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大正11年(1922年)10月に「千里山水道」として建設、昭和21年(1946年)1月に吹田市へと継承され「千里山浄水所」となった。北大阪電気鉄道株式会社(現在の阪急電鉄株式会社)は、十三(じゅうそう)~豊津(とよつ)間の鉄道開通と前後して、周辺の住宅地を開発した。当初、上水道の水源を豊津の垂水(たるみ)神社付近としていたが、地元住民の強い反対が起こった。そこで、水源地を千里村で探すことにし、現在の千里山西(せんりやまにし)1丁目近辺に水源地を定めた。「千里山水道」として大正10年(1921年)5月に起工、大正11年(1922年)10月に竣工した。昭和21年(1946年)1月に吹田市が継承し「千里山浄水所」となった。吹田市の継承後は水需要の高まりに対応するべく、昭和34年(1959年)3月に浄水池築造、昭和40年(1965年 ...
片山公園の沿革は以下のとおり。片山公園は昭和27年(1952年)には、片山素戔烏尊(カタヤマスサノオノミコト)神社の傍の土地に建設されていた。その後、昭和31年(1956年)に都市公園の計画決定が告示され、昭和41年(1966年)に認可、都市公園として供用を開始した。昭和43年(1968年)から「万国博記念公園」として児童遊園や野外劇場、展望広場、休憩コーナーなどを整備し、昭和45年(1970年)度にほぼ完成する。平成6年(1994年)から平成12年(2000年)にかけて再整備が行われ、平和の薔薇園など新たなエリアが設けられた。沿革の確認にあたっては以下の資料を確認し、紹介した。(1)『市報すいた 縮刷版 第1巻』(吹田市市長室広報課/編集 吹田市市長室広報課 1990)昭和30年4月1日 市制施行15周年記念特集号(号外) p82「昭和27 ...
明治時代に、垂水(たるみ)神社(吹田市)の社格(しゃかく)が「郷社(ごうしゃ)」に格付けされた経緯が知りたい。(吹田市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/5 10:20:43)
from レファレンス協同データベース (2025/6/5 10:20:43)
明治4年(1871年)5月の太政官布告により、日本全国の神社は官社(かんしゃ)(各大・中・小の官弊社と国弊社、および別格官弊社)と諸社(しょしゃ)(府県社、郷社、村社、無格社)に大別され、各社の神職も世襲制から一新されることになった。うち、郷社は郷村の産土神(うぶすながみ)を祀り、村社よりも崇敬範囲が広く、一地方にわたって崇敬される中心的神社という基準が制定された。布告を受けた大阪府は明治5年(1872年)11月に、府内の神社を国の定めた基準に大別するという府令を出した。この府令の中で、垂水神社は府内の郷社一覧に名を連ねている。(格付けの年を明治6年(1873年)とする資料もある。)郷社とされた理由は、古くから郷村の水の神として朝廷に重用されてきた名社であること、兵火で規模が縮小すること ...
次の資料を紹介した。※以下の資料の中には、「夏の料理」とはっきり記載がないものも含まれる。(1)『大阪食文化大全』(笹井 良隆/編著 西日本出版社 2010.11)・大阪の食文化全般の詳細、食文化資料雑記等を掲載。・食べ物(料理):大阪の総菜、うどん、海魚、川魚、練り物、乾物、酒、なにわの伝統野菜等。(2)『聞き書ふるさとの家庭料理 12 夏のおかず』(農山漁村文化協会/編 農山漁村文化協会 2003.5 )p86、p124他・全国で聞き書きした家庭料理を掲載。・食べ物(料理):なすびとじゃこの煮もの、かたくちいわしの煮つけ等。(3)『しょうゆが香る郷土料理』(日本醬油協会/編 農山漁村文化協会 2007.3)p22、p134・全国各地のしょうゆを使った郷土料理を掲載。・食べ物(料理):かやくごはん、きつねうどん、塩昆布、うず ...
概要は参考資料(1)p95より下記のとおり。「千里山遊園は大正10年(1921)に北大阪電気鉄道が千里山花壇として開園し、昭和13年(1938)に千里山遊園と改称されました。園内には飛行塔、野外音楽堂、ボート池、人工滝、小動物園などの施設があり、人気を集めていました。昭和19年[原文ママ](1943)には千里山厚生園と名を改め、昭和20年(1945)営業が一時中断されましたが、昭和21年(1946)には再開され、菊人形展が開催されました。しかし、戦後枚方の菊人形展が再開したことにより千里山遊園は衰退し、昭和25年(1950)に廃業しました。(中略)のち、関西第一中学校・高等学校が設置され、野外音楽堂だったところには創立百周年記念会館が建てられています。」 上記の記述箇所を含め千里山遊園の歴史が載っている資料、当 ...
