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電子出版制作・流通協議会(電流協)、「電子図書館(電子書籍サービス)実施図書館(2025年01月01日)」を公表
from カレントアウェアネス・ポータル 新規掲載コンテンツのRSS (2025/1/28 16:21:29)
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2025年1月27日、電子出版制作・流通協議会(電流協)が、「電子図書館(電子書籍サービス)実施図書館(2025年01月01日)」を公表しました。 前回2024年10月1日時点と比べ、実施自治体は6増加し585自治体、電子図書館(電子書籍サービス)は6増加し465館となっています。 お知らせ(電流協) https://aebs.or.jp/ ※2025年1月27日付けで「電子図書館(電子書籍サービス)実施図書館(2025年01月01日)公表の件」とあります。 電子図書館(電子書籍サービス)導入図書館(2025年01月01日)(電流協) https://aebs.or.jp/Electronic_library_introduction_record.html 続きを読む
下記の資料に記載がありました。◆参考資料1 『日本外史 幕末のベストセラーを「超」現代語訳で読む』 頼山陽/著 長尾剛/訳 PHP研究所/出版 (2010.1)P141~142「そもそも徳川氏が天下を取り得た最大のきかっけは、世間で思っているような『大阪冬の陣・夏の陣』の戦ではない。否。さらには、その前の『小牧の合戦』である。『小牧の合戦』こそが、徳川氏が天下を握るべき武家として天に認められた戦いである」と記載があります。 ◆参考資料2『日本外史』20 頼山陽/著 頼氏蔵版 1848P2~6和装本、漢文で小牧山の合戦のことが記載されていました。◆参考資料3『日本外史』22 頼山陽/著 頼氏蔵版 1848P54質問の一文に該当する原文(漢文)をみつけました。
渡辺錠太郎(1874.4.16-1936.2.26)は小牧出身の軍人で、1935年教育総監に就任、二・二六事件で反乱軍に襲撃されて死亡した人物である。下記の資料を提供した。①『小牧市史本文編』②『郷土の偉人渡辺錠太郎』③『小牧で生れた渡辺錠太郎将軍』回答プロセス:・①に小牧出身の人物として渡辺錠太郎の生涯についてまとめられており、経歴を確認することができた。・②には生い立ち、青年時代から軍人になってからの活躍ぶりなどが書かれている。・③に元図書館長で「駒来」の編集も担当した百瀬正昭氏が「小牧で生れた渡辺錠太郎将軍」というタイトルで連載記事を書いている。参考資料:『小牧市史本文編』小牧市役所 1977年 p736-738, 参考資料:『郷土の偉人渡辺錠太郎』 岩倉渡辺大将顕彰会 1977, 参考資料:小牧で生れた渡辺錠太郎将軍 ...
『田縣の宮見聞録』は田縣神社についてまとめられた資料であり、続編として『田縣の宮見聞録 続巻』・『田縣の宮見聞録 続々巻』がある。 ②『小牧の神社』には、田縣神社の豊年祭について説明が記載されている。 ③『東春日井郡誌』は大正時代の資料の復刻版であり、田縣神社についての記載がある。その他、近隣の祭りとして以下2点の資料の紹介をあげる。 ④『味岡庄史資料集 其四』は味岡地区の神社仏閣についての資料である。 ⑤『尾張のまつり』は尾張地方の祭りについての資料であり、口絵とp148ー149に豊年祭のカラー写真と説明がある。参考資料:丹羽欽治 著 , 丹羽, 欽治. 田県の宮見聞録 : 附近史蹟名勝. 愛知県東春日井郡味岡村, 1932.https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000606110-00, 参考資料:丹羽欽治/著 , 丹羽欽治. 田縣の宮 ...
最近の発掘調査によって、詳細が明らかになりつつあるが、ひとまずこれまでの研究成果として調査し、下記の資料を提供した。①『小牧山城(小牧叢書16)』②『続小牧山城(小牧叢書17)』③『信長の城下町』④『織田信長と小牧』⑤『信長の城』回答プロセス:①は小牧山城の遺構や歴史など、②は昭和以降の小牧山についての資料である。③は信長、光秀、秀吉の城下町についての資料であり、小牧山城について近年の発掘調査の成果を踏まえて記述されている。④⑤は小牧山城を含め、信長が築いた城に焦点を当てた資料である。参考資料:『小牧山城(小牧叢書16)』 小牧市教育委員会 1998年, 参考資料:『続小牧山城(小牧叢書17)』 小牧市教育委員会 2000年, 参考資料:『信長の城下町』 仁木宏・松尾信裕/編 高志書院 2008年, 参考資 ...
