社名は「関西汽船」「加藤汽船」で、関西汽船の航路は「大阪(弁天埠頭)-神戸(中央突堤)-坂手-高松」で1日2往復、加藤汽船の航路は「大阪(弁天埠頭)-神戸(中突堤)-土庄-高松」で1日1往復です。p.525「長距離フェリー」の「F」の項に大阪-高松を結ぶ船について掲載があります。社名は「関西汽船」で、航路は「大阪港(弁天埠頭)-神戸港(中突堤)-坂手港-高松 ...
「鶴の茶屋跡碑」は大阪市北区茶屋町にある石碑です。この付近は明治中期、大阪市民の行楽の地で、「鶴の茶屋」「萩の茶屋」「車の茶屋」という茶屋が並び賑わっていました。「茶屋町」という地名の由来にもなっています。以下の資料に「鶴の(乃)茶屋」「鶴の(乃)茶屋跡」「鶴の(乃)茶屋跡碑」についての記述が見つかりました。(1) 国立国会図書館デジタルコレクション『北区誌』 (大阪市北区 1955) (国立国会図書館/図書館・個人送信限定) https://dl.ndl.go.jp/pid/3008994/1/93 (2024.11.13確認)「第四章 明治時代の発展 四 市域の拡張と明治後期 明治三十年の市域拡張」のp.127(コマ番号93)に「鶴の茶屋」の項があり、「明治初年までいまの梅田東方面は春は菜種花匂う野ッ原で、都心部の人たちが花を賞で月を楽しむ憩いの場として、鶴の茶屋や ...
戦後の大阪市全体の公園計画について、資料(1)~(4)によると昭和22年には823ヘクタールと計画されていましたが、昭和27年の計画変更により667ヘクタールとなり、資料(3)によるとその後のさらなる変更により662ヘクタールになりました。下記資料(1)(2)には、昭和27年の計画変更時点の扇町公園の地積は11.57ヘクタールと計画されている旨の記載があります。(1) 『大阪市復興都市計画概要』(大阪市計画部/編 大阪市計画部 1952.5)「第二章 都市計画」のp.25-32「第八 公園」の項に、都市計画公園について記載があります。p.26に「終戦後樹立した公園計画の面積は約八、二三方粁となつていたが(昭和二十二年一月十四日内閣認可)その後の復興事業の急速なる完遂を計るべく再検討の結果、実施面との調整を図るため計画変更がなされた、その面積は ...
Trudeau pays Trump Florida visit in bid to avert North American trade war
from UK homepage (2024/11/30 22:52:46)
from UK homepage (2024/11/30 22:52:46)
US president-elect has threatened to hit Canadian imports with steep tariffs as soon as he re-enters office
ChatGPT-maker aims for big boost from new AI products, Apple partnership and infrastructure investment
S16.7.15 23:45 M6.2一般的には「長沼地震」というようです。回答プロセス:『防災科学技術研究資料 第119号』p210-220に「長沼地震」の項あり。地震日時、規模などが記載されている。長沼と赤沼は同地区だが、質問者が言っている「赤沼地震」かどうかは定かでない。インターネットで「赤沼地震」と検索すると、長野郷土史研究会のページにヒットする。http://www.janis.or.jp/users/kyodoshi/somokuji-2.htm <最終確認:2010年9月20日>第87号(1979年9月 改訂版2002年9月) 飢饉災害特集号に「赤沼地震の思い出」とあり。『長野 第84号~第87号(昭和54年3月~9月)』(合本)にあたる。「長野 第87号」の「赤沼地震の思い出」にはS16.7.15とあり、止まった時計が23時45分を指していたとある。先の『防 ...
学校教員におすすめのブックリストはあるか。(大阪府立男女共同参画・青少年センター(ドーンセンター)情報ライブラリー)
from レファレンス協同データベース (2024/11/30 16:14:56)
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ドーンセンター情報ライブラリーでは、男女共同参画やジェンダーに関するさまざまなテーマごとに資料を紹介する、ブックリストを作成している。その中から学校の授業や、情報収集に役立つブックリストを紹介した。・子どものSOSを受けとめるhttps://www.dawncenter.jp/thema/tenji05.pdf・よりよい関係をつくるために ひとりひとりの生と性https://www.dawncenter.jp/thema/tenji12.pdf・にじいろブックリスト〈多様性を認め合う社会へ〉https://www.dawncenter.jp/thema/tenji04.pdf・教材づくりに役立つ映像資料リストhttps://www.dawncenter.jp/thema/tenji02.pdf
岡崎市下佐々木町の沿道に在る「力丸塚」について知りたい。何時誰が設置したか、塚にまつわる言伝えがあるのか。また、佐々木上宮寺の境内に在る「三河太田発祥の地」の立札に記されている太田家と力丸との関係について知りたい。(岡崎市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/30 14:57:37)
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上宮寺には聖徳太子と太田力丸の出会いを顕彰し、上宮寺のはじまりの物語を広くかつ後世に伝えるために建てられた碑「三河太田発祥の地」があり【資料1、2、3】力丸塚は、下佐々木字如来寺(上宮寺一二坊の中)にあり。「聖徳太子が大鳥居畷(あぜ道)を牛舎でお通りの際、車が深田に落ちてしまった。これを大力で引き上げたので太子より「力丸」の名を賜った。」という伝説。【資料4】力丸塚の項あり。「・・・太田家の元祖(始祖)である力丸の塚です。塚石は近年建てられたもので、聖徳太子の御車を引き上げた場所とは特定できません。」と記載あり。「太子山上宮寺伝」(上宮寺蔵)に聖徳太子と力丸、大田の名を賜った事などの記載があり。太田の先人である太田吉政の墓碑については【資料5】【資料6】大田(点なし ...
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