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①獅子島(の樹叢)度会郡南伊勢町五ヶ所浦3819 ②村島(神社)三重県度会郡南伊勢町内瀬 について、島および島の神社の歴史や風土、環境など書かれた資料はないか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:02)
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①獅子島『伊勢志摩 〔1982〕No.7』伊勢志摩出版社 1982p.5に獅子島に関する記述があります。かつて御木本幸吉が所有し別荘があった、はまじんちょうが自生、などが「らしい」「そうだ」などすべて伝聞形式で書かれています。『南勢町誌』南勢町誌編さん委員会/編纂 三重県度会郡南勢町 1985p.10に島の面積、p.746に獅子島弁天(青龍寺鎮守)、p.781に市杵島神社、p.783に厳島神社、獅々頭神社、p.1040-1041に獅子島の樹叢について記載があります。国立国会図書館デジタルコレクション送信サービス資料です。『神都名勝誌 巻4~巻6』神宮司庁/編 皇学館大学 1992.1巻6六ノ八十二に獅子島、御所島の項目があり、「共に、同所の湾内にあり。」とのみ書かれています。国立国会図書館デジタルコレクション送信サービス資料の『神都 ...
次の2点について書かれている資料を知りたい1.伊勢湾台風における近鉄の被害と、その復旧工事に際し行われた名古屋線の改軌、名阪特急の直通運転開始(在来線と同じ幅だった名古屋線の線路の幅を新幹線と同じ標準軌に広げ、名古屋から大阪、伊勢志摩へ、電車1本で行けるようにした)2.輸送力増強を図るために建設した新青山トンネルの難工事の歴史・いきさつ(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:02)
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1.伊勢湾台風における近鉄の被害、復旧にかかわる名古屋線の改軌、名阪特急の直通運転開始『近畿日本鉄道100年のあゆみ 1910~2010』近畿日本鉄道/編集・発行 2010.12p.250-252に伊勢湾台風の被害と、軌間統一、名阪直通特急運行を含む復旧工事についての記述があります。『運をつかむ』佐伯 勇/著 実業之日本社 1980.10p.44-53に「伊勢湾台風の教訓」という項目があります。この資料は国立国会図書館デジタルコレクション送信サービス資料です。『三重県史 通史編近現代2下』三重県/編集・発行 2019.3p.353-4に記述があります。『伊勢湾台風災害誌』三重県 1961.6p.146-147に「第五節 鉄道の被害とその措置」があり、p.147に近畿日本鉄道の項目があります。具体的な被害の状況はほぼなく、工事の費用と計画が簡単に書かれています。この資料は ...
「歳寒堂遺稿」の復刻版は、調査した限り見つけることができませんでした。国立国会図書館サーチで検索したところ、『歳寒堂遺稿』(マイクロ資料)を国立国会図書館が所蔵しているようですが、著者が辻元崧庵となっておりますので、北条霞亭の遺稿集「歳寒堂遺稿」との関係は不明です。『歳寒堂遺稿』(幕末写)が慶應義塾大学附属研究所斯道文庫に所蔵されているようです。「森鴎外『北条霞亭』の主人公である漢詩人北条霞亭の漢詩文を没後養子の北条悔堂が編集したもの」「浜野知三郞は霞亭の資料を多数収集していて、それらを鴎外に提供、この本も鴎外に貸し出されていた」とのことです。資料の説明:https://libguides.lib.keio.ac.jp/c.php?g=921684&p=6916355(慶應義塾大学メディアセンターTOP > 三田メディアセンター > 展示情報 ...
愛知県碧南市の海徳寺に、三重県(伊勢神宮寺?)の廃仏毀釈で破壊されそうになっていたものを住職が持ち帰って安置したという阿弥陀如来坐像がありますが、その仏像がもともと納まっていた寺(御堂)について記述した書籍や、その御堂を描いた絵図・図面などはあるのでしょうか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:01)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:01)
以下の資料に記載がありました。(1)『伊勢山田散策ふるさと再発見』濱口 主一/著 伊勢郷土会 2014.6p.148-150に「廃仏毀釈で追われた伊勢の仏像」という項目があり、p.149に愛知県碧南市海徳寺の阿弥陀如来坐像が菩提山神宮寺の本尊であった旨の記述があります。(2)『勢陽五鈴遺響 5』安岡 親毅/著 三重県郷土資料刊行会 1978p.229-231に「菩提山神宮寺」の項目があります。同じ内容のものを国立国会デジタルコレクションで見ることができます。「勢陽五鈴遺響 11」(1903)51コマ目https://dl.ndl.go.jp/pid/991427/1/51(3)『日本図会全集 2期第4巻(伊勢参宮名所図会)』 日本随筆大成刊行会 1929p.333、338に解説が、p.336-337に寺の全体図があります。同じ内容のものを国立国会デジタルコレクションで見ることができます。解説:「大日本地誌大系 第4冊」9 ...
7代桑名藩主松平定重は、桑名春日神社の青銅の鳥居の創建を鋳物師辻内善(左)右衛門尉藤原種次に託し寛文7年(1667)に完成させ、桑名春日神社に寄進しました。(桑名神社中臣神社縁起鈔より)この鋳物師辻内善右衛門尉藤原種次について出生等を調べています。鋳物師辻内善右衛門尉藤原種次は、辻内丹後守藤原家清の子孫でしょうか。 だとしたら治工辻内善右衛門尉藤原種次の先祖は、1561年には桑名に住んで鋳物師として商いをしていたと考えられますが、典拠となる文書を見つける事ができません。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:01)
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江戸時代もしくはそれ以前の鋳物師に関連する資料はいくつか所蔵がありますが、家清と種次の関係を明記したものは見つけることができませんでした。『鋳物師銘譜』立田 三朗/著 立田美智子,村田書店(発売) 1992 資料番号:112516166 貸出可「第二部史料編」p115-319 古代から1614(慶長19)年までの工人名をまとめています。巻末の人名索引を参照し、p233「辻内丹後守藤原家清」の項目が見つかりました。しかし種次との関係性については記述がなく、陽泰寺の小鐘に1466(文正元)年として記された工名は後世に書かれたものではないかと推測されています。項目の中に典拠として「考古学雑誌二〇ノ三」、「由緒鋳物師人名録」が挙げられています。『中世鋳物師史料』名古屋大学文学部国史研究室/編 法政大学出版局 1982 資料番号:11233 ...