「入鹿六人衆」とは、江戸時代初期に新田開発のため「入鹿池」の築造と「入鹿用水」の開さく、新田開発の中心となった6人のことである。下記の資料を提供した。①『愛知百科事典』②『紙のかぶと』③『入鹿池の築造と「入鹿切れ供養地蔵」について』④『入鹿池築堤と明治の大洪水』回答プロセス:・①には入鹿池の概要が記載されており、入鹿六人衆の氏名も記載されている。・②は子ども向けに入鹿六人衆についてやさしく説明している。p85には六人衆の略歴の記載がある。・③および④には、入鹿池築造から「入鹿切れ」(堤防の決壊)に至るまでの経緯が詳しく書かれている。参考資料:『愛知百科事典』 中日新聞開発局 中日新聞社 1976年, 参考資料:『紙のかぶと』 愛知県小中学校長会 愛知県教育振興会 1969年, 参考資料:『入 ...
この主題だけの図書は見当たらず、下記の資料から提供した。①『小牧市史本文編』 p653~660、653~660、691~706②『小牧の民俗(小牧叢書7)』③『名古屋コーチン作出物語』④『小牧の産業史話(小牧叢書14)』 p3~10⑤『小牧発祥!!名古屋コーチン』⑥『「食」で地域探検5(肉の郷土料理)』p10、11回答プロセス:・①や②によると、ご馳走として「サンマ飯」や「にんじん飯」などを食べていたことがわかる。また、ハレの日の食事として、正月の鏡餅、ノシ餅、弘法様の日のハナクソ餅、お盆のアンコロ餅など、お祝い事があるとお餅を食べていたようだ。・③には、名古屋コーチンを作出するまでの経緯が、④にも名古屋コーチンについての記載があり、いずれも小牧市発祥であると書かれている。・⑤及び⑥に愛知県の郷土料理である ...
小牧では、明治・大正期から昭和にかけて、養蚕業が大変盛んであった。現在の図書館本館も養蚕の技術指導所を改装して開館し、その後建て替えたものである。調査の結果、下記の資料を提供した。①『小牧の文化財 第11集(小牧の米作・麦作と養蚕)』p37~56②『小牧の産業史話2(小牧叢書15)』p1~9③『小牧市史本文編』p455~457、474~476④『小牧の民俗(小牧叢書7)』p59~60回答プロセス:養蚕の始まりと生産についての説明は①と②が詳しい。その他③、④にも記載され、かつては人々の暮らしと養蚕が密接に結びついていたことがわかる。参考資料:『小牧の文化財 第11集(小牧の米作・麦作)』 小牧市教育委員会 1987, 参考資料:『小牧の産業史話2(小牧叢書15)』 小牧市教育委員会 1996, 参考資料:『小牧市史本文編』 小牧市史編 ...
「稲置街道」とは木曽街道の別名で、現在の名古屋市北区清水から味鋺の渡しで庄内川を越え、小牧を抜けて、楽田(犬山市)の追分から五郎丸を通り、犬山城に向かう道のことを言った。調査の結果、下記の資料を提供した。①稲置街道散策まっぷ(A295/キ)②古道277kmと堀川の今(A682/カ)③木曽街道を歩く(AK682/カ)④愛知の歴史街道(A682/ナ)⑤尾張の街道(A682/ア)回答プロセス:・①には、稲置街道の歴史と全ルートマップ、エリアマップが記載されている。・②は古道沿いの史跡等の現在の様子を写したカラー写真集であり、稲置街道の写真も掲載されている。・稲置街道の別名である木曽街道の資料を探したところ、③を見つける。この本には、区間ごとの説明、史跡、白黒写真、地図が掲載されている。・④、⑤は近隣の街道 ...
『小牧市史』などを調査したが判然としない。「現在の小学校のうちでは」という意味で、小牧市の公刊された『市制概要』に、現在の小学校の設置年の記載があるため、それを提供する。その『市政概要 平成25年版』(AK318/コ)p90によると、小牧小学校、村中小学校、小牧南小学校が明治6年の設置となっている。回答プロセス:・小学校の設置は、明治5年(1872)の学制の公布に始まるとされている。・小牧市での設置は、①に明治6年当時10校が列挙されているが、設置年月などの記載がなく、どこが一番古いのか判明しない。・また②に明治7年の学校表があり、ここには現在の小牧市内の小学校として7校が掲載されているが、ここにも正確な設置年月は記載がない。・これらの学校名を手がかりに、各小学校のHPを調べてみると、それぞ ...
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