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土井ごう牙の死因となる病名について直接的な記載はありませんでしたが、晩年の病気については以下の資料に記載されていました。(1)『斎藤拙堂・土井【ゴウ】牙』橋本 栄治/著 明徳出版社 1993.6p.178-179 「病気は疝疾」、「五十九歳で発病、荏苒として癒えなかった」p.189(p.181-189斎藤拙堂・土井※牙略年譜) 1879年「中気を病み、半身不随」1880年「胃病を併発」 ※「敖」の下に「耳」なお、当資料のタイトルに関して、環境依存文字であるため当館では「土井【ゴウ】牙」の表記で登録しております。正しいタイトルはすべて漢字で書かれております。(2)『伊勢の歴史と文化』早稲田大学日本地域文化研究所/編 行人社 2009.5p.97 明治7年「疝疾を病む」「その後、胃痛を併発」(3)『新・津市人物伝』駒田 博之/著 伊藤印刷株式 ...
以下の資料を調査しましたが、『幕末の桑名』に掲載されている服部正義の写真以外は発見できませんでした。<調査した資料>『幕末維新と桑名藩』桑名市博物館/編集・発行 2017.10『図説北勢の歴史 上巻』『図説北勢の歴史 下巻』北勢の歴史刊行会/編 郷土出版社 1992『目でみる桑名の江戸時代』桑名市教育委員会/編集,桑名市立文化美術館/編集 桑名市教育委員会 1983.12『幕末の桑名藩主 松平定敬 (1)黒船来航』西村 健二/著 桑名市社会福祉協議会 2020.2『幕末の桑名藩主 松平定敬 (2)京都動乱』西村 健二/著・発行 2020.7『幕末の桑名藩主 松平定敬 (3)長州征伐』西村 健二/著・発行 2021.7『松平定敬のすべて』新人物往来社/編・発行 1998.12『京都所司代松平定敬』桑名市博物館/編集・発行 2008.10『三重幕末維新戦記』横 ...
『川西町史 下巻』に、「天文二十年(1551)伊達晴宗の時代伊勢山田の御師宝師大夫が皇大神宮、内宮外宮のご神号と神教の巻物ならびに神木を持って玉庭に来て皇大神宮の尊さを教えをひろめ里人の幸を祈って宅神祭をおこなった。元禄十四年(1701)本殿及び拝殿を再建し遷座祭を行った。神主は御師蔵田左京である。」とあるが、御師宝師大夫の素性を知りたい。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:41)
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以下の資料を確認しましたが、宝師大夫の名前を見つけることはできませんでした。(確認した資料)『神道研究ノート』桜井 勝之進/著 国書刊行会 1998.5『禁裏御師』村田 氏美/編・発行 1969『御師と伊勢講』皇学館大学神道博物館/編・発行 2002.3『神宮と日本文化』皇學館大学/編・発行 2012.4『長崎の伊勢信仰』久田松 和則/著 長崎文献社 2018.11『近世の伊勢神宮と地域社会』上野 秀治/編 岩田書院 2015.3『伊勢御師と宇治山田の学問』窪寺 恭秀/著 弘文堂 2023.7『近世前期神宮御師の基礎的研究』谷戸 佑紀/著 岩田書院 2018.3『館町の御師』櫻井 治男/研究代表 皇學館大学文学部櫻井治男研究室 2014.2『ある伊勢御師の軌跡』皇學館大学佐川記念神道博物館/編集・発行 2023.10『伊勢参宮の先導者たち』皇學館大学佐川記念神道博物館 ...
平安時代、渥美半島と伊勢とが海路で結ばれていたとされているが、伊勢(あるいは鳥羽)の港や使われていた海路について書かれた資料はないか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:41)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:41)
お問い合わせの件につきまして、詳しく書かれた資料は見つけられませんでした。以下、関連していると思われる記述がある資料をご紹介します。(1)『伊勢湾海運・流通史の研究』村瀬 正章/著 法政大学出版局 2004.1p.5「平安時代には(中略)伊良湖をへて伊勢の安濃津に陸揚げし、鈴鹿峠を経て京都に運んだと思われる。」p.6「三河南岸の国府の港すなわち御津から出帆した船は、伊勢の安濃津に至って荷を陸揚げし、鈴鹿峠を越えて京の都に陸路を運んだと思われる。」なお、この資料以外に安濃津に陸揚げをした旨の記述がある資料は見つけられませんでした。(2)『三重県史 通史編原始・古代』三重県/編集・発行 2016.3p.416-423古代の「伊勢湾交通」に関する項目において、「持統六年の伊勢行幸」(p.418-420)と「大宝二年の参河行幸」(p. ...
紀伊半島南部で「一雨十両」のような格言のようなものがあったと思うが、検索しても確認できない。このような言い回しがあれば、それについて載っている資料が知りたい。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:03)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:03)
当館が所蔵する南紀地域の歴史や民俗の資料を確認しましたが、「一雨十両」およびそれに類する言い回しを見つけることはできませんでした。インターネット上では「一雨千両」「一雨三千両」等の類似の言葉はありましたが、三重県ではないものや、個人のブログなど公的なサイトではないものでした。(調査した資料)『尾鷲市史 上巻』尾鷲市役所/編集 尾鷲市役所 1969『三重 の文化伝承 』堀 哲/著 伊勢民俗学会 1978.8『紀伊長島町史』紀伊長島町史編さん委員会 1985.8『海山町史』海山町役場/編集 海山町役場 1984.8『南紀土俗資料』森 彦太郎/編 名著出版 1974『熊野街道志原川尻古譚』岡本 実/著 [岡本実] 1972.6『熊野市の農林業』農林省三重統計情報事務所熊野出張所/編 熊野市 1981.『尾鷲市の農林業』農林省三重統計情報事務 ...