以下について書かれた資料を探している。①御浜町指定天然記念物「ハマセンダン」「キササゲ」「ニッポンタチバナ」「紀州ミカンの木」について解説している資料②熊野市指定天然記念物「有馬のニッポンタチバナ」の写真が載っている資料(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:01)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:01)
①御浜町指定天然記念物「ハマセンダン」「キササゲ」「ニッポンタチバナ」「紀州ミカンの木」について解説している資料は以下のとおりです。『御浜町の文化財』御浜町教育委員会/編 御浜町教育委員会 1973p.7「ハマセンダン」、p.25「キササゲ」、p.48「ニッポンタチバナ」について書かれています。『御浜町誌』御浜町誌編纂委員会/編集 御浜町 1982p.284-293「第三編 産業 第二章 御浜の柑橘栽培」の「(一)百歳を超す紀州みかん」(p.290,291)において、紀州みかんについてと町内志原で見つかった樹齢百年を超えると思われる老大木について簡単に触れています。p.526-541「第六編 文化財・天然記念物 第二章 天然記念物」において、p.527,528「神志山小のハマセンダン」、p.530,531「志原の紀州ミカンの原木」、p.532「上市木のキササゲ」 ...
『三重県史 資料編現代1』三重県 1992p.1095に「二 県政百周年記念事業」の項目があり、「県庁講堂で記念式典」「県庁前公園で記念植樹」「四月一八日~二四日を県民週間とし記念講演会などが開催」「四月から一〇月までは環境・福祉・豊かな人間性などをテーマに記念事業」、施設事業として「「ふるさとの丘」づくり事業、総合保健センター建設事業、伊勢志摩国立公園桐垣園地整備事業、造林事業、教育センター建設事業などが実施された」という記載があります。『伊勢年鑑 1997』伊勢新聞社 1997.1口絵に県政100年記念式典と記念植樹の写真が掲載されています。『県政だより 1976年5月』p.9に『県政百年記念画報』予約受付のお知らせが掲載されています。『三重百年 写真集』中日新聞本社/編・発行 1986.11年表のp.437に「10・9 「昭 ...
「天正伊賀の乱」(和田裕弘、中公新書)P134に滝川雄利は「伊勢源浄院の僧侶で主玄と称していた」とあるが、伊勢源浄院が南勢のどこにあったか分かる本や写本や古地図はあるか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:01)
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滝川雄利についての記述の中で源浄院が現在の津市の木造にあったことが書かれている資料が2冊ありました。(1)『一志郡史 上巻』大西 源一/[ほか]著 一志郡町村会 1955p.159に「木造氏は(中略)桃園村の木造にいたが、そこの源浄院という寺に」という記述があります。この資料は国立国会図書館デジタルコレクション送信サービス資料です。(2)『勢陽読史雑考』森 真現/著 森真現 1964p.106に「弟は父母の命によって木造村の源浄寺(曹洞宗)に入る」という記述があります。この資料は国立国会図書館デジタルコレクション送信サービス資料です。木造の絵図は次の2冊に掲載されています。(3)『木造軍記』〔著者不明〕 稱名庵文庫 1971口絵に「天正十二年落居当時の木造図(引接寺称名庵文庫蔵)」の写真が掲載されています。(4)『伊勢 ...
以下の資料を調査いたしましたが、発祥の店や考案者は分かりませんでした。『伊勢市史 第8巻』伊勢市/編集 伊勢市 2009.8『伊勢おかしめぐり』伊勢市 [2016]『三重県の伝統料理』三重フィールド研究会/編 三重県良書出版会 1982『風土に生きる三重の味 南勢・志摩・紀州編』三重県 [198‐]『三重の味千彩万彩』みえ食文化研究会/編集 みえ食文化研究会 2006.6『三重の味千彩万彩 続』みえ食文化研究会/編集 〔みえ食文化研究会〕 2015.6『伊勢市の民俗』伊勢市民俗調査会/編著 伊勢文化会議所 1988『三重の名物・土産物』三重学術出版会 1996.03『日本の食生活全集 24』農山漁村文化協会 1987.4『三重県食文化事典』大川 吉崇/著 創英社 2018.7『伊勢の百話』郡 敏子/著 古川書店 1983.11『明和町史 史料編第1巻民俗・文化財』明和町史編さん ...
当館の資料では、津市が鰻の産地だったことを示す写真は見つかりませんでした。『海と人間 1992 Vol.20』(海の博物館 1992)には、p.28に「三重県の主な養鰻場分布地図」が掲載されていました。この資料は国立国会図書館デジタルコレクション送信サービス資料です。また、津市観光協会のウェブサイト「津の時間」内の特集ページ「うなぎ専門店人気5選」に、津市に養鰻池が多かったという記述があり、昭和13年島崎町付近の空中写真が掲載されています。https://tsukanko.jp/feature/feature-2916/国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」では、昭和22年以降の空中写真を見ることができます。参考資料:海と人間 1992 Vol.20 海の博物館 19731201,
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