東袋(あずまぶくろ)の作り方を探している。『手ぬぐいでかんたんリメイク』と同じような東袋の作り方が掲載されている本を見たい。(吹田市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/5 10:19:01)
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まず東袋がどのような物かわからなかっため、インターネットで検索すると、東袋とは「風呂敷や手ぬぐいなど布を直線で縫うだけで完成する袋」だとわかった。以下の資料に作り方が掲載されていた。(1)『きもの語辞典』(岡田知子/著,木下着物研究所/監修 誠文堂新光社 2021.9)p23 1枚の布を3等分して要所を縫い合わせて袋状にする。(2)『和柄布の手作りバッグ』(ブティック社 2014.8)p17、p65 手ぬぐい1枚を折って作る。(3)『実用派エコバッグ 』(日本ヴォーグ社 2020.12)p48、p94~p95 1枚の布を折りたたんで縫う。その他、様々な方法の作り方が掲載されていた資料。(4)『バッグ作りの超基本』(クライ・ムキ/[著] 主婦の友社 2011.2)p31~p33 2種掲載。まちつきの「裏つき仕立て」、まちなしの「1枚仕立て」。(5)『毎日使える ...
中国オウトウ(別名:カラミザクラ・シナミザクラ・シナオウトウ)回答プロセス:図書館の建物の前に、木の高さが建物の2階くらいで3月中旬頃に開花し、5月頃に赤い実をつける木があり、その木の名前の質問だった。・木の特徴からサクランボの木と推測し、当館の検索機で「サクランボ」というキーワードで調べた。(1)『育てて楽しむサクランボ栽培・利用加工』(富田 晃/著 創森社 2018.11)のp7に「中国オウトウの開花」の写真が掲載されており、図書館の建物前の実際の木の開花状態と似ていた。 また、同ページの中国オウトウの説明文に、「開花期は甘果オウトウよりも早く、関東では3月下旬に開花し、5月上旬には収穫期を迎えます」との記述があり、「中国オウトウ(別名:カラミザクラ・シナミザクラ・シナオウトウ) ...
第二次世界大戦時のアメリカ黒人部隊「第761戦車大隊」について書かれている日本語の本が読みたい。黒人部隊だけについての本でもよい。(吹田市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/5 10:18:10)
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下記ページを始まり、または範囲として黒人部隊に関する記述が散見された。第761戦車大隊について(第761戦車大隊が活躍した「バルジの戦い」についての資料も含む)(1)『アメリカ陸軍全史( 欧州戦史シリーズ Vol.21)』(学研 2003.1) p72~78「バルジの戦いとドイツ侵攻」 p174~181「マイノリティーたちの第二次大戦」(2)『地図でみるアフリカ系アメリカ人の歴史』(ジョナサン・アール/著 明石書店 2011.3) p82~「第4部 アフリカ系アメリカ人と軍隊 第二次世界大戦」(3)『黒人の歴史』(ネマータ・ブライデン/ほか著 河出書房新社 2023.7) p254~「第6章 植民地支配からの脱却とアフリカの自立 私たちは同じ軍服を着ていた」黒人部隊について(4)『黒人学・入門』(宝島社 1993.11) p144~「PART3 星条旗の国の異人たち ニガーのみなさん、 ...
大阪府(おおさかふ)吹田市の山田(やまだ)にある紫雲寺には、本堂の内陣の天井に、江戸時代後期に大坂(おおさか)で活躍した画家・森狙仙の描いた絵がある。「紫雲寺本堂 内陣鳥獣図(ないじんちょうじゅうず)」は、吹田市ホームページ>文化・スポーツ>文化・芸術・歴史>歴史・文化財>文化財保護>指定・登録文化財>指定・登録文化財一覧(最終確認2024.9.14)によると、昭和47年3月31日に大阪府指定有形文化財に指定された。以下の資料やホームページに掲載されている。(1)雑誌記事タイトル:狙仙の猿画 千里・山田の紫雲寺をたずねて 著者:池田半兵衛 掲載雑誌:大阪春秋 16巻1号 通巻49号 p112~p117 発行年:1987「内陣の格天井に狙仙が描いた、淡彩の鳥獣画七十八面を見て、その見事さにまったく驚いた。天井は一尺 ...
大正期に吹田市で創業した三国紡績(みくにぼうせき)に関する資料が知りたい。大阪市にあった三国紡績との関係を知りたい。(吹田市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/6/5 10:17:16)
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三国紡績は大正10年(1921年)5月に豊能郡豊津村榎坂(とよのぐん とよつむら えさか)で創業した紡績会社。後述の天満織物(てんまおりもの)による吸収合併後は、大阪市東区北浜5丁目10番地の天満織物ビルを本社とした。大正12年(1923年)に、第一次世界大戦後の不況による賃下げや解雇に反対する労働争議が発生すると、大正13年(1924年)4月に、鈴木商店(すずきしょうてん)の系列会社である天満織物に吸収合併され、天満織物株式會社三國工場となる。天満織物は昭和16年(1941年)に朝日紡績と名称を変え、昭和18年(1943年)に福島紡績と併合されると、昭和19年(1944年)に敷島紡績(現在のシキボウ)となり現在に至る。(1)『吹田市史 第3巻』(吹田市史編さん委員会/編集 吹田市役所 1989.3)p175 三国紡績株式会社の写真あ ...
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