志賀直哉日記には、小説執筆のため昭和8年(1933年)7月3日月曜日に奈良駅から三重県の菰野町にある湯の山温泉に滞在し7月5日水曜日に奈良へ帰る記述がある。4時の鳥羽行きに乗り、亀山に着く1時間40分まで目まぐるしく天候が大きく変わったことが書ており、災害があった可能性がある。昭和8年(1933年)7月2日、3日、4日の天気図、気象情報など三重県の状況を表した全国紙新聞及び地方新聞記事はないか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:03)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:03)
『朝日新聞縮刷版 昭和8年7月』(日本図書センター 2001.7)で7月2日から4日の四面を確認しましたが、三重県の天気についての記事はありませんでした。また、マイクロフィルムで朝日新聞三重版の昭和8年7月2日、4日を確認しましたが、天候についての記載はありませんでした。こちらは三重版の1面分のみマイクロフィルム化したもので、該当の日付の紙面すべてを確認できるものではありません。なお、7月3日は休刊で紙面はありませんでした。過去の気象データは、気象庁のウェブサイトから確認することができます。気象庁> 各種データ・資料> 過去の気象データ検索https://www.data.jma.go.jp/stats/etrn/index.php津の昭和8年7月の気象データhttps://www.data.jma.go.jp/stats/etrn/view/daily_s1.php?prec_no=53&block_no=47651&year=1933&month=07&day=03&view=p1その他当館の資料を ...
『鈴鹿関町史 下巻』関町教育委員会/編集 関町役場 1984p.411-412「2 委託児童の解除」において、以下の旨が記載されていました。明治22年以降、「高等小学校未設置の学校」の児童や「通学距離が同一村の小学校より隣接町村の小学校が近い」児童を、「隣接町村に委託して教育を受けさせた」。明治41年に坂下尋常小学校に五、六学年を置いたため、坂下村の「旧高等学科一、二学年の委託を解く(但、市の瀬は従前の通り)」。昭和13年に「市瀬区児童の関町への委託教授認可解除」。p.949(年表)にも「市瀬区児童の関町委託を解除」と記載されています。この資料は国立国会図書館デジタルコレクション送信サービス資料です。亀山市歴史博物館によるウェブサイト「亀山こども歴史館」において、関小学校の歴史について記載されて ...
丹生地域の伝承は以下の資料に記載がありました。(1)『勢和村史 資料編2』勢和村史編集委員会/編集 勢和村 2001.3p.576-594「第2章 口語伝承」において、p.577-582「第1節 暮らしのことわざと民間療法」、p.583-587「第2節 民話・伝説」、p.588-594「第3節 民謡」について記載されています。旧勢和村内の口語伝承をまとめたものであるため、丹生以外も含みます。なお、水銀に関する伝承は含まれていませんでした。(2)『勢和村の民俗』伊勢民俗学会/編 光出版印刷 1985.5p.247-262「第十章 昔話・伝承」において「6鉱物」(p.257-258)の項目がありますが、水銀については『今昔物語集』巻十七・伊勢の国人、地蔵の助けによりて命を存へたる語・第十三の語り伝えのようです。(3)『丹生水銀鉱採掘跡分布調査報告』三重県多気郡多気町教育委員会 ...
以下の資料に記載がありました。(1)『神宮御師資料 外宮篇 1』皇学館大学史料編纂所/編 皇学館大学出版部 1982明治12年「旧師職総人名其他取調帳」p.56に中川貢(中川安大夫一株 他)の項目があり、「配札之国郡」が記載されていました。「但シ尾張国、美濃国、播摩国、伊勢国、遠江国、伊豆国、駿河国ヘハ中川安大夫銘」と但し書きがあります。(2)『神宮御師資料 外宮篇 2』皇学館大学史料編纂所/編 皇学館大学出版部 1984明治12年「旧師職取調簿」p.62に松室忠誠(中川安大夫銘譲 他)の項目があり、「配札ノ国郡」が記載されていました。「但(中略)武蔵国ハ中川安大夫」と但し書きがあります。同p.78に中北栄二(中川安大夫銘譲 他)の項目があり「配札ノ国郡」が記載されていました。20国記載があり、「但シ悉皆中北大夫銘」 ...
国立国会図書館デジタルコレクションで「参宮道中記 落物」と検索したところ以下の資料が見つかりました。いずれも送信サービス資料です。・『立川町史資料 第5号 (伊勢参宮道中記)』立川町史編さん委員会 編 立川町 1993.3(永久識別子:info:ndljp/pid/9540937)p.30(26コマ)に落物の注釈があり、「託送する荷物のこと」という記述があります。・『西国順礼道中記 (大子町史料 ; 別冊 9)』大子町史編さん委員会 編 大子町 1986.10(永久識別子:info:ndljp/pid/9571756)p.16(12コマ)「異体・難読・難解字句一覧表」に「落物(おとしもの)-心つけの意か」という記述があります。・『高畠町史 下巻』高畠町史編集委員会 編 高畠町1986.10(永続的識別子:info:ndljp/pid/9540562)「第四章 明治初期 郷土人の道中記」に「宿泊関係一覧表」があり、その「 ...
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