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【松尾芭蕉の頭陀袋について】 松尾芭蕉の頭陀袋の写真が掲載されている資料はないか。(村松七九氏の寄贈で、石川県立美術館の図録に掲載されていたとのこと。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:49)
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『石川県立美術館所蔵品図録』には掲載なし。「石川県立美術館 松尾芭蕉 頭陀袋」でインターネット検索すると、平成12年に開催された石川県立美術館の展覧会「芭蕉翁の頭陀袋と俳画」に出品されたことがわかった。『石川県立美術館年報 No.18 平成12年度』(109075337)p.14に頭陀袋の図版あり。『城下町金沢は大にぎわい』(109236812)p.40「芭蕉からのプレゼント 047.松尾芭蕉頭陀袋」に図版と解説あり。
【「雨乞い」について】 石川県内の雨乞いについて書かれた文献はないか。大門哲氏が書いた論文を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:49)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:49)
・キーワード「大門哲 雨乞い」で国立国会図書館サーチ、CiNiiで検索したが、該当なし。・『雨を乞う』(109189374)参考文献の中に大門哲氏の論文あり。→大門哲「加賀能登の雨乞い-ジャーナリズムと民俗(5)-」『加能民俗』12-13・『加能民俗』12の13No.155,p.6-9に上記の論文を確認した。その他石川県内の雨乞いについて書かれた文献・『能登の文化財 第44輯』(109128172)p.35-39「羽咋の雨乞い儀礼」中越幸子/著・『北陸の民俗 第17集』(119714502)p.34-39「雨乞の民俗-旧江沼郡を中心として-」前田佐知子/著
【『林の果ての野の果ての~』で始まる歌の作曲者について】 能美市に住む90歳の知り合いが同窓会で歌っている歌の作曲者を教えてほしい。歌詞は次のとおり。『林の果ての 野の果ての 誰も知らない 湖に のどのかわいた お姫さま お水を飲みに 参ります』(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:48)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:48)
・インターネットの童謡 歌詞 検索サイトで調査したが該当なし。・『金沢地方の童謡選集』(11906736)「童謡小曲集」「日本伝承童謡集成」全巻を調査したが該当なし。・Googleで『林の果て 野の果て』をキーワードに検索したところ、『流れ星』菅野都世子(佐々木とも)/佐々木仁作詞・中山晋平作曲 を見つけた。【URL】http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/nagareboshi.html1番の歌詞『くらいみ空の 流れ星 どこへなにしに 行(ゆ)くのでしょう林の果ての 野の果ての 誰も知らない 湖にのどのかわいた お星さま お水を飲みに 参ります』3番までの歌詞を紹介した。レファレンス協同データベースに類似の質問が掲載されていた。「昭和10年前後に歌っていた「流れ星」という唱歌の全歌詞が知りたい。」【URL】http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=r ...
『山岳宗教史研究叢書 10 白山・立山と北陸修験道』(118412220)「白山・立山と北陸修験道」高瀬重雄/著p.23-25医王山・柿谷寺・倶利伽羅山・鷲塚村善久寺・石動山天平寺・能登一宮長福院・那谷寺・愛宕坂波着寺・感応山松尾寺・天池白山権現・平泉寺玄成院・霊池山長泉寺・万松山大安寺・育王山糸崎寺・三国性海寺・白山豊原寺・祇園山安楽寺・朝日村福通寺『白山比咩神社史 古代・中世篇』(118583916)p.76-78「越知山(大谷寺)」 p.81-91越前五山(白山・越知山(丹生郡)・吉野ヶ岳(吉田郡)・文殊山(足羽郡)・日野山(南条郡))・白鳳山泰澄寺・大滝神社(大滝寺)・那谷寺『福井県史 資料編 1 古代』(11920952)p.323-356「泰澄和尚基本史料」に泰澄の伝記史料が収録されている。
【キムスコについて】 町家建築に使われているキムスコの語源について知りたい。「生息子」との関連はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:48)
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『金沢の町家』p.58「キムスコ・木虫籠 キムスコは、はめ込み式の連子格子である」『金沢町人の世界』(11826084)p.139「キムスコ 格子の一種である」『金沢市文化財紀要 6 旧東のくるわ』(119573530)p.25「(前略)格子の断面が矩形のものがある。この形式は親柱の間にパネル状もあらかじめ組んだ格子をはめたもので、取外すことが可能であった。これら細かい木格子を金沢では「きもすこ」と呼んでいる」『金沢市文化財紀要 190 金沢市主計町伝統的建造物群保存対策調査報告書』(119769986)p.46「繊細な加賀格子であるいわゆるキムスコ(木虫籠)」『金沢市史 資料編17 建築・建設』(119623121)p.160「細格子・荒格子というような格子があり、金沢ではキムシコと呼ぶ」『近世近代町家建築史論』(118467990)p.293「金沢(石川県)や富山におけるスムシコ(簀虫籠) ...
『角川日本地名大辞典 17 石川県』p.826「牧山」によると、明治22年に直江谷村、明治40年三谷村、昭和29年に森本町の大字となり、昭和37年に金沢市の町名となった。『まきやま 金沢市立牧山小学校閉校記念誌』(119419075)p.1-15「牧山教育のあゆみ」に牧山小学校の沿革が記されている。『みたに 三谷小学校創立百周年記念誌』(119588828)及び『森本のあゆみ』に牧山に関する記事は掲載されていない。
【お玉団子について】 童唄「お玉団子食うて 新七茶飲め、そばの願念寺で後生願え」に唄われた「お玉団子」、「新七」、「願念寺」について書かれた資料はないか。「新七」、「願念寺」の場所が現在のどの辺りに該当するかも知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:48)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:48)
○お玉団子『加賀百万石ゆかりの菓子』(119754590)p.30「おたま団子」堂後屋三郎右衛門が権七ヶ辻の向かいに移り、お玉団子で評判をとったと書かれている。堂後屋三郎右衛門については、『金沢古蹟志 第6編』巻16p.10-13に記載がある。堂後屋三郎右衛門旧邸は「片町の西側今林屋と呼べる茶店」にあったとのこと。林屋は片町72番地(現在の片町2丁目2-5付近)にあった(『加賀茶業の流れ』(119751542)p.115など)。○新七茶屋新七のこと。『北陸の俳壇史』(119679083)p.21及び『加能俳諧史』(109155868)p.18-23に小杉一笑の略歴が記載されている。『金沢古蹟志 第6編』巻16p.13-14「茶屋新七伝」に「新七は堂後屋の向家に居住し、俳名を一笑といふ。元禄のころ片町の茶店にて茗茶を商業とし」と書かれている。「堂後屋の向家」は片町1丁目4番付近と想定され ...
『金沢市教育史稿』(118290979)p.558、『耕稼春秋』(11913683)解説、『農業図絵』(11822585)解説、『ふるさと人物伝』(118527452)p.230、『書府太郎 上巻』p.120に「義休」の読みなし。『こども石川県史 人物編』p.55によると、義休は「よしすけ」と読む。
・『こども金沢市史』(109163823)p.127・『参勤交代道中記』(118310820)p.〔4〕-〔5〕・『加賀百万石と中山道の旅』(112836503)p.212-213・『道中記集成』18・25・26巻
【越国から加賀・能登への変遷について】 越国から加賀・能登への変遷がわかる地図が掲載された資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:47)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:47)
・『ふるさと石川歴史館』(118380216)p.58変遷の図の掲載はないが、越国から加賀・能登の立国についての記載あり。・『図説石川県の歴史』(11103369)p.85
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